66.【上巻】白雪姫ト忠実ナ騎士
馬車は城門を潜り、城下を抜け、どんどん行ったとさ。
森へと入って行ったとさ。そして出てこなかったとさ。
森も深く、日の光も翳り――……
人の住むところを遠く離れて、馬車の中では白雪姫の向かいに、王の騎士が座して、二人ともひと言も口を開かず、御者のする掛け声、馬の蹄と車輪の回る音だけがしておりました。
騎士は、これから遂げねばならない“王の命令”を思い、もう気もそぞろ心ここにあらずと、しきりに腕を組み変えたり、腰の剣を気にしたりしていました。白雪姫はただ窓の外を眺め、沈黙を守っておりました。
さて、やがて重圧に耐えきれず、もう命令を片してしまおうと、騎士は馬を停めるよう御者に合図しようとしました。すると窓の外に目をやり、寛いだ様子のまま、白雪姫が静かに言いました。
「父に、命じられておいでなのでしょう……?」
騎士は驚いて、思わず腰の剣に手を掛けましたが、姫はそっと四本指を騎士の手に重ね制しました。騎士は狼狽のあまり顔が青褪めるほどでしたが、それは●●●の手に触れたが故ではありませんでした。
騎士の畏れは、白雪姫の振る舞いに、●●●の制約に損なわれてなお、紛うことなき気品と優雅を見たが故でした。
自分を見るやぶ睨みの目に、騎士をして圧する威厳が宿っておりました。騎士は初めて、白雪姫が真実に王女であることを知りました。その●●●の姿の内には、王女たる高貴が隠されていたのです。
驚き、恥じ入り、息もできない騎士に、白雪姫は微笑みを賜りました。
「ええ、そうです。私は父に疎まれていることも存じておりませば、あなたへの命令も悟っておりますし、覚悟も致しております。ただ……もし騎士様に、この父にも死を望まれる●●●者を哀れに思う心がおありなら、どうかひとつだけ、この私の願いを聞いてくださいませんか?」
これを聞いた忠実の騎士は情けを殺し、
「なりません。私にとって陛下の命は絶対でございますれば、これに背くことは叶わず、心苦しくも、姫様をお見逃しする訳には参りません」
唇を白く結んで言いました。
すると白雪姫は、口に手を当てて笑いました。
「まさか。覚悟は出来たと申しましたでしょう? 私とて、この憂きことばかり多きお芝居は、そろそろ幕にすべきと存じます。命乞いも、恨み言も致しますまい。私の願いというのは、その……」
そう言って白雪姫が見せた恥じらう仕草は、白雪姫が●●●者でなければ、そこにいたであろう年頃の少女を思わせ、騎士はまたたじろぎました。
「私は、このような●●●の身であれば、今日のように野に遊びに出るなど、生まれて初めてのことなのです。私は、騎士様、楽しいのですよ。譬えあなたが、私の死の天使なのだとしても。ですから、もう少しだけ――……」
「このまま馬を走らせ、どこか花の咲くところで、私とパンを食べ、葡萄酒を飲んでくださるのなら、私はその後、自ら喉を突きましょう。あなたは何か証となるものを、父に届ければ良いでしょう」
白雪姫は言葉を切り、少し考えて、
「そう、この手が良いでしょう。これなら誰の目にも、私のものと知れましょう」
騎士の手に重ねた四本指を左の六本指で撫でました。騎士は白雪姫の言葉を聞き、感じ入り、幸薄い姫君に残された僅かな時間に、もし望まれるなら、この●●●者の恋人にさえなろうと心に決めました。
そうしてカヴァリオロは、主君にするより恭しく白雪姫に頭を垂れ、その四本指にキスをしました。
***********************************
馬車は深い森を抜け緑の草原を駆け、やがて花の咲き誇る野へと至りました。
騎士が御者に事情を語ると、この男も情けの心を持ち、ぜひそのささやかな会食に招いてほしい、と言いました。そこで騎士と御者は白雪姫に手を差し伸べて馬車から降ろし、野原で最も美しく花の咲くところを彼らの食卓に選びました。
白雪姫は敷物を広げ、銀の皿を並べ、パンと肉と果物を取り分けて、そうして、食事の支度がすっかり整えられました。
騎士は腕組みをして、白雪姫が支度をするのを見ておりました。
騎士は迷っておりました。誰もがこの姫君の姿から目を背け、言葉から耳を塞ぎ、この姫君の前から立ち去って、そして誰も知ろうとはしなかった。
ああ、神よ、何ということか。この姫君は美しい。
●●●者の体に閉じ込めた、気品と威厳、王女の資格、“美しさ”を持っているというのに、誰もそれを見ようとはしなかったのだ。この私の忠誠は、いったい誰に果たすべきなのか。
「……最後の晩餐、と戯れるには、少し日が高うございますね」
白雪姫が気丈に笑うと、騎士の心はますます曇りました。
騎士は姫から手渡された林檎をひと口齧ると、心を決めました。
我が忠誠は、我が心に果たそう――……
この哀れな姫君のお命、お救いしよう。
このまま白雪姫を逃れさせ、そうだ、森の猪でも捕らえ、その肝を姫のものとして持ち帰ろう。むろん、アプコの肝臓は人のものとは違おうが、幸い姫はこの通りの●●●者。騎士たる自分が確かと申せば、陛下とて疑いはしないだろう。
そう決めると、騎士はすっかり心が晴れました。
そこで騎士はふと、白雪姫がパンにも、葡萄酒にも果物にも、少しも食事に口をつけていないことに気づきました。
「どうされました、姫様。お召し上がりにならないのですか」
騎士が訊ねると、白雪姫は、
「ええ、欲しくないのです。だって――」
悪戯をした子どものように、楽しそうに笑いました。
「食べてしまったら、この手に塗った毒が、自分の口にも入るではありませんか」
***********************************
騎士はあっと叫んで、立ち上がろうとしましたが時既に遅く、体が痺れて指の一本も動かせなくなっておりました。
騎士が野の花の上に崩れ落ちると、隣には御者も倒れ伏し、上からは白雪姫が殊勝げな仮面を捨て、嘲笑っておりました。まるで死んだカオリンチュを見るような目つきの、手には、先ほど自ら喉を突くと誓った短剣が握られておりました。
騎士は謀られたと知り、呻きながら叫びました。
「私を欺かれたか! 私は姫の願いを聞き届けたというのに」
それを聞いて白雪姫は唇を歪めると、靴の爪先で騎士の顎を持ち上げ、その顔に唾を吐き掛けました。
「鼠とて猫に追われれば歯を剥きましょう。鹿とて弓を引かれれば、角を振りましょう。欺いた? 愚かな!」
「あなた方は●●●者はばかなものだと思っていましょうが、●●●者とて、己の身くらいは守れるのですよ。私は私を守るためなら、偽りも申しましょう、毒も食わせましょう。私を助けてくれる者は、私しかいないのですから――」
騎士は白雪姫の目に、主君が実の娘を殺せと命じた時、その目に燃えていた非情な炎を見ました。騎士は恐ろしくなり、わあわあと喚きました。
「私はあなたと過ごし、あなたを好きになっておりましたのに! あなたをお逃がしして、お命をお救いしようと思っておりましたのに!」
騎士の言葉を聞いた白雪姫の目から、赤い火が消えました。そこにあるのは、氷より冷たい青い翳りでした。それは長い長い冬に閉ざされ、どんな言葉にも溶かせない、凍てついた心でした。
「信じない。私は誰も信じない――……」
白雪姫はまずカヴァリオロの喉を、それからアウリガの喉を短剣を突きました。
***********************************
こうして騎士と御者を殺してしまった白雪姫でしたが、これでもうお城へは戻れません。そこで賢いお姫様は騎士の亡骸を探り、懐から金貨の詰まった袋を見つけました。それは騎士が、姫を始末する褒美に王様から与えられたものでした。
「私を殺す褒美に貰った金貨なら、私が貰ってもいいだろう」
白雪姫はそう考え、金貨の袋を手籠にしまいました。
次に御者の懐を探ると、銀貨の袋が出てきました。白雪姫はこれも同じように、籠にいれました。
それから姫は、騎士の指から金の指輪を抜き、腰の剣を取り、御者の指の安物の指輪も抜くと、最後に二人の服も剥いでしまい、ひと纏めにして馬に結わえ付けました。そうして馬を馬車から外し、すっかり裸になった二つの躯をその背に乗せて、口を曳いて花咲く野を後にして、薄暗い森の中に入って行きました。
さて、白雪姫は森の中をどんどん行って、途中で深い谷を見つけました。そこで白雪姫は馬から籠と二つの躯を下ろし、大きな石を拾ってきて、騎士と御者の顔をさんざん打ち据えてから、谷底に投げ落としました。
そして白雪姫は手籠を持ち、口を曳くのも飽いたので馬はそこに残して、どんどん歩いていきました。どんどん歩いていくブラネージュの四本と六本指は……
真っ白な雪のようであり、血塗られて真っ赤でありました――……
***********************************
雪のように白いお姫様、白雪姫の物語――……るああ。続く、だ。
なーふ。ここまでが“上巻”のお話だ。そして最初に言ったように、このお話には続き……“下巻”が二つある。
言い換えりゃ、“結末”が二つ、ってことだな。
なーふ。読んでの通り、悪趣味な話だ。どーしたところで、碌な終わり方はしねーよ。まあ、しいて言えば――
ひとつは、それなりに現実的な結末を迎えると言える。
もうひとつの終わり方は、幻想的だと言えなくもない。
るああ。いずれにせよ、結末を選ぶのはお前さんだ。なぁに、お前さんは所詮は舞台下の観客さ。無責任に面白そうな方を選べばいい。どちらも選ばない、というのも選択だし、そもそも続きを読まないって選択もある。お前は物語のト書きに縛られてる訳じゃねえ、それなりの自由があるだろう?
さあ、心は決まったかい? だったら、頁を開くといい――
るああ。さあ、復讐劇が始まるよ――
むかーしむかし、あるところに――……
~“まっくらくらいの白雪姫”、二冊の下巻に続く~




