雑談 ~パンツがないから恥ずかしいもん~
「悠輔、突然だけれど、シュレーディンガーの猫って知ってるかしら」
4月28日、金曜日。
それは、蘇芳里和と栂椹茉莉に関する一連の事件が決着した翌日。
朝、僕は杉村と他愛もない雑談に興じつつ登校し、そして教室に入った。朝のホームルームまではまだ時間があるので、教室内は騒がしい状態である。
席に着いた僕は、そういえばゴールデンウィーク間近だなー、などとどうでもいいことを考えながらぼーっとしていたのであるが、そこに、櫻井山桜桃が現れた。
幼馴染。
腐れ縁。
相も変わらず凛とした佇まい。
淑女とは如何なるものかということを教育されてきた彼女は、めちゃくちゃ姿勢がいいのだ。立っている時も座っている時も。
そしてぴんと背筋を伸ばしているので、胸部に携えたたわわな果実も否応なしに目立つ。セーラー服の上からでも分かるそれは、なるほど男子を惑わす禁断の果実に違いなかった。
……そんな、至極どうでもいい上に下らないことを考えている僕に対して、山桜桃は言ったのだ。
シュレーディンガーの猫を知っているか、と。
「……出会い頭にどうしたよ、突然。おはようございますくらい言ったらどうよ」
「ええ、言ったわよ。あなたの頭の中に直接」
「初めて知ったぞ、お前がエスパーだったなんて」
「昨日実家の庭に隕石が落ちてきたのをきっかけに目覚めたのよ」
「大ニュースじゃん」
庭に隕石って。
ちょっとした天変地異じゃねえか。
隕石が降ってきた翌日に呑気に登校してるんじゃないよ。
「父の名はジョージ、母の名はマリア。言ってなかったかしら?」
「僕はお前の両親とも長い付き合いだけど、そんな宇宙人にキャトルミューティレーションされそうな名前じゃなかったはずだ……」
1と2が混ざってるのもどうかと思うけど。しかも設定的には祖父母だろ確か。
「それで? 浅学非才な雄漂木悠輔君は、シュレーディンガーの猫をご存知なのかしら」
「人を浅学非才とか言うんじゃねえ。シュレーディンガーの猫ってあれだよな、量子力学の……」
箱の中の猫が生きているか死んでいるかは、開けてみないと分からない。
そんな感じの話だった気がする。
以前、杉村とその話をしたことがあった。杉村は「何で日本のアニメゲーム漫画はこうもシュレーディンガーの猫が好きかねえ」とぼやいていたのが記憶に残っている。
とまあ、そんな過去バナも交えつつ回答してやると、山桜桃は、
「ふむ」
と頷いたのだった。
「ところで悠輔、『実際に見てみないと分からない』っていうのは、ある種のロマンだと思わない?」
「はあ?」
一体何が言いたいのだろう。
山桜桃の意図が全く読めない。
でもよく考えてみたら、この幼馴染の思考回路が読めないのは、珍しいことでもなかった。
むしろ平常運転と言ってもいい。
山桜桃が僕の想定の範囲内で行動してくれたことなんて、思い出す限り、ほとんど無いのだから。
「シュレーディンガー氏もきっと、箱を開けるときはワクワクしたに違いないわ。『猫生きてるかな? 死んでるかな?』ってな具合に」
「シュレーディンガーさんはそんな無邪気に残酷なことを言う人間だったのかよ……」
あれはあくまで思考実験のはずだが。
「例えば中に何が入っているのかがわかっちゃうと、ガシャポンとか、魅力が半減するでしょう」
「あー」
何が入っているのか分からない、開けてみて初めて分かる――そういう不確定性に魅力を感じるというのは、人間誰にでもあるところだろう。
ともすればギャンブル精神にも繋がってしまうのが危ういところだけれど。
「確かにな。わからない方が人生楽しい、っていうことは、あるよな」
全部が全部わかりきっている人生なんて、ひどくつまらないだろうな。
何事にも、不確定性はあったほうがいい。
どちらに転ぶか分からない。そんなスリル、刺激は人生のスパイスたりうるのだろう。
「で、それがどうしたんだよ」
中々本筋が進んでくれない気がする。
もどかしい。
「きっとね。男子が女子のスカートの中身に興味津々なのも、そういうことなんじゃないかしら、って」
「んん?」
雲行きが怪しくなってきたぞ。
ここでスカートが出てくるのか? 登場しちゃうのか?
ロクな話になりそうにないが、大丈夫か?
「スカートの中身が全部まるわかりになる眼というものがあるとしましょう。これを入手するには寿命半分を支払わなくてはならないのだけれど、悠輔ならどう、手に入れる?」
「どんな死神の目だよ……でも、そうだな」
女子のパンツが丸見えになる眼かあ。
いいなあ。
……おっと。いかんいかん。紳士たる僕は女性の下着から目を背けることに命を賭けているといっても過言ではない。そんなけしからん眼など論外よ。
「貰わないな。パンツは……見えないからこそいいのだ」
「いいこと言うじゃねえか、雄漂木」
僕がキメ顔で言ったところに、杉村も混ざってきた。
奴もパンツには一家言持ちだ。
「仮に、この世界が、女子が全員パンツ丸出しでいることが普通という世界となったとしよう」
夢のある話だ。
否、夢でしかない話だった。
「そのとき、俺たちはパンツに見慣れ、見飽き、ついにはそれがパンツであるという認識すら忘れ去ってしまう……。人間ってぇのは面倒くさくてな、どれだけ必死に追い求めたものであっても、それが手に入った途端、急激に情熱を失ってしまうものなんだよな」
『芋粥』みたいな話かな。
夢は叶わないからこそ夢なのであり。
叶ってしまった時点でそれはもはや夢ではないのだ。
追い続けるからこその、人は情熱を傾けることが出来る。もしも追い求めていたものが手に入ったとして、それに対して、以前のような情熱を注ぎ続けることが、出来るかどうか。
「だからパンツは見えないほうがいい。女子は堂々とスカートを履けばいい。あとは俺たちに任せろ。脳内で勝手に補完するから」
「任せられない……」
まあ、見えないからこそ、パンツにありがたみがあるのだろうな。
人がパンチラに喜ぶのも、そういうところから来ているのだろうし。
「そうね、そうなのよ。パンツは隠された存在であり、本来、他人からは存在を窺い知ることができない。教室を見てご覧なさい。様々な女子が十人十色のパンツを穿いているけれど、その実、それを確かめることはできないのよね。いえ、不可能ではないけれど、モラル的な意味で」
釘を刺されるまでもないことだけどな。
「つまりは、シュレーディンガーの猫」
箱を開けてみないことには猫の生死がわからないように。
スカートをめくってみないことにはパンツの色も柄も分からない。
つまりは、そういうことか。
「半分正解で、半分間違いね、悠輔」
「ええ? 間違ってる要素がどこかにあったかあ?」
「いいかしら?」
こほん、と山桜桃はわざとらしく咳払いをする。
一席打つつもりか。
「そもそもの話、なのよ。スカートをめくってみないことにはパンツの色も柄も分からないっていうのは、ある前提条件がなければ成り立ち得ない。わかるかしら?」
「なるほどな」
反応を示したのは、杉村だった。
何だ。どういうことなんだ。僕にはまったくついていけないぞ。
「根本的な話なんだよ、雄漂木。パンツの色や柄を論じるならば――まず女子がパンツを穿いていなければならない」
前提。
確かに、そうである。女子がノーパンであるならば、そもそもパンツの色や柄を推測する余地もない。
ないけど。
いや、普通に考えて、女子はパンツを穿いているだろ……。
「あら悠輔、見てもいないのに、どうして女子はパンツを穿いていると断言できるのかしら?」
「普通に考えてスカートの下にパンツを穿いていない女子なんているわけないだろ!」
「それはあなたの主観よ? これまでに生きてきた中で、スカートの下にパンツを穿いているという事実を、あなたは一体何度確かめたというの? 一度も確かめることなく、憶測でものを言っているのならば、それは根拠薄弱な主張であると断じざるを得ないわね」
何で僕がおかしなこと言ってるみたいになってるんだよ。
理不尽にも程があろうというものだ。
「じゃあ、つまり何だ。山桜桃、お前が言いたいのは、スカートをめくってみないことには、女子がパンツを穿いているのかいないのか、それさえ確定できないというのか」
「そういうことよ。常にパンツを穿いている状態と穿いていない状態が量子的に重なっているというわけよ。ここで起きているのは、そういうこと」
そう言って山桜桃はスカートの裾をつまむと、ゆっくりとそれを引き上げていった。
「おい馬鹿待てやめ」
「すとーっぷ」
僕が止めようとするのと全く同時。
ぴたりと、山桜桃はスカートをまくり上げる手を止める。
かなりきわどいラインだ。太ももを惜しげもなく顕にしつつも、そこから先の秘境は一切拝むことができない。絶妙な寸止めだった。
「さて問題です。私は今このスカートの下にパンツを穿いているでしょうか、いないでしょうか」
山桜桃は僅かに頬を朱に染めながら、言った。
珍しいこともあるものだ。羞恥心を母親のお腹に忘れてきたような女が、恥ずかしがってるのか?
いや、恥ずかしがるくらいなら訊くな。
「シンキングタイムは5秒。4、3、2、1」
「カウント早いなおい! えーと、じゃあ、はいてない!」
敢えて穿いてない方に賭けてみた。
僕なりのボケである。
さてどんなツッコミが飛んでくるのだろうかと待ち構えていると、山桜桃はぽつりと一言。
「せいかーい」
「いぇーい……って、え?」
正解?
今、正解って言ったのか?
待て、僕はなんと答えたのだっけ。
穿いてない。そう答えたはずだ。それが正しいというのは、つまり。
「……穿いてくるのを、忘れたわ」
「馬鹿だぁ――――!!」
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