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プロローグ

 生ぬるく湿っぽい風が肌をなでる。

 まだ昼前だというのに、視界が鈍い。分厚い雲が幾重にも重なり、光を遮っている。

 一瞬の空白の後で、雷鳴が低く唸った。

 ――嫌な天気だ。

 ハルは小さく息を吐いた。

 耳元で通信がノイズ混じりに途切れる。

『……左翼、敵増援……分断……!』

 そこで完全に途絶えた。

 視界に映るレーダーで、自分が孤立したことを理解した。

 足元の瓦礫を踏み越えながら、ハルは視線を巡らせる。熱源感知、音響解析、地形スキャン。

 脳内に直接流れ込む情報が、周囲の状況を立体的に描き出していく。

 その瞬間。

 ――来る。

 世界が、静止した。

 弾道が視界の中で明確な線を描く。軌道を見極め、身体をひねる。

 刹那、世界が元の速度を取り戻した。

 銃弾が頬を掠めた。

「……」

 視線の先、崩れた建物の影から複数の人影が現れる。

 敵小隊。最悪のタイミングでの鉢合わせだ。

「ナノマシン野郎だ!銃は無駄だ!高周波ブレードで応戦しろ!!」

 敵小隊の誰かが叫ぶ。

 ――数は……十。

 ハルはゆっくりと息を整えた。

 そして――

「最大出力」

 その一言で、体内のナノマシンが活性化する。

 血流が加速し、神経伝達が鋭くなる。視界の解像度が跳ね上がり、世界の動きが遅くなる。

 一歩踏み込む。相手から見れば、一瞬で懐に入り込まれたように感じるだろう。

 高周波ブレードが振り抜かれた。

 首が宙を舞う。

 そのまま流れるように次へ。血しぶきを浴びるよりも早く、次の首を飛ばす。

 反応、回避、撃破。

 無駄のない連続動作で、敵を一人、また一人と無力化していく。

 ――圧倒。

 ようやく反応した一人がチャフグレネードを投げようとしたが、腕ごと切り落とされて終わった。

 本来なら、それで終わるはずだった。

 ぽつり。

 冷たいものが頬に触れた。

 次の瞬間、空が裂けた。閃光と共に、轟音が叩きつけられる。

 雨が、一気に降り出した。地面を叩き、視界を歪ませ、音をかき消す。

 体内のナノマシンの反応が鈍る。演算速度、出力、すべてが低下していた。

 この世界の雨には、ナノマシンに干渉する物質が含まれている。普通の人間には無害だが、ハルにとっては別だ。

 ――想定外ではない。だが、この状況では致命的だ。残り五人。

 敵もその特性を知っている。それにしても、ハルの出力低下は他では見たことがないほど顕著だった。

 敵の混乱が収まる。雑な攻撃から、連携して確実に仕留めにくる動きへと変わった。

「……なるほどな」

 ハルは低く呟いた。

「そう簡単には終わらせてくれないか」

 踏み込む。だが、さっきまでの速度は出ない。

 ブレードを振るう。弾かれる。体勢を崩したところへ、横から刃が来る。紙一重でかわす。

 二人が左右から挟む。正面からもう一人。三方向からの同時攻撃。

 脳が最適解を弾き出す前に、身体が動いていた。正面の刃を手首で受け流し、左の足払いで転ばせ、右へ跳ぶ。

 着地と同時に、ブレードを薙ぐ。一人、沈む。

 だが呼吸が乱れる。出力が、また落ちた。

 ――このペースでは、じきに限界が来る。

 雨はさらに強くなる。視界が霞む。地面が滑る。呼吸が重くなる。

 残り四人。じりじりと距離を詰めてくる。焦りはない。ただ、感覚だけが静かに告げる。

 このまま続けば、勝率は下がり続ける、と。

 その時だった。

 空気が変わる。肌が粟立つ。

 ――まずい。

 直感が叫ぶ。大きく後ろへ飛びのこうとした、その瞬間。

 世界が、白く染まった。

 一筋の閃光が、まっすぐに――ハルの位置へと落ちた。

 轟音。衝撃がすべてを呑み込む。

 意識が、引き剥がされる。

 最後に見えたのは、歪んだ空と、降り続ける雨だけだった。

 ――そこで、途切れた。


 数キロ離れた地点。

 ハルの所属している小隊が、急速に移動していた。

「急げ、ハルが孤立してる!」

 隊長が叫ぶ。降り続く雨が、胸の奥をざわつかせていた。あのハルがやられることなどありえない。それでも、嫌な予感が拭えなかった。

 ハルとは長い付き合いだ。何を考えているのかわからない。感情が読めない。それでも、あいつが隣にいると妙に安心できた。背中を預けられる、と思っていた。

 だから今、この胸騒ぎが余計に気持ち悪い。

 その瞬間、閃光と轟音があたりを包んだ。かなり近くで雷が落ちた。

 視界が戻ったとき、隊員の一人が足を止めた。

「……待って」

「どうした!?」

 彼女の瞳がわずかに揺れる。

 眼に埋め込まれたレーダーシステムが、無機質な情報を伝えていた。

 ――対象、ロスト。

「……ハルの信号が……消えた」

 声に出す必要などなかった。それでも、言葉は勝手にこぼれた。

 全員が、同じ情報を受け取っていた。

 空気が凍る。

「冗談だろ……」

「故障でも冗談でもない。全員、同じ情報よ」

 彼女は、それきり黙った。

 雨が頬を伝う。それだけのことなのに、妙に冷たく感じた。

 小隊最強の存在。いつも無表情でそっけなかったが、仲間が困ったときはさりげなく助けてくれていた。

 その姿をいつも見ていた。一度だけ、言ったことがある。

 ――いつもありがとう。

 照れくさそうに頬をかいただけで、答えはなかった。その姿に惹かれた。それからずっと、つい目で追うようになっていた。

「……HAL-003、ロスト」

 誰も、それ以上何も言わなかった。

 雨だけが、降り続けていた。

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