サマエルの懺悔 —後編—
エルネストに連れられてフランスに着くと、立派な邸宅へと案内された。オレが故郷で家族達と拠点として住んでいた所の様に広いというのに、一部屋に何人もで雑魚寝していたのとはうってかわり、たった一人でそこに住むのだと言われた。
その邸宅に案内されてすぐはバタバタと走り回り、全ての部屋のドアを開けて歩いたが、翌日には自分が眠る部屋とトイレ以外には出歩かなくなった。どの部屋を開いてみても、オレの他には誰もいないからだ。
それでもエルネストは足繁くその邸宅に通ってくれた。服や食事と一緒に大量の書物を持って来ては、全て読み、勉強するようにと言われたので素直に従った。そして、必ず白い花を持って来てくれた。何故花を持って来るのかと不思議に思って聞いたが、何も答えずにエルネストはただ穏やかに微笑んだだけだった。
様々な情報を得て勉強していくうちに、世界が本当に平和になる日など来ないのではと思い始めた。オレの居た国だけではない。銃や兵器を使わなくても、戦争はできるのだと知った。
日々の生活の中でもそうだ。人は助け合い生きていくのが普通では無かったのか? なぜいがみ合い、疑い、嫌う必要があるのだろうか。神が定めた経典に従えば、犯罪が起こるはずが無いというのに。
世界中戦争まみれだ。平和などどこにもない。
「さて、そろそろ行こうかカイン。君と共に生活する『兄弟』を探しに、ね」
「兄弟?」
「そうだとも。家族が欲しいのだろう? 平和な世界で過ごす家族がね。まずは君の望みを叶えようではないか」
一人は嫌だ。いつもそればかりを言うオレに、エルネストは家族を作ってやろうと言い出したのだ。瞳を輝かせて心の底から込み上げる嬉しさを噛みしめる様に微笑んだ。
嬉しそうに笑ったオレの頭を、エルネストが撫でた。神が下りるとされる頭を撫でられる事は不敬を意味する為、まだ抵抗はあったけれど、オレは受け入れる事にした。
兄弟ができる。それじゃあ……そうだな、四人兄弟がいい。ヴィベル、ファメール、レアンに似た兄弟だ。そうしたら、オレは今度こそ絶対に守るんだ。故郷で守れなかった分、例え自分が犠牲になっても構わない。絶対に守り抜く。
少なくともここにはジハードが無い。
祈りの言葉を唱え誓いを立てるオレを、エルネストはブルージルコンの瞳を細めて見つめていた。
エルネストは約束通り兄弟を探す目的でオレを連れて孤児院によく訪れた。オレは興味深々で、失ってしまった家族を本当に取り戻せるような気分で、孤児院の子供たちを見つめた。
その中でも悪臭を放つ、オレよりも一つ二つ年上程度の子に目を止めた。
見た事も無いような髪の色を持つその子は薄汚れているというのにも関わらず、凛とした「美しさ」を感じる程の強さを持っているように思えた。ファメールに似ている、と、思わずゴクリと息を飲んだ。
エルネストは、オレの視線を辿り、何か納得した様に頷いた。
数日後、プラチナブロンドの髪をした少年をエルネストが邸宅へと連れてきた。孤児院で見かけた薄汚れたあの少年だったが、見違える程に綺麗な姿だ。
「カイン。彼は『ミシェル』だ。仲良くするのだよ」
エルネストに紹介され、ミシェルはつまらなそうにプイと顔を背けた。
オレが選んだ、オレの家族……。心の底から沸き起こる喜びを噛みしめながらミシェルを見つめた。そっけない態度や、どこか品のある仕草がやっぱりファメールに似ていると思った。
エルネストの邸宅に居れば衣食住にも困らないし、神の道の為に生きる事ができる。それは孤児院にいるよりかずっと幸せな事に違いない。
その時のオレはそんな風に思って「宜しくな、ミシェル」とニッカリと笑った。
ミシェルが来てひと月程経った頃だろうか。フランス語も大分習得したオレは、再びエルネストに連れられて孤児院へと向かった。
そこで目に留まったのは、アッシュブロンドの髪をした少年だ。常に集団の一歩後ろを歩き、謙虚に生きるその姿が、何だか哀れに思えた。無口な様子、レアンの奴にそっくりだ。
オレの視線を辿り、エルネストはまた満足気に頷いた。
「成程、カイン。君はなかなかに見る目がある」
数か月後、その少年を迎えにオレはエルネストに同行した。少年の名は「ガブリエル」にするのだとエルネストが言った。
「ヴィベルそっくりなヤツは来ないのか?」
孤児院で、オレはヴィベルに似た少年も見つけていた。いつになっても邸宅に連れて来ないエルネストにしびれを切らしてそう尋ねると、彼は残念そうにため息を漏らした。
「彼は居なくなってしまったのだよ。『ラファエル』と名付けてまでいたというのにね」
「どこに行っちゃったんだ?」
不思議そうに聞いたオレにエルネストはそれ以上何も答えなかった。恐らく他の里親に引き取られたのだろう、と、オレは理解した。
「でも、オレ三人兄弟でも十分幸せだぜ! エルネストさん、あんたには感謝してるよ」
きっと、そのヴィベルに似た子も、どこぞの里親の元で幸せに暮らしているに違いない。それならその幸せを祝福するべきだろう。一緒に居る事ができず残念な気がするのは確かだけれど。
エルネストはオレ達三人に様々な講義を行った。日本語や歴史、聖書や美術は三人共通で、ミシェルには天文学。ガブリエルには医療の講義を特別に行っていた。そしてオレには何故か経営学と軍の訓練の様な事をさせられたが、身体を動かす事が好きだったので、なかなかに楽しめた。
講義の後、三人で復習をする時間が大好きだった。何でもすぐに習得するミシェルはコツを教えるのも上手かったし、ガブリエルの指摘や質問はどれも自分が知りたい事の先をついていて、適格だった。
……と、言うのは理由の一つに過ぎない。ただただ家族との時間を過ごすのが好きだったんだと思う。三人で居られるのなら、何をしていてもきっと良かった。二人の声を聴いているだけでも幸せを噛みしめる事ができるのだから。それほどに、オレは家族という存在に飢えていたのだろう。
エルネストには感謝してもしきれない。オレに家族を与えてくれたのだから。こんなに幸せな事は無い。この先どんな事があっても、三人で居れば乗り越える事ができるだろう。
そしていつか、大人になってそれぞれが家庭を持ったのだとしたら、オレ達の子供達もきっと良い友人同士になれるだろう。
恐らくあの頃がオレにとって幸せの絶頂だった。
「なあ、『ミシェル』も『ガブリエル』も天使の名前なんだって聞いたけど、オレはどうして『カイン』なんだ? 『カイン』も天使の名前なのか? あ、それとも、『サマエル』が天使の名前なのか?」
ある日、エルネストに聞くと、エルネストは困った様に眉を寄せた。
「まさか。それは無いよ、カイン。君は兄弟殺しとして聖書上で罰せられる男、『カイン』なのだよ。『サマエル』は熾天使でありながら堕ちた天使。かの有名な悪魔の名だ。君の国で言うと『シャイターン(サタン)』の事だよ」
シャイターン……? オレの名前が? だって、名前は家族の絆だって……。
瞳を見開いて、オレはエルネストを見上げた。
「は…ハハ……冗談きついよ。たかが名前だもんな。気にする事ないよな?」
そうさ。ただの名前だ。何も経典通りにオレがどうこうする必要なんかない。兄弟殺し? 悪魔? そんなの気にすることなんかない。
乾いた笑いを発したオレに、彼はため息をつき、首を左右に振った。
「困るなカイン。君が選んだのだろう? 殺す相手を、ね。彼らは平和な世界を創成する為の生贄さ」
エルネストは何を冗談なんか言っているのだろうかと、オレは眉を寄せた。
「殺す? え? どういういこと? エルネストさん、その冗談ちっとも面白く無いぜ?」
エルネストは言葉を操るのが上手な男だった。様々な言語を扱い、彼が時折話す物語や笑い話は本当に面白くて、兄弟三人でよく聞き入ったものだった。
「言っただろう。『カイン』は兄弟殺しなのだと。君は、彼らを殺すのさ」
当然の如く、オレは信じられないといった瞳でエルネストを見上げた。けれど、彼のブルージルコンの瞳は真っ直ぐとオレに向けられていて、それはまるで責められているかのように思えて、反らしたいのに目が離せずにオレは凍り付いた。
ごくり、と。息を呑む。
「オレが? ど、どうして?」
「戦争のない平和な世界を望んだのは君だ。その為の死は神の戦で命を落とす名誉な事なのではないのかな?」
神の戦。ジハードで死ぬのは名誉な事。エルネストの瞳に射抜かれたまま、ぞくぞくと背筋に寒気が帯びていく。
「……本気で、言ってるのか?」
「私は嘘などつかないとも。君はね、カインよ。あの子らを殺すのだよ」
エルネストは、平和の為にはミシェルとガブリエルの命が必要なのだと言っているのだ。でも、何故……?
「え…………ちょっと待ってくれよ、あいつらはオレの大事な家族だ! 平和な世界であいつらと一緒に居る事がオレの望みだよ! 故郷に帰れなくったっていい! 妙な事言ったりしないでよ。お願いだからさ……」
「彼らの命を奪う事で、君は彼らとずっと一緒にいられるのだよ。分からないのかな?」
エルネストは残念そうにオレを見て、深くため息をついた。
ドクン、ドクンとオレの心臓が激しく鼓動する。
エルネストのブルージルコンの瞳が恐ろしく感じた。その瞳はオレを射据えており、暗い闇の中へと引きずり込む様だった。
いや、もうすでに引きずりこまれていたのだ。ゆっくり、ゆっくりと。それにオレが気づかずにいたのだ。余りにもその穴が巨大過ぎて、気が付かなかったのだ。
「現実世界は悲しい。死んでしまえば別れが来る。だが魂は永遠だとも。決して訪れることのない平和を待ち望むよりも、平和な世界を創造し、皆で行く方がずっと容易なのだ」
エルネストの瞳には深く暗い憎悪が込められていると思った。いつも優しく微笑んでいた男と同じ人間とは思えない程に真っ黒な闇で満たされているのだ。
その時オレの目には、このエルネストという男こそが恐ろしいシャイターンに見えた。引きずり込んだ穴の中で、ずっと待ちわびていたのだ。オレという獲物が完全にそこから抜け出せなくなることを。
「……どうしてそんなことしなくちゃいけないんだ? オレ、死にたくなんか無い。殺したくもない! 絶対に嫌だっ!!」
一人になりたくないっ!!
「君はジハードで死なず、こうして神の意に背き逃げて来た罪人ではないのかね? 君の頭の上にはもう神は居ない。だから撫でられる事も受け入れた。違うかね」
「ち、違う! 嫌だっ! そんなのっ……!!」
嫌悪の瞳を向けるエルネストを前に、愕然とし、信仰による掟も忘れ、オレは踵を返して逃げようとした。
ガシリと強く、骨が軋む程に腕を強く掴まれて振り向いた。
「ミシェルとガブリエルがどうなっても良い。お前はそうも薄情なのか? 自分が選んだ生贄ではないか」
摑まれた腕は骨がキリキリと軋み、肉が押しつぶされそうにジンジンと痛む。捻られて皮膚が悲鳴を上げてピリピリとし、その痛みはそのまま心をも蝕んだ。
「今更逃げる気かね?」
脳内で悲鳴を上げた。それは余りにも悲しかったからだ。悲しくて堪らなかった。
エルネストが、オレを大切にしてくれているのだと思っていた。可愛がり、愛してくれているのだと思っていた。
ああ……オレは、この人から憎まれていたのか。差し伸べられた手は救いの手ではなく、地獄へと引きずり込む為の手だったんだ。
絶望は怒りに変わった。自分に対する怒りだ。神の道の為に生きようとしていたオレは、神を裏切り、シャイターンになった。あの場所から逃げたオレは、既に神を裏切っていたんだ。
もう、言葉遣いもどうだっていい。
禁忌を犯し、地獄へと落ちる事が決定づけられたのだから。
オレは礼拝を止めた。オレの様な罪人が神へ祈りを捧げるだなんて、それこそが冒涜の様な気すらした。
エルネストは優しかった。普段は、だ。けれど皆が見ていない所でオレは一人虐待を受けた。何日間も立ってる事しかできないような狭い場所に閉じ込められたり、眠る事を赦されなかったり、目隠しをされたまま地下室にひと月も居たりと、まるで拷問の様な目に遭わされた。
悪魔なのだから仕方が無い。そう納得せざるを得ない。ブルージルコンの瞳は常に優しさが滲み溢れていて、オレに精神的負荷をかける時でさえ、その瞳の色は変わる事が無かった。
本当は寂しかったし、オレの事も愛して欲しかったけど、そんな事を言えた立場なんかじゃない。せめてミシェルとガブリエルが幸せでいればそれでいいのだと、自分を納得させるしかない。
けれど、ミシェルは恐らくオレが何をされているか気づいている風だった。
まずい。どうにか誤魔化さなければ。もしもミシェルがエルネストに何か意見しようものなら、矛先がミシェルに向くかもしれない。それだけは絶対に避けなければ……。
平気なフリをする事が一番だ。と、オレは笑う事が得意になった。苦しい時だろうと、痛みで悲鳴を上げたい時ですら、ニッと笑う事ができる。
ああ、帰りたい。故郷に帰りたい。同じ神を信じる家族の元に帰りたい……。けれど、二人を残して消える訳にはいかない。オレが居なくなったら、エルネストが何をするか分かったもんじゃない。だから、オレは笑い続けるしかない。
適当なコトやって、バカなヤツだと思われて、いい加減な奴なんだと思われていればそれでいい。
エルネストの邸宅に移り住む様になって随分と経った。その間、永遠とも思える程に気が遠くなる苦しみを味わった。けれどオレはそれに耐え続けた。もしもオレが壊れでもしたら、エルネストのその矛先は二人に向くと思ったからだ。
けれど、彼はミシェルとガブリエルに対しても残忍な行動に出た。その行為にことごとく立ち会わされたオレは、ついに耐えきれず涙を流して訴えた。
「エルネストさん、頼むよ。あんたは優しい人だ。だから、あいつらにだけはいつものあんたで居てくれよ。二人にとってあんたは唯一の心のよりどころなんだ。あんただけが、信じられる人なんだよ」
ああ、ミシェル。ガブリエル。どんなにか心が痛かっただろうか。信頼していたエルネストに裏切られた時の二人の瞳を、オレは一生忘れる事は無いだろう。
まるで音が聞こえるようだった。心に罅が入る音がだ。
「今まで通り、オレが全部引き受けるから。なぁ、頼むよ、エルネストさん……」
オレなんかの頼みを聞いてくれるとは思えない。そんな価値なんか、オレには無い。それでも何か少しだけでも足しになるのならと、必死の思いで懇願した。
「あいつらを、壊さないでやってくれ……!」
「元々そのつもりだとも」
ふっと微笑んで、目元に皺を寄せるエルネストに、オレはホッとして小さくため息をついた。ジャラリと両手が繋がれた鎖が音を発する。鎖は冬の冷気にすっかり冷やされて凍り付き、オレの手首の肉に張り付いていた。両手の感覚が無くなってから久しい。
「お前に負荷をかける為、二人は利用されているだけなのだからね」
「……え?」
「二人を大切に思うかね?」
「当然だ。兄弟じゃねぇか。大切だよ、何よりも!」
「それは良かった。彼らの死は、お前の心を蝕んでくれる良い素材になる」
呼吸をすることを忘れ、オレはエルネストを見つめた。
「死、だって? どうして、これ以上はもう止めてくれよ!!」
エルネストは、瞳を細めて嘲笑した。
「……嫌だ」
ふっと嗚咽を漏らして再び「嫌だ!!」と、絞り出す様に声を発した。
「なんで。エルネストさん、もう止めてくれよ。オレ……」
再びジャラリと鎖が音を発した。そうさ。このまま凍傷で両手を失えば、オレは一生誰も傷つけずに済む。ミシェルとガブリエルを傷つけずに済む。
「それに最早二人はお前に殺される事を望んでいるのだよ。わからないかね?」
「そんなこと、望んでなんかいねぇよ!」
「望んでいるとも。お前に『見られた』のだからね」
——見られた?
そう、見せられた。二人にとって、想像を絶する程の負荷を掛けられる瞬間を。
ミシェル、ガブリエル。どれほどに辛かったことか……。
……そうだ。あの後から、二人はオレと目を合わそうともしてくれなくなった。
エルネストにされた事を恥じて、オレに見られた事を屈辱と感じているのか? そんな風に思う必要なんか無いってのに。
ポタポタと、オレの顎先から涙が零れ落ち、床を濡らした。
……なんだ。オレ、とっくに独りぼっちだったのか。
二人はもう、オレを兄弟としてなんか見てくれない。それどころか、オレの存在が忌まわしいに違いない。自分の心の傷を、誰にも見られたくない最も自分が醜いと思うその姿をオレに見られてしまったのだから。
あれは、オレから家族を奪う為の仕打ちだったんだ。
「……じゃあ、オレが死ねば済む事なんじゃ?」
ポツリと言ったオレの言葉に、エルネストは嘲笑した。
「それこそ最低の判断だとも。お前が死ぬ事で、二人は一生罪の意識に苛まれるというわけなのだからね。自分達のあの姿を見たお前が死んだ事に安堵する己という悪魔の姿が、永遠に憑りつくのだよ!」
人の心は、オレという一つの記憶媒体が消えて安心するだけで終わる程単純じゃない。オレが死ねば、どうして生きている時に和解できなかったのかと、優しいあいつらは自分を責めて苦しむのだ。
「じゃあどうすればいいんだ? オレ、何でもするよ! あいつらが、オレの事なんか気にしなくなる様にさぁ!!」
エルネストは胸元で輝くバッチを指で撫でつけた。勲章という名の誇りであるはずのそれを、忌々し気に触れる様を見つめながら、オレはエルネストの言わんとしている事を理解した。
平和な世界にしたいと願い、世界情勢については常日頃から情報を入れる習慣がついていた。オレの故郷に、各国が制裁を与えようとしていることも。
「……オレが最低な人間になれば、あいつらはきっとオレの目なんか気にしなくなる。罪人の目なんか気にする必要は無い。だからオレは世界一の罪人になる必要があるんだな?」
「ほぅ?」
「入隊するよ。もうすぐ十七歳だ」
満足そうにエルネストは微笑んだ。
例えオレが死のうとも、オレの罪が消える事は無い。それなら、罪をより多く背負う事で、他の事が見えなくなれば良い。
数年後、オレは自分の故郷の空爆作戦に参加した。爆撃機から落とされる爆弾の振動を身体に受けながら、その下に居るであろう同胞という家族を思い、身体を煮えたぎる湯につけられる様な苦しみを味わいながら、ただただ歯を食いしばり瞳を閉じた。
作戦から帰って来ると、エルネストに急かされて軍服のまま墓地へと連れて行かれた。まるでオレが帰って来る事をずっと待ちわびていたようだった。少し戸惑うオレを真新しい墓の前へと花を手向けるようにと促し、訝しく思いながらも従って献花しようと手を伸ばした。
ふと、墓に刻まれた名を見る。
『YURI ALUGA』
ぽとりと花を落としたオレの横で、エルネストがため息をつき花を拾うと、オレの前へと差し出した。受け取らないオレにしびれを切らし、代わりに墓へと花を手向けると、祈りの言葉を呟いた。
「ご褒美だとも、カインよ。お前の実の母、有賀百合に会わせてあげたのだ」
「なんで……」
オレは両膝を落とし、墓の前で蹲る様に頭を下げた。ポタリポタリとオレの瞳から涙が零れ落ち、草の葉を揺らす。
「なんで死んでるんだ!? ずっと会いたかったのに。会って……」
会って、抱きしめて欲しかった。オレの存在を認めて欲しかった。家族なのだと、お前は決して一人ではないのだと言って欲しかった。
オレは、性懲りもなく淡い期待を抱き続けていたのだ。母親だけは。オレがどんなにか醜い魔物なのだとしても、受け入れてくれる。血を分け、オレを育み産み落としてくれた、この世で唯一の人なのだから。
ああ。本当にオレは孤独になったのだ。二人の兄弟も、故郷も失い、肉親も失った。この世界に誰一人としてオレという存在を認めてくれる者は居なくなってしまった。
「オレ、独りぼっちなんだなぁ……。オレは、この世界に必要無い……」
涙を流し、ぐちゃぐちゃになった顔を手の甲で擦りながら言うオレにエルネストはため息を漏らした。
「カインよ。父親の事を忘れてはいないかね?」
「もういい。どうせオレなんか必要ないんだろ? それなら知らない方が良いんだ」
「寂しい事を言うな」
エルネストはスッと空を見上げた。どんよりと曇った鉛色の空は、今にも雨が降り出しそうで、その奥に青い空が広がっているという事実を覆い隠している。
ポツリと雫が落ち、墓石を空よりも深い灰色へと染めた。雫は次第に数を増し、辺りの草花を揺らし、オレの背中やエルネストの肩を濡らした。
「私と、有賀百合の間に生まれたのがお前だ」
雨音が次第に騒がしくなる中、ふいに呟いた一言に我が耳を疑った。
今、エルネストは何と言ったのだろうか…? 呆然としてエルネストを見つめると、ブルージルコンの瞳を細めて憐れむ様に奴は見つめ返した。
「ああ。ミシェルとガブリエルがその事実に気が付いたら、どう思うだろうね? 彼らは私達親子に苦しめられたのだから」
声にならない絶叫を上げた。
頭の中が真っ白になり、溢れ出る涙が凍り付いた頬を熱湯の様に伝い、込み上げる吐き気と、自分への憎悪で失神した。
……「神」とは、何だ? この世界には救いなんてものは存在しない。いいや、オレの世界には、だ。




