第九話「新たなる一歩」
翌週の月曜日。
朝の光が窓から差し込む中、私は自分の部屋で身支度を整えていた。
姿見の鏡に向かい、髪に櫛を通す。
いつもは下ろしたままか、軽くまとめる程度だったけれど――今日は違う。
髪を後ろで一つに束ね、ポニーテールに結っていく。
鏡の中の自分が、少し大人っぽく見える。
引き出しを開けて、ヘアゴムを選ぶ。
黒、紺、白、赤――いくつかある中から、今日は赤いリボンを手に取った。
今日は学校の帰りに『特異属性管理機構』 SAMAに寄る予定。
本格的な訓練が始まる日。
だから、ちょっぴり気合を入れたかった。
赤いリボンで、ポニーテールを結ぶ。
髪が揺れて、心が軽くなる。
制服を着る。
白いブラウスに、紺色のセーラー服。
リボンを胸元で結ぶ。鏡でバランスを確認して、少しだけ位置を直した。
プリーツスカートの丈を整え、白いハイソックスを履く。
最後に、紺色のローファーを履いて――準備完了。
鏡の中の自分を見つめた。
先週、魔獣に切り裂かれたセーラー服は、SAMAが用意してくれた新しいものに替わっている。
両親には内緒だ。
「魔獣に襲われた」なんて言えるはずがない。
「新しいの買ったの?」と母に聞かれたときは、「学校で汚しちゃって、予備を買った」とごまかした。
嘘をついたことに、少し罪悪感がある。
でも、心配をかけたくない。
この秘密は、私と燈火くんと、SAMAの人たちだけのもの。
「美月、朝ごはんよー」
母の声が階段下から聞こえた。
「はーい、今行く!」
部屋を出て、階段を降りる。
ポニーテールが揺れて、背中に当たる感触が新鮮だった。
登校時間。
校門をくぐり、昇降口で上履きに履き替える。
廊下を歩きながら、いつもより少し背筋を伸ばしていた。
今日から、私は変わる。
SAMAで訓練を受ける。
固有魔法を使えるようになる。
燈火くんの隣で戦えるようになる。
教室に入ると、既に何人かの生徒が席についていた。
窓際の自分の席に向かう。
隣の席は、まだ空いていた。
鞄を机の横にかけ、教科書を出し始めたとき――。
「おはよう」
低い声。
顔を上げると、燈火くんが立っていた。
黒縁眼鏡をかけて、猫背で、いつもの陰キャのフリ。
でも、一瞬だけ――彼の視線が、私のポニーテールに向けられた気がした。
「おはよう、燈火くん」
小さく答えると、彼は何も言わず席に着いた。
何か言いたげな表情。
でも、言葉にはしない。
彼はいつも通り、机に肘をついて教科書を開いた。
ホームルームが始まり、担任の先生が出席を取る。
いつもの朝の風景。
でも、今日の私は――いつもと少し違う。
一時間目は理科の授業。
化学反応式について学んでいた。
私は理科が得意科目だったので、先生の話を熱心に聞いていた。
ノートに図を描き、要点をまとめていく。
ふと、隣を見ると――。
燈火くんは、眠たげな表情で教科書を眺めていた。
目は半分閉じられていて、今にも寝そうな様子。
でも、彼は寝ていない。
教科書のページを、時々めくっている。
内容を理解しているのだろう。
彼なりのやり方で。
授業が終わり、休み時間になった。
生徒たちがざわざわと話し始める中、私は小さく身を乗り出した。
「ねえ、燈火くん」
小声で呼びかける。
燈火くんが顔を向けた。
「今日からSAMAに行くから、よろしくね」
その言葉に、彼は静かに頷いた。
「分かってる」
短い返事。
でも、その目には何か――期待のようなものが見えた気がした。
それ以上は話さなかった。
周りに人がいるから。
でも、それで充分だった。
放課後。
最後の授業が終わり、生徒たちが帰り支度を始める。
「美月、今日は一緒に帰れる?」
ひなたが声をかけてきた。
「ごめん、今日はちょっと用事があって……」
「そっか。じゃあまた明日ね」
ひなたは屈託なく笑って、教室を出ていった。
私も鞄を持って、教室を後にした。
昇降口で靴を履き替える。
上履きからローファーへ。
外に出ると、夕暮れの光が校舎を照らしていた。
校門を出たところで――。
燈火くんが待っていた。
黒縁眼鏡をかけたまま、校門の柱に寄りかかっている。
周りの生徒たちは、彼にほとんど注意を払わない。
見事な存在感の薄さ。
でも、私には分かる。
その背中が、どれほど頼もしいか。
「お待たせ」
「待ってない。今来たところ」
燈火くんは肩をすくめた。
二人で並んで、SAMAへと向かう。
夕方の商店街を抜け、裏通りへ。
「よく両親が許してくれたな」
燈火くんが、正面を向いたまま言った。
「うん。柳瀬さんと藤崎さんの話を聞いて、お父さんも納得したみたい」
私も前を向いたまま答えた。
「お母さんは、最初すごく心配してたけど……お父さんが説得してくれたの」
「そっか」
燈火くんが小さく笑った。
「良い親だな」
「燈火くんの親は……?」
思わず聞いてしまった。
燈火くんの表情が、少しだけ曇った。
「いるよ、もちろん。でも……俺の力のこと、ずっと心配してた」
「今は?」
「今は、信頼してくれてると思う。柳瀬さんに預けて、良かったって」
その言葉には、複雑な感情が混じっていた。
それ以上は聞かなかった。
聞いてはいけない気がした。
しばらく歩いて、あの漆黒の建物が見えてきた。
認識阻害の魔法が、今日は弱く感じる。
慣れたのだろうか。
それとも、ここが私の居場所になり始めているのだろうか。
扉を開けて中に入ると――。
藤崎さんが受付カウンターの前で待っていてくれた。
紺色のスーツ姿。髪は後ろでまとめられ、優しい微笑みを浮かべている。
「美月さん、今日からよろしくね」
藤崎さんが柔らかく言った。
「早速、訓練に入るけど……覚悟は大丈夫?」
その問いに、私は真っ直ぐに答えた。
「はい! よろしくお願いします!!」
深く、深くお辞儀をした。
藤崎さんが嬉しそうに笑った。
「良い返事ね。じゃあ、まずは着替えから。こっちへ」
藤崎さんに案内されて、廊下を進む。
燈火くんは別の方向へと向かった。彼にも彼の訓練があるのだろう。
更衣室のような部屋に通された。
中には、ロッカーと鏡、そしてベンチが置いてあった。
「これが、訓練着よ」
藤崎さんが、ハンガーにかけられた服を手渡してくれた。
それは――見たこともないような、近未来的なスーツだった。
濃紺のボディスーツに、銀色のラインが走っている。
素材は、触ると少し硬質だけど、同時に柔軟性もある不思議な感触。
「耐魔法装備よ」
藤崎さんが説明した。
「ある程度の魔法攻撃を軽減してくれる。訓練中の事故を防ぐためのものね」
「すごい……」
思わず呟いた。
「それじゃ、着替えてきて。サイズは合うはずよ」
藤崎さんが部屋を出ていく。
一人になって、私は制服を脱ぎ始めた。
セーラー服を脱ぎ、ブラウスを脱ぎ、スカートを脱ぐ。
下着姿になって、訓練着を手に取る。
ボディスーツは、背中にファスナーがついていた。
足を通し、腕を通し、背中のファスナーを上げていく。
体にぴったりとフィットする。
まるで第二の皮膚のような感覚。
鏡の前に立った。
そこに映っているのは――見知らぬ自分だった。
いつもの制服姿とは全く違う。
凛々しく、戦闘的で、でも美しい。
ポニーテールが、この姿によく似合っている気がした。
心が躍った。
これから、本当に始まるんだ。
訓練が。
魔法使いとしての人生が。
深呼吸をして、部屋を出た。
廊下で藤崎さんが待っていてくれた。
「似合ってるわ、美月さん」
「ありがとうございます」
少し照れくさかった。
「じゃあ、訓練室へ行きましょう」
藤崎さんが歩き出す。
私はその後ろを、新しい自分として、ついていった。
訓練室のドアの前で、藤崎さんが立ち止まった。
「中には、柳瀬もいるわ。そして……」
扉を開けると――。
広い、体育館のような空間。
床には魔法陣が描かれ、壁際には様々な訓練器具が並んでいた。
そして、中央に――。
柳瀬さんが立っていた。
白いスーツ姿で、背筋をまっすぐに伸ばして。
その隣には――。
燈火くんがいた。
彼も訓練着を着ていた。黒を基調としたボディスーツに、青いラインが走っている。
黒縁眼鏡は外していて、その瞳が真っ直ぐに私を見ていた。
「ようこそ、美月さん」
柳瀬さんが微笑んだ。
「今日から、本格的な訓練を始めます。覚悟はいいですね?」
私は深呼吸をした。
そして、力強く答えた。
「はい。よろしくお願いします」
柳瀬さんが頷いた。
「では――始めましょう」
その言葉とともに、新しい世界の扉が開いた。
私は、もう戻らない。
この道を、進んでいく。
燈火くんの隣で。
自分の魔法を信じて。
訓練室の空気が、張り詰めていた。
でも、怖くはなかった。
むしろ、胸が高鳴っていた。
ここから、私の本当の物語が始まる。
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