黒霧家の依頼
こうして明音に呼び出される時は大抵、僕に仕事がまわってきた時だ。
「遅い! 一分遅刻よ! 何してたの!」
「いや、これでも、かなり、飛ばして、きたんだけど」
肩で息をする。まだ、酸素の供給が追いつかない。
(まあ正門ではなく、通用門の方に集合なら間に合ったかもしれませんね)
(まったくもってその通りだ)
駅には通用門の方がかなり近い。正門は学校の真反対であることを考えればどうして、通用門集合にしてくれなかったのか。
(こういうところ、抜けてるんですよねー。一学期、そんな感じはしなかったんですけど)
明音はクラスでは休み時間は常に本を読み、授業で寝ることもない、品行方正な生徒、となっている。最初は律も、明音の素を知ってかなり、困惑していた。
(若干抜けてるのは前からだから、みんな気付かなかっただけだ)
(なるほど、静かな令嬢の思わぬ弱点ですか、面白い)
弱点と言うほどのことか?
「し、仕方ないじゃない! い、いわゆる痴情のもつれ、というやつよ!」
「少なくとも、痴情のもつれではないだろ。焦り過ぎだ」
しかし、まるで律の声が聞こえているかのような発言だ。
「ま、まあ、そんなことはどうでもいいでしょう!?」
(逃げましたね)
(なかなか、今日の律は厳しいな)
(いえ、いつも通りですよ)
「に、逃げてなんか! な、ない」
突然、明音が大きな声を出したかと思うと、どんどん勢いがなくなり、最後はほとんど聞こえなかった。
明音は今にも泣きそうだ。目に涙を浮かべている。相変わらず律に弱すぎないか?
(律、ここまでにしとけ)
(そうですね、私も明音ちゃんが泣くところが見たくないわけではないのですが)
(それ、見たいってことだろ)
長い黒髪に整った顔立ち、そのスタイルの良さもあいまって、一言で表すならクールビューティーの彼女ではあるが、僕や律のまえでは割とすぐに泣く。
ヒグッ、ヒグッと今にも泣きそうな雰囲気だ。
(やりすぎたか? いや、そもそも僕はたいしたことを言ってない気がする)
(責任を感じるなら一発芸とかどうです?)
(僕は律に責任を感じてほしいよ)
「紀彦の、一発芸?」
やめろ、目を輝かせるんじゃない。その期待の眼差しはやめてくれ、なんか知らんが僕が一発芸しなきゃいけない雰囲気になってるだろ。
(期待されてますね)
律、お前がそそのかしたんだぞ?なんだその私は関係ありませんみたいな感じは。そうして僕が躊躇していると、
「一発芸、してくれないの?」
今度は一発芸を僕がしないことで泣きそうだ。涙腺弱すぎるだろ。
「え、えーそれでは、一発芸、やらせていただきます」
だから、そんな純真無垢な瞳で見つめないでくれ、惚れてしまうだろ。
「担任、盛田先生のモノマネをば、一つ」
(おおー!)
明音はぱちぱちと手を打っている。いや、期待しすぎじゃないか?
「えー、それではー↑授業をー↓始めたいとおー↑思います」
(なんか、おもしろくないですね)
「似ていない訳ではないんだけどね。なんか、残念な感じ」
まあ、うけるとは思っていなかったから予想どおりの反応だ。ただ、つらい。どうして、二人とも冷静に僕の一発芸を観察しているのか。
「ま、車はもう用意しているし、乗ってしまいましょう」
「ああ、そうだな」
(もう少し、創意工夫があれば、良かったんですけど)
(律、いつまでその話題を引っ張るつもりだ?)
(出来るだけ長く、ですかね)
そうやって貪欲に僕をいじめようとするところ、変わってませんね。
「律ちゃん、できれば紀彦を私もいじめたいけど」
明音まで!? いやでもこの人は時々、素で僕をいじめるから危険だ。
「車に乗ってからは真面目な話をするからね」
助かった。
明音の車は日本製で真っ黒の車。
(相変わらず庶民派ですね。明音ちゃん)
(普通がいいんだとさ)
(金持ちらしくした方がキャラが立つんじゃないですか?)
(それに関しては同意するよ)
車の中にはあめ、ガムとドライブならこれ、といった商品が置いてある。また、ゴミを捨てるビニール袋が前の席のシートからかかっている。
でも、ちょっとこれはためすぎでは? パンパンに膨れ上がっている。
「ああ、それねー。なんか毎回捨てようとは思うんだけど、面倒くさくなっちゃって」
てへ! みたいな顔するなよ。
「ま、別にいいけどさ」
僕の目の前にあるのは少し不服だがな。
「今日はどんな用件で?」
「そうね、本題にはいりましょうか」
明音の話を要約すると、とある魔術士Kが猫を魔術的に進化させようとした。しかし、猫は魔術士が思う通りに進化したのは良かったが凶暴化、手に負えなくなったようだ。
「で、その猫はどこにいるんだ?」
「その魔術士が研究拠点としていた廃校。そこからは出られないよう、魔術士が細工しているそうよ」
(じゃあ、一般の人に見つかって、大騒ぎに、なんてことにはなりませんね)
「そうね、で、問題はその猫の処遇なんだけどね」
「保護するか、殺すかってことだよな」
「黒霧家からは猫の処遇については私に任せるって言われてはいるの」
「申し訳ないが殺してしまった方がいいんじゃないか? そんな凶暴化した状態で生き長らえても、苦しいだけだと思うんだが」
(でも、結局それって、その猫ちゃんの一生はどうなるんです?無理矢理、体をいじられたあげく、殺されるなんてあんまりじゃないですか?)
「確かにそうなんだけどね律ちゃん。もし、ここで保護したとしても、その猫ちゃんを元に戻すことはできないの」
「そうだろ? そんな状態で、生き長らえて、いいことなんて、あるはずがない」
(私はね、もしかしたらその猫ちゃんが元に戻れなくても、幸せに生きることだって出来ると思います)
反論は思いつかなかった。確かに猫にとっての幸せが何か、僕には分からないし、律が言うことも間違ってはいない。でも、
「魔術士としては殺して、この実験も、凶暴化したことも、なかったことにするのがいいと思う」
明音は結論を出さなかった。それは、車が目的地に到着したのもあるし、この実験を行った魔術士Kの話も聞こう、ということだった。
廃校は十年前までは小学校として使われていたが、統合などもあり、こうして、廃校となった。
「壊すのにもお金がいるしね。新しくこの土地に誰かがはいってくれたらーって考えたんでしょう」
「こうして、見事に放置された廃校が出来るんだな」
とある魔術士Kにとってはこれほど好都合な建物はなかっただろう。
この廃校を外から見ると、はっきり言って薄気味悪い。校庭には雑草が生えならび、校舎は薄汚く汚れ、時計は四時九分で止まっている。
(いやー、入りたくないですねー)
本当に律は嫌そうだ。しかし、弓木紀彦の肉体の優先順位は僕が上なので、当然だが律が操ることなどできない。
「とりあえず、結界を張って、外からは異変がないように見せているんでしょう。問題の魔術士は通用門前に避難しているそうだし、そこまで移動しましょうか」
(今度は通用門かよ)
(私に言われましても)
さて、問題の魔術士Kだが、確かに通用門前にいた。アフロ、メガネ、痩せて突き出るような頬骨、汚れた白衣など、一度見たら忘れられない風貌なのは確かだ。
(子どもみたいに泣いてますね)
号泣していた。
「あなたが角前あきら、であっているかしら?」
今どきなのか名前がひらがなだ。四十歳近くいってそうだけど。
「んっあっああそ、そうだよ、かどまえあきら、だよ」
泣きじゃくるのを必死にこらえているのがこちらからも分かる。
(大人の男性が泣いてる姿ってレアですよね)
なんてことをいうんだ。シリアスな雰囲気がぶち壊しだ。
「で、問題の猫は?」
明音は見下ろしながらはっきりと言う。
「廃校の中だ。とりあえず結界があるから、外には出られないはず」
「なるほど。では質問です。あなたはその猫をどうしたいと思っているのですか?」
核心を突く、今後の方針のことも考えると重要な質問だ。
「当然、生きたまま保護してほしい」
その時の角前あきらの目は迷いなく明音を見ていた。
「分かりました。いくわよ紀彦」
「え、もう話はいいのかい?」
「ええ、大丈夫です。あなたのとても詳しい報告書のおかげで」
確かに。角前さんの報告書は彼のこの実験の知る全てが書いてあった。でも、本来、ここまでオープンな魔術士は珍しい。大抵はある程度の研究の成果が出てから公表するし、こうした事件の後も実験は続くのだから、あまり情報を他人に与えるべきではないはずだ。
「どこから入ればいいのかしら?」
「ああ、普通に校門を開けて入っていいよ、廃校といっても今は僕の土地だしね」
(まさかの金持ち!?)
おかしい。魔術士は基本、みんな貧乏だ。なぜなら、魔術の研究はほとんど金にならない。魔術結社や魔術協会から多少、支援金は出るが、はっきり言って、かなり少ないはずだ。
「ええ、ではそうさせてもらいます」
僕をちょいちょい、と手招きする。
「あなたが先に入りなさい」
「僕は明音の盾か?」
「使い魔でしょう?」
確かに。
校門はかなり錆びていてとても重い。少しずつ動かしてやっと人、一人が通れるスペースを作る。
(外からみた感じ、何もいませんね)
(助かるよ。戦うのは得意じゃないし)
(戦闘狂が何を言うのか)
とにもかくにも、門の空いたスペースから身を入れる。
そう、校内に入ったその時だった。
恐ろしく大きい、廃校中に響き渡る、猫のミャー! という鳴き声が聞こえたのは。
「お、おい、聞こえたか? 今の」
振り返って校門の向こう側の明音に聞く。
「聞こえなかったでしょうね」
明音はすでに僕の右隣に立っていた。
「いつの間に?」
「さっき。あなたが猫の鳴き声に驚いていた時」
明音は腕を組み校庭の向こうの校舎を睨みつけている。
「あの猫、どうするんだ?」
裏ポケットの刃渡り三十センチナイフを確認しながら聞く。
「今回、そのナイフは禁止ね」
「はい?」
僕、このナイフがほぼ唯一の攻撃手段といっても過言ではないんですが。
「とりあえず、今回は猫を無傷で捕らえたいの。私が催眠魔術をかける。その間、あなたは時間を稼いでもらう」
「ナイフなしでか?」
「たまには、ナイフに頼らず、自分の力で勝負しないとね。体がなまっちゃうんじゃない?」
なんて、つらい。
「まあ、校舎の中なら、猫に気付かれることなく、催眠魔術をかけられるだろうし、あなたは用済みね」
「そうなることを切に願うよ」
校庭のだいたい真ん中あたりまで歩いては来たものの、猫の姿は一向に見えない。
「窓から少しぐらい、見えてもいいはずなんだけどな」
「諦めて、校舎内で探すしかないでしょうね、まあ、一回でも視認出来れば、催眠魔術もかけられるんだけど」
レベルたけえ! 僕は常に視認していないと、とてもじゃないが無理だ。そういえば律、やけに静かだな。
(律? 寝たのか?)
(ああー!もう少しで寝られそうだったのに!)
(ああ、寝ようとしてたのね)
(ここから、恐怖のお化け屋敷的な探索が始まると思ったら、いっそ、寝ていようと思いまして)
確かに。電気も通っていないだろう校舎内は真っ暗のはず、そこで凶暴化した猫を探すという、なんともいえないシナリオだ。
「あ、あれ? 何か見えない?」
目をこらすと、正面の校舎の出入り口に光が二つある。
「ん? なんだあれ」
(そういえば、暗い所では、猫の目は光るんでしたっけ?)
「えっじゃあ!」
という、明音の声は正面からの猫の鳴き声によってかき消された。思わず耳を塞ぐ。
「音量、でかすぎるだろ!」
鳴き声は止んだが、徐々に近づいてきているのは分かる。外に出てその輪郭がはっきりとしてきたからだ。
「催眠魔術、始めるから! 十分! 死ぬ気で時間を稼ぎなさい!」
「おう、でも、あれは猫か?」
輪郭は確かに猫だ。だが、それは象のように大きい。
毛が逆立っているのが、三十メートルほど離れていても分かる。
(ね、寝ます!)
(おう、寝とけ寝とけ、そっちの方が集中出来る)
「さて、どうするかな、ナイフは駄目だって言われているし」
そう考えると、自分のナイフへの依存度の高さが浮き彫りになる。確かにたまには、素手で戦うのも悪くはないけど、
「もう少し、ましな相手が良かったな」
とは言ってもやるしかない。
十分の時間稼ぎ、開始。




