後日談 第7話:《前借亭》ホワイト化計画
叔父・叔母たちとの嵐のような通信が終わり、スマホの画面が消えた。
店内に、少しばかりの静寂が戻る。
「……ふぅ。相変わらず、キャラの濃い人たちだ……」
カケルがぐったりとテーブルに突っ伏す。
だが、安息の時はまだ訪れない。
目の前には、腕組みをした「最強の総務」が座っているからだ。
「さて、カケル。親族の挨拶は終わったけど……ここからが本題や」
ヨシコは、店のメニュー表と、カケルが記録していた「感情出納帳」を並べた。
「さっきサブロウ(三男)も言うてたけどな。……あんた、この店の経営、どういうつもりや?」
「え? どういうって……普通に、安くて美味しいものを皆に食べてほしくて……」
「それが『安すぎ』やって言うてんねん!」
ヨシコがメニュー表をビシッと指差す。
「このパスタ、原価率なんぼや? 手間暇かけて、この値段設定はおかしい。完全に『あんたの技術料(人件費)』をゼロ円計算しとるやろ!」
図星だった。
カケルは言葉に詰まる。
日本のブラック企業時代、「サービス残業」や「自己犠牲」が当たり前だったカケルにとって、自分の労働力を安売りすることに違和感がなかったのだ。
「それに……これや」
ヨシコは「感情出納帳」の数字を指差した。
【負債残高:140億ルーメ】
ヨシコの目が、スッと細められた。
「……あんた、この借金は何や? 通貨単位ちゃうな? 『ルーメ』ってなんや?」
「あ、それは……えっと……」
カケルは観念して説明した。
ラスボスを倒すために、世界のシステムから「感情」を前借りしたこと。
その代償として、莫大な「感情負債」を背負い、人々を笑顔にして返済しなければならないこと。
話し終えると、ヨシコは深く、深くため息をついた。
そして――。
「……アホかーーーーッ!!!」
店が揺れるほどの大声だった。
ルシアナたちがビクッと飛び上がる。
「140億やて!? 神様かシステムか知らんけど、とんでもない闇金業者やないか! イチロウ(長男・弁護士)がおったら『公序良俗違反で契約無効や!』って訴訟起こすとこやで!」
「い、いや、でも俺が納得してやったことだし……」
「納得してへん! あんたは『そうするしかなかった』だけや!」
ヨシコは立ち上がり、カケルの正面に回った。
そして、その痩せた肩を両手で掴んだ。
「カケル、よう聞き。……あんたは優しい子や。誰かのために自分が損をするのを『美徳』やと思ってる。……せやけどな」
ヨシコの声が、優しく、しかし厳しく響く。
「『自己犠牲』の上に成り立つサービスなんて、いつか破綻するんや。あんたが倒れたら、誰がこの借金返すんや? 誰がルシアナちゃんたちを守るんや?」
「……っ」
「あんたが今やってることは、『経営』ちゃう。『自傷行為』や」
カケルはハッとした。
ルシアナを見る。彼女は悲痛な面持ちで、けれど大きく頷いていた。
ボビンも、ミレイユも、フィンも。
みんな、カケルの働きすぎを心配していたのだ。
「……ホワイト化しなさい、カケル」
ヨシコはカケルの目を見据えた。
「ちゃんと休む。ちゃんと稼ぐ。スタッフを信じて任せる。……自分も幸せになって初めて、他人を幸せにできるんや。それが『持続可能』な店づくりや」
カケルの目から、ぽろりと鱗が落ちた気がした。
140億という数字に追われ、がむしゃらに走ってきた。
でも、母の言う通りだ。俺が笑っていなければ、本当の意味で客を笑顔にはできない。
「……分かったよ、母さん」
カケルは顔を上げた。憑き物が落ちたような、晴れやかな顔だった。
「俺、ちょっと焦ってたみたいだ。……店のやり方、見直すよ」
「ん、ええ顔になったわ」
ヨシコは満足げに頷くと、パン!と手を叩いた。
「よし! 説教はこれでおしまい! ……腹減ったなぁ! そろそろ晩ご飯にしようか!」 「あ、そういえばジロウ叔父さんからレシピ送られてきてたよ」
カケルがスマホを確認すると、三ツ星シェフの叔父からとんでもないデータが届いていた。
【件名:今夜の献立(在庫処理スペシャル)】
【本文:カケル、店の冷蔵庫の在庫リスト見たで。余ってる魔物肉と、こっちから送った調味料でこれ作れ】
添付されていたレシピ名を見て、カケルは目を剥いた。
「ええっと……『火吹き竜のピリ辛肉じゃが』に、『マンドラゴラとごぼうの叫びきんぴら』……!?」 「ほう! さすがジロウや、食材の無駄を出しよらん!」
ヨシコはニヤリと笑うと、再び割烹着の紐をキュッと締め直した。
「よっしゃ、ほな『前借亭・大改革』の前祝いや! 今日は私が指揮執るで! 総員、配置につけ!」
「「「イエッサー!!」」」
ルシアナたちもつられて返事をしてしまう。
ここから、厨房は新たな戦場と化した。
「カケル! 玉ねぎのみじん切りが遅い! 繊維に逆らわんようにスッといけ!」
「は、はいっ!」
「ルシアナちゃん、皿の並べ方! 動線を考えて、取りやすい位置にスタッキングして!」
「あ、はいっ! す、すみませんお義母さま!」
「ボビン! マンドラゴラが悲鳴上げる前に熱湯で締めろ! あ、ちょっとうるさいわね、口ふさいどき!」
「ピ、ピギャアアア……(ボビンがマンドラゴラを鍋に押し込む)」
ヨシコは厨房の中を竜巻のように移動しながら、的確かつ高速な指示を飛ばしていく。
それは単なる調理ではない。
無駄な動きを削ぎ落とし、最短ルートで完成形へ向かう「業務プロセスの最適化」そのものだった。
「すごい……」
カケルは手を動かしながら、母の背中を見た。
見たことのない食材でも、匂いを嗅ぎ、手触りを確認しただけで最適な調理法を見抜いている。
そして何より――楽しそうだ。
ジュウウウウウッ!!
巨大な中華鍋の中で、ドラゴンの肉が地球の醤油とみりん、そして異世界のスパイスと絡み合い、食欲をそそる暴力的な香りを放ち始める。
(続く)




