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沈黙の推理者  作者: 最後に残った形
第9章

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第10章 第7話:東京会議


あらすじ:サラとマーカスが東京に集まり、デジタルを介さない対面での会議が開かれる。木村刑事と村上准教授も加わったその場で、智也は「罠を逆用する」戦術を提案する。チームは、意図的に誤った調査方向を外部に見せながら、本当の調査を別のルートで進める二重構造の作戦を検討する。しかし、その議論の中で、チームのメンバーの一人が、自分が知らぬうちに監視の媒介になっていた可能性を、自ら告白する。その告白が、第二世代のシステムがどのように人々の内側に入り込んでいるかを、最も具体的な形で示すことになった。


---


三月の初旬。


東京は、春の入り口に立っていた。


桜のつぼみが、ふっくらとふくらみ始めていた。


智也が会議の場所として選んだのは、大学のキャンパスではなく、進藤刑事の旧友が経営する、下北沢の小さな書店の奥にある、読書会用の部屋だった。


デジタル機器の持ち込みは、最小限にする。


スマートフォンは電源を切るか、別の部屋に置く。


会議の内容は、ノートへの手書きのみで記録する。


事前にそのルールを伝えた時、サラは少し驚いた様子だったが、すぐに同意した。


マーカスは、「完全に同意します。むしろ、そうすべきでした」と返信してきた。


三月の第一土曜日の午前十時。


小さな部屋に、六人が集まった。


智也と美優。


サラとマーカス。


村上准教授。


そして、木村刑事。


書棚に囲まれた、六畳ほどの部屋だった。


丸いテーブルを囲んで、全員が椅子に座った。


古い木の匂いがした。


外から、商店街のざわめきが、微かに聞こえた。


智也は、全員の顔を見回してから、口を開いた。


「今日は、来ていただいてありがとうございます。まず、現状を整理させてください」


手元のノートを開き、箇条書きにまとめた内容を、声に出して読み上げた。


コグニティブ・ブリッジ・リサーチの存在。


美優のクラウドへの不審なアクセス。


マーカスのリポジトリへのコードの混入。


そして、相手が調査の停止ではなく、監視と方向性の制御を目的としているという推理。


全員が、静かに聞いていた。


智也が読み上げを終えると、最初に口を開いたのは、木村刑事だった。


「コードの混入の追跡は、現在も続けています。ただし、相手のプロキシが精巧で、最終的な発信源の特定は、時間がかかります。今日の段階で言えることは、混入のタイミングと、チームのコミュニケーション内容が、強く相関しているという事実のみです」


「つまり、チーム内の情報が、漏れていることは、ほぼ確実ということですか」


「そう判断しています」


村上が、続けた。


「技術的な観点で言えば、漏れの経路は、いくつか考えられます。一つは、チームメンバーのデバイスが、マルウェアに感染している可能性。二つ目は、使用しているコミュニケーションツールに、脆弱性がある可能性。三つ目は、チームメンバーのいずれかが、意図せず情報を外部に伝えている可能性です」


「意図せず、というのは、どういう意味ですか」


マーカスが聞いた。


「たとえば、チームの誰かが使っているアプリの中に、第二世代のシグネチャを持つコンテンツを大量に消費した経歴があれば、その人の思考パターンが、システムに学習されている可能性があります。そして、その人が無意識に取る行動が、情報の漏れに繋がっているかもしれません。悪意のある行動ではなく、思考のリズムが読まれているという意味での、意図せざる漏れです」


その説明が、部屋の空気を、少し重くした。


「つまり、誰かを犯人として疑うのではなく、誰かの認知が、意図せず利用されているかもしれない、ということですか」


サラが言った。


「そうです」


村上は、静かに頷いた。


しばらく沈黙が続いた。


そして、マーカスが、ゆっくりと手を上げた。


「私かもしれません」


全員の視線が、マーカスに向いた。


「先月、サンフランシスコで、ある研究者と食事をしました。旧知の人物で、認知科学の専門家です。その席で、私は、チームの研究方針について、かなり詳しく話しました。その人物が信頼できる人間だと、疑いなく思っていたので」


「その人物の名前を、聞かせてもらえますか」


木村刑事が、手帳を取り出した。


「ライアン・ゴールドバーグ。スタンフォードの神経科学部の研究者です。私がAIの分野に転身する前に、一緒に研究していた人物です」


マーカスは、言葉を切った。


「ただ、今考えると、彼が聞いてきた質問が、私たちの研究の核心に触れるものばかりだった。当時は、旧友との久しぶりの会話だと思って、率直に答えていました。しかし、後から振り返ると、彼の質問は、非常に系統立っていた。まるで、特定の情報を引き出すことを目的としているかのように」


「ライアン・ゴールドバーグについて、何か知っていますか、サラ」


智也は、サラに向けて聞いた。


サラは、表情を変えずに答えた。


「名前は知っています。スタンフォードの神経科学部の中では、比較的知名度の高い研究者です。ただし、最近の彼の研究テーマについては、詳しくありません」


「調べる価値がありますね」


木村刑事が、手帳に書き込みながら言った。


「ただし、マーカスさん、一つ確認させてください。その食事の場で、あなたは何を話しましたか。具体的に覚えていますか」


「主に、シグネチャ検出ツールの技術的なアプローチについてです。どのような方法で、コンテンツからシグネチャを抽出しようとしているか。それから、調査の進捗状況と、次のステップについても話しました」


「コードの混入が起きたのは、その食事の何日後ですか」


マーカスは、スマートフォンを取り出そうとして、止まった。


代わりに、記憶を辿りながら言った。


「四日後だったと思います」


「その間に、ライアン氏が誰かに情報を伝え、コードの混入が行われた可能性があります」


「彼が、意図的にそれをしたということでしょうか」


「あるいは、ライアン氏自身が、知らずに誰かの情報収集の媒介になっていた可能性もあります。第二世代のコンテンツを通じて、彼の思考パターンが読まれていれば、彼が友人に語る内容も、ある程度、予測できる。そして、その情報を、組織が利用した」


その解釈が、部屋に静かに広がった。


マーカスは、深く息を吐いた。


「つまり、私を騙すために、ライアンを使い、ライアン自身は、それを知らなかったかもしれない、ということですか」


「その可能性があります」


「それは、私よりも、ライアンにとって、より辛いことかもしれません」


その言葉が、部屋の空気をさらに重くした。


智也は、そのマーカスの言葉を、心の中で受け止めた。


自分が騙されたことへの怒りよりも、自分を媒介に使われた友人への、心配が先に来る。


それが、マーカスという人間だった。


「今日の話の中心は、二つあります」


智也は、気持ちを整理して言った。


「一つは、情報の漏れをどう防ぐか。もう一つは、その漏れを逆用して、相手を引き出すことができるかどうか」


「逆用するとは、具体的にどういう方法ですか」


美優が聞いた。


「相手が私たちの調査内容を監視しているなら、私たちが意図的に、誤った方向への調査を見せることができます。本当の調査は、この部屋のような、監視されていない空間で進める。そして、デジタルを通じては、あえて、別の内容を流す」


「二重構造の作戦ですね」


「そうです。ただし、リスクがあります。相手が、私たちの意図を見抜けば、逆に私たちの本当の動きを探ろうとする動きが激しくなるかもしれません」


「そのリスクを、どうやって管理しますか」


「段階的に行います。最初の段階では、相手が予想する方向への調査を、表面上は続けます。シグネチャの追跡、技術的な解析、法的な対応。それらは、本当に続けます。ただし、その並行で、この部屋のような場で、別の調査を進めます」


「別の調査とは何ですか」


サラが、身を乗り出して聞いた。


「コグニティブ・ブリッジ・リサーチが、エドワードの直轄チームの運営だったということは、エドワードの証言の中に、何らかのヒントが残っている可能性があります。エドワードは、全てを話したと言っていましたが、マーカスと同様に、彼自身が把握していなかった活動があったかもしれない」


「エドワードに、改めて聞くということですか」


「はい。ただし、今度は、デジタルを通じてではなく、対面で。エドワードは現在、ロンドンにいると聞いています」


「またロンドンに行くつもりですか」


美優が言った。


「必要があれば、そうします。ただし、今日の段階では、まず別のことを確認したい」


智也は、全員の顔を見回した。


「このチームの中で、ライアン・ゴールドバーグ以外に、最近、旧知の研究者や知人から、私たちの調査に関連した質問を受けた方は、いますか」


部屋が、静まり返った。


そして、少し間を置いてから、村上が、静かに手を上げた。


「一件、あります」


全員が、村上を見た。


「先月の学会で、大学院時代の同期と再会しました。私が最近、認知操作の検出技術の研究を進めていることを、彼は知っていて、詳しく聞かせてほしいと言ってきた。私は、研究者同士の自然な関心だと思って、かなり詳しく話してしまいました」


「その同期の名前は」


木村刑事が、再び手帳を取り出した。


「橋本拓也。現在は、民間のデータ分析企業に勤めています」


木村刑事が、その名前を書き取った。


「その企業の名前は分かりますか」


「フューチャーマインド・ラボという、比較的新しい企業です。設立は二年前だと言っていました」


「二年前」


智也が、反復した。


「コグニティブ・ブリッジ・リサーチの設立と、時期が重なります」


部屋の中に、冷たい沈黙が落ちた。


木村刑事が、静かに言った。


「フューチャーマインド・ラボについて、今日中に調べます。コグニティブ・ブリッジ・リサーチとの関係が確認されれば、関連する組織の全体像が、さらに明確になります」


「ありがとうございます」


智也は、木村刑事に頷いてから、全員に向かって言った。


「マーカスさんも、村上先生も、何も悪くありません。信頼できると思った人間に、誠実に話した。それは、正しい行動です。問題は、その信頼を、組織が悪用したことです」


「しかし、結果として、情報が漏れた」


マーカスが、沈んだ声で言った。


「そうです。それは事実です。ただし、これが分かったことで、私たちは次のステップに進めます。相手がどのように情報を収集しているかが、より明確になった。それを、逆用する材料にできます」


「具体的には、どうするのですか」


「ライアン・ゴールドバーグと橋本拓也、二人を通じて、意図的な情報を流すことができます。私たちの調査が、特定の方向に向かっているように、相手に思わせる情報を。そして、その間に、本当の調査を、この部屋のような場で進める」


「相手が偽の情報に引っかかるかどうかは、どうやって確認しますか」


美優が聞いた。


「相手が動いた痕跡を見ます。木村刑事に、コグニティブ・ブリッジ・リサーチとフューチャーマインド・ラボの動向を、継続的に監視していただく。偽の情報が相手に届いた後、その組織の行動に変化が生じれば、情報が届いたことの証拠になります」


「逆に、変化がなければ、情報が届いていないか、相手が既に私たちの意図に気づいている可能性があります」


「そうです。リスクはありますが、現状のまま監視され続けることよりも、積極的に動く方が良いと判断しています」


全員が、互いの顔を見合わせた。


美優が、最初に言った。


「やってみる価値がある」


サラが続いた。


「同意します。ただし、偽の情報の内容は、この場で慎重に設計する必要があります」


マーカスが、頷いた。


「私は、ライアンへの情報提供役を、引き受けます。彼が悪意を持っているとは思えない。だから、彼に不利になるような形は避けながら、進めたい」


「その点は、十分に配慮します」


村上が言った。


「私も、橋本に対して同じように対応します。彼も、知らずに利用されていたのなら、彼を守ることが、先です」


「ありがとうございます」


智也は、そう言ってから、ノートに向かった。


「では、偽の情報の設計を始めましょう。相手に、私たちがどこへ向かっていると思わせたいか、それを決める必要があります」


その後、二時間にわたって、詳細な作戦が練られた。


偽の情報として流す内容。


本当の調査の方向性。


東京と他の都市との連絡方法。


全てが、紙のノートに書き留められた。


会議が終わったのは、午後二時を過ぎた頃だった。


部屋を出ると、外には春の日差しが広がっていた。


商店街の人々が、それぞれの日常を歩んでいた。


マーカスが、智也の隣を歩きながら言った。


「千葉さん、一つ聞いていいですか」


「何でしょう」


「あなたは、この調査を通じて、怖いと感じたことはありますか」


智也は、少し考えた。


「怖いと感じることは、あります。ただし、その怖さが何に向かっているかは、変わってきました」


「どういう意味ですか」


「最初は、外にある何かが怖かった。陰謀、組織、権力。しかし、今は、自分の内側が怖い、と感じることもあります。自分の推理が、誘導されているかもしれないという怖さです」


「それは、辛くないですか。自分自身を信頼できないという状態は」


「辛いです。しかし、同時に、その怖さが、私を慎重にさせてくれています。完全に信頼することの危険を、常に意識できる。それは、推理者として、大切な感覚だと思っています」


マーカスは、しばらく黙って歩いてから、言った。


「私がAcademicMindを設計していた時、怖さを感じなくなっていた時期がありました。技術への確信が強すぎて、懸念を感じる余白がなかった。今思えば、その時が一番、危なかった」


「確信が、怖さを封じる」


「そうです。あなたが、自分の推理を怖いと感じながら続けているのは、正しいことだと思います。確信の中に怖さを持ち続けることが、誠実さの証かもしれません」


二人は、しばらく、並んで歩いた。


春の光が、商店街を温めていた。


その夜、智也は、図書館ではなく、自室のデスクでノートを開いた。


**「今日の会議で分かったこと。情報の漏れは、悪意からではなく、信頼から起きていた。マーカスも村上先生も、誠実だったからこそ、利用された。誠実さを武器にするシステムの前に、誠実さが弱点になる。しかし、だからといって、誠実さを捨てることはできない。それが、この旅全体を通じて、最も大切にしてきたものだから。」**


**「作戦の骨格が決まった。偽の方向性をデジタルで流しながら、本当の調査は対面で進める。相手が動いた痕跡を、木村刑事が追う。二重構造の中で、第二世代のシステムの実像に近づく。」**


**「マーカスの言葉が残っている。確信の中に怖さを持ち続けることが、誠実さの証かもしれない。それは、推理者として、一番大切にすべきことだと思った。」**


**「次のステップは二つ。一つは、偽の情報を、ライアンと橋本へ、自然な形で流すこと。もう一つは、エドワードへの再接触の準備を進めること。彼が知らなかったコグニティブ・ブリッジ・リサーチの詳細について、対面で聞く必要がある。」**


**「第十章は、まだ終わっていない。しかし、今日の会議を通じて、一つだけ確かなことが見えた。どんなに精密なシステムでも、人間が誠実に対話を重ねる場には、入り込めない部分がある。その部分を守り、広げることが、私たちの最善の戦い方だ。」**


春の夜が、静かに東京を包んでいた。


部屋の窓の外に、街の灯りが広がっていた。


その灯りの一つ一つに、それぞれの人間の思考が宿っていた。


その多様性が、今夜も、智也の確信の根拠だった。


---

第10章 第7話「東京会議」完


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