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この捻れた世界にて、〜悪役令嬢は愛する者のために戦う〜  作者: 3色あんこ
第3部 泡沫の鎮魂歌

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第8話 胸騒ぎ



雨音だけが静かに窓を叩いていた。


短い仮眠を終えたイリシアは、身支度を整えて部屋を出た。


ホテルの応接間へ足を踏み入れると、暖炉の前のソファに2人の姿があった。

ヴィクトルとジュリアンである。

2人とも湯気の立つ紅茶を片手に、小声で何かを話し合っていた。

イリシアに気付くと、ヴィクトルが柔らかく微笑んだ。


「おはよう、イリシア」

「おはようございます」

「ミレイユ嬢は?」

「まだ眠っていますわ」


軽く一礼してから、イリシアは首を傾げた。


「お2人とも、お休みになられていないのですか?」


ジュリアンが肩をすくめる。


「交代で寝たんだ。俺が先に3時間寝て、その後ヴィクトル。今ちょうど起きて、少し話してたところだ」

「そうですか」


イリシアも向かいのソファに腰を下ろした。

タイミングよく給仕係が新しい紅茶を運んでくる。

礼を述べて一口だけ口に含むと、温かな香りが身体に広がった。


しかし、心はちっとも落ち着かなかった。

ヴィクトルが静かに尋ねる。


「使い魔から何か連絡はあったかい?」


イリシアはゆっくりと首を横に振った。


「まだ何も……」

「そうか」


それだけで十分だった。

ルークもミーナも、軽率に連絡を寄越すような2人ではない。

何も来ないということは、まだ調査を続けているということ。

それでも──


(嫌な予感がしますわ……)


イリシアは窓辺へ歩み寄った。

灰色の空。

止む気配のない冷たい雨。


視線は自然と、遥か東──カント・マリスのある方角へと向かっていた。


(恐らく……)


胸の奥で、前世の記憶がざわめく。

ゲーム本編における『カント・マリス編』。

あれは、プレイヤーの心を最も抉るシナリオの一つだった。


(人魚族の乱獲……)


美しい鱗は削ぎ落とされ、ガラス細工として加工される。

長く艶やかな髪は一本一本抜き取られ、光を通す高級繊維として売り出される。

そして、その身体から抜き取られた血液。


(人魚族の血液には微量の毒が含まれておりますわ)


人間には害となる毒。

だが魔族にとっては違う。

酒にも似た高級嗜好品。

極上の贅沢品として、闇市場で高値で取引されていた。


(……本当に、胸が悪くなりますわ)


イリシアは唇を強く噛んだ。

時期も一致している。

ゲームより少し早いかもしれない。

だが完全に外れているとも思えない。


(もし予想通りなら……既に捕らえられた人魚族は……)


その先を考えるだけで胃が締め付けられる。

恐らく、生きてはいない。

しかし、まだ間に合うかもしれない。


(倉庫の地下。巨大な水槽。すし詰め状態で監禁されている可能性がありますわ)


ゲームでは、主人公たちが辿り着いたとき、そこは既に「もぬけの殻」だった。


血痕だけが残る水槽。

千切れた髪。

割れた貝殻。

ウロコの欠片。

そして、誰もいない空間。


当時はただの演出だと思っていた。

だが──


(違う。あれは、本当に“居た”からこその跡だったのかもしれませんわ)


イリシアは静かに目を閉じた。

さらに脳裏を過る人物がいた。


鯨族の長、オーリン。

ゲーム本編では、彼は魔族に捕らえられ、左腕を失っていた。

その悲壮な姿は、多くのプレイヤーの記憶に深く刻まれた悲劇だった。


(まだ……まだ間に合いますわよね?)


そう願わずにはいられなかった。


「イリシア」


穏やかな声が背後から聞こえた。

振り返ると、いつの間にかヴィクトルが隣に立っていた。

窓の外を同じように見つめながら、小さく尋ねる。


「カント・マリスが気になるかい?」


イリシアは静かに頷いた。


「ええ……杞憂で終わればいいのですが」


ヴィクトルもまた、小さく頷いた。


「そうだね。僕もそう願っている」


しばしの沈黙が流れる。

雨音だけが二人を優しく包んだ。

やがてジュリアンが紅茶を飲み干し、ぽつりと呟いた。


「ルークもミーナも、ああ見えて無茶はしない。今は信じて待とう」


イリシアはゆっくりと息を吐いた。


「……そうですわね」


信じるしかない。

今はまだ。

仲間たちが持ち帰る報告を。


そして、最悪の未来を書き換えられるという、わずかな希望を。

読んで頂きありがとうございます!

次回の投稿は明日の7時頃を予定しております!


本作品はカクヨム、アルファポリスにて同時投稿をしております。

気が向いたらいいね、ブクマ、よろしくお願いいたします。

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