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魔法遣いローテアウゼンのキセキ  作者: 福山 晃
第二章 漆黒の姉妹(レイヴェンシュワルツシュバイセン)
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漆黒の姉妹 まとめ読み用【26,000字程度】

 ロッタは御者台の上で退屈そうに座っている。

 退屈といっても決して手持ちぶさたですることがないとかいうわけではない。なぜなら今はそういう状況ではないからだ。

 俺は今、野盗と戦っている。

「早う追っ払わんか」

 気楽に言ってくれるが相手の人数が多く馬車ごと包囲されてしまっているので討って出ることが出来ない。そのうえ奴らはまともに戦おうとはしない小賢しいやつらだ、こういうやつらは厄介だ。

「街を出てたった二日、しかも街道上で野盗に襲われるとはな」

「こんな立派な馬車であれば、こいつら金目の物いっぱい持ってやがるなと思われても当然じゃろうて」

 それは確かにそうだ。しかも持ってそうではなく実際にあるのだった。昨日の昼、食料を物色している時にロッタが金貨の入った袋を見つけてしまったのだった。しかも中身は20枚も入っている。

 金貨は一枚あれば一家が一か月過不足なく食べていける程度の価値がある。それゆえに小さな買い物では使いにくくもあるが何にせよ金貨20枚は大金である。


「暇そうだな、ロッタ」

「それは貴様に手出し無用と言われてはのう、儂のすることはないからの」

 妙な拗ね方をしているらしい。

 しかし野盗に囲まれ、やつらは俺を警戒してなかなか近付いて来ないとなると埒があかない。どうにか討って出て一人ずつでも戦えなくしていけば何人か倒せば奴らは引き上げていくだろうが、討って出た隙に乗じて馬車を襲われたんじゃ意味がない。

 何よりも守らなければならないのは馬だ。もちろんロッタも守らねばならないが馬をやられてしまうと馬車が動けなくなってしまうからな、ここはひとつロッタにも応援を頼むとするか。

 ロッタに背後の敵の動きを見張ってもらえば討って出る間に襲撃されても対応しやすくなるだろう、よしこれだ。

「ロッタよ!」

「お? なんじゃ?」

「俺の背後を頼む!」

 ロッタの表情が一気に明るくなった。

「儂に、背後を頼むとな?」

「そうだ、俺が討って出る、その隙に馬車に近付く者を牽制してくれ」

 ロッタは不敵に笑った。

「仕方ないのう、タケゾウにそこまで言われては断るわけにもいかんのう」

 俺は取り囲む野盗を睨む、警戒するべきは石弓を持った二人、残りは全員短刀しか持っていない。

「では、任せたぞ」

 俺は正面に見える短刀持ちを最初の目標とした。抜刀し、脇に構えると一気に駆け寄る。

 俺に狙われたと悟ると口笛を吹いた、遠くの仲間に俺が馬車から離れたことを報せたのだろう。

 俺は峰で手首を撲ち得物を叩き落した。手首の骨は折れただろう奴は腕を押さえて転げまわる。 

 続けて背後にいた石弓の男を狙う、奴は慌てて矢を放つが狙いは甘く矢は肩を掠めただけだった。

 外したことに焦るが次の矢を装填するには時間がかかる、俺の斬撃を石弓で受けようと構えるがこんなもん遅すぎて話しにならねえ。石弓を峰で叩き落し首を手刀で打つと失神して倒れた。

 続けてもう一人の石弓を、と思った所で背後に閃光を感じた。同時に空気を切り裂く鋭い音。

 振り返ると馬車に近付こうとした野盗が崩れ落ちるのが見えた。

 さらに馬車の後ろに回りこんだ二人が馬車に駆け寄ろうとしている。

 俺は石弓に背を向け馬車に戻らんと駆け出した。

 ロッタはそれも見えていたらしく、御車台に立ったままで後ろに向いて腕を振るった。

「見えぬところから近付こうなど誰でも考えるわ、愚か者め」

 その野盗二人に閃光が奔り、鋭い轟音が弾けた。まさに小さな落雷のようだ。

 野盗は閃光の瞬間に倒れて動かなくなった。

 ロッタはこちらを向くと慌てて指を差し叫んだ。

「タケゾウ! 後ろ!」

 振り向くとさっきの石弓が放たれるところだった。

 俺は矢を避けた。

 ……つもりだったが矢は俺に届く前に空中で止まった。ロッタの魔法だとすぐに悟った。

 石弓を放った男は恐怖の表情を浮かべて後ずさっている。振り返りロッタを見ると腕を振り下ろすのが見えた。

 鋭い轟音が響き、向き戻ると男が倒れるのが見えた。

 なんてこった、後ろを頼むと言っただけなんだがロッタ一人で残り全員倒してしまいそうだ。

「そこにも居るな?」

 ロッタは次々と腕を振るい、その度に閃光と轟音、そして一人ずつ倒れていく。

「……やめろ……やめろぉぉぉぉぉ」


 結局ロッタは魔法であらかた野盗どもをやっつけてしまい、何人か残ったやつらで失神してたやつらを連れて退散してしまった。

 これでは俺が護衛として雇われた意味がなく、それよりも……だ。

「俺は後ろのやつらを見張っててくれと言ったんだ」

「タケゾウが背後を頼むと言うたのではないか……背後を頼まれたからには…………」

 ロッタは小さくなって俯いたままで答えた。

 思わずため息をついてしまう。ロッタはロッタなりにがんばって対応してくれたのだろう、それが分かるだけにあまり強くも言えない。

「俺はロッタを護衛するために一緒にいるんだ、ロッタは必ず俺が守る。だから俺を信じてくれ。それに……その…なんだ……魔法はあまり使わんほうがいいのだろう?」

 ロッタは俺の顔をちらと見た。まるで幼女のように口を尖らせてしょげている。

「マル……いやオウカから師匠のことを頼むと強く言われている。俺には理由が分からんがあまり魔法を使わんほうがよいのではないか?」

 ロッタは口を尖らせたまま、こくりと小さく頷いた。

 べつに悪いことをしたというわけでもなく、ただ俺があまり魔法を使わない方がいいのではないかと言っているだけなんだが、そのせいでしょげているロッタを見ているとどうにもいたたまれなくなってきた。

「儂はただタケゾウの戦うのを後ろから見ておれば良いのか?」

 当たり前だ。だが俺はロッタの反応を見てだいたいのことは察することができた。

「後ろで控えていてくれれば俺がどうにかするんだが……何かしたいのか?」

 ロッタは返事をしなかった、ただ俯いていたが俺の方をちらとだけ見た。

「それでは魔法を使わずに何か出来ることがあるのか?」

「……魔法を使わずと言うたら…………!!!」

 ロッタがなにか閃いたらしい。

「あるのか?」

「ある!」

「ほう?」

「弓ならどうじゃ」

「弓か……」

 弓とはまた……意外なことを言われたものだ。しかしさっきまでのしょげ方が嘘のように表情が輝いている。

「では、その腕前を俺が見たいと言えば見せてくれるのか?」

「うむ、そうじゃな……この少し先に湖がある、そこで実際に射るところを見せよう」


 ということで湖を目指してしばし馬車に揺られる。道中のロッタは何か上機嫌で鼻歌が絶えなかった。


「ふむ、ここなら良かろう」

 街道から湖畔に沿って少し入った小道のほとりに馬車を停め、馬を休ませてから湖畔へと下りた。

 湖は大きく、湖面は凪いで鏡のようだった。

 ロッタは水際に立ち対岸に見える朽木などを眺めているようだった。そんなロッタを見るに一見すればただの娘である。見た目通りの年齢であれば特に大きな体躯でもなく平凡な娘にしか見えない。違うとすれば魔法遣いであるということだけ、弟子のオウカによれば『最高の』と形容されるほどの魔法遣いらしいがそれが弓使いとして役に立つこととは思えない。

「ロッタよ、ひとつ聞くんだが……」

「なんじゃ?」

「弓も矢も無いがどうするんだ?」

「それなら心配無用じゃ」

 心配無用と言われてもな……まあ魔法遣いがそういうなら魔法で解決するということか。

「そうか、では腕並拝見といこうか」

「うむ、対岸に朽木が三本立っておるじゃろう? その一番左の二股になっておる所を射抜いて見せよう」

「えらく遠いな、大丈夫か?」

「まあ見ておれ、じゃが儂も久々に射るでな、一発では当たらんかも知れんのう」

 俺も弓には一応の心得がある。魔法でインチキを働くなら見抜いてやろう、なんて思いながらロッタを見ていると、むっとした表情で俺を睨んだ。

 ロッタは左手を高々と掲げると、ポンッ! と間の抜けた音と共に肩幅ほどの小さな弓が空中に出現した。続いて右手を掲げると同じように間の抜けた音と共に短い矢が空中に出現する。

 そしてロッタはその子供が小枝で拵えた玩具のような弓と矢を(つが)えて的を狙う。

 ビヨ~ンと間の抜けた音と共に放たれた矢は僅かな距離を奔り湖面へと落ちるその瞬間、空中で止まり今度は凄まじい勢いで湖面すれすれを奔って二股を射抜いた。

 やれやれ、期待した俺が馬鹿だったか……

「おいおい、今のはちと……」

 ロッタは俺を制するように手の平を向けた。

「待て、今のは冗談じゃ」

「はあ? 冗談?」

「貴様がどうせ出来はすまいと高をくくって見ておったからわざとやって見せたのじゃ」

 鋭い奴だ、すっかり忘れてしまっていたがこいつはこういう奴だった。

「……うっ、…………すまんかった」

 ロッタはくすりと笑う。

「まあよい、これからが本番じゃ」

 ロッタは再び左手を掲げた。今度は間の抜けた音はなく、空中に紡ぎだされるように立派な弓が現れた。その形は俺の良く見慣れたものだ。

「……和弓か」

 和弓とはヒノモト式の弓のことで、馬上からでも射ることが出来るように弓の中心よりも下の方に()と呼ぶ握る部分がある。

 続けて右手を掲げると同じように立派な矢が現れる。

 ロッタは深呼吸をするとゆっくりと矢を番える。素人とは思えぬ美しい佇まいだ。

 弓を引き、弦が張る。機が熟すと矢は放たれる。

 鋭い音を引きながら矢は進み、見事に的を射抜いた。

 俺は思わず手を叩いた。

「すごいな、予想以上に凄い腕前だ」

 ロッタは得意そうに俺を見た。

「タケゾウよ、もうひとつ見せたい業がある」

「そうか、それは俺も見てみたい」

「うむ、ではあの朽木の少し右の砂地に一抱えほどの流木が横たわっておるじゃろう?」

「おお、あれか。見えるぞ」

「あの流木に五本の矢を同時に命中させてやろう」

「なに? 五本の矢を同時にだと?」

 ロッタは右手を掲げ矢を一本ずつ空中から取り出し、足元へ差して並べた。

 そして一本の矢を手に取り弓と番える。構えた弓をぐっと上へと向け放つ。続けざま矢を番え少しずつ下へと向けながら四本の矢を放つと最後の一本を水平に構え放つ。

 最後の矢は湖面すれすれを進み、流木に中る刹那四本の矢が次々と流木に降り注いだ。

「見事だ!」

 俺にはほかに言葉が無かった。それほど見事な腕前だった。もちろん魔法などでインチキした様子もない。正真正銘ロッタの弓の腕は本物だった。

「うまくいかなんだらどうするかと冷や冷やしたわい」

 ロッタは大きなため息を吐いた。

「なるほどな、曲射か。角度をかえて時間差をつけるんだな、見事だった」

 ロッタは満足そうだった。

「あまり褒めるなタケゾウよ、実はひとつ失敗したのじゃ」

「なに? あれで失敗だったのか?」

「うむ、実は久々で胸当てを付けるのを忘れておってな」

「……胸当て?」

「おかげで弦が乳の先を叩いてな、痛うて敵わん」

「乳の……? な、何を言うんだ? お前は!」

 ロッタはからからと笑った。

「意外とかわいい奴よの、タケゾウ」

 ちくしょう、どうやらからかわれてしまったようだ。



 ロッタの放った矢は木立の隙間を縫うように低空を滑りオオカミを貫いた。

 首を貫かれたオオカミは短い悲鳴と共に動かなくなった。

 オオカミといってもこの群れのオオカミは魔獣化したオオカミで、体は二回りほどでかくて凶暴だ。

 ロッタの話では魔獣には二種類いて、もともとただの獣であったものが人を襲い人を食って魔獣化したものと、もともと魔獣として生まれたものがいる。人を食って魔獣化したものの特徴として体の巨大化と体の表面に骨が鎧化した皮膚を有している。もともと野獣であった場合はまさに異形の獣だという。

 俺はロッタの援護を受けながら飛びかかってくる魔獣の首を一匹、また一匹と刎ねていく。俺が前の魔獣と対峙している時、背後から飛びかかるやつはロッタの矢が貫いていく。

 ロッタの弓矢の腕前は剣士である俺から見ても惚れ惚れとする腕前だ。放たれた矢は閃く、弓には不利ともいえる木立の隙間を縫うように曲射も厭わない。これほどの弓使いはなかなかお目にかかれない。

 連携して戦うのはこれで三回目だがすでに相棒といってもいいほどに俺はロッタの腕前を信頼していた。

 魔獣の群れは20……いや30はいるか、すでに7匹は片付けた。馬車は巨木に横付けしてあり背後の警戒はそれほど気にする必要はなかった。

 馬車から離れていたので俺はいったん馬車に戻る、馬を守らねばならんからな。

「ロッタよ! 後ろはどうだ」

「この程度、問題ありはせん」

 馬車に戻ると馬が怯えている。俺は鼻を撫でて落ち着かせてやる。

「よしよし、すまんな、すぐに追い払ってやるからな」

 灌木の陰に潜んで姿を見せない魔獣どもを警戒しているとロッタは次々と矢を放つ。ロッタが矢を放つ度に魔獣の悲鳴が響く。まったく、俺の出番はないな……

 群れの数が半分ほどに減っただろうか、ほどなく魔獣どもの気配が消えていった。

 オオカミの魔獣の気配は消えていったが、どうにも異様な気配が強い。

 俺は警戒を解くことはなく森の中に意識を集中する。

「ロッタよ! この気配を感じるか?」

「この気配は……もっと厄介なやつじゃな……」

 だろうな、こりゃあただ事じゃねえ、さっきのオオカミなんざ子犬みたいなもんだ。しかも気配は段々強くなってくる。馬が怯えて震え始めた。

「タケゾウよ! 左じゃ!」

 俺は左の木立を凝視した。これは…………!

「なんだよ、こりゃあ……」

 木立の中にカラスがいた。しかもデカい! 馬なんか丸呑みしてしまいそうなほどだ。

 いつからそこに居たのか地面に降り立ち、じっとこちらを見ている。

 今度は背後で枝々の折れる音が鳴り響き、木立の中をもう一羽の巨大なカラスが降り立った。口にはさっきのオオカミが咥えられている。

 咥えたオオカミを丸呑みするとこのカラスもこちらをじっと見た。

 こいつはやべえぞ、なんてデカさだ。

 突然、カラスが鳴いた。でかいだけに声もデカい。

 二羽のカラスは会話をするように鳴いた後、黒い羽毛が渦を巻くように体がほつれて消えていった。

 消えたかと思えば今度は黒い羽毛が渦を巻き、地面に少女のシルエットを浮かばせる。シルエットはゆっくりと実像に変わっていき、二人の若い女が現れた。

 二人は肌の露出が多い白い装束を身に纏っている。カラスが姿を変えたものとは思えぬ美しい二人だった。

「あなたが紅の大魔導士、紅き静寂の賢者、ローテアウゼンかしら?」

 ロッタにはいくつも二つ名があるらしい。ロッタは二人を交互に見た後で答えた。

「貴様らは……漆黒の(レーヴェンシュワルツ)姉妹(シュバイセン)か?」

「あら素敵、わたし達のことを知っているなんて光栄だわ」

「時々遠くからこちらを観察するような視線を感じておったがカラスじゃったか」

「時々? うふふ、時々ですって? 常に、の間違いではありませんこと? 魔法遣いも500年以上生きてると耄碌(もうろく)するのかしら」

 口を隠し高笑いをしてみせる。

「いいえ、時々で正解よ、妹よ」

「へ?」

「さすがはローテアウゼンだわ、わたしが時々目を光らせていたと気付くなんて」

「ちょっと姉様? どういうことかしら?」

「言葉のままだわ、妹よ」

「わたくし、目を離さないでって言いましたわよね?」

「そう聞いたわ、妹よ」

「だったらどうして目を離したりしたんですの?」

「だってお腹が空くじゃない? 妹よ」

「はあ?」

「お腹が空いていては集中力も途切れてしまうし見張っていたとしても肝心なことを見逃してしまうかもしれないじゃない? 妹よ」

「姉様、ちょっとくらい我慢できませんの?」

「それは無理よ、妹よ。わたし、お腹が空いたままだと死んでしまうわ」

「一日や二日食べなくても死にやしませんわ!」

「一日何も食べるなだなんて言われたらわたし、ちょっと口を聞きたくなくなるくらい気分が悪いわ、妹よ」

 突然現れたと思ったら、俺たちを挟んで口論を始めやがった。何なんだ? こいつら……

 そういえばロッタはこいつらを知っているようだったな。

「ロッタよ、あいつらはなんだ?」

「魔獣じゃ」

「人間の姿をしているが?」

「見たであろう、あのデカいカラスが本当の姿じゃ。妹のほうが名をラーク、姉のほうがクラヴィアという」

「するとあれか? こいつらも人を……」

「ああそうじゃ、それも何人も……たくさん食っておる」

 詳しい理屈は分からんが大体察しがつく。たくさん食ってればそれだけ大量の魔力を吸収してやばいヤツになってるってことだ。


「おい! お前ら痴話喧嘩もいいが何か用か?」

 二人は言い合いを止めてタケゾウを睨んだ。

「あなたこそ何? 今大事な話なんですのよ」

「そうよあなた、わたしが空腹のままでも構わないと言うの? いっそあなたを食ってやろうかしら」

「……ほう? じゃあやっぱり俺たちに用があるってことだな?」

「なにを言っているのかしら、あなた。人間になんて興味が無いのよ」

「そうですわ、わたし達が用があるのはローテアウゼンだけよ、魔法使いは……美味しいからね」

「そうかよ、そりゃあ聞き捨てならねえ…………なっ!」

 俺は正面にいる妹ラークのほうを目掛け一気に間合いを詰める。抜刀し、その首を狙って切っ先で薙ぎ払う。

「……!」

 切っ先はたしかに首をとらえたというのに手応えがない。

 見れば地面に転がっているはずの首は確かに肩の上に乗っかったままでこちらを睨んでいる。その体は解けるように黒い羽毛へと変わり渦を巻いた。そして少し離れた場所で再び巨大なカラスの姿へと変わった。

「あなた、妹を、よくも妹を躊躇もなく斬ろうとしたわね? わたし、もうあなたを許さないわ。あなたたち二人とも、絶対にわたしが食ってやるわ」

 姉のクラヴィアも巨大なカラスに姿を変え、二羽のカラスは会話を交わすように何度か鳴くと同時に飛び立った。

 タケゾウとロッタの上空を旋回しながら何度か鳴くと飛び去っていった。

「……行ったか」

 俺は剣を収めた。

 見るとロッタは少し嬉しそうな顔をして俺を見ている。何故かは分からんがそれはとりあえず置いておいてロッタには今言っておかないといけないことがある。

「ロッタよ」

「お? なんじゃ?」

「ロッタには謝らねばいかん、俺はロッタの護衛を舐めていた」

 ロッタは首を傾げた。

「そうか? よくやってくれていると思うたが……」

「否、野盗や魔獣も小物ならば楽勝だと高をくくっていた。すまぬ……まさかあのような知性まで持つような大物の魔獣がロッタの命を狙ってこようとは夢にも思わんかった」

 ロッタは少し考えてから答える。

「……そうじゃな、儂も少し驚いておるのじゃ。あやつらはどうも儂が街から出るのを見張っておったような気がするのじゃ、とするとあやつらがたまたま見つけた魔法使いを取って食おうというのではなくその後ろに何かが居るような……」

「心当たりはあるのか?」

 ロッタは黙っているが何かを呟くように口を動かして記憶をたどっているようだった。

「はっきりとは言えぬ……しかしあるといえばあるし無いといえば無い」

「……そうか」

 街でのロッタは、少なくとも俺の目からは皆から好意的に見られているようだった。それは街のために色々と骨を折ってきたのだろうことが分かる。であるならば、あるいは他の街の民から見るとどうだろうか?

 あの魔法使いさえいなければ、あの魔法使いのせいで……などと思う奴がいてもおかしくはないだろう。

 いずれにせよあの二匹の巨大カラスを使って、ロッタの命を狙う奴がいるかもしれないということだ。

「まあ、あのカラスとはどこかで戦うことになるだろう。いろいろと対策を考えんといかんな」

「うむ、じゃがひとまずはここを移動したほうが良かろう。あのオオカミどもが戻ってこんとも限らんからな」

「……賛成だ」

 俺達は馬車の支度をして早々に移動を始めた。

 森を進み木立がまばらになった辺りに川へと流れ込む小川の谷が深くなった場所を見つけたので、ここを今日の野営地とした。

 薪を集め焚き火を起こす。火打ち石など持ち合わせは無かったがロッタが魔法で火を付けてくれたので随分と楽ができた。

 カラスの襲来には谷へ逃げ込むことで戦いやすくはなる。オオカミに対しても谷を背にすれば正面だけを警戒すればいいので守りやすい場所だ。

 さらにロッタが魔獣の魔力に反応する札をこしらえてくれたのでこれを周囲の目立たない場所に張り巡らせてあるので接近すればすぐに対応が出来る。

 これでひとまずは休むことが出来る。

 一晩火を絶やすわけにはいかないので俺はもう少し薪になるような枝や風倒木を探してきた。馬車に戻るとロッタが焚き火の傍で鍋の中身をかき混ぜていた。

「薪を調達してきたぞ、これだけあれば朝まで十分だろう」

「おお、ご苦労じゃったのう、もう出来るでな、そこに座るがいい」

 ロッタは鍋の中身をかき混ぜていた木の匙で俺の座る場所を示す。

 焚き火のほとりに腰を下ろすとロッタの横顔がゆらめく炎に照らされているのが見えた。鍋を覗き込み中身の様子を窺っている。

「干し肉を湯がいただけでは味気ないからのう、儂の造った干し味噌を少し入れてそこらで生えておった菊菜を入れてみたぞ……ふむ、もういいじゃろう」

 ロッタは少し匙ですくって味見をすると、味付けに満足したのか一人頷くと椀によそって渡してくれた。

「どうした? 早う受け取らんか」

「お、おお、では頂こう」

 俺としたことがロッタの横顔に見とれてしまっていた。

「そんなに過敏にならずとも何かが近付けば札の陣が作動するから準備の時間はある、今は鋭気を養う時じゃ」

 そう言うとロッタは自分の分を椀によそい始めた。

 俺はロッタの横顔から目を離すことが出来ず、我知らずずっと見つめていた。

「どうした? 早う食わんか」

「……ん? あ、ああ、そうだな。では頂くか」

 ロッタの作った干し肉汁はほんのりと味噌がきき、菊菜の苦みが干し肉の旨味を引き立て質素な汁ではあるが美味かった。

 おかわりも頂き人心地つくと俺は大きくため息をついた。

「なんじゃ、そのため息は……」

 ロッタは少し笑った。

「いや、汁が美味くてな……つい」

「そうか? もう少し足りんかったかのう……」

「いやいや、十分だった。もう満腹だ」

 ロッタは穏やかに微笑む。

「ならば少し眠っておくといい、儂は片付けをしておくでな」

「片付けなら俺も手伝おう、それよりも俺はロッタに聞きたいことがある」

「んん? なんじゃ、えらく前のめりになっておるが……」

 そうだ、これからあのカラス達と戦わねばならんからな。

「オウカから聞いた話ではロッタは封印のせいでまるで力を発揮することができない、とのことだったが……」

 ロッタは片付けの手を止めて空を仰いだ。

「そうじゃな……少し、否……色々と話しておかねばならんことがあるのう、何から話せばよいか……何か聞きたいことがあるか?」

「そうだな、まずはロッタの体のことだ」

「なっ! 儂のっ……カラダじゃと!?」

 ロッタは自分の肩を抱き、俺に背中を向けた。

「はぁ? いや、ちちち……違うぞっ、そういう意味ではない、断じてない!」

 ロッタはからからと笑った。

「冗談じゃ」

 くそっ、またからかわれたようだ。これもいずれはやり返せるようにならんとな。

 こういう時に冗談の言える肝の太さは見習うべきところかも知れんがな。

「で、儂の体について何を聞きたいのじゃ?」

 俺は菊菜の茎を束ねて鍋を擦りながら答える。

「まずは、そうだなロッタの封印について聞きたい。何がどう制限されているのか俺にはいまいちピンと来ない」

 ロッタは布きれで椀を拭きながら少し考えるような仕草を見せる。

「タケゾウは魔法使いについて何か知っておることはあるのか?」

「ヒノモトにも魔法使いはいたがあまり関わることは無かったからな、知識としてはほとんどない」

「そうか、では封印について知るためにはまず魔法使いがどういうものか知る必要があるのう」

 ロッタは器の入った籠に椀をしまった。

「儂ら魔法使いは何も無いところから魔法を生み出すのではない、魔力を依代(よりしろ)として万物の(ことわり)に働きかけるのじゃ。魔力とは概念のようなもので魔法を行使する力の源を便宜上、魔力というのだ」

「つまり何かの力を借りて魔法は行使される、というわけか」

「そうじゃ、この世界には様々な力が溢れておる、例えるなら風は湖の水面を揺らし、草を薙ぎ、木の葉を舞い散らし、空では雲を流す。そうした力を少しづつ集めると莫大な量になる。これらは動く力じゃが他にも熱や抵抗、生き物の命なども魔力の源となる」

「すると魔法使いはそういう自然にある色んな力を取込んでいるわけだな、どの位の範囲が対象になるんだ?」

「それはの、広い者もいれば狭い者もいるのじゃ。魔法使い個人の才覚次第で見える範囲程度の者もいれば果てしなく広い者もいる」

「果てしなく、とはまた想像しがたいが……」

 ロッタは猫のように伸びをして俺のほうを向いた。揺れる炎を浴びながら少し笑った。

「具体的にはその魔法使いがこの世界をどこまで感じとることが出来るか、じゃな」

「ではロッタはどうなんだ?」

「儂か?」

 ロッタは二度三度頭を揺らしながら空を見上げた。

「こうして目を閉じて周囲に感覚を奔らせるとこの世界に溢れる力を感じる、タケゾウの温かさも……」

「俺の?」

 ロッタは少し慌てた様子で続けた。

「空に向かい手を伸ばせば雲が幾重にも重なっておる、さらにその上には暗く冷たい世界が広がる。ここには無限ともいえる力が溢れておる。もっともっと、ずっと遠くに手を伸ばすとマルスが、ユピテルに手をかけるとサタンがこちらを見ておる。サタンの向こうには海王が、さらには冥王が控えておる……」

 ロッタはゆっくりと目を開けて俺を見た。

「こ……この空の彼方のことを言っていたのか……?」

 ロッタは黙って頷いた。

「この星々の世界すらロッタの掌中にあるというのか……」

 ロッタはくすくすと笑う。

「そこまでではない、むしろ儂には手の届かぬ世界じゃとはっきり分かる。そういった世界に触れることが出来たから……それ故に、儂のような者でも謙虚になれたのじゃ」

 俺にはさっぱり分からないが、この星空の世界、ロッタが触れたのはほんの一部でしかなくまだまだうんと広く……とにかく俺には理解の及ばない話だった。

「個人の才覚によるという話だったが、その……一般的にはどの程度なんだ?」

「そうじゃな……広くてもせいぜいが地平程度までじゃろうな」

 なんという事か、魔力の源を空の彼方に求めることが出来るロッタはそこらの魔法使いとは比較にすらならんということか。

「魔法の強さとは簡単に言えば魔力をいかに大量に取り込んで、同時に大量に放出できるかじゃ。儂の封印はここを小さく制限しておるでな、強力な魔法を行使しようとすると魔力の供給が間に合わん」

「それはつまり、放出する量だけの話ではなく取り込む量も、というわけだな?」

「そうじゃ」

「分かった、とりあえず今のところはそれで充分だ。これ以上聞くと俺の頭が破裂しそうだ、また追々聞かせてもらう」

 ロッタはくすりと笑った。

「では他に聞きたいことはあるか?」

「弓のことだが……あれは魔法でこしらえたもののように見えるが、あれを使うことで魔力の循環に負担はかかるのか?」

「あの弓はな……分解して儂の中に格納してあるものを展開しておるのじゃが、ごく僅かな魔力があれば展開出来る。弓を番うのには魔力はいらんからな負担はないといっていい」

「それを聞けて安心だ。ロッタの腕前には頼らせてもらわんといかんからな」

 ロッタは少し照れ臭そうに頬に指をあてる。

「それからもうひとつ聞きたい」

「なんでも聞くがいい」

「ロッタはブルーノで五百年以上暮らしてきたと言ったが、魔法使いとは皆そんなに長命なものなのか?」

「いや、魔法使いも人の子じゃ。寿命に違いはない」

 ならばロッタの寿命が異常だということか、五百年を過ぎてまだ娘のような姿のままとは……

「儂はの……命を長らえる為に、この体に魔法をかけたのじゃ」

「それは……不老不死とかの類なのか?」

「違う。この身の老化を遅らせておるだけじゃ、死なないわけではない」

「いったい……なんのためなんだ?」

「……約束を果たすために、儂はその時まで命を長らえねばならぬ……」

「それは……いつまで……」

 ロッタは答えなかった……否、答えようとしていることは分かる。言葉を選んでいるのか、あるいは答えることが、何か辛い思い出と結びついているのか……

「いつまでかは分からぬ……ただその時が来るまでは……」

 どうしたのだろうか、ロッタがこれほど脆く儚く見えてしまうとは……

 俺はこの時、ロッタを守らねばならぬ、そう強く思った。

 あれから二日が過ぎたがカラスどもは姿を見せていない。見られているような殺気を感じることもなく、ロッタに訊いてみてもやはり視線を感じることはないようだった。

 進む馬車の周りには田苑が広がり、集落か村が近いようだった。

 畑で作業をする農夫たちの姿もちらほらと見える。少し進んだところで道は二手に分かれており左手に進むとドマソフという村に入るようだった。

 俺は馬車を村へと進めた。

「なんじゃ、村に寄るのか」

「ああ、少し買い物をしておきたい」

「ふむ……まあ今のうちなら大丈夫じゃろう」

「今なら襲ってくる気配もないしな」

 ロッタは今も奴らの視線を感じてはいないようだ。


 村は意外と簡素な柵で囲われただけだが魔獣除けの結界は厳重に張られていた。

 門をくぐるとよそ者が珍しいのか通りを歩く村人からは好奇の視線を浴びた。路上で農具の手入れをしていた農夫が話しかけてきた。

「おたくらは今夜はこの村で泊まるのか?」

「いや、買い物をしたいんだが、それと出来れば食事もしたい」

「そうかい、だが食事は出来んかもしれんな」

「この村に食事を出す店はないのか?」

「いや、一軒だけあるんだが今朝やってきた姉ちゃんがやたら大食いでな、まあこの先にあるから行くだけ行ってみたらいい」

 大食いの女が来たからといって店中の食い物を食べ尽くすほどは食わんだろう。

「ありがとう、ついでに鍛冶屋か武器屋の場所を教えてもらえないだろうか」

「食堂まで行けば見えるところにあるよ」

「そうか、ありがとう」

 馬車を進めると村の中央部に大きな広場があり、ぐるりと囲むように露天商が並んでいた。

 村の規模からすると意外と広く、設備も良い。大きな馬用の水桶も置いてあったので馬車を停めておくとにした。

「どうする、先に飯にするか」

「そうじゃな、買い物が後からでも良いなら儂はどちらでも構わん」

「よし、では飯屋へ行こう」

 さっきの農夫の話では一軒だけあると言っていたが、見渡すとそれらしき露店を見つけた。テーブル席が通りに五つほど並べられている。そのうちの一つには人だかりが出来ている。

 人だかりの近くで食事をするのは御免なので離れた席に着こうとした時、ちらとだけ人だかりの中に座る人影が見えた。

 肌の露出が多い白い装束、俺はすぐに思い当たる。人だかりを押し退け、奴の背後に立った。

「おい、貴様こんなところで何してやがる」

 やつは興味なさそうにちらとだけ見ると料理に匙を突っ込み、口へと運ぼうとした瞬間固まるように動作が止まり、物凄い勢いで俺の方に振り向いた。

 やつの表情は見る見る変わり、思い切り口の中の物を吹き出しやがった。

「てんめえ、何しやがる」

 咳込んでいたやつが俺を見た。

「あなたこそ突然何よ、わたし、ちょっと驚いて全部吹き出してしまったじゃないの。ゴホゴホ」

「待ち伏せてやがったか、すぐに何も呑み込めなくしてやる」

 俺は刀に手をかけた。するとロッタの手が俺を制するように重ねられた。ロッタを見ると首を横に振った。

「ここではいかん」

 俺は思わず舌を打ってしまう。確かに今ここでこいつの首を刎ねても俺はただの人殺しだ。

「兄ちゃん、この姉ちゃんの知り合いか?」

 飯屋の店主が俺に手ぬぐいを渡してくれた。俺は顔と、着ているものをそれで拭った。

「いや、そういうわけで……」

 言い終わらないうちに店主は俺の肩をつかんでやつの正面に座らせた。

「おい、やめろ」

 俺は立とうとしたがまたすぐに座らされてしまう。そして目の前に皿が置かれた。

「さあ! この兄ちゃんと姉ちゃんの対決だ!」

 なんだなんだ? 対決ってなんだ?

「なによあなた、挑戦するつもりなの? いいわ、わたし受けて立つわ」

 店主が俺に耳打ちする。

「兄ちゃん、合図があったら皿のパンを思い切ってかきこめ。姉ちゃんより先に食い切ったら勝ちだ」

 要は早食い競争か、俺の頭ほどもあるデカいパンだ。奴を見ると妙にやる気を出してやがる。仕方ない、ここはやってやろうじゃないか。

「ようし、用意はいいか?」

 店主が大声で用意を促す。

「いいぞ」

「いつでもいいわ」

「それじゃあ位置に着いてぇ……始めっ!」

 俺はパンを掴んでかぶりついた。固くてパサパサのパンだ、思うように頬張れない。奴は……なんとボリボリと小さく噛みちぎりながら飲み込んでいってる。

 そうか、やたらと大きく口に含むよりは飲み込める程度ずつ噛みちぎったほうが早いか。

「おおっと、兄ちゃんが作戦変更か? ちょっと負けてるぞ、がんばれよ」

 くそっ、口が渇く、水が欲しい。奴は淡々と食ってやがる。俺は無理やりにも飲み込んでそして無理矢理頬張るを繰り返した。

 勝負は接戦だったが俺が最後の一口を頬張ろうとしたとき店主の声が聞こえた。

「姉ちゃんが完食だ! 姉ちゃんの勝利!」

 最初に躊躇しなければ勝てていたはずだが今さら悔いたところで勝負は覆ることはないだろう、やれやれだ。

 俺は店主から渡された水を飲みながら残りのパンを飲み込んだ。

「ふぁららふぉふぉぶ……ぶ……ぼふぉ」

 あ? なんだ?

「姉ちゃん、口の中のもの飲み込んでから喋んなよ」

 店主はやつにも水を渡した。

 奴は水を受け取り口の中の物を流し込むように飲み込むと再び口を開いた。

「わたしの勝ちではあったけれど、本当は圧倒的な差で勝ってあなたを見下してやるつもりだったのに、わたし、おかげでわたしのプライドはズタズタだわ」

「そうかよ、そいつは悪かったな」

「もう一度勝負するならその時は……」

 やつが言いかけたのを店主の声がさえぎった。

「ああ、すまねえが今のパンで全部売り切れだ。今から明日の仕込みをやらねえと明日売るものもありゃしねえ……で、お代はどちらに請求したらよろしいんで?」

 やつは黙って俺を見た。

 店主は俺と奴の顔を何度も交互に見ている。

「ええと、お代は……?」

「お前、なんで俺を見てんだよ? ……まさかお前?」

「お金なんて持ってるわけがないじゃない、わたしを誰だと思っているのかしら」

「……なっ! お前……!」

「ちょちょちょちょっ! 勘弁してくださいよ、お代を頂かなきゃうちも商売なんだから!」

 ロッタが後ろから俺を小突いた。

「タケゾウ、払うてやらんか」

「本気か?」

「仕方なかろう、幸いにして金なら余るほどあるのじゃ」

 ロッタがそう言うのなら俺も溜飲を下げるしかない。

「店主よ、俺が払おう。いくら払えばいいんだ?」

 店主の不安気だった顔が明るくなった。

「へい、銀貨三枚と三十クラウンになります、兄ちゃんのパンは俺のおごりだ」

「……なっ! 銀貨三枚と三十クラウン? こいつ一人でそんなに食ったのか?」

「そらもう、うちの一日分の仕込みを全部たいらげたからよ」

 俺は懐から巾着を取り出し店主に代金を支払った。奴を見れば元は大カラスとはいえ今の見た目は若い娘そのものだ。どこに食ったものが入るんだ?

 代金を受け取った店主は上機嫌で店の奥へと入っていった。これから明日の分の仕込みで忙しいのだそうだ。


「じゃあ勝負はまたの機会に持ち越しよ、その時はわたし、あなたを完膚なきまでに叩き潰してやるわ」

 ああ? おかしなことを言うやつだ。

「またの機会なんてあるのかよ? お前、ロッタを狙っているんじゃなかったか?」

 やつはかすかに驚いた顔をした。

「……そうね、そうだったわ。次に会う時はあなた達の最期になるわね」

 どうにも何と言ってよいか分からないが違和感を感じた。俺たちを、ロッタを食い殺すと言っていたのを忘れたのか。

「お前、どうしてもロッタを襲うつもりか? このまま何もしないなら俺たちもこのまま通り過ぎるだけだ」

 やつは何も答えなかった。

「そうじゃ。貴様らが儂を襲わねばならぬ理由はなんじゃ? 誰かに雇われたか?」

 ロッタの問いに目を逸らし俯いた。そして呟くように答える。

「……そんなの言えるわけがないじゃない……わたし……」

 奴は思い立ったように俺を見た。

「そこのあなた、名はなんというのかしら」

「タケゾウだ」

「そう……楽しかったわ、わたし、人間に遊んでもらったことなんてなかったから……」

「遊んで……?」

 遊んでやった覚えなどないが……今の早食い競争のことだろうか?

「それから……このことは妹には内緒よ? あの子……うるさいから」

 そういえばそんなことで痴話げんかしてやがったな。

 奴の顔つきが変わった。森で会ったあの魔獣の顔だ。思わず俺は刀に手をかける。

「我が名はクラヴィア、漆黒の(レーヴェンシュワルツ)姉妹(シュバイセン)が一人。カイザーのしもべ。グルーバ渓谷で待ってるわ」

 奴の体は解けるように漆黒の羽毛へと変わり大きな渦をつくった。羽毛はそのまま高く登り大ガラスの姿へと変わった。

 奴は羽ばたき、西の空へと消えていった。

 奴の姿はもう見えなくなった西の空を見ているとロッタが俺の袖をつまんだ。

「タケゾウよ、お腹すいた……」

「んん? あっ! ああ、すまんな俺だけ腹いっぱいになってしまったな……そうか……ああ、どうしたものかな……店主に無理を言って何か作ってもらうしかないか……」

 ロッタはくすくすと笑いだした。

「冗談じゃ、食べ物くらい馬車にあるもので何とかするわ。それよりも……じゃ」

 まったくもってロッタの肝の太さには恐れ入る。

「奴の意外な行動に面食らっておるな? タケゾウよ」

「ん? ああ、そうだな何でもないといえば噓になるか」

「そういう時はの、こう言うのじゃ」

 ロッタは俺の顔を見てにやりと笑って見せる。

「……面白くなってきやがった……じゃ」

 俺は思わず吹き出した。そいつはいい。

「いいな、それは。面白くなってきやがった。そうだなたしかに、面白くなってきやがった」

 俺とロッタは互いに笑った。

 そして俺は改めてロッタを守ることを一人誓った。

 渓谷はこの旅での最初の難関となる峠越えの途中にある。ロッタによれば迂回する道もあるとのことだ。

 地図で確認してみても確かに迂回する道は存在するがかなりの大回りとなる上にここで大カラスとの対決を避けたとしてもいずれどこかでまた相対することとなるであろうことは明白である。ならばここで迂回するよりは勝負を挑む方がいいだろうということでロッタとも合意した。

 俺たちは今、渓谷を目指している。

 村では矢をたくさん購入してきた。村で売っていた矢は正直なところ狩猟で使う程度ならば十分だがロッタの腕前を存分に活かすには精度が低く遠距離での命中精度という面では今一つだった。

 しかし当面は制度が必要な時にはロッタの魔法によって紡がれる矢を使うことにして購入した矢を主に使うことにした。

 幸いにして今回の相手は大カラスだ、的が大きいことで精度の低さは我慢できる。

 戦うための用意は万全とはいかないが出来ることはやった。

 そして村で会った大カラスの片割れ、クラヴィアから僅かに情報が得られた。まず魔獣の中には人間の中に紛れても判別できないほどの容姿を持つ者がいることと怪しまれずに行動できるだけの知性があることが分かった。

 そして重要なことは奴は自らを『カイザーのしもべ』と言った。それ以上は言及しなかったが何者かに大カラスは従っていることが推測できる。

 ロッタにはカイザーと呼ばれるものについて心当たりはないと言うので詮索はひとまず後回しだ。

 もうすぐ馬車は渓谷に出る。いよいよ対決が迫ると思うと我知らず口をついてしまった言葉がこれだ。

「面白くなってきやがった」

 俺の隣に座っているロッタに聞こえてしまったのか俺の顔を見ると、ふっと笑った。


 木立を抜けると渓谷が見えた。少し前まで道のすぐ横を流れていた川が遥か下方に見える深い谷になった。

 辺りを見回すがカラスの姿は見えない、しかし殺気に満ちた視線は強く感じる。

 俺は馬車を停めて手綱を解き、馬を馬車から解放してから尻を叩き森へと逃がした。

 対岸の崖の上にある木立が激しく揺れる。木立の切れ間から大カラスの頭が二つ現れた。

 カラスはタケゾウたちを見ると大きな声で鳴いた。

「タケゾウ! いくぞ」

 ロッタは矢の詰まった矢筒を担いで木立の奥へと走った。

「おう!」

 俺は抜刀し、木立を抜けた開けた道の上に走る。

 カラスどもは谷へ飛び込むように木立から抜けると、羽ばたき空へと舞い上がる。空で反転し一羽が俺に向かって羽を振るった。

 無数の羽が手裏剣のように飛んでくるのが見えた。

 避けきれねえ、足元にきたやつは低く跳んでかわし上にきたやつは剣で弾く。

 今度は空中からこちらに突進してくる、俺は足を止めて剣を構える。

 ギリギリを掠めて爪で攻撃してくるが、横へ飛び退いてかわした。

 次の瞬間、俺は後ろから突き飛ばされた。

「うぐっ」

 振り返ると大カラスが降り立っている。カラスは爪を上げて振り下ろす、俺は地面を転がり爪を避けると立ち上がり剣を構える。カラスは何度も爪の攻撃を繰り出してきた。

 剣で弾きながら爪をかわし、足を斬ろうと剣を振るうと(くちばし)ではじかれた。

 このやろう、デカいくせに動きが軽快で早い。なかなかに手強いやつだ。

 一旦距離を取ると、俺の後ろにももう一匹降り立った。

 こいつはやばいな。

 二匹は同時にかかってきた、今度は嘴で俺を突いてくる。剣では捌ききれず俺は地面を転がりながら攻撃をかわす。二匹の嘴は次々と俺を襲う。

 突然に俺の後ろにいた大カラスが悲鳴のような鳴き声をあげた。見ると肩のあたりに矢が刺さっている。ロッタの放った矢だ。

 ロッタが援護を始めてくれたなら、そろそろ反撃といくか。

 俺は大カラスに挟まれ対峙している。しかし俺の背中はロッタに預けることが出来る、反撃させていただくとしよう。

 後ろのやつはロッタの矢を警戒して木立の奥に気を取られている。正面からの爪を剣で弾き、返す刃で胸を狙って凪ぎ払う。羽毛が固く致命の一撃とはならないが怯ませることは出来た。

 すかさず振り返り、後ろのカラスの首を狙い突きを放つ。ロッタに気を取られ回避の遅れた奴の固い羽毛の隙間をくぐり切っ先は奴の首を穿つ。

「ちっ、浅いか」

 浅かった、しかし奴はよろめきながら後ずさる。手ごたえありだ。

 二羽のカラスは俺の間合いから距離を取り俺を睨みつける。

「仕切り直しってわけか……お前らの見分けがついてきたぞ、正面が腹ペコの姉ちゃんで後ろが高飛車の妹だろ? 名前がなんだっけな、姉ちゃんがクラヴィアで妹のほうが……ええと、なんだっけな」

 やべえな、思い出せない。どうにも異国の名は覚えづらい。

 やつら返事をしないんで当たってるのか違ってるのかはっきりしないが、剣を交えてみて俺の勘が正面の奴があの村で会ったクラヴィアだと感じた。消去法で後ろの奴が妹のほうってことだ。

 そんなことはともかく二匹で俺を挟み撃ちにしながら距離を取ったということは何らかの不利を感じているということだ、つまりはここで俺は退いてはならない。

 俺は剣を構え、クラヴィア目掛け一気に距離を詰める。振り下ろされる爪を剣で弾き胸元に突きを繰り出す。切っ先が貫く刹那、やつは羽ばたき後ろへ飛び退いた。またもや浅かった。

 すぐさま刃を返し再び胸元を狙い下から斬り上げるが、固い羽毛に引っ掛かり傷を与えることは出来なかった。

 ならばもう一度突きで首を狙うか、剣を手元に引き寄せる刹那、左脇腹に衝撃が奔った。

 蹴りを食らった俺は吹っ飛び地面へと叩きつけられる。

「ぐはあぁっ」

 土ぼこりを吸い込み咳込んだ。

 でかいだけあって力もある、あばらが何本か折れたようだ。急いで立ち上がろうとした時背後に殺気を感じ振り向くと、妹カラスの嘴が迫っていた。

 やばい、間に合わねえ。

 嘴は、俺の胸を貫く前に悲鳴を喚きたてた。

 奴の首から肩にかけて立て続けに三本の矢が命中した。ロッタの援護だ、なんと頼もしいことか。

 俺は立ち上がり、妹の首目掛けて剣を突いたが後ろから蹴り倒されて再び地面に叩きつけられる。

 畜生、ロッタの援護があるとはいえ一度に前後の大カラスを相手にするのは骨が折れる。とはいえ俺も少し頭を冷やせねばならんようだ。こんな修羅場はヒノモトで何度も経験している。

 俺は体を起こし、深く呼吸をしてクラヴィアを見る。頭を下げ、威嚇するように俺を睨んでいる。おお、怖え。

 次に妹のほうを見る、矢を何本も食らってかなりイラついているようだ、今にも俺を食ってやろうという気迫を感じる、こいつも怖え。……ああ、そうだ、思い出した、こいつの名はラークだ。

「思い出した、お前の名はラークだ」

 俺は妹を指差して言った。すると奴は俺に向かって大きく鳴いた。

 何を喚いてるのか分からねえが、だいたい想像は出来る。恐らくこうだ。

「わたしの名を忘れるとはいい度胸ですこと」

 俺は思わず笑いがこみ上げる。やれやれ、気付かないうちに随分堕落してしまったようだな。

 俺は立ち位置を少し変えた。前後ではなく大カラスを左右に対峙出来るように向き直り、剣は一本しかないが仮想の剣を左手に持ち、二刀流の心構えで臨む。

「さあ、面白くなってきやがった……」

 右手にはクラヴィア、左手にはラークが見える。ラークの方はロッタが放つ矢を気にしているようで俺との間合いがやや離れ気味となっている。片方だけを狙うロッタは利口だ。

 俺はひとまずラークに一太刀を浴びせる、浅いが不意をつく形となり怯ませることができた。追撃はせず次の太刀はクラヴィアを狙う、首から肩にかけ袈裟に斬り胸を横一文字に斬る。

 すぐさまラークの反撃を受けるが半歩退くだけで交わす。すぐにロッタの放つ矢が首に二本立て続けに当たる。

 クラヴィアからは爪の連撃で襲われるがこれも剣で捌き、隙をついて一文字に斬りつける。

 固い羽毛に阻まれ致命の一撃をくらわすことは出来ないが、これだけ斬りつけていればかなり効いているはずだ、おまけにラークにはロッタの矢がかなり当たっている。

 クラヴィアにはさらに追撃に出る、首を突き、よろめきざまに繰り出した蹴りをかわすと首めがけ薙ぎ払う。しかしこれは嘴で叩き落された。

「いってえ……なかなかやるじゃねえか腹ペコの姉ちゃん」

 大カラスの体は解け、黒い羽毛の渦へと変わる。渦が消えると人の姿へと変わったクラヴィアが立っていた。

 純白の装束は血に染まりタケゾウから受けた傷は生々しく肌に刻まれていた。

「なかなかやるですって? この通り、随分傷めつけられてしまってるのよ、わたし」

 でかいから効いてないように感じてたが思いのほか……だったようだな。

「姉さま! 時間稼いでちょうだい!」

 人の姿となったラークが木立の奥に走っていくのが見えた。両腕には大きな鉤爪のついた手甲が装着されている。

「待てっ! きさまっ!」

 俺はラークを追おうとするがクラヴィアに呼び止められる。

「タケゾウ、待ちなさい。あなたの相手はこのわたしなのよ」

 クラヴィアが俺の名を呼んだことが意外であったがラークはロッタを直接狙ったに違いなかった。相手をしている暇はない。クラヴィアの両腕にも手甲鉤が装着されていた。

 俺はクラヴィアに斬りかかる。

 クラヴィアは手甲鉤で剣を受ける、それから互いに斬撃の応酬となった。人の姿となったクラヴィアの素早さはさらに早く感じるが、人の姿となると俺にとってはやりやすい。機会を合わせてクラヴィアの両腕を手甲鉤ごと剣で跳ね上げ、刃を返して峰で脇腹を思い切り打ち付け、屈みこんで無防備にさらされた首を峰で思い切り打ち付けるとクラヴィアはそのまま倒れた。

「くそっ、待ってろよ、ロッタ!」

 俺はラークの後を追った。

 木立の中は視界が効かない、耳を澄ますとかすかに藪をかき分ける音がする。とにかく音を追って俺は走る。

 ロッタは利口だ。ラークの奴にやすやすと見つかったりはしないだろう。

 しかしは時は一刻を争うことに違いは無い。俺はラークの気配を追い、走った。

 すぐにラークを見つけることが出来た。

 雑木の小高い枝の上に乗っている。

 俺が声を上げようとした時、ラークの肩に矢が当たるのが見えた。

 ラークは矢を引き抜き、枝から飛び降りた。

「まずい!」

 俺は奴の飛び降りた先に急いだ。


 ラークはロッタの目の前に降り立った。

 近すぎて弓で矢を放つことはもう出来ない。あの鈎爪をどうにか防ぐしかない。ロッタは弓を両手で持ちじりじりと後ずさり斬撃に備える。

 ロッタの耳に藪の中を駆ける足音が聞こえた。直後、タケゾウが叫び声とともに飛び込んできた。


「ロッタ!」

 俺はラーク目掛け剣を思い切り振り下ろす。

 間に合ったか?

 ラークに向かい立て続けに斬撃を浴びせる。奴は手甲鉤で斬撃を受けながら退いていく。

 奴がいくらか退いたところで俺は打ち込むのを止めた。

「ロッタ、大丈夫か?」

「儂なら無事じゃ、あやうく切り刻まれる寸前ではあったがの」

「すまん、だがもう大丈夫だ、俺の後ろにいろ!」

 ロッタの無事を確認できて安心だ。ラークを見るとこいつも装束が血に染まっている。クラヴィア以上に深手のようだ。

「ちょっとあなた、姉様はどうしたのかしら」

「さあな、俺を倒した後で確認すればいい」

 奴の表情が険しくなった。

 俺は間髪いれず一気に踏み込み斬りかかった。一の太刀、二の太刀は難なく奴は凌いだ。速いがしかし、これならいける。

 連撃を浴びせながら奴の受け太刀を誘導する。機会を合わせ、両腕を跳ね上げ防御の隙を作った。

 俺は一閃、奴の首を薙ぎ払う。

「なに?」

 切っ先は確かに奴の首を捉えたはずだった。しかし、奴の首は転げ落ちることなく肩の上に乗っかったままだ。またしても……だ。

「やれやれ、またかよ」

「あなた、わたしの首を二度も斬ったわね。許せないことですわ」

 困ったもんだ、どんなカラクリで首が斬れねえのか見当もつかん。しかし、先刻はロッタの矢が確かに当たっていたな、どういうことだ?

「タケゾウよ」

 ちょうど背後からロッタが声をかけてきた。

「なんだ? 首の斬れねえカラクリが分かるのか?」

「そうじゃ貴様も見たであろうが、奴は刃の中る刹那、体を(ほど)いておる」

「体を……解く? カラスと人間の姿が変わる時のことか?」

「そうじゃ、つまり不意を突くか、反応するよりも速く斬るかすればよい」

 なるほどな、それなら合点がいく。

「そういうことか?」

 俺はラークに問いかけるが奴は答えなかった。

「答えられねえってことは、つまりそういうことなんだな」

 右手だけで空を斬ってみる。

 こうか? いや、もっと手首を柔らかく……こう、俺は何度も空を斬った。フフ、いい感じだ。

「もっと速く……か、いいね、そういうのは大好きだ」

 ラークの野郎、顎を突き出し俺を眺めてやがる。

「余裕ありそうだがよ、本気でいかせてもらうぜ?」

「そうね、せいぜい本気でかかってきなさい」

「おう、いくぜ」

 俺は地を蹴り突進する。

 俺の剣と奴の手甲鉤のぶつかる甲高い音と火花が飛び散る。

 ラーク……こいつは速いには速いが戦い慣れているわけじゃない。防御も攻撃も単調で、その場その時の事態に反応しているだけだ。二手三手先を考えているわけじゃない。

 だから俺が首回りを無防備にするために防御の手に合わせて打ち込めば簡単に防御を誘導できる。

 そらもう上半身がお留守だ。俺は一歩踏み込み、首を薙ぎ払った。

 しかし手応えは無い、まだ遅いか……

 ならばこうだ! まだ遅い。

「ちょっとあなた、なんですの? 首ばかり……」

 次第に防御が固くなり、反撃の手が少なくなってくる。

 まだだ、もっと速く、もっと、もっとだ。

 俺は速く打ち込むことだけに意識を集中していった。いつしか奴は必死に首を守ることしか出来なくなっていた。

「ちょっ、あなた……やめ……」

 それは瞼の奥に現れたちょっとした閃きのようなものだった。

 奴の首に吸い込まれた切っ先は、刹那のさらに半分にも満たぬ狭間の刻の間にその首を刎ねた。

 俺が剣を納めた一瞬後にラークの首は地面に落ちた。

 地面に転がるラークの首は驚くほどに安らかな表情だった。

 俺はロッタを案じ振り返ると、そこにはクラヴィアが立っていた。

 クラヴィアの視線はラークへと向けられていた。

「ちょっと……信じられないのだけど、わたし、そこに倒れているのはラークなの?」

 クラヴィアは頼りない足取りでラークの傍へと歩み寄る。

 俺など眼中にないように前を通り過ぎていった。

「ああ……ラーク……」

 ラークの首を拾い上げると胸に抱きしめた。

「こんなに安らかな顔をしているなんて……わたし、ちょっと羨ましいくらいだわ」

 クラヴィアの声はうわずった涙声に変わった。

「おい、そんなに無防備な姿を晒してていいのか? お前の首も刎ねちまうぞ」

 俺は鯉口を切って言ってみた。

「やりたければやればいいわ、わたし、実はそれほど強くはないから、タケゾウと戦えばきっと……」

 俺には目も向けずラークの首を抱きしめたまま言った。

「クラヴィアよ、お前がこれ以上手を出さぬというなら俺にはお前を斬る理由がない。負けを承知でロッタを食らおうというならば叩き斬る」

 クラヴィアは少しの間口をつぐんだままだったが、か細く答えた。

「あなた、どうしてわたしを殺さなかったの……」

「急いでたんでな、とりあえずお前の足を止めておければよかった」

「……そう、……強いのね、タケゾウは……」

 そう言ってクラヴィアは力なくうなだれてしまった。

 ロッタを見るとゆっくりと首を振っている。俺もすっかりやる気が失せてしまったので馬車に戻り出発の支度をすることにした。

 ロッタに寄り添い、今一度奮起しないとも限らないクラヴィアを警戒しながら馬車へと向かった。

 馬車へ戻ると馬が戻ってきていた。

「おお、よしよしよく戻ってきたな、いい子だ」

 俺は馬の鼻を撫でてやった。すると馬は応えるように俺の頭に頬をこすりつけてきた。

「よしよし、分かった分かった。ロッタが呼び戻したのか?」

「儂はなにもしておらん、タケゾウによく懐いておるようじゃし、おおかた危険が去ったと思って戻ってきたのじゃろう」

「……そうか、よしよし、それじゃあまたがんばってもらうぞ」

 俺は外して置いた馬具を馬車から取り出して馬に着けていった。

 ロッタの手を取り、ロッタを馬車に乗せてから、馬車の周りを一回り点検してから御者台に乗り、手綱を引いた。

「そういえばお前には名前を付けていなかったな、そうだな……何がいいかな」

 隣のロッタが俺を突いている。

「ではフリューリングスルフトというのはどうじゃ? 涼やかで爽やかな名じゃろう」

「ふ……ふりゅ……グンス?」

「フリューリングスルフト! じゃ!」

「すまんなロッタ、俺には呼びにくい、そうだな……フリューゲではどうだ?」

 ロッタは口を尖らせて睨んだ。

「まあ……よかろう」

「そういうわけだ、よろしくなフリューゲ」

 馬は言葉を理解できたかのように鼻を鳴らして答えた。

 馬の名が決まったところで俺は馬車を走らせた。少し走り木立を抜けるとラークの傍らにはまだクラヴィアがうずくまっていた。

 クラヴィアを避けて横を通り抜けようとした時、頼りない声だがたしかにクラヴィアの声が聞こえた。

「…………待って」

 俺は手綱を引いて馬車を止めた。

「なにか用か?」

「わたしを……わたしを殺して」

 俺は思わず吐いたため息の後でこう答えた。

「そいつは、無理だな」

「お願いよ……殺して」

「俺の剣はな、今はロッタを守るためにだけある。だから無理だ」

 クラヴィアが力なく立ち上がった。そしてゆっくりと俺のほうを向く。

「ラークを斬ったタケゾウを許すことはできないのよ、わたし。でも復讐のために挑むこともできないのよ」

「別に、恥ずかしいことじゃない。俺を恨めばいい、恨んで……いつか俺を倒しにくればいい」

 クラヴィアは悔しそうに顔を歪めて泣いている。俺にはそれ以上言葉がなかった。

「どうして……どうしてこんなに不条理なの……わたしは魔獣になりたくはなかった、フクロウやタカに怯えなくても生きていける、ただそうなればいいなと思っただけ……」

「今ならもう……フクロウにもタカにも怯えなくていいだろう」

「……それでも、カイザーには……逆らえないもの……」

 俺はロッタを見た。カイザーという言葉を聞くのはこれで二回目だ。ロッタも心当たりは無いようで首を振った。

「その、カイザーとは何者なんだ?」

「…………言えるわけがないわ」

「そうか」

「わたしは……カエルを食べるのが好きだった。カエルは剣で斬りかかってきたりはしないわ、二、三回何かに叩きつけてやれば大人しくなってね、丸呑みにすると喉に感じる微かな苦みがたまらないのよ……ラークと一緒に夢中でカエルを探すの…………楽しかった……物凄く、だけど……もう……」

 これ以上は話すこともないだろう、俺もいつまでも話し相手にはなれないしな。

「もう……行くぞ」

「わたしだけ生き残ってしまって……これからどうしたらいいのかしら……わたし……」

 クラヴィアは泣きながら膝から崩れ落ちるようにしゃがみこんでしまった。

「ラークを……埋葬するなら手伝うが……」

 クラヴィアは首を振った。

「わたしたちだけにしておいて……お願い……」

「人間もな、生きてればかけがえのないものを失うこともある、不条理な仕打ちに打ちひしがれることもある。だがみんなそれを抱えて生きていくんだ。今は、泣けばいい、そしてまた立ち上がれ……じゃあな」

 俺は馬車を走らせた。背中ではクラヴィアの泣き声がいつまでも聞こえていた。


 珍しくロッタが無口だった。隣に座って俯いている。

 俺は顔を覗き込んでみるが、それに気付くと体ごとよじって向こうを向いてしまう。

 あのカラスの姉妹についてはなんとも歯切れの悪い終わり方になってしまったので、ロッタなりに何か思うところがあったのだろうか。

「どうした? 大丈夫か?」

 ロッタはなかなか返事をしない。

「…………なんでもない」

 ……声が小さい。

「ん? なんだって?」

「……なんでもない」

 ロッタにしては声が小さいな、心なしか顔が火照って見える、ほんとに大丈夫か?

「ロッタよ、顔が赤くないか?」

「もう! 儂を見るな」

 どうにも様子がおかしい。顔を覗き込もうとすると拒むように顔を隠してしまう。

「もう! 今日のタケゾウはおかしいのじゃ!」

 俺の肩をぽかぽかと叩きながら声を張った。

「はあ? 俺がおかしいだと?」

「もういいから! 儂には構わんでくれ」

 なんだか分からんがこれ以上は放っておいたほうが良さそうだ。

 ロッタは俺の横で猫のように丸くなってしまった。

 俺は小さくため息を吐いた。

 今日は大変な一日だった。いろいろあったがカラスの姉妹は何とか退けることが出来た。クラヴィアに関しては何となく後味が悪い決着だが、まさかあの流れで斬り殺すなんて出来んしな、あとは野垂れ死ぬなり再起するなり自分で選んでもらわんとな。生きるとはそういうもんだ。

 日が少し傾いてきた。もう少し走ったら野営の支度をせんとな。

 横でもぞもぞとロッタが動いた。体を起こし、いつものように座ったがあえて気付かぬふりをした。

 迂闊に声をかけるとまたぐずられそうで怖い。

「タケゾウよ」

 などと考えていたらロッタのほうから声をかけてきた。

「お、起きたか」

「貴様は不思議な奴よのう」

「そうか?」

「儂の見たところではな、やつは貴様に懐いておったのだと思う」

「誰のことだ?」

「クラヴィアじゃ」

 突然に意外な話を始められてしまった。

「そうか? 恨めしいだけだろ……その……妹の敵だし」

「そうじゃな、恨んではおるじゃろうな……じゃが恨み切れぬ辛さのようなものを儂は感じた……」

 そんなもんかねえ……などと思いながらロッタを見ると……! 目が合った。こちらを真っ直ぐ見ていた。

「な……なんだよ」

「あの者、殺してやったほうが良かったのではないか? これから先の人生……というのも変じゃが、なまじ人間並みに知恵があるだけに生きていくのは辛いのではないか」

「まあ、そうだろうな……だがな、俺の剣はロッタのためにしか振るわない。だからそっから先はあいつ次第ってことで話は終わりだ」

 ロッタは向こうを向いて俺の肩を叩いた。

「……何度も言わんでよいわ」

 それきりロッタは喋らなかった。俺も特に喋ることもなく馬車に揺られていった。


 その夜、俺はまた夢を見た。

 空を見上げると無数の流星群、だがいつもと少し違って体を動かすことが出来た。

 両手が確かにあって動かすことも出来るし足もある。地面にしっかりと立っている。

 ふと横を見ると立派な具足を着けた青年が倒れている。よく見ると下半身がない。

 しかしまだ息はあるようでうつろな目で力なく空を仰いでいる。

 少し離れたところに下半身が転がっている。間違いなくこの青年のものだろう。

 何があったのかは分からないが纏った具足からすればかなり身分の高い青年に違いない。

 いつもの夢であるなら、俺はこの青年の目を通してこの光景を見ていたことになる。

 俺はあの少女の姿を探した。辺りを見回しても見当たらない、そんなはずは……と思い振り返るとすぐ後ろに立っていた。

 髪は金色に輝き、白い肌すらもうっすらと光を帯びている。あの夢と同じだ。

「おい」

 声をかけてみるが少女は俺など眼中にないように頼りない足取りで青年に歩み寄った。

 顔を見ようと前に回り込んでみるがやはりはっきりと見ることは出来ない。

 少女は青年にすがりつき何かを叫んでいる。あの夢の通りだ。


「…………しさまよ……」

「……主様よ……」


 今度はなんだ? 頭の中に聞いたことのない女の声が響く。


「主様よ……わらわを…………すれ………か……?」


「主様よ…………わらわを……浦風を……お忘れか……?」


「うわああああああぁぁあぁ!」

 俺は思わず飛び起きた。

 焚き火の向こう側からロッタが寝ぼけ眼でこちらを見ている。

「……どうした? 眠れんのか?」

「いや、なんでもない」

「……そうか」

 ロッタは再び毛布に潜り込んでいった。

 俺は大きくため息を吐いた。

 そういえば最近はあの夢を見ていなかったな。

 しかし、今度はなんだ?

 浦風って誰だよ?

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