11.営業中――「ご注文をどうぞ」
綺麗な人、喋り方ヘン。
私は呆けたような頭で、そんなことを考えていました。その声を聞いても、私の目にはその人の姿は揺らぎ、どうしても頭の中で像を結ばないのです。
私がおかしいことに気づいたか、厨房のケンさんが顔を上げて、
「おう、お嬢ちゃんこんな時間に一人かい?」
黒頭巾さんにそう声を掛けました。
その途端――……
私の前には、愛らしい猫のような顔立ちの黒頭巾ちゃんが立っていたのです。
歳の頃なら中学生くらい? 赤い釣り目、赤銅色の頬、銀色の髪をした少女は、私の肩くらいの背丈で、
「Oops」
謎の呟きを漏らすと、自分の体を確かめるように腰を捻り、
「なるほど、こう見えたか」
何だか不思議なことを呟いて、ケンさんと酔客達の視線に納得顔をして、私ににやーりとした笑みを見せました。
「Raa。あのさー、オネーサン。時々、男ってみんなロリコンなんじゃねーかって思うこと、なァい?」
呆気に取られる私の横をすり抜け、カウンターの椅子を引く。
「邪魔するよ」
ちょこんと腰を下ろし、脱いだ黒頭巾を軽く畳んでいる少女の横顔に、私はなぜか彼女が生まれてから、いずれ朽ちるまでの全ての時間が、重なって見えているような奇妙な思いがしていました。
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少しぼんやりしていると、少女がにっと白い歯を見せて笑ったので、私は慌ててお冷とおしぼりを運びます。
お客様は湯気の立ったおしぼりを受け取り、しばしお手玉してから、広げて顔を埋めてふうとため息をつかれます。
「うーぷす。手拭いを温めてるのか。冷える晩にはありがてー気遣いだな」
それからお冷のグラスを怪訝そうに見つめて、
「……? はて、水は頼んでねーが……」
「あ、ウチではお水はサービスなんですよ」
笑顔でお答えすると、少女は目を丸くしてグラスを覗き込みました。
「Narf……こんなに上等の水が無料、か……」
そう呟くと――
心なしか少し、複雑な表情をされたように見えました。
そんな私の思いをよそに、お客様は立てる式のお品書きを手に取られます。
「うーぷす。キリ……アアヒ……バドアイ? ……すごいな、これ全部麦酒なんだろー? エールだけでこんな種類置いてるのかー」
「品揃えが自慢のひとつでね」
ケンさんがにやりとすると、
「嬢ちゃん! “ナマチュー”がお勧めだ、俺が一杯奢るぜ!」
ザインさんの胴間声が飛んで、二人の酔人がどっと笑った。
もう、このオジサマ達ったら。
ケンさんも苦笑しながら酔漢と黒頭巾ちゃんに、
「困りますよ、ザインさん。お嬢ちゃんには、申し訳ないが生中は、そうだな……後5年くらいしたら、また飲みに来てくれるかい」
こう言うも、彼女は上の空で、
「よいよい、飲む気なら、飲めるなりのアレで来ているから」
また独り言のような、何やら意味深なことを呟きながら、お品書きを裏返し、フードメニューに赤い目を近づける。
「るああ。いーっぱいあるなあー。何だよ、これ……何が美味しいんだよ……」
「串……ってお前、また串だけで何種類あんだよ……軟骨唐揚げ? 骨食うのかよ……とん平焼き……もう、何を焼くかすら判んねーよ……」
ぶつぶつ一品ごとに突っ込みつつ、ひと頻りメニューを裏向けて表向けて、天井に翳して、ついに少女は音を上げました。
「なーふ……おっちゃん、何が一番旨いんだ……?」
私とケンさんは顔を見合わせる。
そういうことなら、定食屋ちか新メニュー試作品、昨日から仕込んでた、お誂え向きの逸品がある、それは……っ!
鶏肉のスパイス焼き。これくらいの歳の子が、嫌いなはずはない。
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まずは鶏肉を用意します。
旨みと見た目の楽しさに、今日は骨付きの手羽元にしてみました。
蜂蜜を揉み込み、塩、コショウ、ニンニクにショウガ、更にクミン・パプリカ・コリアンダー・オレガノ、グローブ・タイム・シナモン、そして決め手のチリパウダーをしっかり馴染ませる。ちょっと味付け濃いかな、くらいでいいですよ。
スカボロー・フェアーでも聞きながら、一晩じっくり寝かせまして。
はいっ、寝かせたものがこちらになります。
後は200℃のオーブンで、焼き色が付くまでと……の前に! ダメ押しで粒コショウをミルで振り掛けて、オーブンにイン!
そして約10分後――……
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「る……るああ……」
お客さん達はもちろん、作ってる側のケンさんや私の脳髄にも突き刺さるような、スパイシーな匂いが店内に充満しました。
グレープフルーツジュースをちびちび飲んでいた少女の前に置かれた更には、レタスが添えられた、皮カリッカリ、彼女の肌にも負けない黄金色のケイジャン・チキンが三本。
「うぅーぷす……何だよ、これ……」
その胃袋を直撃する暴力的なまでの香りに、ダライさんが身を乗り出し、ザインさんもツベエさんも席を立って首を伸ばしています。
「何だね、その滅法いい匂いの料理は?」
「テンチョー、そりゃあ鶏肉なのかい?」
さて、話の腰を折るようですけど、この”世界“、カルーシアの人達と私達は言葉も通じるし、お互いの文字もなぜか読めてしまいます。
それはこちらの人達が日本語を話してくれる、のではなくて、全く別の言葉を話しているのだけど、不思議なことに意味が理解できる、という感じなんです。
私達の言葉が、こちらの人にどう伝わっているかは、判りませんけど……
ただカルーシアの言葉は、私が聞いた限り、全くの未知の言語という訳ではなくて、どうも私達の世界の外国語、英語にドイツ語にイタリア語に……何カ国語もが入り混じった言葉であるように聞こえるのです。
いえ、その、もちろん私は何カ国語も理解る訳ではなくて、ただお仕事柄、料理とか食材なんかは単語レベルで知っているものがある、というだけのことなんですけど……
いずれにせよ、この不思議な“世界”の不思議はどんどん深まるばかりなのです。
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閑話休題――……
少女は恐る恐る、骨付きチキンに手を伸ばします。
「熱っ」
驚いて手を引っ込め、ぺたぺた叩き、意を決して手に取る。一挙手一投足を、周囲が固唾と涎を飲み込んで見守る。
「るああ……」
かりり、じゅわわ。
少女の真っ白な歯が、少し焦がした鶏皮に突き立った瞬間、鼻腔を貫く香辛料、溢れ出る肉汁。慌てて唇で受けるも、
「るああ……あああ……」
間に合うはずもなく指と顎を伝う。
目がとろんとした少女の胃袋に、瞬く間に消える一本目、続く二本目。
誰もが見ているだけで、涎が止まらない。
(う……旨そう……! それに……)
(か、可愛い……しかも、何かちょっとエロい……)
食べる方も見る方をも幸せにする、ひと皿が終わりました。
少女はチキンを骨だけにしてなお、名残り惜しそうに軟骨周りの僅かな肉を齧ったり、しゃぶったりしていましたが、ふと自分のしていることに気づき、鶏ガラを放り出すと、今更に取り澄ました顔で指と口元をおしぼりで拭います。
堪らないのは周りのお客様達。
「おい、ティーカちゃん! 今のくれ、今の! 二つ!」
「こちらにもひと皿頂こう! それと、これにはナマチューが合いそうだ」
「かしこまりましたー」
大騒ぎになってしまいます。もちろん、ケンさんもこうなることを見越し、既に第二弾のチキンはオーブンの中で準備中。
こうして、ちえの店内は「滅法いい匂い」と、常連さん達の賑わいに包まれ……包まれ……ぐぅ~……
ま……賄いが待ち遠しいんですけど……