第16話:社食の「ダークマター」と、戦士を癒やす豚汁定食
正午。
魔王城に昼食を告げる鐘が鳴り響いた。
だが、食堂に向かう兵士たちの足取りは、まるで処刑台に向かうように重い。
「……今日は何ゴブ?」
「……紫色だ。泡吹いてる」
「……うっ」
食堂に漂うのは、食欲をそそる香りではなく、実験室のような薬品臭。
長机に並ぶのは、ドロドロに煮込まれた謎の物体――通称「魔界シチュー」だ。
「……いただき……ます……」
兵士たちは死んだ魚のような目で、スプーンを口に運ぶ。
味はゴムと泥を混ぜたようだ。
栄養はある(らしい)が、食べるたびにSAN値(正気度)が削がれていく。
「なんやこれ!?」
視察に来たヨシコは、一口食べてスプーンを投げ捨てた。
「こんなもん、飯ちゃうわ! エサや!」
「失礼な。計算された完全食だぞ」
厨房の奥から現れたのは、白衣を着たリッチ(死霊魔術師)の料理長だった。
彼は骨だけの指で、電卓(魔道具)を叩いている。
「我が軍の食費予算は、一人あたり銅貨10枚。 この低予算でカロリーと満腹感を満たすには、魔獣のクズ肉と雑草を煮込んで増量するしかないのだ」
「せやから言うて、マズくしてええ理由にはならん!」
「味など二の次だ。彼らは兵器だ。燃料さえ入れば動く」
リッチは冷たく言い放った。
典型的な「コストカット至上主義」。
「社員=コスト」としか見ていない経営陣が陥る罠だ。
「アホか! 飯がマズい軍隊が勝てるかい! 胃袋の不満は、そのまま組織への不満になるんや!」
ヨシコは周りを見渡した。
せっかく定時退社で体を休めても、昼にこんな「毒」を盛られては、午後のパフォーマンスなど出るはずがない。
現に、魔王ゼノンですら、玉座の間で隠れてカロリーバー(携帯食)をかじっている始末だ。
「ええわ。私が『本物の飯』教えたる。 ……予算は銅貨10枚のままでな!」
ヨシコはスマホを取り出し、次男のジロウを呼び出した。
彼はパリで三ツ星レストランを経営する、世界的なオーナーシェフだ。
「ジロウ! 緊急や! 予算激安、食材最悪、でも腹ペコの若手がいっぱいおる! 何作ったらええ!?」
『――ボンソワール、姉ちゃん。パリは今、深夜やで』
スピーカーから、眠気混じりだが優雅な声が響く。
『……また無茶振りかい? でも、姉ちゃんの頼みじゃ断れへんな』
「魔獣のクズ肉と、しなびた野菜しかないんや。これで『ご馳走』を作りたい」
『クズ肉と古野菜……。フッ、懐かしいな。昔、僕たちが貧乏やった頃と同じや』
ジロウの声が優しくなる。
彼が料理の道に進んだ原点は、貧しい中でもヨシコが工夫して作ってくれた「温かいご飯」だった。
『姉ちゃん、答えは一つや。僕が料理人を目指した原点の味……「豚汁」だよ』
「豚汁?」
『ああ。姉ちゃん、豚汁はただのスープやない。「最強の回復薬」なんや』
ジロウの声色が、プロのシェフのものに変わる。
『まず、豚肉のビタミンB1は疲労回復に効く。そこにネギ類のアリシンが加わると吸収率が跳ね上がるんや。さらに根菜類は体を芯から温めて免疫力を上げる』
「なるほど、理に適っとるな」
『そして何より「味噌」や。味噌のアミノ酸と酵素は、腸内環境を整えてメンタルを安定させる。……つまり豚汁とは、疲弊した兵士の心と体を同時に治す、完全栄養食なんや』
「へぇー! さすが三ツ星シェフや! ……でもな、ジロウ」
ヨシコは厨房を見渡して困り顔になった。
「肝心の『味噌』がないねん。日本から持ってきた分じゃ、全然足りへんわ」
『……姉ちゃん、カメラをオンにしてくれ。厨房を一周見せてくれへんか?』
ヨシコは言われるままに、スマホのカメラで厨房を映した。
薄暗い調理場。
積み上げられた野菜の芯。
そして隅に置かれた大きな樽。
『――ストップ。姉ちゃん、その右奥の樽。……それ何?』
「これか? 『廃棄予定』って書いてあるけど……」
ヨシコが樽に近づく。 リッチ料理長が面倒くさそうに説明した。
「ああ、それは失敗作だ。豆を煮てペースト状にして貯蔵していたのだが、いつの間にか黒く変色してしまった。ドラゴンの餌にするつもりだ」
『……失敗作? あの、料理長。その豆、ただの水で煮たんか?』
ジロウが鋭く質問する。
リッチは鼻を鳴らした。
「まさか。真水など貴重だ。それに料理には塩気が必要だろう。私の調理法では、近くの『死の塩湖』から汲んできた高濃度の塩水で煮込み、あとで真水で薄めて使うのが常識だ」
『ほう』
「いや何、3年ほど前に仕込んで、倉庫の奥で忘れていたのだ。我々アンデッドにとって、数年など瞬きするような時間だからな……気づいたらドロドロになっていた」
『……3年! しかも塩湖の高濃度塩水! それに、カサ増しで何か入れたりしました?』
「ああ、倉庫で余っていた『麦クズ』を大量に混ぜておいたが……」
『なんやて……!』
スマホの向こうで、ジロウが息を呑んだ気配がした。
『……姉ちゃん。ちょっとその樽の中身、味見してみてくれへんか?』
「えっ? ドラゴンのエサやで?」
『ええから。……僕の勘が正しければ、それは失敗作なんかやない』
ヨシコはおそるおそる樽の蓋を開けた。
中には、真っ黒でドロリとしたペーストが詰まっている。
だが、腐敗臭ではない。 芳醇で、濃厚な香りが立ち上った。
「……ええ匂いやな」
指ですくって、舐めてみる。
濃厚な旨味。
芳醇な香り。
そしてガツンとくる塩気。
3年という歳月が生み出した、深みのある味。
ヨシコの目が大きく見開かれた。
「――っ!?」
『どうや、姉ちゃん』
「……これ、『味噌』やないかい!!」
間違いない。
これは八丁味噌にも負けない、力強い熟成味噌だ。
「アホかーーっ!! これが一番の宝やないか!!」
「は? ただの黒ずんだ腐った豆だが……」
「黙り! 極上の調味料や! ……ジロウ、なんでこんなもんが出来たんや?」
『料理長さんの「塩湖の水で煮る」調理法と、「3年という熟成期間」が奇跡を起こしたんや。高濃度の塩分が腐敗菌を殺し、麦クズの天然麹菌が、長い時間をかけて豆を発酵させた……つまりそれは、偶然が生み出した極上の「三年熟成麦味噌」や!』
「な、なんだと……!? 失敗作ではなく、極上の……調味料?」
リッチ料理長がカタカタと震える。
だが、すぐに我に返って首を振った。
「だが待て! 3年だぞ? この樽が空になったら、次を作るのにまた3年待つのか? とても量産など……」
リッチの指摘はもっともだ。
今ある分を食べ尽くせば終わりになってしまう。
『フッ、心配いらんで、料理長』
ジロウの頼もしい声が響く。
『3年かかるのは、自然に任せた場合や。……僕が「短期熟成」のレシピを送るわ。麦麹の比率を増やして、温度を60度に保てば、甘めの「白味噌」なら数週間で作れる』
「ろ、60度を数週間……? 薪代が馬鹿にならんぞ?」
『そこはアンタの魔法の出番やろ? 厨房の温度管理くらい、お茶の子さいさいやないんか?』
リッチの眼窩が怪しく光った。
「……ほう。一定温度の維持空間を作る魔法か。……造作もないことだ。私の専門分野だ」
『決まりやな。……それと、豚汁だけやないで。安くて栄養満点の「まかないレシピ」を10個ほど送っとくわ』
スマホの画面に、次々とレシピが表示される。
『麦クズと豆のヘルシーハンバーグ』
『魔獣バラ肉の味噌炒め(回鍋肉風)』
『根菜たっぷり炊き込みご飯』
……どれも、今の食材で、しかも低予算で作れるものばかりだ。
「ジロウ、おおきに! ……よし、今日は特別に、ここを『ヨシコ食堂』にするで!」
「な、何を勝手な! 予算オーバーしたら……」
「黙って見とれ!」
ヨシコは魔獣のバラ肉(捨て値)を細切れにし、売れ残りの大根や人参(根菜)を大量に刻んだ。
大鍋にごま油を垂らすと、ジュワァァァ! と食欲を刺激する音が響く。
肉を炒め、野菜を投入し、水を注ぐ。
煮立ったら、リッチが捨てようとしていた「三年熟成味噌」を溶き入れ――。
「さあ料理長、最後は火加減や!」
「わ、分かった! 我が奥義『地獄の業火』……を、極小のトロ火にして保温!」
リッチが指先から、ゆらゆらと小さな青白い炎を出し、鍋底を優しく炙る。
都市一つを焼き尽くす禁呪を、豚汁の保温に使う贅沢さ。
さらにリッチは、残った野菜の山に向かって杖を振った。
「余った食材は『氷結結界』で鮮度を永遠に固定!」
一瞬で野菜がキラキラと凍りつく。
最強の冷凍保存技術まで完備されていた。
食堂の空気が、一変した。
「……なんだ、この匂いは?」
「香ばしい……甘い……?」
「お、お母ちゃんの匂いがするゴブ……」
薬品臭が消え、温かく懐かしい湯気が充満する。
ヨシコは炊きたての麦飯でおにぎりを握り、熱々の豚汁と共に配膳台に並べた。
「はい、おまたせ! 『戦士のスタミナ豚汁定食』や! おかわり自由やで!」
兵士たちが殺到した。 おそるおそる豚汁を啜ったゴブリンが、カッ、と目を見開く。
「……うまぁぁぁぁい!!」
野菜の甘み、肉の脂、そして濃厚な味噌のコク。
ジロウの言った通りだ。
五臓六腑に染み渡り、冷え切った体の芯がカッと熱くなる。
「すごい……疲れが吹き飛ぶようだ……」
「体がポカポカする……これが飯なのか……?」
屈強なオークたちが、おにぎりを頬張りながら泣いている。
その光景を見て、リッチ料理長の手から、カラン……と電卓が落ちた。
「……温かい。……私は……間違っていた。料理とは、数字合わせではなく……食べる者を笑顔にし、明日への活力を与える魔法だったのだな……」
リッチの眼窩から、涙のような光が溢れた。
「料理長。明日からはあんたが作り」
ヨシコはお玉をリッチに手渡した。
「あんたの魔法技術と、計算能力があれば、もっとええもんが作れるはずや。……頼んだで」
「……ああ。任せてくれ。コスト計算と温度管理なら私の専門だ……! この城を、世界一美味い軍隊にしてみせる!」
リッチは震える手でお玉を握りしめ、深く頷いた。
その頃。
こっそりと食堂に現れた魔王ゼノンも、端の席で豚汁を啜っていた。
「ずずっ……はぁ……」
魔王の瞳が潤み、遠くを見る目になった。
「こ、これは……母上の味……!?」
魔界に味噌はない。
魔王の母がこんな料理を作った事実もない。
だが、その温かさは、種族を超えて「おふくろの味」という概念そのものを呼び覚ましたのだ。
「ううっ……懐かしい……なぜか分からぬが、猛烈に懐かしいぞ……!」
魔王は涙を流しながら、おかわりを要求した。
それからの魔王城の食堂は、劇的に変わった。
リッチ料理長の研究熱心さが爆発し、ジロウのレシピをベースに次々と新メニューが開発された。
『豚汁』は国民食となり、街のレストランにも「味噌」が広まった。
かつてはゴムのようなシチューを啜っていた場所が、やがて兵士だけでなく、噂を聞きつけた街の住人までが列を作る、魔王国一番の美食スポットとなる。
魔王城から始まった「食の革命」は、やがて国中に広がり、荒涼としていた魔界に豊かな食文化の花を咲かせることになるのだが――それはまた、後の話。
その日の午後。 満腹になった魔王ゼノンも、ツヤツヤした顔で指揮を執っていた。
「うむ! 今日の飯は最高だった! 午後も気合を入れて侵略(仕事)するぞ!」
ヨシコはその様子を見ながら、食堂の隅で一息ついていた。
ふと、スマホの待ち受け画面を見る。
コンビニ弁当の空き容器が散乱する部屋で、パソコンに向かう息子・カケルの後ろ姿。
(あの子も、毎日こんな冷たい飯ばっかり食うてたんかな……)
「時間がないから」「金がないから」と、食事を疎かにする。
それは自分で自分の寿命を削るのと同じだ。
温かい味噌汁一杯あれば、あと一歩、踏ん張れたかもしれないのに。
「……よし。次は『健康診断』やな」
飯で体を作ったら、次はメンテナンスだ。
ブラック企業に勤める者が一番恐れるイベント――「再検査」の恐怖が、魔王軍を襲う。
次は、六男・ロクロウ(スーパードクター)の出番だ。
(続く)
失敗作の豆が、まさかのアレに。
やっぱり日本人の心は味噌ですね!
リッチ料理長の今後の新作メニューにも期待です。
次は、全軍一斉健康診断!
不摂生な魔王様に、ドクターの弟がメスを入れます。




