第56話 休日だから政治なんて見たくなかったのに、テレビを見たら氷室センセイが無双していた
今日の日曜の朝は、るる奈にとって「聖域」だった。
なぜなら、部会もPTも雑用もない、完全なるオフ日。
本来なら、昼過ぎまで爆睡してもいい日のはずだった。
なのに、なぜか目が覚めた。
「……なんで……」
カーテンの隙間から差し込む光を見つめながら、るる奈は布団の中でしばし固まった。
体内時計というものは、時に本人の意思を無視して働くらしい。
フランスで叩き込まれた朝五時起きの記憶が、まだ体の奥にこびりついているのかもしれない。
「……いやいや、休みの日まで律儀に起きることないじゃん、ウチの体」
誰へともなく文句を言いながら、渋々とるる奈はリビングへ降りていった。
リビングには、すでに二人の先客がいた。
テーブルに参考書を広げたりり華と、ソファに深く腰掛け、テレビ画面を鋭い目で見つめるしし男である。
画面には、見慣れた国営放送のロゴと、『サンデー政論』の文字。
「……何、これ? 討論番組」
るる奈はソファの端に、崩れるように座った。
「休みの日くらい、討論とかこういうのやめてよ。 ウチ、部会とかPTとかで、さんざん見飽きてるんですけど」
「確かに、久しぶりの休みだもんな。 悪い悪い、すぐ変えるわ」
選挙オタクにして政治マニアのしし男だったが、るる奈に気遣い、あっさりとリモコンに手を伸ばした。
が、その時だった。
「――本日のゲストは党民自党より、氷室レイ議員」
司会者の声が、名前を読み上げた。
るる奈の指が、ぴたりと止まった。
「……氷室センセイ?」
テレビ画面に、見慣れたグレーのスーツ姿が映る。
背筋はいつも通り完璧に伸びていた。
「ちょ、ちょっと、待って。 それだけ、ちょっとだけ見たいかも」
「えっ、お前が見たいって言うの、珍しいな。 別にいいけどさ」
しし男は少し驚いた顔をしつつ、素直にチャンネルはそのままにした。
るる奈は冷蔵庫からアイスコーヒーのペットボトルを取り出し、デスクに置いてから、ソファに座り直した。
テーマは、女性の地位向上について。
民自党代表として、氷室レイ。
市民党からは、櫛党首。
人民政党からは、友村党首。
他にも、女性議員がずらりと並んでいた。
「うっわ、なんか凄いピリピリ感……まさに、女の戦いの雰囲気」
一方、しし男は腕を組み、身を乗り出す。
生粋の政治オタクの血が騒いでいるのが分かった。
討論が始まると、るる奈は思わず前のめりになった。
櫛党首と友村党首が、それぞれ強めのトーンで持論をぶつける。
少々極端な物言いも混じっていたが、氷室レイはそのどちらの顔も立てながら、静かに、しかし的確に切り返していった。
「――おっしゃる方向性自体は理解できます。 ですが、現場の実態を無視した理想論だけでは、制度は機能しません」
感情的にならず、データと現場の視点を織り交ぜながら、じわじわと相手の主張の粗を突いていく。
まるで、あの女性局での面接の再現だった。
(うわ、あの時の圧、テレビ越しでも健在なんだけど)
るる奈はアイスコーヒーを飲みながら、思わず苦笑した。
途中、他の女性議員の一人が、皮肉めいた口調で切り込んだ。
「先日、フランスへ税金で研修旅行に行かれた議員さんもいらっしゃいましたが、そういった予算の使い方こそ見直すべきでは」
るる奈の肩が、ビクッと跳ねた。
(あっ、それ。 もしかして、ウチのことじゃん!)
だが、氷室レイの表情は、微塵も揺らがなかった。
「フランス研修についてですが……」
氷室は淡々と、しかし確固たる口調で続けた。
「現地では、家族手当制度や地域支援モデルなど、日本の少子化対策・貧困対策に応用可能な事例を、詳細に具体的に確認してきました。 同行した議員は、そこで得た内容を、すでに党内レポートとして詳しくまとめています。 批判のための批判ではなく、実際の政策に反映させることこそが重要だと考えます」
スタジオに、一瞬の静寂が落ちた。
(……氷室センセイ、もしかして、ウチのこと庇ってくれてる……?)
しし男もまた、驚いたように画面を見つめていた。
「へえ……。 あの先生、辛口キャラかと思ったけど、ちゃんと見るとこ見てるんだな」
「でしょでしょ! 厳しいけど、なんだかんだちゃんと見てくれてる人なんだよ、あの人!」
るる奈は、少し得意げに胸を張った。
そして、春日局長だったら、この局面できっとしどろもどろになっていただろう。
そう思うと、るる奈は小さく笑いを堪えられなかった。
討論は、その後もしばらく続いたが、終始、氷室レイのペースだった。
感情論を仕掛けてくる相手を冷静に受け止め、データと実例で押し返す。
討論終わる頃に司会者が「女性の地位向上は、与野党を超えて取り組むべき課題ですね」という、無難にまとめた言葉で、番組を締めくくった。
『サンデー政論』が終わると、しし男が感心したように腕組みを解いた。
「氷室先生、あの弁の立ちよう、普通にすごいな。 国会中継でも安定して強いって聞くけど」
「もちろん! 普段は塩対応で厳しいんだけど、ああいうところ見ると、めちゃくちゃ信頼できる人なんだよね、あの人」
るる奈がそう言うと、りり華が参考書から顔を上げた。
「お姉ちゃんも、いつかああいう討論番組に出たりするの?」
「はっ? 無理無理、絶対無理っ!!」
るる奈は即座に、否定した。
「出たとしても、多分ウチ、何も言えないと思う。 部会でもPTでも基本何も言わないし」
「それでいいのか、国会議員として」
しし男が、突っ込む。
「いいんだよ、黙ってた方が墓穴掘らないから」
るる奈は開き直ったようにケラケラと笑った。
その笑い方があまりに堂々としていたせいか、りり華もつられて吹き出してしまう。
「お姉ちゃん、それ普通に問題発言だよ」
「発言しないのに問題発言って、マジウケる!」
しし男は、そんな妹たちのやり取りを眺めながら、深いため息をついた。
(……こいつ、本当に国会議員なんだよな……)
いまだに、時々そのことが信じられなくなる瞬間があった。
テレビの前での騒ぎが落ち着くと、るる奈はソファに深く沈み込み、スマホを取り出した。
画面に映るのは、推しの最新配信のサムネイル。
「あ、配信始まってる!」
るる奈の表情が、あっという間に緩んだ。
さっきまでの「氷室センセイかっこよかった」モードは、瞬時に切り替わり、いつもの推し活モードのるる奈に戻っていく。
しし男とりり華は、その変わり身の早さに、揃って呆れたような、それでいてどこか微笑ましいような視線を送った。
「……本当に、こいつ国会議員なんだよな」
しし男が、もう一度、同じ言葉を呟いた。
日曜の朝のリビングに、るる奈の推し活の実況が、いつも通り、賑やかに響き始めた。




