黒板の一番下
黒板のいちばん下。
誰も見ないその場所に、言葉が残っている。
『誰かを、見捨てるな』
白いチョークの跡は、少しかすれていて、
何度もなぞられたみたいに残っていた。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。
生徒たちが一斉に立ち上がり、椅子の音が教室に響く。
笑い声。雑談。机を引く音。
その全部が、どこか遠くに感じた。
俺は、黒板を見ていた。
その言葉だけを。
なぜか、目が離せなかった。
その下に、三つの名前。
結城。湊。奏。
どれも、見覚えがある気がするのに、
はっきりとは思い出せない。
そして——もう一つ分の空白。
そこだけが、ぽっかりと空いている。
書かれていないのに、
そこに“何かがあった”気がする。
気づけば、足が動いていた。
教室にはもう誰もいない。
静かになった空間で、俺は黒板の前に立つ。
手を伸ばす。
触れるつもりなんてなかったのに。
指先が、黒板に触れた。
ざらりとした感触。
その瞬間——
涙が、落ちた。
ぽた、と。
黒板に、小さな跡が残る。
「……なんでだよ」
思わず、声が漏れる。
意味が、分からない。
悲しい理由なんて、何もないはずなのに。
胸の奥が、痛い。
何かを失ったときみたいな、
どうしようもない痛みだった。
思い出せない。
でも。
確かに、“何か”があった。
まるで——
ここに“誰かがいた”ことだけ、知っているみたいに。
指先が、わずかに震える。
離したはずなのに。
まだ、触れている感覚だけが残っていた。




