Word.3 神トナル日 〈4〉
「えっ?」
「あ…あっ…」
光が収まると、何やら力の抜け切った様子となった女が、ゆっくりと目を閉じ、その場に倒れ込んでいった。倒れた女に、篭也たちが戸惑いの表情を見せる。
「彼女は一体…」
<グググっ…!何だっ…!?>
『……っ!』
倒れた女を見て、囁が首を傾げていたその時、上空から、先程まで女から聞こえていたはずの低い声が落ちてきて、三人は勢いよく顔を上げた。
「忌っ…!」
<何だ!?何故、あの女の体から出たんだっ…!?>
暗い夜空に浮かんでいるのは、空の闇と見分けもつきにくい、不気味な黒い影であった。女の体から出てしまったことを、忌は自分でも戸惑っている様子である。紺平の時の忌と、同じ反応であった。
「何故、また忌が…」
「よっしゃあ!これで心おきなく、攻撃出来んなぁ!」
「ぐぷっ…」
考え込むように首を捻る篭也の横から、気合いの入った様子のアヒルが、胸倉を掴んでいた男から手を離し、前へと出る。アヒルから解放された男は、その場に力なく座り込んだ。前へと出たアヒルが、ジャージのポケットから言玉を取り出す。
「第一の音、“あ”・解放っ…!」
アヒルの言葉に反応し、言玉が強い光を放つと、言玉はアヒルの右手の中で、その姿を銃へと変えた。
「よしっ!」
三度目となり、違和感もなくなってきた様子で、銃を構えるアヒル。
「行くぜっ…!」
アヒルがやる気満々で、忌のもとへと飛び出していく。
「…………」
「篭也…私たちも手伝わないと…彼一人じゃ…」
忌へと駆け出していくアヒルを見つめ、茫然と立ち尽くしている篭也へと、囁が声をかける。
「昨日と同じだ」
「えっ…?」
「忌が自然に、宿主の体から飛び出た。あんな現象、見たことも聞いたこともない。あれは一体っ…」
「……っ」
戸惑いの表情を見せる篭也を見つめ、そっと目を細める囁。
「彼が…彼の言うように、宿主の傷ついた心の痛みを倒したから…じゃないの…?」
「謝らせたぐらいで、あの女の心の傷をすべて癒やしたとでも言うのか?バカなっ…」
囁の言葉を、篭也はすぐに否定する。
「第一、昨日の紺平とかいう者の時は、謝らせても忌は出なかったじゃないかっ」
「でも昨日は昨日で…彼は、ちゃんと忌を出したわ…」
「んっ…」
鋭く切り返す囁に、篭也が思わず口ごもる。
「どうなっているのかは、よくわからないけれど…一つだけわかることは…」
倒れた女の方を見て、囁がそっと口端を吊り上げる。
「彼が目的としているのは…忌という悪霊を“倒す”ことではなく…言葉に傷ついた人間を“救う”こと…」
囁が目を細め、駆けていくアヒルの姿を、その目に捉える。
「彼は今までの五十音士とは違う…まったく新しいタイプの人なのかも…フフフっ…」
「そんな凄い奴とは思えないが…」
「あら…?知らないの…?篭也…」
「……っ?」
振り向く囁に、篭也が戸惑うように顔を上げる。
「神は人を救うのよ…?フフっ…」
「おっしゃっ!」
<言玉っ…!五十音士かっ…!>
銃を構えるアヒルを見て、上空を舞う忌が、焦りの声をあげる。
「行くぞっ!」
<クっ…!>
焦る忌に対し、迷うことなく、引き金を引くアヒル。だがいつものように、アヒルの放った弾丸は、明後日の方向へと、飛び出していく。
<フハハっ…!一体、どこにっ…!>
「“当たれ”っ…!」
<何っ…!?>
自分とはまったく違う方向へと飛んで行った弾丸を見て、余裕の笑みを浮かべていた忌であったが、アヒルが“あ”のつく言葉を発すると、飛んで行ったはずの弾丸が、忌へと舞い戻って来る。
<言葉の力かっ…!クソっ…!>
空を飛ぶように逃げても、迷うことなく向かってくる弾丸に、忌が悔しげな声を漏らした。
―――パァァァァン!
<ウウっ…!>
避ける術もなく、忌がアヒルの放った弾丸に貫かれる。
「おっしゃあ!これでっ…!」
<ウゥ…ウっ…?何ともない…>
「へっ?」
弾丸が貫き、黒い影の中心に出来たはずの風穴はすぐに塞がり、苦しげな声を漏らしていたはずの忌も、平気そうな自分に戸惑いながら、顔を上げた。そんな忌の様子に、アヒルが目を丸くする。
「あ、あれっ?何でっ…」
「言葉への集中が足りないからだ」
「えっ?」
戸惑うように右手の銃を見下ろしていたアヒルが、後方から聞こえてくる声に振り返る。
「弾丸に込められた力が弱すぎる。あれでは、忌は倒せない」
アヒルが振り返ると、そこには篭也が立っていた。
「けどっ、昨日と一昨日はっ…!」
「自分の命とお友達の命が懸かってたんだもの…火事場の馬鹿力ってやつじゃない…?フフフっ…」
「へっ?」
篭也の横に立つ囁の言葉に、アヒルが間の抜けた表情を見せる。
「言葉への集中って、どうやるんだよっ?」
「簡単に言えば…言葉に強く気持ちを乗せるといったところかしら…?でも、すぐに使いこなせるようなものじゃないわ…」
「だから今日は、あなたは見学だと言ったんだ」
解説する囁の横で、篭也が少し肩を落とす。
「僕たちから力の使い方を習って、ある程度のことが出来るようになるまではっ…」
<いつまで、くっちゃべっているっ…!?>
「……っ」
言葉を遮られた篭也が、眉をひそめ、顔を上げる。
<随分と余裕だなぁっ!>
空に高々と舞い上がり、三人を遥かに高い位置から見下ろす、不気味な笑みを浮かべた忌。
「当たり前だ。どこに焦る理由がある?」
「そうねぇ…いくらアヒるんが使い物にならないからって、私と篭也がいるんだし…」
「だっれが使い物にならないだっ!」
右手の横笛をあげながら、余裕の笑みを見せる囁に、アヒルが強く突っ込みを入れる。
<あんまり調子にっ…乗るんじゃねぇーぞっ!“消”っ…!>
『……っ!』
忌がその言葉を発した途端、忌の黒い影のような体が、消えていく。夜の闇に紛れるのではなく、完全に視界から消える忌に、アヒルたちが大きく目を見開いた。
「ど、どうなってんだ!?忌がっ…!」
「“消”の言葉かっ…しまったな…」
焦りの表情を見せるアヒルの後ろで、篭也が険しい顔を作る。
「気をつけろ、どこから狙ってくるかっ…うあっ!」
「篭也っ…!?」
注意を促していた篭也が、突然、何かに殴られたかのように、後方へと吹き飛んでいく。
「何だ!?まさか忌がっ…!」
<“破”…>
「……っ」
かすかに聞こえてくる声を、立てた耳で拾い、表情を厳しくする囁。
「アヒるん、こっちっ…」
「うわわっ!」
囁がアヒルの腕を掴み、強く引っ張り上げる。
―――バァァァァンっ!
「……っ!」
アヒルたちが先程までいた場所を駆け抜けていく衝撃波を見て、アヒルが大きく目を見開く。囁が引っ張ってくれていなければ、直撃を受けていただろう。
「姿が見えないなんて…厄介ねぇ…」
「うぅ~んっ…」
困ったように呟く囁の横で、少し考え込むように俯くアヒル。
「んっ?あっ」
首を捻っていたアヒルが、何やら思いついたのか、丸く口を開いて、顔を上げた。
「思いついた!」
「アヒるん…?」
ポンと手を叩き、勢いよく立ち上がるアヒルを、囁が戸惑うように見上げる。
「痛つつつつ…」
一方、姿の見えない忌に殴り飛ばされた篭也は、口端の血を指で拭い、殴られた頬を押さえて、ゆっくりと地面から起き上がった。
「姿が見えないんじゃ仕方ない。少々荒っぽいが、あの言葉を…んっ?」
右手で鉄格子を握り直し、忌を倒す策を講じていた篭也が、勢いよく立ち上がり、囁のもとから離れ、河川敷の真ん中へと無防備に立ち尽くすアヒルの姿を見つめる。
「なっ…!」
アヒルの行動に、またも顔をしかめる篭也。
「何をしているっ…!そんなところに立っていては、忌の攻撃の的にされるぞっ…!」
「まぁ見てろってっ」
「はぁっ!?」
怒鳴りあげた篭也の方を振り返り、どこか余裕の笑みを浮かべるアヒルに、篭也の表情がさらに引きつられる。
「さぁーてっ…」
篭也から前方へと視線を戻し、その表情を鋭くするアヒル。
「来いっ…!」
<来いだぁっ…!?>
アヒルの言葉に答えるように、どこからか聞こえてくる忌の声。
<いいぜぇ!そんなに殺されたきゃ、望み通りにしてやるよぉ!>
姿は見えないが、忌の声だけがアヒルへと差し迫った。
「アヒるんっ…!」
「クっ…!」
それぞれの武器を構え、何とかしようと身を乗り出す篭也と囁。
「……っ」
二人とは異なり、いたって落ち着いた表情を見せたアヒルが、前方を見上げ、右手の銃をゆっくりと構えた。
「えっ…?」
「何を…?」
誰もいない空へと銃を構えるアヒルに、篭也と囁が眉をひそめる。
「あ…」
銃を構えたアヒルは、自らの力の文字を口にした。
「“赤くなれ”」
―――パァァン!
言葉とともに引き金が引かれ、弾丸が放たれる。
『あっ…!』
次の瞬間、大きく目を見開く篭也と囁。
<な、何ぃぃぃっ…!?>
激しく驚く声とともに、暗い夜空に、真っ赤に色を変えた忌の姿が、浮かびあがった。一際目立つ自らの体を見て、忌が焦りの表情を見せる。
「こんにちはぁ~」
<グっ…!>
笑顔で手を振るアヒルに、忌が険しい表情を作る。
<何故だ!?姿は消したはずなのに、何故、弾丸の狙いを定めることがっ…!>
「無防備に立ってる相手ほど、正面からぶん殴りたくなるもんはねぇーだろっ?」
<ウっ…!>
余裕すら感じる口調で言い放つアヒルに、赤く染まった忌の顔が歪む。
<このっ…!五十音士ごときがっ、調子に乗るなぁっ!“破”っ…!!>
真っ赤な手を振り下ろし、アヒルへと衝撃波を放つ忌。
「囁」
「“妨げろ”…」
アヒルが名を呼ぶと、すでに横笛を構えていた囁が言葉を発し、美しい音色を奏でる。
<何っ…!?>
アヒルのすぐ前で二つに分かれ、アヒルを避けるようにして後方へと流れていく衝撃波に、忌がさらに表情を引きつる。
<グっ…!>
忌が空中で向きを変え、その場から逃げ去ろうとする。
「篭也」
「……っ」
アヒルが名を呼ぶと、いつの間にか立ち上がっていた篭也は右手の鉄格子を構え、その目つきを鋭くした。
「“囲え”」
<何っ…!?>
篭也が空へ向け、勢いよく格子を投げ放つと、空中で格子は六本へと分かれ、逃げようとしていた忌の四方を囲み、その動きを封じた。
<このっ…!>
「……っ」
格子の中でもがく忌を見つめながら、アヒルが再び銃を構える。
「大丈夫かしら…?アヒるん…」
「黙って見ていろ」
「え…?」
心配するように呟く囁に、まったく心配していない様子で言い放つ篭也。
「強い気持ちを…」
表情を鋭くし、銃を握る手に力を込めるアヒル。
「言葉に乗せるっ…!」
アヒルの瞳が、強く輝く。
「“当たれ”っ…!!」
大きな声とともに、放たれる弾丸。弾丸は言葉の力を受け、まっすぐに忌へと向かっていく。
<ウっ…!ウウっ…!>
迫り来る弾丸に、歪む忌の表情。
<グアアアアアアアっ!!>
―――パァァァァァーンっ!
弾丸に貫かれた真っ赤な忌は、眩いほどの白い光を放って、今度は完全に、その姿を消した。
「ふぃ~っ」
忌が消えたことを確認し、力の抜けたように、銃を下ろすアヒル。下ろされた銃は、自動的に言玉へと戻った。
「お疲れ様…アヒるん…」
「おうっ、囁もさっきはサンキューなっ」
同じように横笛を言玉へと戻し、歩み寄って来る囁へ、アヒルが笑顔を向ける。
「お前もっ」
「……っ」
同じように歩み寄って来た篭也は、アヒルに笑顔を向けられると、すぐさま顔を背けた。
「見たかぁ?“赤くなれ”と“当たれ”だけでやっつけたぜっ!」
「まぁまぁだな」
「フフっ…」
素っ気なく答える篭也を見て、囁が零すように微笑む。
「すっかり忌退治が板についてきた感じじゃない…?アヒるん…」
「言っとくけどっ、俺は五十音士として戦う気も、安団とかを率いる気も、ねぇーもんはねぇーからなっ!」
「ハイハイ…わかってるわよ…」
「けどっ…」
『……っ?』
そっと言葉を付け加えるアヒルに、篭也と囁が視線を送る。
「俺はもう知ってしまった。忌って奴の存在を。それを今更無かったことに出来る程、俺は単純じゃねぇっ…」
「あら、意外っ」
「うるせぇよ!お前は!」
茶々を入れる囁に、アヒルが全力で突っ込む。
「それにっ…」
怒鳴った後、再び真剣な表情となるアヒル。
「目の前で苦しんだり、悲しんだりしてる人を、見て見ぬ振り出来るほど、人でなしでもねぇーんだっ」
遠くを見ていたアヒルが、ゆっくりと二人に顔を向ける。
「だから戦ってやるよっ!仕方ねぇーから!」
『えっ…?』
面倒臭そうに言い放つアヒルに、少し目を開く篭也と囁。
「ただし!俺のやり方でだからなっ!文句は言わせねぇーぞ!?」
『……っ』
注意するように付け加えるアヒルに、二人の口元が緩んだ。
『仰せのままに…我が神…』
そう言うと二人は、アヒルへ向け、深々と頭を下げた。




