第19章 第4話:不思議を、一緒に
あらすじ:十一月。岡田教授と長谷川の共同研究が正式に始動する。同時に、白井施設長がシルバーケアナビの開発元と交渉を始め、設計改善の提案を伝えた。開発元の反応は、予想より真摯だった。引っかかりを引き出す機能、一緒に不思議だと思うことを促す機能の追加について、検討が始まった。そして吉川亜希が、施設の仲間の職員たちに、この問いを共有し始めた。問いの生態系を守ることの意義が、職員の間にも広がっていく。その月の末、智也は、あかね介護施設を初めて訪問した。そこで出会った、九十二歳のおばあさんとの短い対話が、この章のそれまでの問いに、一つの答えを与えた。その答えは、言葉の少ない、しかし確かな形を持っていた。
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十一月の第一週。
秋が、深まり切っていた。
窓の外の木々が、赤と黄に染まっていた。
その色が、今年の最後の輝きを放っていた。
智也は、今日届いた長谷川からのメールを読んでいた。
「千葉さん、岡田教授との共同研究が、正式に始動しました。研究タイトルは現段階では仮題ですが、『人生の全段階を通じた認知的な勇気の発達と持続——子供から高齢者までを対象とした縦断的研究』としています。山田教授、岡田教授、私の三名が共同研究者となります。倫理審査の申請を今月中に行う予定です」
その言葉を読んで、智也は、この旅の一つの節目を感じた。
子供から高齢者まで、人間の一生を通じた認知的な勇気の研究が、正式に動き出した。
発達心理学と老年医学が、同じ問いを追い始めた。
この研究が結実すれば、問いの生態系が人間の全生涯を通じた普遍的なものだということが、学術的に示される。
「田中陸斗さんの問いが、学術の世界で、人間の一生の問いになっていく」
智也は、その言葉を、ノートに書いた。
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その日の夕方、白井施設長から連絡が来た。
「千葉さん、シルバーケアナビの開発元と、昨日、オンラインで話し合いを持ちました。吉川の観察と、岡田教授からの意見書を添付して、設計改善の提案を伝えました」
「開発元の反応はいかがでしたか」
「予想より、真摯でした。正直なところ、最初は形式的な対応に終わるかと思っていた。しかし、担当者が、この問題を自分事として受け取ってくれた感触がありました」
「具体的には、どのような反応でしたか」
「岡田教授の意見書の中の一文が、担当者の心に刺さったようでした。記憶が失われても引っかかりは残る。その引っかかりを受け取れるシステムが、ケアの道具として最も価値がある、という部分です。その言葉を読んで、担当者が、私たちはそういうシステムを作りたかったはずだ、と言いました」
「作りたかったはずだ、という言葉が出た」
「そうです。認知機能の維持という目標を達成するためのシステムとして設計した。しかし、そもそも何のために認知機能を維持したかったのかという問いを、考えなかったかもしれない、と担当者が言っていました」
「目標の手前の目的を、見ていなかった」
「まさにそうです。認知機能の維持は手段であって、目的は、入居者の方々がその人らしく生きること。その目的に照らせば、引っかかりを奪う設計は、根本的に間違っている、という認識を、担当者が持ってくれた」
「設計改善の具体的な提案は、受け入れられましたか」
「具体的な提案として、三つを出しました。一つは、タブレットの使用時間を自動的に制限し、職員との対話を促す機能の追加。二つ目は、入居者が引っかかりを感じた時に、それを言葉にしやすくする支援機能の追加。例えば、今、気になっていることはありますか?という問いかけを、一日に数回、画面に表示する。三つ目は、入居者が表現した引っかかりを、担当職員に通知する機能。職員が、引っかかりの受け取り手として動きやすくする」
「その三つが、設計改善の方向になりますか」
「担当者は、技術的には実装可能だと言っていました。次のバージョンで検討したいという返答でした。確定ではないが、前向きな反応でした」
「吉川さんの観察が、設計を変える可能性が生まれましたね」
「吉川が手紙を書かなければ、この動きはなかった。現場の一職員の問いが、製品の設計に届くかもしれない。それが、今日の一番の収穫です」
「現場の問いが、設計を動かす。その連鎖が、また一つ起きようとしている」
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翌週の木曜日、吉川から連絡が来た。
「千葉さん、施設の中での動きを報告します。白井施設長が、先週の職員全体の会議で、この問いを共有してくれました。吉川の観察と、千葉さんや岡田教授との対話の内容を」
「職員の方々の反応はいかがでしたか」
「様々でした。すぐに共感してくれた人もいれば、タブレットが悪いわけじゃないという反応もあった。でも、一番印象的だったのは、ベテランの職員の方からの言葉でした」
「どんな言葉でしたか」
「二十年のキャリアを持つ職員の方が、こう言いました。昔から感じていたことを、言葉にしてもらった気がする、と」
「以前から感じていた」
「そうです。その方が続けて言ったのは、入居者の方々が何かを気にしている時、それを受け取ることが一番大切だとずっと感じていたが、業務の中でその時間が確保できないことへの葛藤が、ずっとあった、ということでした」
「現場の職員が、引っかかりを受け取ることの重要性を、経験から知っていた」
「そうです。でも、それを言語化する言葉がなかった。引っかかりを受け取ることや、一緒に不思議だと思うことという言葉が、その方の経験に言葉を与えてくれたと言っていました」
「書籍が、現場の感覚に言葉を与えることがある。美優が伝えてきたことが、また一つ確認されましたね」
「はい。その職員の方が、今日から意識して引っかかりを受け取ろうと思う、と言ってくれました。一人の意識が変わることが、小さな変化かもしれないけど、積み重なれば施設の文化が変わる、とも」
「現場の文化が変わることが、最も持続する変化ですね」
「そうです。システムの設計が変わることも大切。でも、職員の一人一人の意識が変わることの方が、直接的に入居者の方々に届く。両方が変わることが、理想です」
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十一月の最終週、智也は初めてあかね介護施設を訪問した。
神奈川の海沿いの町にある、穏やかな施設だった。
白い建物が、秋の澄んだ空の下に立っていた。
玄関を入ると、穏やかな空気が漂っていた。
吉川が迎えてくれた。
施設の中を案内してもらいながら、智也は、この場所に生きている人たちのことを感じていた。
それぞれの部屋に、それぞれの時間があった。
廊下を歩いていると、いくつかの開いたドアから、人々の様子が見えた。
タブレットを見ている人。
窓から外を眺めている人。
うとうとしている人。
職員と話している人。
その多様な時間が、一つの施設の中で、静かに流れていた。
「今日、会っていただける方がいます」
吉川が言った。
「手紙に書いた、九十二歳のおばあさんです。事前に、千葉さんが来ることを伝えたら、会いたいと言ってくださいました」
「お会いできますか」
「もちろんです。ただ、体調によっては、短い時間になるかもしれません」
「それで構いません」
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小さな、陽当たりの良い部屋だった。
窓から、施設の庭が見えた。
秋の庭には、赤く染まった木々と、手入れされた花壇があった。
車椅子に座った、九十二歳の女性が、窓の方を向いていた。
吉川が声をかけると、ゆっくりとこちらを向いた。
細い顔に、深い皺が刻まれていた。
しかし、その目は、穏やかで、澄んでいた。
「おばあちゃん、千葉さんという方が来てくれました。本を書いた方と一緒に、問いのことを研究している方です」
「ああ」
おばあさんは、短く答えた。
智也は、椅子を持ってきて、おばあさんの横に座った。
「来てくださってありがとうございます」
「遠くから来たの?」
「東京からです」
「遠いのに」
「ここへ来たかったので」
おばあさんは、少し智也を見てから、また窓の方を向いた。
しばらく、沈黙があった。
智也は、その沈黙を、大切にした。
急がなかった。
窓の外の庭を、一緒に見ていた。
秋の庭だった。
赤い葉が、風に揺れていた。
しばらくして、おばあさんが言った。
「あの葉っぱ、もうすぐ落ちるね」
「そうですね」
「なんで、落ちるのかな」
その言葉が、静かに来た。
「私も分かりません」
「そうよね。なんでだろうね」
おばあさんは、また少し黙った後、続けた。
「昔は、なんでって思っても、忙しくて、考えられなかった。今は、時間があるから、なんでって思えるの。それが、今は好きよ」
「なんでって思えることが、好きですか」
「そう。なんでって思っている間は、楽しいから」
その言葉が、智也の心の中に、静かに落ちた。
なんでって思っている間は、楽しい。
九十二歳の女性が、秋の葉を見ながら言った言葉だった。
なんでっていうのが、たのしいという、田村先生の教室の十三歳の子供の言葉と、全く同じ感触を持っていた。
七十九年の差があった。
しかし、問いの感触は、同じだった。
「おばあさん、今、一番気になっていることは何ですか」
おばあさんは、また窓の外を見た。
少し考えてから、答えた。
「あの木の葉っぱが、全部落ちたら、木はどうなるんだろうって」
「どうなると思いますか」
「また、春になったら、芽が出るんじゃないかな。なんでそうなるのかは、分からないけど」
「一緒に分かりませんね」
「そうよね」
おばあさんは、少し嬉しそうな顔をした。
その顔が、引っかかりを受け取ってもらえた時の顔だった。
吉川が、智也に小さく頷いた。
これが、あの九十二歳のおばあさんとの繋がりの形だった、という頷きだった。
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帰り道、吉川と二人で、施設の前の道を歩いた。
海が近く、潮の匂いがした。
「今日、会っていただいて、ありがとうございました」
「こちらこそ。お会いできて、良かった」
「おばあちゃんと話して、どうでしたか」
智也は、少し考えてから答えた。
「なんでって思っている間は、楽しいという言葉が届きました。田村先生の教室の子供の言葉と、同じでした」
「七十九年の差がある」
「そうです。でも、その差を超えて、同じ感触があった。問いを持つことの楽しさは、年齢を問わない。その事実を、今日、この施設で確認しました」
「私が手紙を書いて、良かった」
「書いてくださって、ありがとうございます。あの手紙がなければ、今日ここには来られなかった」
吉川は、少し間を置いてから、言った。
「私も、なんでって思っています」
「どんなことをですか」
「なんで、もっと早くに気づかなかったんだろう、って。あの九十二歳のおばあちゃんが、気になることがなくなってきた気がすると言った時、もっと早く反応できれば良かった。でも、気づけた。気づいてから、変えようとしている。それで、良いですか」
智也は、その問いを、少し持った後、答えた。
「良いです。気づいた時が、始まりの時です。早くても遅くても、気づいた時から始まる。そして、始まったことは、続く」
「続きますか」
「続きます。あなたが問いを持っている限り、続きます」
吉川は、頷いた。
その頷きが、この旅に参加した人間の、確かな返事だった。
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その夜、智也は、東京に戻りながら、ノートを開いた。
電車の揺れの中で、今日の全てを書き留めた。
**「十一月。あかね介護施設を訪問した。九十二歳のおばあさんに会った。」**
**「なんでって思っている間は、楽しいから。その言葉が届いた。田村先生の教室の十三歳の子供の言葉と、七十九年の差を超えて、同じ感触を持っていた。問いの楽しさは、年齢を問わない。その事実を、今日、この目で確認した。」**
**「白井施設長とシルバーケアナビの開発元の交渉が始まった。引っかかりを引き出す機能の追加が検討されている。現場の一職員の問いが、製品の設計を変えようとしている。」**
**「ベテラン職員の言葉。昔から感じていたことを、言葉にしてもらった気がする。現場の経験が言語化されると、行動に繋がる。」**
**「岡田教授と長谷川の共同研究が正式に始動した。人間の一生を通じた認知的な勇気の研究が始まる。」**
**「吉川さんの問い。なんで、もっと早くに気づかなかったんだろう。気づいた時が始まりの時だ。早くても遅くても、気づいた時から始まる。そして、始まったことは続く。」**
**「田中陸斗さん。今日、九十二歳のおばあさんが、あなたと同じ感触で、問いを持っていました。問いは、年齢を超えて、一生を通じて続く。その確信を、今日また深めました。」**
電車が、東京に近づいていた。
夜の景色が、窓の外を流れていた。
たくさんの光が、たくさんの問いを宿していた。
その光の中を、電車が走り抜けていた。
推理者の旅は、今日も続いていた。
一歩一歩、丁寧に。
信頼できる仲間と共に。
そして、次の問いへと向かって。
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第19章 第4話「不思議を、一緒に」完




