第18話:鬼教官のパワハラと、最強保育士の「アンガーマネジメント」
健康診断から数日後。
魔王軍の身体的コンディションは万全になった。
だが、中庭の訓練場からは、相変わらず殺伐とした怒号が響いている。
「何をやっている! この無能がぁぁッ!!」
「ヒィッ! す、すみません!」
訓練場では、新人のスケルトン兵が震え上がり、剣を取り落としている。
彼を怒鳴りつけているのは、鬼人族の教官・ガドだ。
彼は真っ赤な顔で血管を浮き上がらせ、唾を飛ばして叫び続けている。
「気合が足らんのだ気合が! 貴様のようなクズは戦場のゴミだ! 死んで詫びろ!」
「は、はい……申し訳ありません……」
スケルトンは萎縮し、動けば動くほどミスを連発している。
典型的な「恐怖による指導」だ。
ヨシコがモップを持って割って入った。
「ちょっと待ち! 何をそんな怒鳴っとるんや!」
「あ? なんだ貴様は。俺は今、愛の鞭で指導しているんだ!」
ガド教官は悪びれもせず胸を張った。
「戦場は甘くない! 普段から恐怖を植え付け、極限状態でも動けるようにしているのだ! 厳しさこそが愛だ!」
「……愛、なぁ」
ヨシコは冷ややかな目でガドを見上げた。
これだ。
昭和の体育会系やブラック企業に蔓延する「パワハラの正当化」。
本人は「教育」のつもりでも、受け手にとってはただの「暴力」でしかない。
「あんた、その『愛』とやらで、新人が何人育ったんや?」
「ふん! 根性なしばかりで、今のところ全員辞めていったわ! 俺の訓練に耐えられる奴などいらん!」
「それ、あんたが潰してるだけやんか」
ヨシコはスマホを取り出した。
ここで呼ぶべき専門家は、経営コンサルでも医者でもない。
「ゴロウ。……出番や。『大きな赤ちゃん』の相手、頼むで」
画面に現れたのは、エプロン姿の優しげな青年。
男・ゴロウ(35)。
日本一予約の取れない保育園の園長にして、カリスマ保育士だ。
『――やあ、姉ちゃん。……聞こえてたよ。すごい怒鳴り声だね』
「せやろ。この鬼教官、言葉の通じへん暴れん坊やねん」
『なるほど。……典型的な「イヤイヤ期」の症状だね』
ゴロウの穏やかな声が、訓練場に響く。
ガド教官が眉を吊り上げた。
「な、なんだと!? 誰が赤ん坊だ! 俺は歴戦の……」
『ガドさん。貴方は今、怒っていますね? なぜですか?』
ゴロウの問いかけは、まるで幼児に言い聞かせるように優しい。
「なぜだと!? こいつらが何度言っても失敗するからだ! 俺の言う通りに動かんからだ!」
『そう。自分の思い通りにならなくて、悔しいんですね。……でもね、ガドさん』
ゴロウはニコリと笑った。
『怒鳴られて萎縮した脳は、思考停止に陥ります。恐怖でIQが下がり、余計にミスが増える。……貴方の怒鳴り声は、部下を「動かす」ためじゃなく、部下を「止める」魔法になっているんですよ』
「む……!?」
「それに、怒りは『二次感情』や」
ヨシコが補足する。
「あんたの心の奥にあるのは『怒り』ちゃう。『なんで分かってくれないんだ』いう『悲しみ』や、『このままじゃコイツが死ぬ』いう『不安』やろ? それを素直に言えんから、手っ取り早く『怒り』で蓋して相手にぶつけとるだけや」
ガドが言葉に詰まる。図星だったのだ。
彼は部下を育てたい。
が、不器用すぎて、怒鳴る以外の方法を知らない。
『ガドさん。「翻訳ゲーム」をしましょう』
ゴロウが提案した。
『今から、貴方が言いたい罵倒を、僕が「アイ・メッセージ(I message)」に翻訳します。それを復唱してください』
「あ、アイ・メッセージだと……?」
『「お前(You)はダメだ」ではなく、「私(I)はこう思う」と伝える技術です』
ゴロウは人差し指を立てた。
『では事例一。「この無能が! 死んで詫びろ!」』
『これを翻訳します。……「君が失敗すると、君が傷つかないか『私』はとても心配だ」』
ガドが噴き出した。
「ぶっ! な、なんだその軟弱なセリフは! 言えるか!」
「言わんかい! リピートアフターミーや!」
ヨシコにモップで小突かれ、ガドは真っ赤な顔で、蚊の鳴くような声を出した。
「……き、君が失敗すると……わ、私が……し、心配だ……」
すると、震えていたスケルトン兵が顔を上げた。
その眼窩の奥の火が、ポッと明るくなる。
「……教官……俺のこと、心配してくれてたんですか……?」
「う、うるさい! 勘違いするな! ……次!」
『事例二。「何度言ったら分かるんだ! 耳腐ってんのか!」』
『これを翻訳します。……「私の教え方が悪かったかな。『私』も悲しいから、一緒にやり方を考えよう」』
「ぐぬぬぬ……! ……わ、私の教え方が……悪かった……」
ガド教官が、屈辱(?)に震えながら復唱する。
だが、その効果は劇的だった。
「お前が悪い」と否定され続けてきたスケルトンが、初めて「対話」のテーブルにつけたのだ。
「教官……実は、剣の握り方がよく分からなくて……」
「……なんだと? なら早く言え。……ここはこう持つんだ」
「あ、こうですか! ……振りやすい!」
スケルトンが剣を振る。
風を切る鋭い音が響いた。
さっきまで恐怖で震えていたのが嘘のような、見事な一撃だ。
「お、おおっ!?」
ガド教官が目を見開く。
『ね? 伝わったでしょ?』
画面の中で、ゴロウが拍手している。
『人はね、安心した時に一番成長するんです。「ここは安全だ」「失敗しても大丈夫だ」という「心理的安全性」があって初めて、挑戦できるんです』
「……心理的、安全性……」
ガドは、自分の手と、活き活きと剣を振る部下を交互に見た。
恐怖で支配していた時よりも、今のほうがずっと、部下の動きが良い。
「……俺は……ただの『駄々っ子』だったのか。……自分の不安を、部下に撒き散らしていただけだった……」
ガドはその場に膝をつき、深く頭を下げた。
「……すまなかった。……これから言葉の使い方を勉強し直す」
その日の夕方。
訓練場では、奇妙な光景が見られた。
「コラ! 剣の手入れをサボっちゃメッ! だぞ!」
「ぷっ……はい、教官!」
ガド教官が、ゴロウの教え(幼児への語りかけ)が抜けきらず、時折キャラ崩壊を起こしていた。
部下たちは苦笑いしつつも、以前のような怯えはなく、むしろ親しみを込めて教官に接している。
ヨシコは魔王ゼノンと共に、その様子を眺めていた。
「……言葉一つで、こうも変わるものか」
「せや。言葉は刃物や。使い方間違えたら、心殺してしまう」
ヨシコは遠くを見つめた。
「息子の上司もな、優秀な人やったらしいわ。でも、口が悪かった。『期待してるから』言うて、毎日あの子を罵倒してたんや」
『お前の代わりなんていくらでもいる』
『給料泥棒』
その言葉の積み重ねが、息子の心を少しずつ削り、最後には壊してしまった。
「……叱ることと、怒ることは違う。相手を思うなら、相手に届く言葉を選ばなアカン」
魔王は静かに頷いた。
「なるほど……アイ・メッセージか。私も実践してみよう」
魔王はヨシコに向き直り、真剣な顔を作った。
「ヨシコよ。……お茶が入っていないと、私はとても悲しい。喉が乾いて、心が枯れてしまいそうだ……」
魔王は「どうだ、完璧なアイ・メッセージだろう?」と言わんばかりのドヤ顔を見せた。
ヨシコは冷ややかに一瞥した。
「自分で淹れんかい!!」
「ぐはっ!?」
ヨシコのハリセン(いつのまに用意したのか)が炸裂し、魔王が宙を舞う。
「それはただのワガママや! 『伝え方』以前に、自分のことは自分でせぇ!」
「そ、そこからかぁぁ……!」
魔王城に、穏やかな(?)笑い声が響く。
体も、胃袋も、そして心も。
魔王軍は今、本当の意味で「強い組織」に生まれ変わりつつあった。
さて、内部改革はほぼ完了した。
となると、次にやってくるのは――「外部からの監査」だ。
魔王軍の変貌を聞きつけた、最強の監査役(長男・イチロウ)がついに動き出す。
(続く)
怒りの裏には「心配」がある。
伝え方を変えるだけで、世界は優しくなるんですね。
さて、魔王軍がホワイト化したところで…… ついに「真の敵」が動き出します。
最強の弁護士お兄ちゃん、再登場です!




