Word.4 言葉ノ行方 〈2〉
「嗚呼、愛、合う…うぅ~ん、何かいまいち、使えそうな言葉がねぇーよなぁ」
「当然だ。そう簡単に見つかるものじゃない」
「まぁまぁ…アヒるんが辞書読んでるだけ、進歩じゃない…?フフっ…」
帰り道を歩きながら、辞書の“あ”のページから順番に読み、大きく首を傾げるアヒル。冷たく指摘する篭也に、囁は宥めるように笑みを向けた。
「けっどさぁ、もう言葉に気持ちを乗せるってヤツも出来たんだし、無理に他の言葉増やさなくてもっ…」
「阿呆」
「ああっ!?」
篭也の方を振り向いたアヒルが、急に飛ばされる罵声に、勢いよく顔をしかめる。
「今まで倒してきた忌は、全てト級の忌だ」
「ト級?」
「忌は、強さによって、イロハ二ホヘトの七段階に分けられるのよ…」
首を傾げながら振り向いたアヒルに、囁が丁寧に答える。
「イ級が一番強くて、ト級が一番格下…」
「じゃあ今まで俺が倒してきたのは、全部っ…」
「そう…一番弱っちい忌よ…フフフっ…」
ショックを受けたような表情を見せるアヒルに対し、囁は遠慮することなく、微笑みかけた。
「ハ級以上の忌が現れたら、今のあなたじゃ相手にもならない。それにっ…」
言葉を続ける篭也が、そっと目を細める。
「敵は…忌だけじゃない…」
「へっ?」
「……っ」
険しい表情で呟く篭也に、アヒルが首を傾げ、囁が眉をひそめる。
「それって、どういう…」
「まぁまぁ、ハ級以上の忌なんて滅多に出ないんだし…今のところはバカの“当たれ”覚えでいいじゃない…?」
「あのなぁっ…!」
問いかけようとしたアヒルの声を遮り、囁が笑顔で暴言を口にすると、アヒルは勢いよく眉間に皺を寄せた。
「あら…?」
「あっ?」
不意に何かに気づいた様子で、道の横へと視線を移す囁に、アヒルが首を傾げる。
「彼女…今朝の子じゃない…?」
「へっ?」
囁に言われ、アヒルも囁が見ている先へと視線を移した。
「ちょっとぉ!窓の拭き掃除しといてって言ったじゃない!」
「えっ…?」
言ノ葉町の中央道沿いに建ったコンビニの前では、コンビニ店員の制服に身を包み、店の前のゴミ箱の袋の入れ替えをしていた奈々瀬が、大きく聞こえてくる声に、ゆっくりと顔を上げた。
「いつまでゴミ出しやってる気よ!とっとと掃除しなさいよ!」
大通りにまで響き渡る程の大声で、奈々瀬へと怒鳴りあげるのは、奈々瀬と同じ店員の制服を着た、短い金髪の、目つきの鋭い女であった。奈々瀬と同じ年頃に見える。
「で、でも私、まだゴミ出しの後に他の仕事もっ…」
「はぁ!?私に口応えする気!?ドジってばっかで何にも役立たないくせに、口だけは達者ねぇ!」
奈々瀬がリンと呼んだその女に意見すると、リンの表情はさらにきつく引きつられた。
「あんたみたいなグズ!同じ空気吸ってるだけで、イライラするわ!とっととその存在、消してよっ!」
「あんたのバカでかい声の方が、よっぽどイライラすると思うけどぉ?」
「……っ」
後方から入って来る声に、リンが怒鳴る声を止め、素早く振り向く。
「つーか、あんたの怒鳴り声のせいで絶対、客減ってるよぉ?」
「誰っ…?」
「あ…朝比奈クン…」
リンが振り返ると、そこにはアヒルが立っていた。眉をひそめるリンの後ろで、奈々瀬が驚いた表情を見せる。
「営業妨害っ。あんたの方が役立ってねぇーんじゃねぇの?」
「それは言えてるわね…フフフっ…」
「……っ」
鋭く言い放つアヒルと、その横から不気味に微笑む囁を見て、リンが強く顔をしかめた。
「フンっ!」
「あっ…」
不機嫌全開で勢いよくアヒルたちから顔を背けると、リンは、奈々瀬が声を掛ける間もなく、店の中へと入っていった。店の前にアヒルたち三人と、奈々瀬だけが残る。
「大丈夫ですか?奈々瀬さん」
「あ、うんっ…」
リンの入っていった店の方を見つめていた奈々瀬が、篭也の声に振り向く。
「ありがっ…」
「コンビニ店員服姿も、またフレッシュ満載で素敵ですね」
「えっ…?」
「はぁっ…」
礼を言おうとした奈々瀬が、きらきらとした笑顔を向ける篭也を見て、思わず顔を引きつった。相変わらずの篭也の様子に、アヒルが深々と溜息を吐く。
「朝比奈クンもありがとう…ご、ごめんねっ…変なとこ見せちゃって…」
篭也からアヒルへと視線を移した奈々瀬が、申し訳なさそうにアヒルを見つめる。
「別に大丈夫だけど、さっきの女、バイト仲間か?」
「あ、うんっ…リンちゃんていって、もう結構長い間、一緒に働いてるかなっ…」
「バイトのお仲間としては…あまり好ましい人には見えなかったけれど…フフフっ…」
「あ…うんっ…」
怪しく微笑む囁に、奈々瀬が少し俯く。
「でもそれも…仕方ないかなって思うの…」
「えっ?」
「他に…ぶつける場所もないから…」
『……っ?』
どこか遠くを見るような瞳で、少し悲しげに呟く奈々瀬に、アヒルたちは皆、首を傾げた。
「じゃあ私、バイト中だからごめんねっ」
「あ、ああっ。また明日なっ」
「うんっ」
軽く手を上げたアヒルに笑顔を向けると、奈々瀬は店の中へと入っていった。
「帰るかぁ」
「そうね…」
コンビニの前から再び、家への道を進んでいくアヒルを、頷いた囁が、ゆっくりとした足取りで追っていく。
「……っ」
少し上空を見上げた後、篭也もまた、二人の後に続いた。
<…………>
篭也の見上げた上空、赤く染まった夕空の闇に隠れて舞う、一つの黒い影。
<見ぃ~つけたっ…>
黒い影が、低く重い、声を落とす。
<傷ついた奴っ…見ぃ~つけたっ…フハハハっ…!>
怪しげな笑い声が、赤い空に響いた。
その日の夜。朝比奈家、アヒル自室。
「“ヒトミっ…!”“先生…!!”“ヒトミ…!!”“先生っ!”」
「…………」
同じ部屋の中から聞こえてくる、呼びかけ合いのひたすらの繰り返しに、ベッドに転がったアヒルの表情が、どんどんと引きつられていく。
「“ヒトっ…」
「うるせぇぇっ!!」
「んっ…?」
ついに堪忍袋の緒が切れたのか、ベッドから勢いよく起き上がったアヒルが、部屋の壁にもたれて本を読んでいる囁へと、激しく怒鳴りあげた。
「今のアヒるんの声の方が、相当、近所迷惑だと思うけど…?」
「うっせぇなぁ!だいたい何回、呼びかけ合えば気が済むんだよ!その二人っ!」
「愛の深さのメートル数だけ呼び合うのが恋盲腸よ…?」
「色々と鬱陶しいわっ!」
得意げに恋盲腸の解説をする囁に、アヒルがさらに怒鳴りあげる。
「っつーか、お前ら、自分の家があんだから、自分の家で読めよ!」
「アヒるんが寂しがるかと思って…」
「まったく寂しがらねぇーよっ!」
「強がり…」
「ああっ!?」
囁がそっと微笑むと、アヒルの表情がどんどんと歪んでいく。
「うるさいな…」
二人のやり取りを聞き、部屋の机の前の椅子に腰かけていた篭也が、煩わしげな表情で、二人の方を振り向いた。
「人を怒鳴っている暇があったら、せっかく借りた辞書を読んで、言葉の勉強でもしたらどうだ?」
「恋盲腸読んでる奴に言われたかねぇーわっ」
真面目な顔をして言い放つ篭也ではあるが、その両手はしっかりと、開かれた恋盲腸の本を握り締めている。そんな篭也を見て、アヒルは一気に呆れた表情となった。
「ったく、こううるせぇんじゃ、辞書読むゆとりもっ…」
―――ドクンっ。
「……っ」
ぼやくように呟いていたアヒルが、突然、左胸を走った大きな鼓動に、大きく目を見開いた。
「今の…はっ…」
アヒルが戸惑うような表情を見せ、ゆっくりと自分の左胸に手を当てる。言いようのない不安が、心臓の奥から込み上げてくるような、そんな気分であった。
「四日目で感知…上出来だな」
「へっ?」
読んでいた恋盲腸の本を机に置き、椅子から立ち上がる篭也に、アヒルが眉をひそめる。
「感知って何をっ…」
「忌の気配だ」
「……っ!」
篭也の言葉に、アヒルが大きく目を見開く。
「じゃあ、また忌がっ…!?」
「ええ…しかも結構、近いわよ…」
同じように床に恋盲腸の本を置いた囁が、ゆっくりとその場で立ち上がり、アヒルの座っているベッドのすぐ横の、窓の方を見つめる。
「こっちの方向に数キロ…そうね…帰りに寄った、あのコンビニの辺り、くらいかしら…」
「コンビニっ…?あっ…」
―――ご、ごめんねっ…変なとこ見せちゃって…―――
コンビニと言われ、アヒルがその頭の中に浮かべたのは、申し訳なさそうに微笑む奈々瀬の姿であった。
「まさかっ…奈々瀬に忌がっ…!?」




