私と部活と学校生活と
この私、雄漂木凛々恵は、部活動に所属したことがありません。
理由は幾つかありますが、主な理由は、私が放課後も学校で何かに打ち込むより、家に帰って家のことをやるほうが好きな人間だったからかもしれません。
物心ついたときから、私はお母さんと小さなアパートで暮らしていました。
母子家庭。
私を養うために異国の地で必死に働く母を見て、私は少しでもその助けになりたいと思ったのです。
ですから、家のことは何でもやりました。自分で料理も作りましたし、洗濯も掃除もやりました。
本当を言えば、部活動には入ってみたかったのです。興味津々でした。
でもそれよりも私は、家に帰って、仕事で疲れて帰ってきたお母さんのために晩御飯を作るほうが、好きだったのです。
ああ、部活動ではありませんが、中学三年生の頃に生徒会長を務めたことはあります。
本当は固辞したかったのですが、やむを得ず立候補することになり、まさかの当選を果たしてしまい、という経緯で、仕方なく生徒会長という大役を務めさせていただいたのです。
今にして思えば、貴重な経験をしたな、とは思います。忙しいこともありましたが、お母さんは嬉しそうでした。
「リリちゃんが自分のやりたいことを目一杯やってくれるのが、お母さんは一番嬉しいなあ」
だから私は頑張りました。生徒会長として色々なことに取り組み、幸い、悪くない評価を生徒の皆さんや先生方から戴けたように思います。
私の学校は小中高一貫の女子校で、本来ならばそのまま高等部へと進学するのですが、故あって私は外部進学を選択しました。
先生方には必死に説得されましたが、私の決心は変わりませんでした。
とは言っても、「この学校から出よう」とは思っていても、「この学校に行こう」という明確な目標はなかったので、さてどうしたものかと悩んだのも事実でした。お恥ずかしながら、当時の私は考えなしでした。
丁度、そんな時期でした。
お母さんが再婚の話を持ってきたのは。
付き合っている男性がいて、その人にも私と近い年頃の息子さんがいると、聞きました。その人と再婚するつもりなのだけれど、どう思うか、と聞かれました。
私はお母さんが選んだ人なら何の文句もありませんでした。お父さんの顔は写真でしか見たことがありませんから、私は父親というものの実感がほぼ皆無といっていい状態でした。
故に、新しい父親というものも、それほど抵抗なく受け入れることができたと思います。
そんなこんなで私とお母さんは、雄漂木家の一員となり。
私は、義兄の通う市立木花高校への進学を決めた、というわけです。
そして、高校に進学するとき、私はこんなことを言われました。
「これまではリリちゃんに迷惑をかけてきたけど、これからは私が専業主婦として家事をやるから、リリちゃんは何でも好きなことをやっていいのよ?」
お母さんがそう言ったのに対し、私はとんでもないと言いました。家事だって私が好きでやっていたことだ、と。
お母さんは優しく微笑んで、
「じゃあ、お母さんから命令っ。これからは、学生のうちしかできないことをやりなさい?」
そう言ったのでした。
学生のうちしか、できないこと。
私はそこで思ったのです。部活動に入ってみようか、と。
木花高校は部活動がとても盛んで、新入生の勧誘は激しいを通り越して熾烈でした。
機動隊が出動したとかしないとか……いえこれは流石に嘘ですね。でもそれくらい凄かったのです。
「部活を探しているの? なら、茶道部はどうかしら?」
あれこれ考えている私に対して、積極的に誘ってくれたのが山桜桃さんでした。
櫻井山桜桃さん。
雄漂木家のお隣に住んでいて、義兄の悠輔とは幼馴染の間柄だそうです。
烏の濡れ羽のような艶やかな黒髪、凛とした雰囲気……同性の私から見ても魅力的な女性でした。
ぶっちゃけ、好みです。
……余計なことでした。
それはともかく、山桜桃さんからお誘いをいただき、私は茶道部に入部することに決めたのです。
茶道。
これぞ日本文化、という感じです。
私は半分日本人の血が入っているのにも関わらず髪の色は金色だし目の色は碧いものですから、自分がどこの国の人間なのか悩むときがあります。
日本で生まれ、日本で育ち、日本語を喋ります。でも私の外見は日本人のそれからはかけ離れています。
昔はよくいじめられたものです。
そういった境遇の反動でしょうか、私は誰よりも日本人らしくなってやろうと思うようになったのです。
だから私にとっては、茶道部というのは願ってもない環境でした。
わくわくしてきます。
私の高校生活は、これからどんな風に楽しくなるのでしょう。
まさかの凛々恵語り部です。