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第83話

「やった。お弁当、久しぶり」


 梶田が子供のように喜ぶ。

 屋上のベンチに座って、ふたりだけのランチタイム。


 今日はまだ暑さが控えめでよかった。

 

 ベンチの上には、カーポートのような形をした、申し訳程度の日除けがある。


 あずまやというには風情がなく、無骨なつくりだけれど、十分に日差しと暑さを遮ってくれる。ありがたい。


 梨花は持ってきた大きなタッパーをあけて、取り分け用の紙皿を梶田に渡す。


 最近は予定が合わなかったから、ふたりぶんの弁当を持ってきたのが久しぶりで、つい張り切って、大量に詰め込んでしまった。


「多かったら無理せず残してください」


「いーや、勿体ない! 今朝朝飯食えなかったからさ、楽勝よ。めっちゃ腹減ってるから、たくさん食べられて嬉しいよ」


 何気ない梶田の気遣いが嬉しい。


「えっと、今日のおすすめは鶏肉のハンバーグです」


 形はお弁当サイズのミニハンバーグ。

 鶏肉のミンチとつなぎ、刻んだレンコンで食感をプラス。

 ソースは無く、生地に醤油や味噌でしっかり味をつけてある。

 季節は違うけれど、おばあちゃん直伝のおせちに入れていた、のし鶏の味付け。


「うまいなー、このプチプチ何? ごまじゃないよね?」


「ポピーシード、ケシの実です」


「へー! あっ、あんぱんとかについてるやつか」


「そうそう」



 ────────────

 ────────

 ────



「あー、美味しくて、ずっと食べちゃってたな」


 シャツの下の少し膨らんだお腹をさする、梶田。


「本当に平らげちゃいましたね」


「ほんと美味かった! ごちそうさま。ありがとう」


「おそまつさまです」


「お茶、おかわりもらっても良い?」


 腰を浮かせた梶田が、水筒に手を伸ばす。


「あっ、いれます」


 つられて立ちあがろうとした梨花の肩を優しく押し戻して、梶田が水筒を先に手に取る。


「いーいー、俺やるから。任せなさい。梨花さんは座ってなさい。って、用意してもらったものを注ぐだけだってのね。偉そうにごめん」


 冗談まじりに言いながら、先に梨花のコップに注いでくれる。


「いーえ。ありがとうございます。注いでもらうお茶は美味しいです」


「でしょ? 俺、お茶注ぎ検定5級だから」


「なんですかそれー」


 


 ────────ピリリッピリリッ


「あっ、電話。梶田さんのかな?」


「お? 本当だ、ちょっとごめんね」


 サッと立ち上がり、仕事中の顔に戻る梶田。


 梨花は冷たいコーン茶をすすりながら、その横顔をちらりとうかがった。






「────承知いたしました。では、失礼いたします」


 相手には姿が見えていないのに、律儀に頭を下げるところが好きだ。

 そんな仕草まで目を追ってしまう自分が、恥ずかしくて、梨花は梶田が自分の方を振り向く前に目を逸らした。


 梶田が電話を切るのを待って、梨花はスマホのお天気アプリの画面を見せる。


「週末、お天気みたいですよ」


 梶田の目が笑って細くなる。


「やった。花火、楽しみだね」


 梨花はほんの少しの違和感を辿って、首を傾げた。


「……梶田さん。ちょっと、疲れてますか?」


「うーん。そんな風にみえた?」


「いつもより少し、声が高いから」


 梶田が隠しておこうとしている事を、指摘するかは迷った。

 余計なことはしない主義が、長年にわたり染み付いている。


 でも、何かできることがあるかもしれない。

 この一歩が、人と壁を作っていた梨花にとっては、大きな成長かもしれない。

 だから踏み出した。


「なんだか少し頑張って、元気を出しているのかなって」


 眉尻を下げて、梶田は笑う。


「見破っちゃうね〜」


「すみません。スルーするか迷ったんだけど」


「全然! 謝らないで。まいったな、カッコつけたかったんだけど」


 と、いいながら、梶田はおもむろに梨花の膝に頭を乗せて、ベンチに寝転がった。

 ぴくっと反射的に動きそうになった脚を、梨花はなんとかこらえて止める。


「バレちゃったなら仕方ない。ちょっとだけ、充電させて」


 そんなふうにあざと可愛いくお願いされたら、断れるだろうか。いや、できない。


「ど、どうぞ」


 了承一択だ。


「ありがと」


 ふう────と、かすかに息をはいて、梶田が独り言のように呟く。


「ずっとこんなふうにしていられたら良いのにね。ふたりで」


 そうだね、って一言がとっさに出てこなかったのは、梨花が同じ事を思っていないというわけじゃない。


 心臓がうるさすぎて、口と頭が動かなかったのだ。


 その状況も長くは続かず。先に動いたのは梶田だった。

 あっと声をあげて、腕の時計を見て起き上がる。


「そろそろいかないとだった。ごめん、先に戻るね。当日、駅で待ち合わせで良いかな?」


「あっ、うん、大丈夫────」


 何もなかったように立ち上がり、スーツを整える梶田の横顔を見上げていると、さっきのは梨花の幻聴だろうかとも思う。そんなふうに思ってしまうくらい、現実感の無さに胸がふわふわする。


「じゃ、また連絡するね。楽しみにしてる」


 そう言って手を振る梶田に、せめて目いっぱいの笑顔を、梨花はむけた。

 そして。


「はいっ。楽しみにしてます! あの、さっきの、私も!」


 何が、とは言わない。言えない。

 これが梨花の精一杯で、梶田なら汲み取ってくれるだろうという信頼に甘えさせてもらった結果だ。


 バイバイと手を振る梶田の顔は嬉しそうで、気持ちが伝わった安堵と、後から来た照れ臭さで、梨花は梶田の足音が聞こえなくなってから、顔を覆ってしゃがみこんでしまった。





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