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第84話

 部内会議を終えて休憩室に入ると、自動販売機の前にいた沙月が、梶田の姿を見て手をあげた。


「おっ。会議お疲れ様〜。なんだか久しぶりね。コーヒー飲む? 今ならお姉さんがおごったげるわよ」


「いただきます。微糖で」


「はい」


 紙コップに入ったコーヒーを受け取ると、芳しい香りが鼻に届く。


「ありがとうございます」


「まま、座りなさいな」


 沙月にすすめられるまま、テーブル席に腰掛ける。

 湯気のたつコーヒーの表面から、火傷しないように少しずつすする。


「あ〜。しみる〜」


 口に流れ込む温かい苦味が、凝り固まった肩をほぐしてくれる。


「人の金で飲むコーヒーってさらに美味しいわよね」


「あざっす! っていうか、沙月さん、頼みっぱなしですみませんでした。いろいろ」


「いーのいーの、ちゃんと後ほど貸しは回収するからー。ふふふ。それより、バッチリよー。我ながら仕事ができるわよね、私。警備主任の恩田さんにも話通しておいたから、あとで挨拶しときなさいな。金曜日の帰りに保安室に予備の鍵取りに来てってさ。会社がお休みの日でよかったわね。屋上、貸切じゃない。ふたりきりの花火、楽しんで」


 そう言ってから、思い出したように沙月が付け足した。

「あっ、楽しみだけじゃないのか。あの話、まだなんでしょ?」


 仕事柄なのか本人の資質なのか、沙月は社内の事なら何でも知っている。

 梶田は素直に頷いた。


「────はい。伝えるタイミングが、なくて」


「大丈夫よ。がんばれ」


 ばしん、と沙月は梶田の背中をたたいた。思いっきり気合を入れるように。


「お姉さんは君たちの味方だよ」


「心強い」


「でしょ。じゃ、お先に行くかな〜。梶田くん」


「はい」


「いい日になりますように」


「ありがとうございます。がんばります」


「おう、がんばれ、若者よ!」






          ◇






 日曜日、約束の日。


「かっ、わっ、いっ、い────!」


 梨花の部屋に、キョーコの高い声が響いた。

 机の上に置いた鏡の中には、浴衣を着た梨花がうつる。

 

 しっかりカバーされているのに不思議と透明感のあるナチュラル風メイクに、浴衣に合うアップヘア。


 決して派手なメイクではないのに、いつもの三割り増しで目がぱっちりとして見えるから、すごい。


「我ながら、ヘアメイクのセンスに震えるわ」


 うっとりと呟くキョーコに、梨花はこくこくと頷いた。


「はい、本当に自分じゃないみたい……!」


「何を言ってるの、私は梨花ちゃんの持ってる可愛さを引き出しただけよ」


 後ろから梨花を抱きすくめ、キョーコが鏡越しに笑う。

「楽しんでね」




「おー! いいじゃん、可愛い!」


 ピィピィ!


 リビングに行くと、仙道と五味と大家さんが口々に梨花のことをほめてくれた。


「めっちゃ似合ってます。作った甲斐があるな〜。あっ、記録用に、写真いいです?」


「もちろんです」


 カメラを取り出す五味に梨花が快く答えると、キョーコも自分のスマホを取り出して「はいはい!」と手を上げた。


「五味っち! 私もあとで一緒に撮りたい!」


 ピィピィ!

 大家さんもパタパタと小さな羽を広げる。


「了解です、まずは梨花さん一人で全身からお願いします」

 と、五味。


「はいっ」


 プロの顔になった五味にレンズを向けられて、梨花はなんだかモデルになったような気分で、ぎこちなくポーズを決めた。






「────ごめんね、わちゃわちゃしてたら、思ったより時間とっちゃったわ」

 と、キョーコ。


 ピィピィ。

 と、大家さんも静かに鳴く。

 大家さんに眉毛はないのに、なんだか申し訳なさそうに眉を下げているように見えるのはなぜだろう。

 可愛らしいなと思いながら、梨花は笑って首を振った。


「大丈夫です、記念ですから。いっぱい撮ってもらえて嬉しいです。それに、会社の最寄駅の近くにも『道』ができたから」


 そう言いながら、梨花は赤い鼻緒の下駄をはく。

 玄関まで見送りにきてくれたキョーコが、思い出したように眉をあげた。


「あっそうか。でも、いつもの道より街中なんでしょ? 知ってる人に見つからないように、気をつけてね」


「いきなり路地から出てきたら、驚かせちゃいますもんね。気をつけます。────よし、じゃあ行ってきます!」


「行ってらっしゃい!」


 キョーコに手を振って、扉をあけると、後ろからスリッパの音と仙道の声がした。


「梨花ちゃん、これ、忘れてる! 昨日作ってたやつ」


 仙道の手には、梨花の保冷バッグ。


「あっ!」


「はい」


 仙道からバッグを受け取り、梨花はもう一度扉を開けた。


「ありがとうございます。────行ってきます!」






          ◇







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