一日目 モルディブ① 魚か鶏か それが問題だ
いよいよ出発です。名古屋からシンガポール経由でモルディブの首都マレに到着するまで…つまりまだ最初の目的地であるリゾートへは辿り着かないのです。家を出て、ここまで40時間…私はコーフンと憂鬱とが混じりあってあんまり眠っていません。
「どうしよう。どっちも旨そうで決められないぞ」
私はシートのポケットにあったメニュー表を見ながら唸っていた。
「これから二か月も日本を離れるんだから、和食に決まってるじゃない」
何迷う必要があるんだバーカ、という顔をして妻が上空から言う。
さすがにビジネスクラスの座席は広く、しかもパーソナルスペースが確保されている。だがそのため隣の人間とは簡単に話ができないのだ。
このシンガポール航空のビジネス、シートはワイドでふかふか、テーブルもでかければモニターも巨大だ。サイドの扉のようなものを引き上げるとほぼ個室状態になる。
そんなゴージャスなフライトで私は寂しくて泣きそうだった。せっかくこんな豪華な座席で旨いものが食べられるというのに一人きりで食べているのは味気ない。妻でもいい。いや妻がいい。話がしたい。肉の柔らかさや出汁の旨さや隠し味やスイーツの美しさや何だかよくわからない備品のあれやこれやについて感想を言ったり、悪口を言いあったりしたい。
でもまあ、仕方ない。今日は一人味わうのだ。鶏肉から出るジューシーな油と照り焼きソースのマリアージュ、そこに赤ワインを合わせてニヒルに微笑むのだ。そうなのだ。
あれ、何かそれって、いいかもしれない。ムヒヒ。
だが、その時そんな素敵な孤独を打ち破るかのように、全然ハイソでない雰囲気を漂わせた妻がウヒヒヒと扉の上から顔の上半分を覗かせた。話ができなくてつらいとか思わなけりゃよかった。
「君は何か僕の葛藤などお構いなしに扉の上から空腹の顔をのぞかせているけれど」
和食一択という妻の考えもわかるが、この後モルディブまでまだ2回の機内食があるのだ。すべて和食でいいのか。そこは迷うところだろう。しかも何だか洋食のメインは「地鶏の照り焼き」であり、実は私も妻も鶏肉が大好物だ。
そのことを妻に告げると、妻も「えっ」と食い入るように私の上空でメニューを睨みだした。読んでもいなかったのか。
「うううう、ううう。むがが」
メニューを見て唸っている。そんな野生動物のようなビジネスクラスの客がいるかい。
「飢えた犬のように唸るなよ。もし唸るんなら自分の席で。僕とは他人のふりをしてほしい」
いきなり妻が私の脳天に持っていた文庫本の角を振り下ろした。
「ぎゃっ」
妻はそんな私を冷たく見下ろし、おもむろに腕を大きく開く。それから今度は胸の前で手を合わせて歌いだした。
「♪洋食はぁ~鶏の照りぃ~!和食刺身に、乙女は揺れる~」(『あこがれのハワイ航路』)
「ワハハハ、どこのオバはんが乙女…」
顔を上げると、視界の上の方に二冊目の文庫本の角が見えた。
2025年 10月1日 モルディブ①
セントレアのホテルをチェックアウトし、私たちはついにシンガポールエアラインのビジネスカウンターに意気揚々と向かった。記念すべきファーストフライトだ。これから私たちは世界一周に向かうのだ。どうだどうだ、セレブみたいだフフン。
どきどきしながら、しかしそれを悟られないように無表情で旅行代理店から送られてきた旅程表とパスポートを差し出した。クールな旅慣れ私なのだ。
だがホントはビジネスクラスも初めてなら、もちろん優先チェックインも初めて、カウンターの下の足は嬉しくてスキップ状態だ。横を見ると妻も同様に口元をヒクヒクさせて喜びを押し殺している。馬鹿みたいだ。はっ、私もだ。
カウンターのお姉さんが長い長い旅程表を見て、眼を丸くした。
「世界一周に出られるんですね」
「はい、ドキドキです」
うっかり幼稚園児のように大声で答えてしまった。
お姉さんはクスリと微笑み、それから満面の笑顔で見送ってくれたのだった。
「お帰りをお待ちしています。よい旅を!」
私も妻も最終的には子供の遠足のように手を振って大きな声で返事してしまう。
「はいっ!行ってきまーす!」
そんな感じで…夕べからのトラベリングブルーはだいぶ薄らいでいたが、それでも不安が6割で憂鬱が2割、ウキウキとワクワクは合わせて2割というところだった。
午前10時10分に名古屋を出発してシンガポールのチャンギ空港には6時間半後、そこで4時間以上の乗り継ぎ時間をへて、モルディブのマレまでさらに4時間半という計15時間の長い旅だ。
楽しみにしていたビジネスクラス、シートは豪華で足元が広くゆったり座れる。寝たいと思えば180度シートが倒れるフルフラットで寝たい放題ときたもんだ。私は意味もなくシートをフルフラットにしてゴロゴロしたり、すぐに起こして今度はバカでかいモニターに映画を映し、すぐ飽きて消したり、たくさんついてるボタンを順番に押したりしていた。おかしい。セレブのはずなのに落ち着かない。
もちろん食事が美味しい。結局私は洋食に決めて、あんまり飲めない赤ワインをチビチビ舐めながらゴージャスな食事をいただいた。シンガポール航空にして良かった!俺大正解!
ただ…やはり私は結局小市民で奥さん大好き(笑)の人なのだった。個室感がありすぎて妻とゆっくり話したり出来ないのは寂しかった。ホントだ。
いや、そうでしょ。美味しいご飯がでてきたら、いろいろ感想言い合いながら食べたいじゃないか。
食後、また席をまっ平にしてアイマスクをつけるのだが、やっぱり寝付けない。何だ、この閉塞感。
私の精神状態がハイになっていたせいもあるだろう。
けれど…あの穴倉に横たわる感じ…カプセルホテルや押し入れに入ってると落ち着くとか、そういう人は良いのかもしれぬ。
16:00に到着した経由地、シンガポールチャンギ空港のクリスラウンジという超豪華なラウンジで一時的にハイになった私は案の定、食べ過ぎた。こういうところが馬鹿なのだった。
結果的にシンガポールからモルディブへの便では食欲も湧かず(当たり前)機内食のメインをキャンセルした。メインはオマール海老だったようだ。そうオマール海老、それってどんな海老?
今でも思い出す度、断腸の思いだ。オマール団長だ。何言ってんだ、団長。
モルディブの首都マレに着いたのは午後11時過ぎ頃。日本時間ではすでに深夜午前3時過ぎにあたる。コーフンして機内で眠れていない私、もうフラフラもいいところだった。
この空港付近のホテル「h78」に一泊して、明日のお昼にいよいよ目的のリゾートホテル、グランドパーク・コディパルに向かう。もう名古屋を飛び立って15時間以上、自宅を出てからだと40時間以上が経過しているのに、第一目的地に到達していない。
遠いなぁ…さらにマリッジブルー、いやトラベルブルーアゲイン。
<Tips➁>「世界一周航空券」
この航空券をご存じですか。海外旅行好きの人なら当然のように知っている。知らない人は知らないという(当たり前!)世界一周航空券のことです。この航空券は世界の航空会社で作るグループ「アライアンス」が発券している特別なチケットです。
大きく分けるとJALが加盟している「ワンワールド」とANAが加盟する「スターアライアンス」の2種類があり、それぞれに結構細かいルールがあります。そのルールにしたがって加盟している航空会社の便を乗り継ぎ(スターアライアンスだと最大16区間)、世界一周をすることができます。
「お高いんでしょう」と夢〇ループ的なツッコミをしてくれた、あなた。ビジネスクラスで70万円から100万円くらいです。高いと思います?そうでもないんです。単純計算で16区間フルに使えば、一区間平均で5万円から6万円くらいでしょうか。
通常の運賃では東京からパリの片道ビジネスだけでも(もちろん時期や航空会社によりますが)30万円から50万円、ハイシーズンだとそれ以上です。
この航空券運賃の破格さがわかるでしょう。
*エコノミーなら35~6万円です。それで世界一周できます。うーん!社長~っ、安い、安ぅい!
私が選択したのは「スターアライアンス」、そのルールは <その1>東回り、または西回りで太平洋と大西洋を一回ずつ横断し、出発地に戻ること <その2>最大16フライト利用できる。したがって2~15都市で降機できる <その3>期間は発券した日から1年間
…そんなに難しくはないようですが、飛行距離でお値段が違ってきますし、当然加盟してない航空会社の便は使えない。うまくつながったように見えても乗り継ぎ時間が短くて無理ゲーになるとか、いざルートを決めようとするとなかなか手間取ります。
私たちは結局迷った末、HISの「世界一周デスク」に委託しました。希望の目的都市をリストアップしてルートを作ってもらい、発券の事務も代行してくれます。
ただし手数料は10%。これはかなり痛いです。奥さんと二人で20万円の手数料…
(ちなみにズバリ「世界一周堂」という代理店もあります。手数料は同じのようです)
自分で作成したルートがうまくつながるかという不安もありましたが、やはり旅行中24時間無料で相談に乗ってくれるというサービスの安心感に屈しました。(結局一度も連絡はしませんでしたが)
まあ、行程表作る際、すごくアドバイスをもらいました。というかものすごく細かく、そしてしつこくメールで相談しました。特に世界一周航空券のルートから外れて自分で発注する南米旅行のプロセスはフライトだけでなく、ホテルのことや列車のことまで何度もメールでやりとりをしてアドバイスをもらいました。「高い!」けれど、最終的にはお願いして良かったと思っています。そう思います。きっと多分。
読んでいただきありがとうございました。次回はようやく憧れのリゾートライフ編です。のはずなんですが。




