第10話 モブ冒険者、ギルドで日常を営み、影の支配者と噂される(前半)
アルザード城の一件から数日後。
王国と魔王領の境界がピリピリと緊張感を増していることなど露知らず、ロッシュはいつも通り――しかし、少しばかり気まずい思いを抱えながら、所属する街の冒険者ギルドのカウンターに立っていた。
「……はい、依頼の完了報告ね。ご苦労様、ロッシュ」
「お疲れ様です、お姉さん。いやぁ、近隣のゴブリン退治も無事に終わって何よりですよ」
ロッシュは冴えないモブ風の笑みを浮かべながら、受付のお姉さんに討伐の証明書を差し出す。
しかし、彼女の視線はロッシュの顔と、カウンターの端に置かれた最新の情報冊子を何度も往復していた。どこか怪訝そうな目つきで。
「あのさ、ロッシュ君。あなた最近、一部の冒険者たちの間でなんて噂されてるか知ってる?」
「え? いや、初耳ですけど……」
「……『アルザード城を裏で陥落させ、王国軍を一網打尽にした魔王軍の最凶謀略家』……なんてバカげた尾ひれがついてるのよ」
「ぶっ――!!?」
ロッシュは口に含んでいたお茶を盛大に吹き出しそうになり、慌てて口を押さえた。
心臓がバクバクと跳ねる。
(なっ、なんだって……!? アルザード城の件、なんで俺がそんな大悪党の黒幕扱いされてんだよ! 俺、壁の修繕に行っただけだぞ!?)
「い、いやいやいや! 全然違いますって! 俺なんてただの下級魔法しか使えないモブのしがない冒険者ですよ! 謀略家どころか、道端の石ころみたいな存在ですって!」
必死に両手をぶんぶんと振って否定するロッシュ。
すると、近くの席で酒を飲んでいたベテラン冒険者たちが、ゲラゲラと下品な笑い声を上げた。
「ハハハ! 当たり前だろ、あのロッシュだぞ!?」
「ただの器用貧乏で冴えないモブのロッシュに、そんな大層な頭脳があるわけねぇだろ!」
「壁の補修だの雑用ばかりやってる奴が、王国軍をハメただの魔王軍の軍師だの、笑わせるぜ。どうせ同姓同名の別人か、誰かのデマに決まってるさ!」
バカにしたように鼻で笑い飛ばす冒険者たち。
ロッシュとしては「そうそう! その通り! 俺にそんな大層な頭脳なんてないよ!」と胸を撫で下ろし、いつもの平和な日常が戻ってきたことに心からホッとしていた。
……その直後、ギルド全体を激震させる恐ろしい轟音が響き渡るまでは。
――ズドンッ!!
「ひゃっ!? な、なんだ地震か!?」
「外だ! 外を見ろ!!」
ギルドの窓ガラスが激しく揺れ、さっきまでロッシュをバカにしていた冒険者たちが慌てて外へ飛び出す。
探す間もなく、ギルド前の大通りに目を剥き、その場に氷付けにされたように固まった。
そこにいたのは――数メートルの巨体を誇る、恐るべき魔獣王レガリアだった。
上半身はあどけない少女の姿でありながら、下半身は巨大な黄金のライオン、そして背後でうねる黒蛇の尾。愛用する巨大な黒鉄の斧が太陽の光を冷たく反射している。
街の住人たちが恐怖で腰を抜かし、誰もが絶叫して逃げ惑おうとしたその時――。
レガリアは黄金の瞳をキョロキョロと巡らせ、やがてギルドの入り口の前に立っていたロッシュを見つけた。
「あ――! いたいたぁ、ロッシュぅー!!」
――フワッ、と。
あの巨大なライオンの巨体が、信じられないほどの軽やかな跳躍で大空を舞い、ギルドの目の前へと着地した。
バカにしていた冒険者たちが「ひっ、死んだ……!」とガタガタと震え上がる中、レガリアはトコトコと歩み寄ると、柔らかい猫なで声でロッシュにすり寄った。
「んもぉー、こんなところにいたんだぁ! 魔王様がねぇ、『ロッシュが最近帰ってこないから寂しがって過呼吸になりそう』って言ってたからぁ、お迎えにきちゃったよぉ!」
「レガリア!? お前、なんでこんな街の真ん中に……! 目立つからやめろって!」
「えぇ〜? だってぇ、 あ、そうだ! ついでにこの街の領主様にご挨拶してぇ、『今度からこの街も魔王軍の保護下に入れてあげるね』って言っとこうと思ってぇ!」
レガリアはニコニコと(周囲の人間にとっては恐怖のどん底に落とされる)恐ろしい爆弾発言をサラリと言ってのけた。
ロッシュは顔を青ざめさせ、レガリアの頭を「いいから出しゃばるな!」とグリグリと押さえつける。
「お前なァ! 勝手にそんな物騒なこと言うな! 俺はただ普通にモブとして暮らしたいんだよ……!」
「えへへぇ、ロッシュってば照れ屋さんなんだからぁ。ほらぁ、早く魔王様のところに戻ろぉ?」
圧倒的な魔獣王が、さっきまでバカにしていたはずの「ただのモブ冒険者」に頭を押さえつけられ、タジタジになりながら甘えている――。
その光景を目撃した冒険者たちは、顎が外れそうなほど口をあんぐりと開け、恐怖と衝撃で顔面を真っ青に染め上げていた。
(((噂はデマじゃなかった……!! あいつ、魔獣王を手玉に取り、魔王すらも動かす、本物の『影の支配者』だったんだぁぁーーーっ!!!)))
――だが、ロッシュの受難と冒険者たちの恐怖は、これで終わりではなかった。
ギルドの空間が、突如として不気味に歪み始める。
温度が一気に氷点下まで下がり、ギルド内の空気が冷たく張り詰めた。空間の真ん中に、まるで世界が裂けたかのような漆黒の禍々しいゲート(亀裂)がぬうっと出現する。
「ひ、ひぃぃぃっ!? な、なんだあの禍々しい気配は……!?」
「次元が……空間が引き裂かれてるぞ!?」
腰を抜かす冒険者たちの前で、漆黒の空間から滑り出すように現れたのは――黒いフードに身を包み、不気味な骸骨仮面をかぶった小柄な少女。
魔王軍の幹部にして、死を司る死神ネクロアだった。
死神の降臨に、ギルドの誰もが息を吸うことすら忘れて硬直する中、ネクロアは仮面の奥から淡々とした無感情な声で口を開いた。
「……ロッシュ様。魔王様がダダをこねております。沈めてくれませんか?」
「お前らぁ~! アルザード城の一件以来、ガードが緩くなってねーかぁ~?! 街の真ん中で何堂々とゲート開いてんだよ!!」
頭を抱えて絶叫するロッシュ。
魔王を「ダダをこねてるから沈めてくれ」とさらりと言う死神と、それに対してブチギレるモブ冒険者。
(((死神を従え……魔王を『沈める』ことができる男……!! 間違いねぇ、あいつが世界の真の黒幕だぁぁぁーーーっ!!!)))
冒険者たちの心の中で、ロッシュの「影の支配者説」は絶対に覆らない事実として、完璧に刻み込まれてしまったのだった――。




