第82話
「よしっ、次は梨花さんの分ですね。あ、ちょうどいいや。このあとフィッティングいけます?」
キッチンで洗い物をしながら、五味が言う。
「あ、はい! よろしくお願いします」
机を拭き終わり、梨花はぺこりと頭を下げた。
「え、私もみたい! 梨花ちゃん、いーい?」
「どうぞどうぞ。キョーコさん」
「じゃあとでお部屋に浴衣、持っていきますね────」
◇
「こんな感じでどうでしょう」
梨花の部屋の床で、五味がたとう紙を広げてみせる。
中からのぞく優しい色合いに、ほう、と梨花の口からため息が出た。
「よいっしょ」
そっと大切なものを扱うように、五味は浴衣をゆっくりと広げる。
裾にかけて絞りのような模様のはいった藤色の生地に、水彩画のような優しいタッチの白い百合の花。
花の輪郭がにじんだように曖昧なところが、とても可愛らしく、儚げで美しい。
半衿にはよく見ると上品なレースがあしらえてあり、胸元を控えめに彩る。
落ち着いたシャンパンベージュの帯と、同じ色の金魚の帯留。
小物まで凝っている。
「綺麗────」
「可愛いよっ! 梨花ちゃん、絶対似合う!」
と、キョーコもはしゃぐ。
「お好きです?」
「うん、すっごく」
こくこくと梨花が頷くと、五味がほっとしたように笑った。
「よかった。────じゃ、俺はリビングにいるので。さっそく着てみて下さい」
◇
「あっ、キョーコさん、タオル一枚ください」
「はぁい、どーぞ。────いつだっけ? 梶田っちとの約束」
キョーコと喋りながら、梨花はタオルを腰に巻いて、紐でとめてゆく。
「来週です。日曜日」
「いいねぇ、楽しんでおいでね。おっ、お天気も良いっぽいよ、やったね⭐︎」
スマホでお天気アプリをひらきながら、キョーコがピースサインを作って笑う。
「浴衣で出かけるの久しぶりで。なんだか緊張します」
そう言いながら、自分のために作られた浴衣に腕を通すと、自然と背筋がのび、気分があがる。
まるで、お守りのようだ。
帯を占め、帯留をつけた。
キョーコが部屋から持ってきてくれた姿見の中に、浴衣を着た梨花がうつる。
(────可愛い)
これは、しっかりと五味にお礼をしなければ。
おしゃれにうとい梨花にも、良い品だということがわかる。
何より、とっても気に入った。
「うん、綺麗。可愛いよ、梨花ちゃん! これは梶田っちの方が緊張しちゃうよ〜! ねっ、よかったらさ、当日のヘアメイクは私にやらせてよ」
「いいんですか? 願ってもないです」
「わー、腕がなるぅ♡」
キョーコが梨花へ抱きつくようなしぐさをしたかと思うと、触れる直前でストップした。
「っとと。シワになっちゃいけないね」
そして、ふふっと笑って、優しい目を梨花に向けた。
「梨花ちゃん、可愛くなったね」
「ありがとうございます。照れます」
「へへ。いいよいいよ。あの頃だったらさ、絶対『そんな事ない』って言ったでしょ。気持ちもさ、可愛くなってるんだよ。いい事だ。────気を悪くしないでね? 最初会った時はさ、目の下のクマとか、疲れてるなぁって印象が強かったけど」
そっと梨花のほおにそえられたキョーコの手があたたかくて、なんだか胸の奥にまでほんわりと温もりがともるような気分になる。
「いまはね、目がキラキラしてる」
「まわりの人に、恵まれたおかげです」
こんなふうに素直に、気持ちを伝えられるようになったのも。
「私を変えてくれたのは、皆さんです」
キョーコも照れたように、嬉しそうに笑った。
そして白く形の良い小指を、そっと梨花の前に差し出した。
「そうだね、お互いさまね。よしっ、約束しよう。この先いろんなことがあるだろうし、死ぬほど悩む別れ道もあると思う。相手のことを思いすぎて、自分を押し殺すこともあると思う。でもさ、究極、自分の気持ちに素直に生きてくことは忘れないでおこうね。────幸せになろうね」
「はいっ」
指を絡めて、約束を唱える。
胸の中にぼんやりと浮かぶ、別れの二文字を意識したのは、梨花だけではないだろう。
ここは終の住処ではない。
私たちは、いつか自分の場所へと戻っていくのだ。
◇




