第23話 神津国からの帰還
それから、さらに数日。
「──もういいだろう」
薬玄がそう告げるとミレイユは目を瞬かせた。
「退院だ」
「……!」
その言葉に、ミレイユの顔がぱっと明るくなる。
「ほんと、ですか?」
「ああ」
薬玄はいつもの無愛想な顔で頷いた。
「傷は十分に塞がった。声も、短い会話なら問題ない」
そして、念を押すように指を立てる。
「ただし、長時間の発声は禁止だ」
「はい」
「大声も禁止」
「はい」
「もうしばらく歌うのも禁止」
「……はい」
「分かっているのか?」
「……はい」
ミレイユが少しだけしょんぼりする。
その様子を見て、翠翔が思わず笑った。
「先生、ミレイユさんなら大丈夫ですよ」
「お前は甘い」
「ええっ!?」
薬玄はため息を吐く。
「患者が元気になったからといって、治療が終わったわけじゃない」
そう言いながらもその目には、僅かな安堵が浮かんでいた。
「声帯の状態は良好だ。今後は少しずつ発声量を増やしていけばいい」
「……ありがとうございました」
ミレイユは深く頭を下げる。
「先生が治してくださったから……」
「違う」
薬玄は静かに遮った。
「俺は治療しただけだ。最後まで頑張ったのは、お前自身だ」
ミレイユは目を丸くする。
薬玄は視線を逸らした。
「……聖魔力のことも含めてな」
「はい」
ミレイユは小さく笑った。
「ありがとうございました」
今度は薬玄も否定しなかった。
「……ああ」
◇
城へ戻ると、凪が一行を迎えた。
「顔を見れば分かるな」
凪はミレイユを見る。
「もう大丈夫そうだ」
「はい」
ミレイユが笑う。
「声も……だいぶ、出るようになりました」
まだ少し掠れている。
それでも自分の声で、凪に言葉を返す。
「そうか」
凪は嬉しそうに笑った。
「よく頑張ったな」
「ありがとうございます」
その横で九重が扇子を広げる。
「さて──」
にやり。
「そろそろ帰る頃合いかの?」
イリシアが頷いた。
「はい」
「ルヴァン王国までは、船と陸路を合わせれば相応の時間がかかるが……」
九重はちらりと一行を見る。
「妾の秘術を使えば、話は別じゃ」
ヴィクトルが目を瞬く。
「秘術?」
「守り巫女に伝わる転移の術じゃ」
九重は楽しそうに笑った。
「ただし、妾一人では無理じゃ。神津国に祝福された者たちが揃っておる今ならば──」
九重が扇子を閉じる。
「ルヴァン王国の近くまで、一気に飛ばせるぞえ?」
「……!」
イリシアが目を輝かせる。
「そんなことが可能なのですか!?」
「可能じゃ」
九重は胸を張った。
「まあ、普通の者が使えば身体が保たんがの」
「怖いことをさらっと言いますね!?」
ジュリアンが突っ込むと九重は楽しそうに笑った。
「ほっほっほ!妾を誰だと思っておる?」
その横で、咲羅が苦笑する。
「九重様の術、本当にすごいんですよ」
「以前も使ったことが?」
「私はありません」
咲羅が首を横に振る。
「ただ、昔から神津国の重要な者を移動させる時に使われたと聞いています」
「なるほど……」
イリシアは納得すると、ミレイユを見る。
「ミレイユ様」
「はい?」
「帰りましょう」
「……!」
ミレイユの瞳が揺れる。
「ルヴァン王国へ」
「……はい」
その声には以前とは違う力があった。
怖い場所だった。
自分が囚われていた場所。
声を奪われた場所。
だけど今は違う。
自分には声がある。
隣には、守ってくれる仲間がいる。
「帰りましょう」
ミレイユはもう一度言った。
「みんなと一緒に」
イリシアが笑う。
「ええ」
ヴィクトルも頷く。
「帰ろう」
ジュリアンが肩を回す。
「長旅にならなくて助かるな」
ミーナが嬉しそうに手を上げる。
「一瞬で帰れるなら楽ちんです!」
ルークは小さく笑った。
「便利な術だな」
凪はそんな一行を見つめ。
「……また来るといい」
そう告げた。
「今度は治療ではなく、もっと穏やかな用事でな」
イリシアが微笑む。
「はい。必ず」
ミレイユも深く頭を下げた。
「神津国の皆様には……本当に、お世話になりました」
凪が頷く。
「こちらこそだお前たちがこの国で過ごした時間を、我々は忘れない」
◇
同じ頃、ルヴァン王国。
教会の一室、聖女クラリッサの自室にて。
「……まだ、なの?」
クラリッサが震える手を見つめていた。
そこにはいつも用意されていたものがない。
血のように赤い液体。
彼女の身体を落ち着かせていた薬。
それがもう何日も与えられていなかった。
「どうして……」
クラリッサの呼吸が荒くなる。
「どうして薬がないの……?」
侍従が怯えながら答える。
「せ、聖女様……申し訳ございません。薬の補充が……」
「嘘!」
クラリッサが叫び机を叩く。
「あるでしょう!?」
「ひっ……!」
「いつも持ってきてくれたじゃない!」
「それが……」
侍従は震える。
「バルタザール枢機卿から、現在は──」
「バルタザール……」
クラリッサの目が血走る。
身体の奥が熱い。
喉が渇き手が震える。
頭の中がぐちゃぐちゃになる。
「……薬を」
「聖女様……」
「薬を持ってきて!」
悲鳴に近い声が響いた。
けれど誰も動けない。
クラリッサは自分の腕を掻きむしる。
「いや……」
息が荒くなる。
「いや……いや……」
何かが身体の奥で蠢いている。
それが何なのか彼女にはまだ分からなかった。




