第87話 ウチが大臣とかになったらヤバくね?……って、そもそも対象外だったわ
議員会館、千道るる奈事務所。
御子神が一枚の用紙を手に、るる奈の前に立った。
「先生、党本部からこちらが届いています」
「なになに?」
るる奈は、暇そうにソファでスマホをいじっていた手を止め、書類をひょいと覗き込んだ。
書類には、こう書かれていた。
『鷹町栄内閣・党役員人事に関する役職希望アンケート』
「役職希望……?」
「はい。内閣改造と党役員人事に向けて、議員本人の希望するポストを、事前に把握するためのものです。対象は――」
「大臣とか、そういうやつ!?」
るる奈は、御子神の説明を最後まで聞かずに、食い気味に書類を奪い取った。
「先生、落ち着いて下さ⋯⋯」
「うわ、マジだ!『大臣・副大臣・政務官』とか『幹事長・政調会長』とか書いてあるじゃん!これ、ウチも書いていいってことよね!?」
「先生、まず対象なのですが――」
「対象とか、関係なくない!?これ、書いた者勝ちってことっしょ!?」
るる奈のテンションは、もはや御子神の声が耳に入らないレベルまで急上昇していた。
「ちょ、待って待って待って!」
るる奈は、ソファからガバッと立ち上がった。
「ウチ、元ニートギャルだよ!数合わせでPT参加して、推しの配信見て、コンビニスイーツ食べてただけのギャルだよ!それが、大臣!?大臣って!?」
「先生、落ち着いて――」
「無理、落ち着けない!!だってこれ、マジで人生バグりすぎでしょ!闇金から600万円借りて、当選して、フランス行って、国王陛下と会って、その次は大臣!?ウチの人生、なろう系のテンプレより展開早くない!?」
るる奈は書類を両手で掲げ、目をキラキラさせながら部屋の中をぐるぐると歩き回った。
「ねえねえ、大臣になったらさ、あの黒塗りの車に乗れるんでしょ!?SPもつくんでしょ!?議員会館よりデカい大臣室あるんでしょ!?森崎大臣の部屋、めちゃくちゃカッコよかったし!水谷大臣も超イケメンだったし!ウチも、あんな感じの部屋で、ふんぞり返って、お茶飲みたい!」
「先生」
丸目が、控えめに口を挟んだ。
「大変申し上げにくいのですが」
「なになに?ウチ、何大臣が向いてると思う!?やっぱ女性活躍とか、若者政策系?いや、こども政策とかもいいかも!子ども食堂の子たちのために、めっちゃ予算引っ張ってきちゃう!」
「先生、その前に――」
「あ、それとも防衛大臣とか!?水谷大臣みたいに自衛隊の激励行けるやつ!あれ、めっちゃカッコよかったし!」
御子神、丸目、竹中の三人は、るる奈の暴走を止められないまま、思わず顔を見合わせた。
しばらくの沈黙のあと、竹中がやや強引に割って入った。
「先生。大臣という仕事、具体的にどういうものか、一度冷静に聞いていただけますか」
「え、なになに、教えて教えて!」
るる奈は、ようやくソファに座り直した。
竹中は、静かにタブレットを取り出した。
「まず、国務大臣は基本的に、朝から深夜まで分刻みのスケジュールです。国会答弁の準備、閣議、記者会見、所管省庁からの説明、視察、外国要人との会談――。一日の睡眠時間が、三、四時間という日も珍しくありません」
「……あ、それはちょっと、キツいかも」
「さらに、国会では野党から連日のように厳しい質問攻めを受けます。一つでも答弁で失言すれば、即座にニュースになり、下手をすれば辞任に追い込まれます」
「辞任……」
「そして、大臣規範により、資産公開、政治資金の厳格な管理、業界団体との利害関係の申告など、あらゆる面で厳しく監視されます。プライベートな時間はほぼ存在しないと考えていただいて結構です」
るる奈の顔から、みるみるうちに笑顔が消えていった。
「……ちょ、待って。今の話、マジ?」
「マジです」
御子神が、静かに追い打ちをかけた。
「加えて、所管省庁の官僚を統率し、政策の最終責任を負う立場です。何か問題が起これば、記者会見場で深々と頭を下げるのは、他ならぬ大臣本人です」
「……」
「先生の場合、部会やPTでもほとんど内容を理解できず、署名も中身を読まずに行っていた過去がありますね」
「うっ……。それは、その、まあ……」
「そのような状態で、一国の省庁を背負う立場になれば、どうなるか。想像に難くありません」
るる奈は、みるみるうちにソファへと沈み込んでいった。
「……無理。ウチ、絶対無理。三、四時間睡眠とか、死ぬ。辞任とか、怖すぎ。てか、ウチが大臣になったら、日本終わるんじゃない?」
「否定はしません」
「御子神さん、そこは否定してよ!」
るる奈は、両手で顔を覆いながらズルズルとソファに崩れ落ちた。
「……やっぱ、いいや。大臣とか、ウチには早すぎた。ウチ、一生懲罰委員会でいい。座ってるだけの仕事、最高だわ」
テンションは、来た時とは正反対の勢いで急降下していった。
三人がホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、竹中がふと思い出したように口を開いた。
「……ところで先生。そもそもの話なのですが」
「なに?」
「今回のアンケート、対象は『当選二回以上』の衆議院議員です」
「……は?」
「先生は、まだ一期目です」
部屋に、しばしの沈黙が流れた。
「……え、待って」
るる奈は、ゆっくりと顔を上げた。
「ウチ、そもそも対象外ってこと?」
「はい」
「じゃあ、さっきウチが一人で盛り上がって、大臣になったら何が向いてるとか、めっちゃ語ってたやつって……」
「全部、対象外の議員による、独り言でした」
「……」
るる奈は、両手で顔を覆ったまま、ソファに深く沈み込んだ。
「うわあああああ、恥ずかしい!!なんでそれ、最初に言ってくれないの!?」
「言おうとしました」
御子神が、いつも通りの淡々とした口調で答えた。
「書類をお渡しした瞬間、対象の説明をしようとしたのですが」
「……あ」
「先生が、話の途中で書類を奪い取り、一人で勝手に盛り上がり始めましたので」
「……あ、あー……。うん、それは、その……。ウチのせいだ……」
るる奈は、力なくソファに突っ伏した。
「ウチ、一人でテンション上げて、一人でビビって、最終的に一人で自爆しただけじゃん……」
「概ね、その通りです」
「フォローしてよ!」
「⋯⋯今回の件で、大臣の重責について理解を深めていただけたなら、それはそれで有意義な時間だったかと」
「なんか、丸め込まれてる気がする」
るる奈は、渡されたアンケート用紙を、力なく見つめた。
希望職欄には、まだ何も書かれていなかった。
「……で、どうすればいいの?このアンケート」
「先生は対象外ですので、そのまま処分なさって下さい。そもそも、参考情報としての書類でしたので」
「……そっか、じゃあ処分する」
るる奈は、小さくため息をついた。
議員会館の一室に、いつも通りの、賑やかで、少しだけ間の抜けたやり取りが響いていた。




