第1話 選挙に立候補だけで600万円とかマジありえんwwウチ無理〜
(酒は二日酔いキツいし、タバコは肌荒れるし、ギャンブルは期待値低すぎ。男? 沼るだけ時間の無駄っしょ……)
千道るる奈、25歳。
自称・自由業。自室のベッドの上で銀髪エクステをクシャクシャに潰しながら、毒々しいピンクの長ネイルでスマホを無心にスクロールする。
画面の向こうでは推しが今日も全力で叫んでいた。
コンビニの新作スイーツと、毎月の少額投げ銭。
それだけで充分幸せだった。
健康だけが取り柄で、親の脛がまだ折れていない。それが彼女にとっての「勝ち組」だった。
「はぁ……結局、人生って動かずに済むかどうかだよね」
それが、るる奈なりの悟りだった。
「るる奈! また一日中ベッドに張り付いてんのかよ!」
リビングから兄の声が飛んできた。
千道しし男、30歳。
特別養護老人ホームで生活相談員をしている生真面目人間で、給料毎月三万円と、ボーナス時の三万円を家に入れている兄の助けで、るる奈の家庭はギリギリ生活できていた。
るる奈は面倒くさそうに舌打ちをしながらも、だるい体を起こした。スマホだけは絶対に手放さない。
居間に行くと、テレビでは派手な選挙報道が流れていた。石田茂雄政権から、日本初の女性総理・鷹町栄へとバトンタッチした「鷹町旋風」。
SNSもショート動画も、全部鷹町一色。るる奈ですら「今回はガチっぽい」と肌で感じるほどだった。
「見てみろよるる奈、この熱気! 今回の衆院選、歴史が動くぞ!」
テレビ画面に釘付けになっているしし男は、リモコンをマイク代わりに握りしめて熱弁を振るう。
「ねえしし兄、画面うるさすぎ。てか、何でそんなにテンション上がってんの?」
「お前は何も分かってないな! 今回の民自党の『鷹町旋風』はマジでヤバいんだ。新人でも比例代表の単独上位で滑り込めれば、ほぼ無条件で当選できるレベルの追い風なんだよ。介護相談員から一気に国会議員だぞっ! 年収二千万円超え、議員会館に専属秘書付き、将来の不安全部吹っ飛ぶ大逆転人生だ。はははっ、夢があるだろ!」
しし男はニヤニヤしながら自分の胸を張った。るる奈はポテトチップスを口に放り込みながら、鼻で笑う。
「しし兄が選挙演説とかマジウケる☆ もし立候補したら、ウチ、ウグイス嬢の冷やかしに行ってあげるわ」
「バカ、勉強不足め。俺が狙うのは『比例単独候補』だ。公職選挙法の規定で、小選挙区に出ない比例単独の候補者は、個人の選挙運動がほとんど禁止されてるんだよ。つまり、街頭演説もできないし、名前入りのタスキを巻いて歩くこともない。極端にいえば、供託金を払いさえすれば、あとは自宅のベッドでスマホいじって開票を待つだけでもいいんだぜ」
「……は?」
しし男のオタク特有の早口をなんとなく聞き流していたるる奈だったが、その一言で脳内が真っ白になった。
(……待って。ウチがそれやったら?)
パジャマのまま、ベッドでスマホをいじりながら開票結果を待つ。
当選の文字が出た瞬間、年収二千万円。推しに毎月十万円投げても余裕。親に「働け」って言われない未来。メイクすらしたくない日は、パジャマに議員バッジつけたまま寝転がってていい。
ニートギャルから国会議員へ。人生イージー☆モード突入――。
一瞬だけ、胸の奥が熱くなった。
「ねえしし兄。それ、いくらでエントリーできんの?」
「あ? エントリーって……供託金のことか? 比例単独なら一律で、六百万円だな」
「ろく、ひゃく……!?」
次の瞬間、現実が冷たいナイフのように突き刺さった。
現在の銀行残高は、五千円。メルカリで私物を全部叩き売っても、親に泣きついても、逆立ちしても届くわけがない。脳内に浮かんでいたピンク色の未来が、一瞬で容赦なく灰色に染まっていく。
「……はっ? あははっ、無理ゲーじゃん。やっぱ世の中カネかよ、マネーかよ。格差社会乙」
るる奈は深いため息を吐き、スマホをソファーに放り投げた。
「当たり前だろ。だから俺は、脳内立候補で満足するしかない」
しし男がため息混じりにテレビを消した、ちょうどその時、キッチンから母親・冬子(55歳・しし男と同じ特養勤務の正社員の介護福祉士)の声が響いた。
ちなみに、父親の春男も55歳で同じ特養勤務の介護福祉士だが、今日は夜勤のため家にいない。
「ご飯できたわよー! るる奈、りり華も降りてらっしゃい!」
真面目で大人しい十八歳の妹・りり華は、もうすでに席についていた。将来は福祉関係の仕事に就きたいと時折語る、まさにるる奈とは正反対の優等生。
るる奈は無言で椅子に腰を下ろし、味噌汁をすすった。
外では「鷹町旋風」が日本中を吹き荒れていた。けれどその風は、Wi-Fiの電波を越えて、るる奈のベッドの上までは届かなかった。
彼女は箸を動かしながら、ぼんやりと思った。
(……ま、いっか。今日の推しの新衣装配信、絶対見なきゃ)
結局、るる奈の人生は、今日も平和に淀んでいくのだった。




