Episode 奏
最初から、信用してなかった。
教師なんて、みんな同じだと思ってた。
どうせ、いなくなる。
どうせ、見なくなる。
だから。
目を合わせなかった。
距離を取った。
関わらないようにしてた。
それなのに——
あの人は、何度も話しかけてきた。
しつこいくらいに。
意味のない会話。
続かないやり取り。
それでも、やめなかった。
黒板に書かれた言葉。
『誰かを、見捨てるな』
正直、くだらないと思った。
そんなの、できるわけないって。
でも。
少しだけ、引っかかった。
放課後。
何もすることがなくて、教室に残った。
ただ、そこにいただけ。
追い出されると思った。
でも。
何も言われなかった。
隣に立たれても、何も変わらなかった。
それが、少しだけ楽だった。
「帰らねぇのか」
「……別に」
「家、遠いのか」
「普通」
くだらない会話。
それでも。
なぜか、続いた。
不思議だった。
誰かが、ちゃんと見ている気がした。
だから。
つい、聞いてしまった。
「……本当に、最後までいるの」
あの人は、迷わなかった。
「いる」
即答だった。
ああ、って思った。
まただ。
また、同じこと言うやつだって。
それでも。
少しだけ、信じてみたくなった。
だから。
言ってしまった。
「……ちゃんと、いてよ」
あのとき。
あの人は、ちゃんと頷いた。
その顔が、妙に残ってる。
——なのに。
ある日。
様子がおかしくなった。
名前を呼ばなくなった。
いや。
呼べなくなっていた。
黒板の前で、止まる。
何かを思い出そうとしている顔。
苦しそうな顔。
見たことのない顔。
その瞬間。
分かってしまった。
ああ、この人も——
いなくなる側だ。
胸の奥が、冷たくなる。
やっぱり、同じだって。
思ったのに。
違った。
「……出席」
震える声。
それでも、逃げてなかった。
一人ずつ。
ちゃんと見て。
ちゃんと呼んでいた。
その中に、自分もいた。
「……奏」
名前を呼ばれる。
たったそれだけなのに。
息が、止まりそうになる。
ちゃんと、呼ばれた。
ちゃんと、見られている。
それが、分かった。
最後。
少しだけ、間があいた。
知らないはずなのに。
そこに、誰かがいる気がした。
でも——
名前は呼ばれなかった。
そのまま、終わった。
少しだけ、胸がざわついた。
放課後。
誰もいない教室。
黒板の前に、あの人が立っていた。
声が、聞こえた。
「……結城」
知らない名前。
でも。
なぜか、分かった。
ああ。
この人は、忘れてたんじゃない。
忘れさせられてたんだって。
その声は、少しだけ震えていた。
それでも。
はっきりしていた。
あのときの、自分みたいに。
誰にも届かない声じゃなかった。
ちゃんと、届く声だった。
黒板を見る。
『誰かを、見捨てるな』
その下に、名前が並んでいる。
一つずつ。
ちゃんと、残されている。
そのいちばん下。
空白。
しばらく見つめる。
なんとなく、分かった。
あそこは——
これからの場所だ。
「……奏」
小さく、自分の名前を呟く。
ちゃんと、聞こえた。
消えてない。
ここにある。
帰ろうとする。
ドアの前で、少しだけ止まる。
振り返る。
誰もいない教室。
それでも。
さっきまでより、少しだけ違う。
たぶん——
もう、大丈夫だ。
完全じゃないけど。
それでも。
あの人は、ちゃんといた。
最後まで。
だから。
今度は。
自分が、いなくならない番だ。




