第6章 第2話:エリックの告白
あらすじ:文書でのやり取りを経て、エリック・ノースとの正式な接触が実現する。彼は、インターポールの立会いのもと、自発的に情報提供を行う。その告白の内容は、シャドウ・ネットワーク解体後の残存組織の活動と、複数の国の選挙への介入の詳細を、余すことなく明かすものだった。同時に、エリックという人物の内面が、智也には、これまでの誰とも異なる、全く新しい複雑さを持つことが、分かってくる。
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エリック・ノースとの正式な接触は、ストックホルムで行われることになった。
インターポールのマルク・デュボワが、再び、コーディネーターとして動いた。
智也と美優、そして進藤刑事の三人が、スウェーデンへと向かった。
ストックホルムは、穏やかな曇り空だった。
市内の、インターポールの指定した安全な施設に、四人が集まった。
インターポールの複数の担当者。
進藤刑事。
智也と美優。
そして、エリック・ノース。
エリックは、五十代の、精悍な顔立ちの男性だった。
灰色の短髪。鋭い目。だが、その目の奥に、疲弊の色が見えた。
「千葉智也君、初めまして」
エリックは、流暢な英語で、挨拶した。
美優が、通訳として、その言葉を日本語に変換した。
「初めまして」
智也は、静かに答えた。
「あなたのことは、アレクサンダーから、よく聞いていました。彼は、あなたを、極めて高く評価していた」
「アレクサンダーは、今、国際刑事裁判所で、裁判を受けています」
「知っています。彼が自発的に出頭したことも。あなたとの対話が、彼をそうさせた、と聞いています」
「彼自身が、そう決めた。私がしたのは、対話だけです」
エリックは、その言葉を聞いて、小さく笑った。
「『対話だけ』。あなたは、謙虚ですね。ただ、私には分かります。あなたの対話は、単なる言葉の交換ではない。人間の核心に触れる、何かがある」
「それは、過大評価です」
「そうでしょうか。少なくとも、アレクサンダーは、そう感じた。そして、今の私も、あなたと直接話したいと、思いました」
インターポールの担当者が、記録の準備が整ったことを、告げた。
「では、始めましょう」
エリックは、深呼吸をした後、語り始めた。
「私がアレクサンダーと出会ったのは、二十五年前のことです。私は、当時、フィンテック企業でのインターンシップのために、スイスに滞在していた。そこで、アレクサンダーの講演を聴いたのが、最初の出会いでした」
「彼の民主主義についての理論に、共感しましたか」
「最初は、知的な興奮を覚えました。民主主義の非効率性を、データと科学で改善するという考え方は、エンジニアリング的な思考を持つ私には、魅力的でした」
「ただし、彼の方法には、同意しなかったのですか」
「それが、正直なところ、あの頃の私には、倫理的な問題として、明確には認識できていませんでした。データの収集と活用は、ビジネスの世界では、日常的なことでしたから」
「では、いつから、問題を認識し始めたのですか」
エリックは、視線を落とした。
「十年前のことです。私が主導した、ある国の選挙キャンペーンへのデータ提供が、その選挙の結果を、大きく変えた。その選挙で当選した政治家が、その後、複数の問題のある政策を実施した。その政策によって、複数の市民が、苦しんだ」
「つまり、あなたのデータが、その苦しみの遠因になったということですか」
「そう言えます。その時初めて、自分がしていることの、本当の意味を、理解しました」
「それでも、活動を続けた理由は、何ですか」
エリックは、長い沈黙の後、答えた。
「組織から抜け出せなかった。アレクサンダーの組織は、脱退しようとする者に対して、複数の制裁を加えていた。また、私自身が、その組織の中心的な人物として、多くの不正行為に関与していたため、独自に行動することが、困難でした」
「橘哲也と同じ状況ですね」
「そうです。私が橘をリクルートしたように、私自身も、アレクサンダーにリクルートされた。この連鎖が、どこまでも続いていた」
その言葉が、この事件全体の、深刻な構造を、明かしていた。
支配する者が、かつては支配されていた。
加害者が、かつては被害者だった。
その連鎖が、延々と続くことで、組織は維持されてきたのだ。
「現在の組織の全容について、教えていただけますか」
エリックは、そこから、約三時間にわたって、詳細な情報を提供した。
組織の構造。
複数の国での活動の実態。
選挙介入の具体的な手法と対象国。
資金の流れ。
そして、現在も活動中の、複数の実行者の名前と所在地。
その情報は、インターポールの複数の担当者が、緊急の対応が必要と判断するほど、重大なものだった。
会議の途中、インターポールの担当者の一人が、別室で通話を始めた。
その様子から、早急な捜査の指示を、複数の国の機関に伝えていることが、分かった。
三時間後、エリックは、以下のように締めくくった。
「これが、私が知っている、全てです。何も、隠していません」
「一つだけ、聞かせてください」
智也は、エリックに、最後の質問をした。
「あなたは、今、何を感じていますか」
エリックは、その質問を聞いて、少し驚いた表情を見せた。
「感情的な質問ですね。推理者らしくない」
「私は、推理者ですが、同時に、人間です。人の感情が、行動の動機を理解する上で、重要だと思っています」
エリックは、考えた後、静かに答えた。
「解放感と、罪悪感です。解放感は、長年、背負ってきた重荷を、下ろすことができたからです。罪悪感は、自分が関与した選挙介入によって、苦しんだ複数の人々への、申し訳なさからです」
「その罪悪感は、この告白によって、少しは軽くなりましたか」
「少しは。ただし、完全には、消えません。それは、当然のことだと思っています」
智也は、その言葉を、静かに受け止めた。
罪悪感を感じることができる人間は、まだ、変われる。
その確信が、この長い旅を通じて、智也が得た、最も重要な洞察だった。
会議が終わった後、エリックは、インターポールの担当者と共に、正式な手続きのために、別室へと移動した。
智也と美優は、施設の外に出た。
ストックホルムの街が、夕暮れの光の中に、静かに輝いていた。
「エリックは、どんな人物だと思った?」
美優が、智也に聞いた。
「アレクサンダーよりも、橘よりも、より複雑な人物です。彼は、最初から悪意を持っていたわけでも、弱点を突かれて取り込まれたわけでもない。知的な好奇心と、エンジニアリング的な思考から、徐々に深みにはまっていった」
「つまり、意図せず悪になっていったということ?」
「そう言えるかもしれません。そして、それが、最も怖いことだと思います。明確な悪意がなくても、人は、深刻な害を与え得る」
「それは、現代社会の問題ね。テクノロジーの力が大きくなるほど、意図せぬ害の規模も、大きくなる」
「そのような害を防ぐためには、技術だけでなく、倫理的な判断力が、重要になる。エリックが欠けていたのは、技術力や知識ではなく、倫理的な判断力だったのかもしれません」
美優は、その言葉を、手帳に書き留めた。
「それが、報道の核心になるかもしれない。技術の進化と、倫理の欠如が、この事件全体を生み出した」
「はい。その問題は、エリックやアレクサンダーが解決されても、残り続ける社会的な課題です」
二人は、ストックホルムの街を、しばらく歩いた。
北欧の夕暮れは、日本とは異なる光をたたえていた。
その光の中で、智也は、これまでの旅の全てが、一つの大きな物語として、つながっているように感じた。
田中陸斗の死から始まった物語。
複数の人との出会い。
複数の真実の発見。
そして、複数の変化。
この旅は、まもなく、一つの区切りを迎えようとしている。
だが、その区切りの先に、また、新たな始まりが待っている。
推理者の旅は、終わらない。
「帰ろう」
美優が、智也に言った。
「はい」
二人は、ストックホルムの空港へと向かった。
日本へ。
学園へ。
図書館の奥の席へ。
そして、新たな推理へ。
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第6章 第2話「エリックの告白」完




