僕と幼馴染とエロ本と ~二人の関係~
2.
部屋を出る。
雄漂木家は二階建ての一軒家だ。
二階には部屋が三つあって、現在では僕の部屋、凛々恵の部屋、両親の部屋となっている。昔は僕の部屋、父親の部屋、物置だった。
階段を下りて一階へ。
リビングに入ると、ダイニングテーブルに座って凛々恵が朝食を食べていた。
僕は凛々恵の向かいに座る。
ついでに僕も軽く食っとこう。
「おはよう、凛々恵」
「おはようございます、悠輔」
今ではぎこちなさや気まずさも失せて、自然と話せるようになった。
お互い下の名前で呼び合うくらいには仲良くなれている。
理想は『お兄ちゃん』と呼んでもらうことなのだけど、まあ焦ることはないだろう。時はいずれ来る。
「……何か変なことを考えていませんか」
凛々恵が訝しむような視線を僕に向けてくる。
鋭い奴だ。
「先程お隣の櫻井さんが来ましたが」
「ああ、山桜桃な。うん。あいつ勝手に家に入って来るんだよ」
「……それは不法侵入なのではないですか?」
凛々恵は首をかしげた。
うん。常識的な反応だ。
山桜桃といると時々何か常識で何がそうでないのかの判別がつかなくなる時があるので、身近にこういう常識人がいてくれるのはありがたい。
「まあ、あいつとは生まれた時からの付き合いだから。家も隣で、家族ぐるみで付き合いがあるんだよ」
僕がまだ小さい時は、櫻井家でよくお世話になったものだ。
「それで、ええと、ゆすらさん、ですか? どういう漢字を書くんですか」
「山、桜、桃。で、山桜桃」
「それで『ゆすら』と読むのですか」
山桜桃梅という梅があるのだけど、それを知らなければまず読めないもんな。
僕は牛乳をコップに注ぎながら、山桜桃が『やまさくらもも』と呼ばれるとキレることを思い出していた。
……あれは本当に悲惨な事件だった。
小学校の頃山桜桃が引き起こした惨劇については、僕も多くは語るまいと決めている。
「山桜桃さんと悠輔は、お付き合いしているのですか?」
「ぶっ!」
牛乳を吹き出すところだった。
危ねえ。
いきなり何を言い出しやがる。
「付き合うって、僕と山桜桃が? 何で?」
「いえ。何となく……。でも、そういう間柄でもなければ朝から部屋にやって来たりしないのでは。
女性が男性の部屋に入るのですから、そういう関係なのかと」
短絡的すぎやしないか……。
別に付き合ってなくたって異性の部屋に入る機会はあるだろうよ。
まあ山桜桃のように本人が寝ている内に堂々と侵入する奴はレアだろうけど。
「僕と山桜桃はそういう関係じゃないよ。昔からの腐れ縁ってだけ」
「そうなのですか? ……まあ、悠輔がそう言うのならば、そうなのでしょうか」
今一つ釈然としないようで、凛々恵は首をかしげている。
まあ、凛々恵の気持ちも分からなくはない。
実際僕と山桜桃が付き合っていると誤解している人間は学校でも多いのだ、これが。
何故か山桜桃はそれを否定しないので余計に誤解が広まってしまって、僕は苦労しているのである。
僕と山桜桃は幼馴染だ。
友達でもなく、恋人でもなく。
幼馴染。腐れ縁。長い付き合い。
それ以上のものもそれ以下のものも、ない。
「では、悠輔は山桜桃さんに対して特別な感情を抱いていないのですか」
「そりゃそうだよ」
山桜桃に対して恋愛感情の類を抱いたことはない。
多分。
人の感情って曖昧だから、完全に無いとも言い切れないけど。
少なくとも今現在、僕が山桜桃に対して抱いている感情は、恋愛感情ではないと思う。
「そうですか。男女間でも友情は成立する、というのは本当なのですね」
僕と山桜桃の間に友情があるのかどうかは疑わしいけど……。
でも、異性間の付き合いが恋愛関係だけでないのは確かだ。
僕と山桜桃の関係はまさにその例だと思う。
恋人同士ではないけど、上手く付き合っているのだ。
十七年。
決して短くない時間。
僕と山桜桃は、幼馴染で在り続けてきた。
これからも、そうなのだろう。
「でも、山桜桃さんが悠輔に対して抱いている感情は、また別のものかもしれません」
「はあ?」
「私はずっと女子校通いですから、色々な女の子と接してきました。ですので女子の感情に関しては私、詳しい自信があります。男子はさっぱり分かりませんが」
そういえば言ってたな、そんなこと……。
「幼馴染だから、という理由だけで、休みの日に朝から家を訪れるものなのですか?」
「あいつはそういう奴だよ。暇だからって僕の家にしばしば侵入してくるの」
とっくに慣れたけどな、と溜息交じりに付け加える。
あいつのやることなすこと、そのほとんどが僕にとっては最早慣れたものである。
山桜桃の奇行も蛮行も、僕にとっては日常の一部に過ぎない。
「凛々恵、何が言いたいんだよ。まるで山桜桃が僕に対して幼馴染以上の感情を持っている、とでも言いたいように聞こえるんだけど」
「まさにその通りですが」
淡々と、凛々恵は言った。
トーストをかじりながら、牛乳を飲みながら。
至極当然のことを告げるみたいに。
「凛々恵、それは多分勘違いだと思うぜ。山桜桃に限って、そんなことはありえない。付き合いが長いから分かるよ」
僕もまた、淡々と否定する。
確かに、好意はあるのかもしれないけど。
それは恋愛感情とは別のものだ。
僕と同じように。
「そうですか……? まあ、いいでしょう。そういうことにしておきます」
「しておきますって……」
「そういうことにしておいてあげます」
「上から目線!?」
凛々恵もボケることがあるのか……。
ちょっと意外だ。
どっちかと言えばツッコミ専門キャラに見えるけど。
「でも、山桜桃さん、とても綺麗な方です。付き合ってみたい、と思ったことはないのですか?」
「うーん、あまり意識したことが無かったな……」
「私は思いました」
「思ったの!?」
女子校に通っていたからといってそれは安直すぎるだろう!
今ならまだ引き返せるぞ!
「中学の時、付き合っていた先輩と雰囲気が似ています」
そんな設定は知りたくなかった……。
女子校ってホントにそういうの、あるんだ……。
「多分山桜桃さんもタチですよ」
「タチ!? タチって何!? あ、いや、いいよ解説しなくて!」
世の中には知らなくていいこともある。
「ですから、悠輔が山桜桃さんに興味が無いというのなら、私が告白します」
「そんな三角関係は嫌すぎる!」
ラブ・トライアングル 僕と義妹と幼馴染ver。
ドロドロだ。
「なんちゃって」
無表情で「なんちゃって」とか言われても……。
無理してボケなくてもいいんだぞ妹よ……。
「悠輔はどういう女性が好みなのですか?」
「え、それここで言わなきゃ駄目なの?」
そういう話を女子とするのは慣れてないんだよなあ。
無論ここでいう女子に山桜桃は含まれない訳だけど。
「いえ、単なる興味本位で聞いただけですので、答えたくなければ答えなくて結構です」
「答えたくないって訳じゃないんだけど、その、ちょっと恥ずかしいと言うか」
「……では、私が質問をしていくので、二択で答えるというのはどうですか」
「まあ、それなら」
恥ずかしさはあまりないな。
凛々恵がどんな質問を繰り出すかにもよるけど。
「まず第一問。男性と女性、どちらが好きですか?」
「そこから始まるの!? いや、勿論女性だよ!」
同性愛者か異性愛者かの確認から始まるとは思っていなかった。
「では第二問。年下と年上、どちらが好きですか?」
うーん。
難しいところだけど……。
「年下……かな」
「では第三問。幼稚園児と小学生、どちらが好きですか?」
「なんだよその魔女裁判! どっちに転んでもロリコンじゃねえか!」
年下って他にもあるだろ!
中学生とか!
「ちなみに年上って答えたら、第三問はどうなったんだ?」
「熟女と老女、どちらが好きですか?」
「どっちにしても極端すぎるぞお前!」
ひどい二択だ。
僕を変態扱いしたいのではないかと勘ぐってしまう。
こいつ本当は僕のこと嫌いなんじゃ……。
「冗談です、悠輔。そうカッカするものではありませんよ」
挙句の果てに何故か僕が諌められているという……。
しかし、こうしてボケとツッコミが成立するのも、僕と凛々恵との間の距離が縮まった証拠だろう。
そう思えば、何とも感慨深い。
「でも実際、悠輔は本当に山桜桃さんに対して何の感情も抱かないんですか?」
「いや、山桜桃のことはそりゃ好きだよ。でもそれは幼馴染としてであって……」
恋愛感情では――ない。
これは、そういう類の好きではない。
ラブではなく。
ライクなのだ。
「……そうですか。まあ……悠輔がそう言うのであれば、これ以上私が言うことはありませんね」
でも、と凛々恵は続ける。
「人の気持ちは動きやすいものですから……先入観とか、思い込みで測らない方がいいと思いますよ」
感情の属性は、ふとしたきっかけで変わってしまうものだから、と。
ライクがラブになることもある。
ラブがヘイトになることもある。
女心は――秋の空。
「……そうなのかなあ」
仮に山桜桃が僕に、幼馴染以上の感情を抱いているとして。
僕はどう応えてやればいいんだろう……?
「……すみません、戸惑わせるつもりは無かったのですが」
よほど悩ましげな表情をしていたのか、山桜桃が心配げな表情を浮かべつつ謝って来た。
僕は慌てて頭を振る。
「や、別に……」
どうってことはない。
僕にとって、櫻井山桜桃は幼馴染だ。
掛け値無しに、かけがえの無い存在。
それは、間違いないはずだ。
「……っと。そうだ。忘れてた。凛々恵さ、引っ越しに使った段ボール箱どこにやった?」
それを聞くために降りて来たのだった。すっかり忘れてた。
あまり山桜桃を待たせるとまた何をされるか分からない。
「外の物置にまとめて入れておきましたが……何に使うのですか」
「いや、その……部屋の本を処分するのに」
間違ってもエロ本とか言えない。
「手伝いますか?」
「いや、大丈夫」
丁重に断っておく。
凛々恵に見られる訳にはいかないものばかりだからな。
僕はコップを流し台に置いて、足早にリビングを去った。