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沈黙の推理者  作者: 最後に残った形
第9章

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第19章 第8話:問いは、続く


あらすじ:三月。春が来る。美優の七冊目「勇気が、勇気を育てる」が発売され、表紙の子供の絵が多くの人の引っかかりを呼び起こす。シルバーケアナビの改善版がリリースされ、全国の施設に届き始める。岡田教授と長谷川の共同研究が、最初の中間報告をまとめる。そして、この旅を通じて出会ってきた全ての人たちから、春の便りが届く。それぞれの場所で、問いが続いていた。一人の高校生の死から始まった問いが、今、世界のどこかで、誰かの「なんで?」として生き続けていた。そして、桜が咲き始めた日、智也は再び田中陸斗の墓を訪れた。恵子さんと並んで手を合わせながら、智也は、この長い旅の今の意味を、一つの言葉で確認した。問いは、続く。それが、全てだった。


---


三月の第一週。


春が来ていた。


梅が散り、桜のつぼみが膨らみ始めていた。


空が、高く、明るかった。


智也は、その空の下を歩きながら、今月届くいくつかの連絡を、心の中で数えていた。


美優の七冊目の発売。


シルバーケアナビの改善版リリース。


岡田教授と長谷川の中間報告。


この旅の今の形が、いくつもの場所で、同時に形になろうとしていた。


---


三月の第二週の火曜日、美優から連絡が来た。


「今日、発売です」


智也は、いつものように、近くの書店に立ち寄った。


新刊コーナーに、その本が並んでいた。


「勇気が、勇気を育てる——問いの生態系を守るための、認知的な勇気について」


表紙に、子供の絵があった。


大きな人と小さな人が、それぞれ「?」を持って、線で繋がっている。


その下に、子供の字で、なんでを いっしょに、という言葉が書いてあった。


智也は、その表紙を見て、少しの間、立ち止まった。


篠原先生の教室の、あの男の子が描いた絵。


お父さんとなんでを言い合う遊びをした時の体験が、絵になった。


その絵が、今、全国の書店に並んでいた。


問いは、絵になって、届いていた。


本を一冊手に取り、購入した。


レジに向かいながら、智也は、この旅のこれまでを静かに思った。


第一章から第十九章まで。


一人の高校生の死から始まった問いが、今この本の表紙になって、全国に届こうとしていた。


その連鎖の長さと、豊かさを、今日ここで感じた。


---


その週の木曜日、シルバーケアナビの改善版がリリースされた。


白井施設長から連絡が来た。


「本日、改善版に移行しました。入居者の方々への説明も終わりました。吉川が中心になって、一人一人に、引っかかりを言葉にする新しい機能を説明してくれました」


「入居者の方々の反応はどうでしたか」


「様々でしたが、一つ印象的な反応がありました。あのおばあさんが、新しい機能の説明を聞いて、こう言いました。これ、なんで今まではなかったの?と」


その言葉が、智也を笑わせた。


「なんで今まではなかったの?という問いが出た」


「そうです。その問いへの答えが、まだ上手く見つかっていませんが、今はある、ということを、吉川が伝えたそうです。おばあさんは、それならよかった、と言っていました」


「その言葉が、全てですね」


「そうだと思います。なかったことへの問いより、今あることへの安心が、大切だった」


「引っかかりを守る設計が、今、入居者の方々の手に届いた。吉川さんの一通の手紙から始まった連鎖が、ここまで来た」


「千葉さん、本当にありがとうございました。私たちだけでは、ここまで来られなかった」


「こちらこそ、吉川さんの問いが、この旅を深めてくれました」


---


同じ週の金曜日、岡田教授と長谷川の連名で、中間報告が届いた。


メールに添付された文書を開くと、こう書き出されていた。


「本報告は、人間の一生を通じた認知的な勇気の発達と持続に関する研究の、初期段階の中間報告である。子供(五歳から十二歳)、中年者(三十代から五十代)、高齢者(七十代から九十代)を対象とした横断的・縦断的調査の結果から、以下の初期知見が得られた」


報告書には、三つの初期知見がまとめられていた。


「第一の知見。問いを持つことへの喜びと、引っかかりを受け取ってもらえる体験への渇望は、全ての年齢層において共通して確認された。その渇望の強度は、年齢によって統計的に有意な差はなかった」


「第二の知見。引っかかりを言語化する機会が減少した高齢者においても、引っかかりそのものが失われているわけではなかった。声に出す機会が回復すれば、引っかかりを言語化する能力は、比較的短期間で回復する傾向が見られた」


「第三の知見。問いを一緒に持つ体験(共同問い)は、個人の問いを持つ体験と比較して、情動的な安定への効果が有意に高かった。この効果は、全ての年齢層で確認された」


報告書の末尾に、長谷川の一文があった。


「この研究は、田中陸斗という一人の若者の問いから始まった旅の、一つの学術的な形です。問いは続いています」


---


三月の第三週。


桜が、二分咲きだった。


智也は、あの春の恒例となった光景を、今年も見ていた。


毎年、同じ木が、同じ場所で花を咲かせる。


しかし、それを見る自分は、毎年違う。


今年の自分は、昨年の自分より、どれだけ変わっていただろうか。


その問いを持ちながら、桜の木の前に立っていた。


スマートフォンが振動した。


篠原先生からだった。


「千葉さん、七冊目の本、届きました。表紙を見た子供たちが、これ誰が描いたの?って聞いてきたので、クラスのお友達が描いたんだよって伝えたら、えーすごい!ってなっていました。その男の子は、少し照れていましたが、嬉しそうでした」


中川先生からも来た。


「七冊目、買いました。表紙を見て、最初になんで子供の絵なんだろうって思いました。それが、この本の最初の問いだったんですね。読み始めてから、気づきました」


橋本先生からも。


「七冊目、今朝読み始めました。なんでを、いっしょにという言葉が、しばらく頭から離れない。授業に持ち込んで、生徒たちに見せてみようと思っています」


本多先生からも。


「七冊目、受け取りました。あとがきの最後の言葉、問いは続く、が、今日の私には最も深く届きました。問いは続く。そうですね。私の問いも、続いています」


田村先生からも。


「七冊目を読みました。一緒に不思議だと思うことが、問いを守ることの最も日常的な形だ、という言葉が、特別支援教育の現場に一番必要な言葉でした」


吉川からも。


「七冊目、今日届きました。表紙の絵を見た入居者の方々が、なんでこんな絵なの?と言っていました。最初の引っかかりが、もうそこから始まっていて、嬉しくなりました」


長谷川からも。


「七冊目、読みました。あとがきに、私自身の体験が入っていました。被害者から研究者へという変化が、智也さんの言葉で記録されていた。その記録が、あります。ありがとうございます」


エレンからも、英語で。


「I received the seventh book. The cover is beautiful. A child's drawing asking 'let's wonder together' — this is the most honest cover I've ever seen. My students will love it.」


それぞれの声が、この一週間に届いていた。


問いが届いた場所から、問いが返ってきていた。


---


三月の最終週。


桜が満開だった。


智也は、美優と並んで、田中陸斗の墓へと向かった。


恵子さんは、先に来ていた。


今年の恵子さんは、手に花束を持ちながら、どこか穏やかな顔をしていた。


三人で、墓の前に立った。


花を供え、手を合わせた。


春の風が、花びらを一枚、舞い上がらせた。


それが、墓石の前に静かに落ちた。


しばらく、誰も話さなかった。


その沈黙が、この旅の全てを、一度に感じさせてくれた。


やがて、恵子さんが言った。


「今年は、ここに来る前から、少し違う気持ちでした」


「どんな気持ちでしたか」


「楽しみにしていた。陸斗の墓に来ることが、楽しみだった。それが、これまでとは違いました」


「楽しみにしていた」


「そうです。陸斗に報告することが、たくさんあるから。今年はここに来る前から、あれも伝えたい、これも伝えたいって考えていた。それが、楽しかった」


「報告することが、増えた」


「そうです。陸斗から始まった問いが、今年はたくさんの場所に届いた。それを、全部陸斗に伝えたかった」


恵子さんは、墓石を見ながら、続けた。


「陸斗、今年もたくさんのことがあったよ。あなたの問いが、子供たちの絵になったよ。おばあさんたちが、なんで?って言えるようになってきたよ。世界のどこかで、あなたの問いが続いているよ」


その言葉が、墓石に届いているように感じられた。


届いているかどうかは、分からない。


しかし、届けようとする言葉は、確かに存在していた。


そして、その言葉を出すことで、恵子さんの中で何かが整っていく気がした。


智也は、その様子を見ながら、一つのことを確信した。


問いは、生きている人の中で続く。


そして、その問いを誰かに伝えることが、問いを生きた人への最善の追悼だ。


墓参りが終わって、三人で近くの喫茶店に入った。


コーヒーを頼んで、少し話した。


恵子さんが言った。


「千葉さん、一つだけ聞いてもいいですか」


「何ですか」


「この旅は、いつか終わりますか」


智也は、その問いを、しばらく持った。


これまで何度も聞かれてきた問いと、似ていた。


しかし、今日の問いは、少し違う質を持っていた。


恵子さんが聞いているのは、旅の終わりへの不安ではなく、何か別のものだった。


「終わらないと思います。問いが続く限り、旅は続きます。そして問いは、人間がいる限り続きます」


「そうですね」


恵子さんは、少し安心したような顔をした。


「終わらないということが、嬉しいです。陸斗の問いが、永遠に終わらないということが」


「終わりません。形は変わり続けますが、問いの連鎖は、終わりません」


「それが、一番の慰めです」


---


喫茶店を出た後、美優と二人で、春の街を歩いた。


桜並木の下を、花びらが舞っていた。


「今日の恵子さん、良かったですね」


美優が言った。


「そうですね。楽しみにしていたという言葉が、印象的でした」


「今年の恵子さんは、問いを持つことが楽しいという感覚を、陸斗への思いと一緒に持てるようになっていた気がします」


「そうですね。問いの楽しさが、悲しみに添えられた」


「その変化が、この旅全体の成果の、最も個人的な形かもしれない」


智也は、その言葉を受け取りながら、この旅全体を俯瞰しようとした。


第一章から第十九章まで。


いくつもの問いが、いくつもの場所に届いた。


その全ての問いの根っこに、田中陸斗という一人の高校生がいた。


考えることが好きだった子。


一人で、図書館で、本を読んでいた子。


なんで、人は分かり合えないんだろう、とノートに書いていた子。


その子の問いが、今、世界中で、誰かの「なんで?」として生き続けていた。


「美優さん、一つだけ聞かせてください」


「何ですか」


「この旅を、一言で言うとしたら、何と言いますか」


美優は、花びらが舞う空を見上げながら、少し考えて、答えた。


「問いは、続く。それが全てかもしれません」


「問いは、続く」


「そうです。一人の問いが、別の誰かの問いになる。その連鎖が、止まらない。それが、この旅の形です」


「問いは、続く」


智也は、その言葉を、もう一度繰り返した。


その言葉が、この旅の全てを、一言で言い表していた。


田中陸斗の問いが続いている。


恵子さんの問いが続いている。


篠原先生の子供たちの問いが続いている。


九十二歳のおばあさんの問いが続いている。


エレンの問いが続いている。


そして、智也自身の問いが続いている。


その全ての問いが、繋がっていた。


問いが、人間を結んでいた。


---


帰り道の電車の中で、智也はノートを開いた。


今日の日付を書いた。


そして、最後の言葉を書こうとして、少し迷った。


この章の最後の言葉は、何であるべきか。


考えながら、窓の外を流れる春の景色を見ていた。


桜が咲いている街が、流れていった。


いくつもの駅が過ぎた。


いくつもの人々が、プラットホームで電車を待っていた。


それぞれが、それぞれの問いを持っていた。


そのことが、見えていなくても、確かだった。


智也は、ペンを持って、書いた。


**「三月。春が来た。問いが、また新しい季節を迎えた。」**


**「七冊目が発売された。なんでを、いっしょに。子供の絵が表紙になった。問いは、言葉を超えて、絵になって届いた。」**


**「シルバーケアナビの改善版がリリースされた。吉川さんの一通の手紙が、製品の設計を変えた。」**


**「岡田教授と長谷川の中間報告が出た。問いを持つことへの喜びと、引っかかりを受け取ってもらえることへの渇望は、全ての年齢層で共通していた。問いは、年齢を問わない。その事実が、学術的に示され始めた。」**


**「恵子さんが、今年は陸斗への墓参りを、楽しみにしていたと言った。伝えることが、たくさんあったから。問いの楽しさが、悲しみに添えられた。その変化が、この旅全体の成果の、最も個人的な形だった。」**


**「美優さんの言葉。問いは、続く。それが全て。」**


**「第十九章が、終わろうとしている。しかし、問いは終わらない。問いが続く限り、旅は続く。第二十章は、どこから始まるのか、まだ分からない。しかし、来る。それは確かだ。」**


ペンを止めて、最後の一行を書こうとした。


この章の、この旅の、今の締めくくりの言葉。


しばらく考えて、書いた。


**「問いは、続く。それが、全てだ。」**


ノートを閉じた。


電車が、東京の駅に近づいていた。


春の夕暮れが、車窓に広がっていた。


橙色と紫が混じった空に、最初の星が一つ、見え始めていた。


その星を見ながら、智也は、この長い旅の今の場所を確認した。


問いは続いている。


繋がっている。


広がっている。


そして、その連鎖の中に、自分もいる。


田中陸斗から始まった問いの連鎖が、今日も、世界のどこかで、誰かの「なんで?」として生き続けていた。


その事実が、前を向く力だった。


その事実が、歩き続ける理由だった。


推理者の旅は、今日も続いていた。


一歩一歩、丁寧に。


信頼できる仲間と共に。


なんでを、いっしょに。


そして、次の問いへと向かって。


---


**沈黙の推理者 第十九章、完。**


**問いは、続く——**


---


後記


第十九章を通じて、この旅は人間の一生という新しい地平を開いた。


小学一年生の「なんで?」と、九十二歳のおばあさんの「なんで?」が、同じ感触を持っていた。


その事実が、問いの普遍性を示した。


問いを持つことは、人間の本質的な在り方だ。


生まれた時から、命が尽きるまで、人間は問いを持ち続ける。


その問いを守ることが、人間の尊厳を守ることに繋がる。


なんでを、いっしょに。


その言葉が、次の旅への扉を開いている。


第二十章では、どんな問いが待っているか。


まだ分からない。


しかし、来る。


そして、来た時には、一緒に受け取れる人がいる。


それが、この旅の最大の財産だ。


問いは、続く。


---

第19章 第8話「問いは、続く」完


**沈黙の推理者 第十九章、完。**


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