後日談 第8話:母の味と、仲間の宴
トントントントン……。
軽快な包丁の音と、ジュワワワ……という揚げ物の音が、夜の《前借亭》に響き渡る。
「ええかカケル。唐揚げの二度揚げはタイミングが命や! 空気に触れさせて、衣をカリッとさせるんや!」
「は、はい! シェフ!」
「誰がシェフや。母さんや」
厨房では、ヨシコが指揮を執り、カケルが助手として動いていた。
コンロの上では大鍋の豚汁が唸りを上げ、フライパンでは肉が踊っている。
さらに、ヨシコはマジックバッグを冷蔵庫代わりに、次々とタッパーを取り出していた。
「よし、こっちは下味つけといた『生姜焼き』! こっちは『筑前煮』! あと『出し巻き卵』も焼くで!」
「すげぇ……四次元ポ〇ットかよ……」
「主婦の知恵や! ほら、盛り付け手伝え!」
そして数分後。
ホールのテーブルを合わせて作った特設ステージに、次々と大皿が並べられた。
「へいお待ち! 『前借亭・最強お袋の味フルコース』や!」
ドン! ドン! ドドン!
テーブルを埋め尽くすのは、茶色と彩りが織りなす家庭料理の絶景だ。
具だくさんの「特製豚汁」。
ニンニク醤油が香る山盛りの「鶏の唐揚げ」。
甘辛いタレが絡んだ「豚の生姜焼き」。
出汁をたっぷりと含んでプルプル震える「出し巻き卵」。
そして、魔界の食材を使いつつも完全に日本の味に染め上げられた「ピリ辛肉じゃが」。
中央には、マジックバッグから出したての、湯気が立つ銀シャリのお櫃が鎮座している。
「うわぁ……! なにこれ、見たことない料理ばっかり!」
ルシアナが目を輝かせる。
「いい匂いだ……。暴力的なまでに食欲を刺激してきやがる」
グレンが喉を鳴らす。
「さあ、みんな仕事お疲れさん! 今日は無礼講や、好きなだけ食べ!」
ヨシコの号令と共に、スタッフたちが一斉に料理に飛びついた。
「……んむ。」
小動物のようなスライム――ミュコが、自分の顔ほどもある大きな唐揚げを両手で持ち、ガブリと齧り付いた。
カリッ。ジュワッ。
衣が弾ける音と共に、熱々の肉汁が溢れ出す。
ミュコの動きがピタリと止まった。
「……!!」
ミュコは咀嚼し、飲み込み、そして信じられないものを見る目でヨシコを見上げた。
「……ヨシコ。これ、神の食べ物?」
真顔だった。
純粋すぎる問いかけに、ヨシコが吹き出す。
「ぶはっ! あはは! 神様ちゃうわ、オカンの味や!」
「オカン……すごい。神を超えた。」
「言うてくれるなぁ! ようし、おばちゃんがもっと揚げたるからな!」
ミュコの絶賛に気を良くしたヨシコが、次々と料理を取り分けていく。
他のメンバーも止まらない。
「うまい。肉汁、すごい。この味付け、ご飯が進む。」
ボビンが白米をかっこむ。
「こっちの『肉じゃが』も最高よ! ドラゴンのお肉が口の中でとろけるわ……!」
ミレイユが頬に手を当てる。
「この黄色い卵焼き、ふわふわです! スイーツみたいだけど、出汁の味がじゅわって……!」
フィンが感動に打ち震える。
異世界の食材と、日本の調味料。
そして、カケルの仲間と、カケルの家族(母)。
本来交わるはずのない要素が、一つの食卓で笑顔を生んでいる。
カケルは豚汁をすすりながら、その光景を眺めていた。
五臓六腑に染み渡る出汁の味。
そして、耳に入ってくる賑やかな笑い声。
(……懐かしいな、この感じ)
実家にいた頃の、正月やお盆の空気。
親戚が集まり、母が料理を作り、みんなが笑っていたあの時間。
異世界に来て、戦いと借金返済の日々の中で、すっかり忘れていた温度だった。
「――んでな! この子が小さい頃は、ほんまに泣き虫でなぁ!」
気づけば、ヨシコがルシアナたちに「カケルの幼少期の恥ずかしい話」を披露して盛り上がっている。
酒が入って、舌も滑らかだ。
「ちょっと母さん! その話はやめてくれ!」
「あはは! カケル君、おねしょ癖があったのね!」
「ミレイユ、笑いすぎだ!」
顔を真っ赤にするカケルを見て、全員が爆笑する。
そんな賑やかな宴の最中、ふとルシアナがカケルの隣にやってきた。
「……カケル」
「ん? どうした、ルシアナ」
「いいお母さんね。……豪快で、厳しくて、でも料理もお節介も、全部愛情でできてる」
「……ああ。敵わないよ、一生」
カケルは苦笑してグラスを傾けた。
ルシアナは、少し離れた席でミュコを膝に乗せてあやしているヨシコを見つめ、静かに言った。
「私、感謝しなきゃ」
「え?」
「カケルを産んで、育ててくれて。……おかげで、私はカケルに出会えたんだもの」
その言葉は、カケルだけでなく、地獄耳のヨシコにも届いていたらしい。
ヨシコの動きが一瞬、ピタリと止まった。
「……!」
ヨシコはカケルとルシアナの方を振り返る。
その顔は、ほんの少し赤くなっていた。
彼女はバツが悪そうに鼻の下を擦ると、そっぽを向いてボソッと言った。
「な、何言うてんねん! ……ま、あんたみたいなええ子に貰ってもらえて、カケルも果報者やな」
照れ隠しの早口。
だが、その声色は慈愛に満ちていた。
「えっ……あ、ありがとうございます……!」
ルシアナも顔を赤らめ、嬉しそうに微笑む。
カケルは、そんな二人を見て胸が熱くなった。
140億ルーメの負債。
神界での戦い。
失ったものも多かったけれど。
「……俺、幸せも『前借』してるのかな」
「え?」
「こんなに幸せでいいのかなって」
呟いたカケルの背中を、いつの間にか近づいてきたヨシコがバシッ!と叩いた。
「痛っ!?」
「アホなこと言うな! これは『前借』ちゃうわ!」
ヨシコはミュコを抱いたまま、カケルを見下ろしてニカっと笑った。
「あんたが頑張って、あんたが築いた『資産』や。……胸張って受け取りなさい」
カケルは目を瞬かせ、そして深く頷いた。
豚汁の湯気が、視界を少しだけ滲ませた。
「……うん。ありがとう、母さん」
夜は更けていく。
テーブルを埋め尽くすご馳走と、二つの世界を繋ぐ笑顔。
《前借亭》の夜は、いつまでも賑やかに続いていった。
(続く)




