10 雨降って地固まった朝のこと
ハンナのおうちにて、カクテルをちびちび飲みながら、急遽集まってくれたハンナとアリアにめそめそ愚痴る。
「それでクライヴったらね、私がケーキ作ったのに急に飲みに行くって。ほんと酷いと思う」
しかも日付的にも時間的にもタイミングが悪かった。どうして昨日でも明日でもなく、今日なのか。どうしてオーブンで焼いている間なのか。
焼く前ならとろとろの生地を、焼いたあとならあつあつの生地を口に突っ込んで……いや、お願いして食べてもらったのに。
鼻をすすって顔をあげると、二人は「あらあら〜」とにやけていた。その顔はなあに。
「ねえアリア、聞いた? シーラがプレゼントだって」
「聞いたわ。そっちにびっくりしてその先が何も頭に入らなかったもの」
「もう! 二人ともちゃんと聞いてよ」
お手製チョコレートケーキをフォークでグサグサ。うう、美味しい。なんで私、これをここで食べてるんだろ。
まぁ、ハンナとアリアが美味しそうに食べてくれてるからいっか。二人はきゃっきゃっ騒いでいた。
「だって、良い感じになった方のお誕生日ですら『忘れてた』とか言って何も贈らなかったあのシーラが!」
「そうね、舞踏会でシーラママが勧めた相手を断固拒否してたあのシーラが」
「「クライヴ様のためにプレゼントだなんて!」」
いちいちハモらなくてよろしい。私はため息をついた。
「忘れたのはまだちっちゃかったときの話だから。それに、ダンスの相手くらいは自分で決めたかったし」
「元々結婚できたのがすごいのよ! 縁談が決まりそうになる度に家出してたんだから!」
「あの方は嫌この方も嫌って言ってたのに、クライヴ様とはすんなり結婚したものね。このご縁は運命だったのよ!」
「他の人とは考え方が合わなかったの。クライヴは公爵家だから我慢しただけで」
フォークをちょいちょい振って、二人に言い返すも、
「おてんばシーラが、今やクライヴ様にプレゼントだなんて! アリア、今夜は祝い酒よ!」
「落ち着いて、ハンナ。私もじゃんじゃん飲むわ!」
だめだ、二人とも聞いてない。私は机に寝そべって息をついた。
鼻孔をくすぐる甘いケーキに甘いカクテルの香り。きっとクライヴと一緒だったらカクテルじゃなくてほろ苦いワインだった。
甘々尽くしも好きだけど、甘苦塩梅がちょうどいい組み合わせも恋しくなる。
それもそのはず、このケーキはクライヴ好みに作ったもので。
「プレゼントというか、私はちょっと喜んでもらえればいいなって思っただけで……」
喜んでもらいたくて何かをするのは、パパやママ、ハンナやアリアに対しても同じ。その中にクライヴも追加されただけ。
……あ、私、きちんとクライヴのこと大切に思ってるんだ。ふっと顔が火照る感じがした。お酒、飲みすぎちゃったかも。
「あ〜、シーラが恋愛してると、こう、感慨深い気持ちになるわ! 親ってこういう気持ちなのね……!」
「それ、この前の舞踏会でも聞いたわ。もう、ハンナったら酔ってきてるわね」
「酔ってないわ!」
「いいえ、そう言う人ほど酔ってるのよ!」
二人も相当飲んでそう。あは、なんだか楽しくなってきちゃった。ふふふふふ、と笑って二人のグラスにお酒を注ぎ足す。
大事なことに気付かせてくれたお礼に。
「あはは! 今夜はいっぱい飲むぞー!」
「「いえーいっ!」」
その日は、朝から澄み渡る快晴の日だった。雨雲は遠く過ぎ去ったようで、久々に天気がよかった。
頭が痛い。お水を飲んでぼーっとする。
起きたらゲストルームのソファーの上だった。ここでみんなで寝たんだっけ。二人の姿は見当たらず、時間もよくわからない。
うん、二度寝するしかないな。そう思ってベッドにダイブしかけたとき、
「シーラ、起きたのね! 早く帰る支度を整えて」
「ほら、寝ようとしないの」
ドアから入って駆け寄ってきた二人に止められた。
「えー、やだ。寝る」
「そうね、すごく眠たそう。好きなだけ寝たらいいわ!」
「ハンナ、甘やかしちゃだめよ。ちゃんと立って、シーラ」
「やだやだ。帰りませーん」
「それは困るな」
乙女の可愛い声に混じって苦笑混じりの低い声がした。お腹に手が回されて、体が起される。む、この手の感触は。
ぱちっと目が覚めた。クライヴだ!
「な、なんで」
「おはよう、シーラ。迎えに来た」
「お、おはよ」
頭痛とびっくりのダブルパンチ。うっ、吐き気が。
再びコップに手を伸ばしてお水をごくごく。つられてハンナとアリアも水を飲み始めて、クライヴはいよいよ呆れた。
「二日酔いか? どれだけ飲んだんだ。全く、君たちお姫様ときたら」
「ちょっとしか飲んでないもん」
「ふらふらじゃないか」
「そんなことないもんねー」と親友たちに笑いかけたら、「クライヴ様の仰る通りですわ!」「シーラったら、昨晩は本当にすごくて」と裏切られた。
むすーっと頬を膨らませる。いいもん、知らないもん、二度寝してやるもん。ぼふっとベッドに横たわる。
「おやすみ」
「そう拗ねるな、シーラ」
「拗ねてないもん」
「帰ろう。起きてくれ」
「だるいしんどい起きられない」
薄目でクライヴを見上げると、「わかった」と小さく頷かれた。何が?
するりと腰と膝裏に腕が回る。そのまま、宙に。
「ではお姫様、僕がお運びしよう」
「わっ、ちょっ」
多分いわゆるお姫様抱っこってやつ。ハンナたちがきゃーきゃー言ってるし、私の心臓はばくばくし始めた。朝からこれは、刺激が強い。
部屋をすたすた出ていくクライヴの服を引っ張る。
「あの、降ろして」
「何故? 君は起きられないんだろう」
「いや、でも、その、重くない?」
「不思議なことに存外軽い。君はぽちゃぽちゃなのにな」
「良いことと悪いこと同時に言わないで」
「これからは子豚と呼ぼう」
「それは悪口!」
「子豚は可愛いが? 君も可愛い」
馬車に乗せられ、にっこりとドアを閉められた。クライヴは挨拶しに戻ったらしく、玄関先でハンナとアリアがハイテンションでぴょこぴょこ跳ねているのが見えた。
君も可愛い。一人膝を抱えてにやける。クライヴが私のこと可愛いだって。
ハンナとアリアにお別れをして、私たちを乗せた馬車が走り出した。朝の柔らかな日差しの下で、気温が上がりきってないひんやりした風が吹き抜けていく。
頭の中では未だに可愛いを反芻。可愛いって、子豚みたいでかわ……。豚? クライヴをつつく。
「ねえ、私は豚と同列ってこと?」
「君は人間と豚を同列だと思っているのか?」
「クライヴがさっきそう言ってた」
「僕が言ったのは子豚だ」
変わらないじゃない。むむむっと睨むと、クライヴが首を横に降った。
「子豚は小さくて柔らかく、ひ弱で可愛い。そして美味しい。まさに君と同じ」
「ひよわ」
「君は酒に弱いくせにたくさん飲んで、頭まで弱い。二日酔いで今もボロボロ」
「悪口ばっかり!」
「事実だろう? だから、この僕直々に迎えに来たんだ」
……そっか。クライヴも昨日は飲み会だったのに、わざわざ私のために。
眩しいなって思ったら、水たまりに反射した朝日だった。ちょっぴり雨の匂いが残る青空を見上げる。
視線はそのまま、手はクライヴのほうに。何も言ってないけれど、静かにぎゅっと握ってくれた。
「お迎え、ありがとう」
「あぁ」
それから車内に会話はなかった。ぽかぽか陽気に照らされ、涼やかなそよ風で髪がなびくのみ。
沈黙ですら心地良いと思ったのは、初めてのことだった。
おうちに到着し、降りようとしたとき。
私に手を差し出したクライヴは、悩み事があるみたいにやや暗い声色で「ところでシーラ」と。
「君は嫌なことがあると家出していたという報告があってだな」
「そういう時代もあった」
「恐ろしい時代だな」
「あの頃はやんちゃだった」
「今もだろう」
さあ、なんのことやら。とぼけたけど、クライヴには効かなかった。
「今回家出した理由は?」
「クライヴが飲みに行ったから」
「それだけで? もしかして君は束縛気質なのか?」
「違う。昨日はたまたまケーキ作ってたの。クライヴと一緒に食べたいなって」
「僕と?」
「そう。でもクライヴが飲み行ったから愚痴大会開いた」
「なるほど。愛憎は表裏一体とはこのことか」
クライヴが玄関前の階段で歩みを止めた。振り向いたところで、ふわっと香ったのは石鹸の、クライヴの匂い。
「シーラ、僕の前から黙っていなくならないでくれ。言いたいことがあるなら僕に」
私をぎゅうっと抱きしめる腕は強く、お願いの声はどこか苦しそうで。見上げて見えた表情はしゅんと不安そうだった。
「君と僕は夫婦なんだろう?」
今さら何を。むぎゅっとクライヴの両ほっぺたを包む。そんなの、当たり前なんだから。
「もちろん」
背伸びをしてキス、に届かない。ちょっと身長が足りなくて脚が吊りかけたところで、クライヴが背中を丸めてくれて、ふにっと唇が当たった。
おうちに到着後、朝食か昼食かの間のご飯を済ませる。クライヴは「一段落した仕事の後処理がある」とかどうのこうので、普段よりは遅れながらもお仕事に行くらしい。
だから、私もお見送りに。
「クライヴ、帰りはいつ頃?」
「普段通りだ」
「飲みには?」
「昨日が稀だっただけだ」
「そっか」
よしよし。それなら。
ネクタイをまっすぐにしてあげつつ、にこーっと笑いかける。
「じゃあ、今夜こそ、ケーキ食べてお酒飲も」
ケーキリベンジだ。
にこにこな私に対し、クライヴは目を丸くしてこてんと首を傾けた。
「君は二日連続ケーキを食べるつもりなのか? そんな様子であっという間にまんまる大豚にならないでくれよ。肥満はあらゆる病気を招く」
「なっ」
「いいか。君の作ったケーキを食べるのは大いに賛成だが、君は調理中のつまみ食いは控えて、間食にも注意したほうがいいだろう」
「はいはい! さっさといってらっしゃい!」
な、何言ってるんだ、この人。大豚って。つまみ食いも間食もしてないし! ……ちょっとだけしか。
クライヴの大きな背中をぷんすか押し出す。
「待て、シーラ」
「ん」
恒例のいってきますのキス。離れて、クライヴが口元を緩ませた。
「ケーキ、楽しみにしている。ではシーラ、いってくる」
「い、いってらっしゃい。気を付けてね、クライヴ」
馬車が見えなくなってから、振っていた手を降ろして両手でぐっと握りしめる。
ああもう、クライヴに微笑まれただけでやる気が出ちゃうんだから、多分私はとても単純。好きな人の笑顔っていいな。元気になれる。
よしよし。気合い入れてケーキ作ろ。
クライヴに喜んでもらうために、クライヴをもっと夢中にさせるために、そして、これからの私たちが仲良く長続きすることを祈って。




