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第1章 本との出会い

一冊の本が僕の運命を変えた。


残業ばかりの僕に突如訪れた転機。


妻の千聖の妊娠が分かり、一冊の本を手に取る。


これは、本と出会い作家として生きていく日までを描いた実話を元にした物語。

仕事ばかりの僕は、妻よりもお客様を相手にしていた。


ドラッグストアを運営する会社に勤めて7年経った。


家には可愛い妻が待っている。

温かい味噌汁を作って。

だけど、いつもその味噌汁は電子レンジで僕が温め直すことになっていた。


「ただいま」

寝室の明かりだけが灯っている3LDKに帰ってきた。


風呂まで真っ直ぐ定規で引かれたような廊下を

忍足で歩く。


すると突然、一室の扉がゆっくりと開いた。

まるで、高級旅館の女将が客室を開けるように。


「おかえり、パパ」


妻の千聖とは新宿で出会った。


いかにも高級そうなビルの一室でのお見合いパーティの中、当時の千聖はピンクの可愛らしいドレスを着ていた。


僕としては珍しく、その可愛さを独り占めしたい気持ちに駆られ、何度も声を掛けた。


それから、横浜や池袋でのデートを重ね、付き合うことになった。


千聖の実家は都内にあり、僕は何度も都内へと足を運んだ。


片道2時間だったけど、可愛い千聖に会える気持ちの方が勝った。


そして、付き合って1年後、見事ゴールインした。


僕が正社員で、千聖は仕事をしていなかった。


「良かったら僕の住んでいるところに来てくれないか?」


そうして、神奈川県のとある町へと引っ越して、今に至る。


もう結婚して1年が経った。

僕は30代手前。

そして、千聖は僕よりも4つ年上だ。


2人が休みの時は出掛けるのだが、僕が仕事の日は、この光景が日常茶飯事なのだ。


僕は千聖に申し訳なさそうに言った。


「ただいま。ごめん。起こしちゃった?」


千聖は小さく横に首を振った。


「ううん。寝れなかっただけ」


疲れて帰ってきた僕への気遣いだと知っていた。

だから僕は、「そっか」の一言だけを伝えて、一呼吸置いて「いつもありがとう」と伝えた。


ニトリのダークブラウンのダイニングテーブルに置かれたご飯と味噌汁、肉じゃがに掛けられていたラップを外し、レンジに3つ入れる。


その間に、僕は洗面所に手を洗いに行った。


水の流れる音が、僕の思考を回転させる。


(いつまで、これが続くんだ…)


僕は焦っていた。

というのも、まだ僕はドラッグストアの副店長だったからだ。


千聖から「子供が欲しい」の言葉を何度も聞いた。


でも、手取り23万円で子供を養うことが出来るとは到底思えない。


仕事は嫌いじゃなかった。

むしろ好きな方だった。


「早く昇進したい」「仕事がしたい」

この2つの気持ちが勝っていたことが、家庭よりも仕事を優先させていた。


チンっ

レンジの温め終わった合図が鳴り響いた。

24時になるべきではない音量だった。


僕は慌てて手を洗うのと、思考を巡らすのをやめて、電子レンジに向かった。


24時15分

一人きりの晩ごはん。

もう慣れた。

この時間にも。

空間にも。


隣の部屋には千聖がいる。

でも、少しだけ千聖との距離を感じていた。


こんな日々を繰り返していた2021年の4月。

僕に転機が訪れる。


僕はいつものように仕事に行くための身支度をしていた。


ドラッグストアで勤務するためのKCと呼ばれる白衣のようなユニフォームをバッグに詰め込み、千聖が作ってくれた色彩を無視した真っ茶色の弁当を持って。


すると、トイレの扉が勢いよく開いた。

見たことのないスピードで千聖が僕のところまで走ってくる。


千聖が僕に言った。


「パパ!赤ちゃん出来た!!」


これほど千聖の嬉しそうな表情を見たことがなかった。


千聖は僕に陽性の線が入った妊娠検査薬を手渡してきた。


ドラッグストアでも販売されている妊娠検査薬なのに、重みが違った。


僕は、パパになる。

その事実が、僕を今までにない感情を引っ張り出していた。


「おめでとう!」

嬉しさの余り、すぐに職場の斉藤マネージャーに妊娠のことを伝えた。


白を基調とし、数値目標やら社是が書かれた簡素な事務所が、彩った気がした。


斉藤マネージャーは椅子から立ち上がり僕の手を握り、大柄な体型からは想像出来ないような手付きで、サッとIQOSのメンソールを白ワイシャツから取り出し、華麗な手捌きで吸い始めた。


「それで、育休はどうするんだ?」


僕は迷わず答えた。


「はい。取得を希望します」


斉藤マネージャーの口からIQOSの煙が立ち上った。

それが、OKの合図だと悟った。


斉藤マネージャーが、IQOSにもう一度咥えた後にこう言った。


「大川くんも、そろそろ店長にならないとね」


その言葉を聞いた瞬間、僕の背筋が伸びた。

まるで、背中に一本の棒を入れられたみたいに。


またしても斉藤マネージャーからの口から煙が立ち上る。


やがて斉藤マネージャーが口を開いた。


「そりゃそうだよ。今の手取りじゃあ子供を養っていけないよ。収入は低いより高い方がいい。そうだろ?」


僕は「はい。確かに」と小さく返事をした。


斉藤マネージャーは、IQOSの吸い殻を100均の携帯灰皿に入れ、僕のところまで歩み寄り、僕の右肩をぽんっと叩いた。


「課長には大川くんの奥さんが妊娠したことを報告しておくから、これからも頑張れよ!」


僕は、事務所から出ていく斉藤マネージャーの背中に向かって「ありがとうございます」と言い、お辞儀していた。


「ただいま」

今日は珍しく20時に仕事が終わり、21時には自宅に到着した。


千聖は、テレビでドラマを観ていた。


「おかえり!今日は残業しなかったんだ!」


僕は小さく「うん」とだけ答え、風呂場へと向かった。


シャワーを浴び、湯船に浸かる。

またしても思考が回り始める。

どうやら、水回りにいると、僕の思考は働くみたいだ。


このままでいいのか?

残業ばかりでパパになったらどうなる?

元保育士の千聖なら子供を見れると思う。

でも、それで本当にいいのか?


考えても考えても頭には答えが浮かばない。

ただ答えのない思考が流れ続けるだけ。

やがて湯船のお湯に顔を埋めた。

目を閉じてお湯の温度を感じた。

やがて息苦しくなり顔を上げる。


やめよう。

こんなことをしていても答えなんて出ないし。


僕はアウトレットで購入した白のラルフローレンのバスタオルで身体を拭き、リビングへと向かった。


ダイニングテーブルには、親子丼と七味、味噌汁が置いてあった。


僕は千聖に「ありがとう」と伝え、手を合わせてから親子丼を食べ始めた。


美味しい。

久しぶりに仕事終わりに千聖の隣でご飯を食べた。

それが、こんなにも僕の心を満たすなんて。


ドラマで母親と子供と抱き合っているシーンの最中、千聖が口を開いた。


「パパ、これからどうするの?」


僕は親子丼を食べる手を止め、スプーンを親子丼の器の中に置く。


やがて、沈黙を破るように答えた。


「多分、このまま残業を続けていちゃダメだと思う。それに、店長にもなって収入を上げないと」


僕は言葉にしながら思った。

(今の状態で、本当に出来るのか?)って。


ただでさえ、月の残業時間が40時間を超えている。

それに、欠員が出たら休みの日にも仕事に行っている。


そんな状態でずっとやってきたんだ。

自分を変えるのは難しいって、よく言われるけど、それを痛感していた。


でも、変わらなきゃ。

変わらないと千聖やせっかく産まれてくる子供に申し訳ない。


僕は千聖に向き直り、千聖の目を真っ直ぐ見て言った。


「千聖、僕は変わる。変わるよ。千聖や産まれてくる子供のためにも」


千聖は小さく頷き「分かった。ありがとう。パパ」と言ってくれた。


そして僕は、千聖のお腹をやさしく触った。

産まれてくる子供へ僕の決意を伝えるために。


休みの日、僕は本屋へと足を運んだ。

本屋には、ヒロアカやワンピースなんかの漫画を購入する時しか立ち寄らない。


でも、今日は違う。

今の自分を変えるためのヒントを探しにきたんだ。


SEIBUの中にある本屋はいつも混んでいた。

自宅から車で30分ほどの場所にあり、GUやらスタバやら色々な店舗が立ち並び、市内の人達が「買い物をするならここ!」と断言するくらい、いつも賑わっていた。


僕は本屋の中を真っ直ぐ突き進んだ。

今話題の本や、ランキング1位の本には目もくれず。


そして、レジの後ろのコーナーへと辿り着いた。


「あった。自己啓発書だ」


今までこういった類の本を読んだ試しがなかった。


でも、今の自分を変えるには、このジャンルしかない。


直感的にそう判断した。


僕は慣れない様子で積み上げられた本や棚差しされた本を眺めていく。


「成功」とかのタイトルは、今の僕にとっては似合わない。


僕は、成功したいんじゃなく、千聖や産まれてきてくれる子供のために変わりたいんだ。


そして、新しい自分で、ちゃんとしたパパになって、子供と出会いたいんだ。


そう思った瞬間、一冊の本が目に入った。

不思議だった。

今まで目に入らなかったのに、今この瞬間、一冊の本だけしか見えなくなっていた。


シンプルな白のデザインに、ゴシック体でこう書かれてあった。


『超速』と。


僕は、何かに導かれるように、その本に手を伸ばした。


いや、手を伸ばしたんじゃない。

本が僕の手を導いてくれていた。


積み上げられた超速の一番上を手に取り、自分の目の前へ引き寄せる。


パラパラとページを捲った。

左手の親指を本に添え、徐々にスライドさせながら、書いてある太文字やイラストをサッと確認した。


(これだ…間違いない、これだ!)


僕は、青いManhattan Portageのショルダーバッグから黒いコードバンの財布を取り出す。


そして、レジへと向かい2000円を支払い、駐車場に停めてある青いMOVEへと向かって行った。


アクセルを踏みながら、MAN WITH A MISSIONのEmotionsを大音量で聴いていた。


サビを大声で歌いながら、僕は千聖が待つ自宅へ車を走らせた。


国道1号線は帰宅ラッシュと重なり混んでいた。僕が変わっていく姿を想像するには丁度良かった。


「ただいま」

僕は自宅の玄関を開けて声を出す。


「おかえり」

千聖の声がリビングから聞こえてきた。


僕は脱いだDr. Martensのホールシューズを玄関で綺麗に揃え、キッチンへと向かった。


千聖は花柄のエプロンをしながら料理をしていた。

今夜はハンバーグだ。

僕の大好物。

それだけでテンションが上がった。


千聖がキッチンで手を洗いながら質問してきた。


「どう?いい本はあった?」


僕は千聖に青いManhattan Portageのショルダーバッグから超速を取り出し、笑顔で見せた。


千聖の眉間に皺が寄る。


「超速?仕事が早くなるってこと?」


僕は小さく頷いた。

そして、こう言った。


「うん。今の僕にはぴったりだと思う。ご飯食べた後に読んでみるよ」


千聖は「分かった」と言い、サラダを作り始めた。


僕は、超速を自分の部屋の机に置き、風呂場へと向かった。


お湯がいつも僕の思考を回転させてくれる。


今まで本なんてあまり読んだことがない。

活字なんてもってのほか。

国語の授業では、いつも一番先に寝ていたっけな。


でも、今回は、今回は違う。

僕は、誰かのために変わりたくて本を手に取った。


授業で、ただ一方的に配布された教科書を読むのとは訳が違う。


僕は身体を洗い終わり、湯船に首まで浸かる。

まるで、海底に向かう潜水艦のように。


しばらくそうしていると、気持ちが落ち着いた。

僕の「変わりたい気持ち」が冷めていないことが確認出来た。


やがて、僕は湯船から上がり、ラルフローレンの白いバスタオルで身体を拭き、グレーのパジャマを着た。


リビングのニトリのダイニングテーブルには、ハンバーグとポテトサラダ、それに白い皿に盛られたライス、そして、ダイニングテーブルに備え付けられたグレーのソファーに座っていた笑顔の千聖だった。


僕は千聖と晩ごはんを食べ、たわいのない話をした。


同じ店舗で働く従業員のことや、子供にどんな洋服を着せてあげたいだとか。


幸せな時間だった。

家族が一人増えると分かっただけで、こんなにも幸せが増えるとは思いもしなかった。


いち早く晩ごはんを食べ終わった僕は、まだ膨らんでいない千聖のお腹を右手で優しく撫でた。


(僕は変わるから、絶対に)


誰にも聞こえない決意を子供に語りかけた。


僕は食べた食器をキッチンのシンクに片付けて、自分の部屋へと戻った。


僕の部屋は趣味で溢れていた。


結婚してから購入したニトリのブラウンのシェルフには、ゲームをするためのLogicoolのヘッドフォンや大量のPS4のソフト。


それに、進撃の巨人のフィギュアなんかもところどころに置かれていた。


僕は購入する時に千聖に「社長椅子」とからかわれた黒い椅子にもたれ掛かる。


そして僕は、超速を手に取り頭から読んだ。


とりあえず目次を見た。

そして、僕の糧になりそうなページから読み始めた。


衝撃だった。

気付いたら時間を忘れるくらい読書に没頭していた。


時間の使い方。

残業しないためのスケジュール管理方法。

そして、成果を120%出すための仕組み。


気付いたら1時間は経過していた。

普段遊んでいるAPEXで30キル達成した時より充実した時間だった。


僕は、読んだ内容を忘れないように頭の中で何度も何度も繰り返し、やがて声に出して復唱した。


僕は超速を、仕事用のバッグに詰め込み、自分の部屋を出た。


リビングで千聖がテレビを見ていた。

バラエティ番組でみんなが笑っていた。


僕も、いや僕達もあんな風に、ずっと笑っていたい。


「千聖」


突然名前を呼ばれた千聖は、僕の方にサッと顔を向けた。


「どうしたの?」


「僕、変わるから」


千聖が、微笑み返してくれた。

ただそれだけが嬉しかった。

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