第二十六話「二つの課題」
訓練室に入ると、白の訓練着に身を包んだ柳瀬さんと、紫の訓練着姿の藤崎さんが、すでに待っていてくれた。
訓練着に着替えたばかりの私とひなたと、いつも通りの黒を基調とした訓練着姿の燈火くん。三人で並んで訓練室の中央に立つと、柳瀬さんが静かに口を開いた。
この数日、ランニングと日々の訓練で、体はだいぶ引き締まってきた気がする。朝の五キロも、最初の頃よりは息が上がらなくなってきた。積み重ねというのは、確かに少しずつ結果に出てくるものらしい。
「今日は、二つの課題に分かれて訓練を進めましょう」
柳瀬さんが、穏やかな声でそう切り出した。
「美月さんには今日、光属性の魔法を訓練してもらいます」
「光属性……ついに」
思わず声が漏れた。風・火・水・土と発現してきて、残るは光と闇の二つ。ずっと気になっていた属性に、ようやく手をつけられる。心臓が、少しだけ高鳴るのがわかった。
「ひなたさんは私と燈火くんと共に、土属性魔法の訓練に臨みます」
藤崎さんが、ひなたに向かってにこりと笑いかけた。
「今日は、槍の本数を増やすことを目標にしましょうか」
「は、はい!」
ひなたが元気よく返事をする。彼女もまた、昨日の中庭での一件から、この魔法に対する気持ちが少し変わったように見えた。
広い訓練室が、二組に分かれる。片側では私と柳瀬さんが、もう片側では燈火くんと藤崎さんに囲まれたひなたが、それぞれの訓練を始めていた。
訓練室の壁際まで下がると、二つの訓練の様子が同時に見渡せる。片側からは、ひなたの「えいっ!!」という掛け声と、ズズズッという土の音。もう片側では、柳瀬さんの静かな声だけが響く。同じ空間で、まったく違う種類の魔法が同時進行していく様子は、なんだか不思議な光景だった。
*
「まずは、掌から光を出すイメージをしてください」
柳瀬さんの言葉に従って、私は目を瞑り、両掌に意識を集中させた。
風の時は、頬を撫でる感覚を思い出した。火の時は、燃え上がる炎の熱を思い出した。水の時は、指先から滴り落ちる冷たさを。土の時は、地面を踏みしめる重さを。
でも、光は――何を思い出せばいいのか、まるで見当がつかなかった。
太陽の眩しさを思い浮かべてみる。窓から差し込む朝日の暖かさを思い浮かべてみる。それでも、掌には何も起こらない。
しばらく集中してみても、掌には何の変化も起こらない。
「……何も、出てきません」
「そうでしょうね」
柳瀬さんは、予想していたかのように、静かに頷いた。
「これまでのあなたが習得してきた、風・火・水・土の四大属性魔法は、すべて物理魔法でした。風は空気の流れ、火は熱、水は液体、土は固体。どれも、目に見え、手で触れられる現象です」
「はい」
「しかし、光属性と闇属性の魔法は、物理ではありません。少し、これまでとは違う考え方が必要になります」
柳瀬さんの言葉に、私は首を傾げた。物理じゃない魔法なんて、想像がつかない。これまで習得してきた四つの属性は、どれも「何かを操る」感覚だった。風を巻き起こす。火を灯す。水を凍らせる。土を持ち上げる。でも、光はいったい、何を「操れ」ばいいんだろう。
「ちょっと難しいですが……私の掌を見てください」
柳瀬さんが、静かに片手を差し出した。
その掌の中心から、じんわりと光が滲み出てくる。最初は小さな光の粒だったものが、次第に広がり、柳瀬さんの手のひら全体を、柔らかく温かい光が包み込んでいった。
「……綺麗」
思わず、そう呟いていた。柳瀬さんの手から溢れる光は、これまで見てきたどの魔法とも違って、静かで、優しかった。
「美月さん、私の掌に触れてみてください」
「え……触っても、大丈夫なんですか?」
「ええ、どうぞ」
恐る恐る、私は手を伸ばした。柳瀬さんの光を放つ掌に、指先が触れる。
その瞬間――何かが、私の中に流れ込んできた。
「あ……」
それは、柳瀬さんの魔力だった。温かく、まるで太陽の光を全身に浴びているような、柔らかく包み込むような感覚。冷たい水や、燃える火とは、まったく違う質感だった。指先から手のひら、腕を伝って、じんわりと胸の奥まで広がっていくような、不思議な温もり。
「温かい……」
思わず漏れた言葉に、柳瀬さんは目を細めた。
「これが、七十年以上生きてきた私の魔力です。少しは、伝わりましたか」
「はい……なんだか、包み込まれるみたいで」
ふと、柳瀬さんが「双極の魔法使い」と呼ばれていることを思い出した。光と闇、両方を自在に操れる、この世界でただ一人の存在。今、私に伝わってきたこの温かさは、その片鱗に過ぎないんだろう。
「それが、光属性の本質です」
柳瀬さんは、優しくそう続けた。
「光って見えるのは、副次的な効果なんです」
「副次的……?」
「本質は、魔力そのものを直接、相手に伝える力です。目に見える光は、その現象の表れの一つに過ぎません。だから、物理ではないのです」
その説明を聞いて、なんとなく――本当になんとなくだけど、わかった気がした。
「物理じゃないっていう意味が、何となく分かりました」
私がそう言うと、柳瀬さんは満足そうに頷いた。
「では、もう一度、集中してみましょう。今度は、目に見える現象を作ろうとするのではなく、自分の中にある魔力を、そのまま外に伝えようとするイメージで」
「はい」
柳瀬さんの掌から手を離し、私は再び集中を高めていく。
最初は、うまくいかなかった。無理に光を作り出そうとすると、体の奥が強張るばかりで、何も起こらない。
「力を抜いて。作ろうとしないで、伝えようとしてください」
柳瀬さんの声に従って、私は一度、大きく息を吐いた。
自分の中にある魔力を、そのまま――誰かに伝えるように。燈火くんに「ありがとう」を伝える時のような、素直な気持ちを込めるように。毎朝、そっけなく「気にするな」と言いながらも、当たり前のように隣を走ってくれる燈火くん。あの温かさを、思い出す。
額に汗が滲んでくる。掌の中心に、じわじわと熱のようなものが集まっていくのを感じた。今までの属性とは違う、内側から滲み出るような感覚。
そして――
「光り始めました」
柳瀬さんの声が、嬉しそうに弾んだ。
見ると、私の右手の掌が、薄っすらと発光していた。ほんの小さな、頼りない光。でも、確かに、物理じゃない何かが、私の掌から生まれていた。
「わ……」
驚きのあまり、集中が緩んでしまう。淡い光は、すぐに消えてしまった。
「あ……消えちゃった」
「大丈夫です」
柳瀬さんは、優しく笑いながら言った。
「初めての発光にしては、十分すぎる結果です。無理にとどめようとせず、今日はここまでにしましょう」
「まずは発光、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
嬉しくなって、私は頬を緩めた。まだほんの入り口に立っただけだとわかっていても、光属性という未知の領域に、確かに一歩踏み込めた気がした。
少し休憩を挟もうと、水分補給をしていると、訓練室の反対側から藤崎さんがこちらに歩いてきた。
「あら、発光したのね。おめでとう」
「あ、藤崎さん。見てたんですか?」
「もちろん。柳瀬さんの指導は独特だから、いつも興味深く見せてもらってるの」
藤崎さんは、悪戯っぽく笑いながら続けた。
「光属性、あなたの多重共鳴型なら、いずれ他の四大属性と組み合わせることもできるようになるかもしれないわね」
「組み合わせ……ですか?」
「例えば、光と風を合わせれば、遠くまで見通せる索敵の魔法になるかもしれない。可能性は、まだまだ無限にあるわ」
その言葉に、胸の奥がわくわくするのを感じた。
「楽しみにしてます」
「ふふ、頑張ってね」
藤崎さんはそう言うと、またひなたたちの方へ戻っていった。
その後ろ姿を見送りながら、私はふと、ひなたの土魔法と自分の光魔法を見比べていた。地面から力強く伸びる土の槍と、掌からそっと滲み出る光。同じ魔法でも、こんなにも質感が違うんだと、改めて実感する。
属性が違えば、感じる感覚も、必要な心構えも、まったく違う。それでも、どちらも「自分の中にあるものを、外に伝える」という点では、同じなのかもしれない――そんなことを、ぼんやりと考えていた。
*
訓練室の反対側では、ひなたが燈火くんと藤崎さんの指導のもと、土の槍の訓練に取り組んでいた。
「もう一回、いきます!」
ひなたの声が響く。何度も繰り返してきたのだろう、額には既に汗が滲んでいた。
「えいっ!!」
ひなたの掛け声とともに、掌を下から上へと掬い上げるような動作。その瞬間、彼女の目の前に、タケノコのような土の槍がニョキッと生えてきた。中庭で見た時よりも、明らかに速い立ち上がり方だった。
「おお!」
私は光属性の訓練の合間に、思わずそちらに目をやった。
「ひなた、だいぶ速くなった」
燈火くんが、静かにそう評価する。
「でしょ?」
ひなたは、汗だくになりながらも、嬉しそうな顔を見せた。中庭でのあの一件以来、彼女なりに、この魔法に対する意識が変わったのかもしれない。
「もう一回、見せてもらえますか」
藤崎さんの指示に、ひなたは再び集中を高める。今度は先ほどよりも、わずかに速く槍が生えた。
「うん、確実に速くなってるわ」
藤崎さんが満足そうに頷く。
「ひなたさん、この土の槍の本数を増やしていくことが、次の課題になりそうです」
藤崎さんが、優しく、けれどはっきりとそう告げた。
「本数……」
ひなたの表情が、一瞬曇る。まだ一本しか出せない現状で、その先の課題を提示されて、正直な戸惑いが見て取れた。
「わかりましたぁ……」
落胆した声で返事をするひなたの肩が、わずかに下がる。せっかく速度が上がったことを褒められたばかりなのに、すぐに新しい壁を突きつけられて、気持ちがついていかないのも無理はなかった。
「一本を安定して出せるようになった時点で、十分な成長だ。焦る必要はない」
燈火くんが、静かにそう付け加えた。
「本数を増やすのは、その先の話だ。まずは今の速度を、体に完全に馴染ませることが先決だと思う」
「燈火くん……」
その一言に、ひなたの表情が、少しだけ和らいだ。
「ありがと。……よし、もう一回!」
気を取り直したように、ひなたはまた集中を高めていく。
「今度は、二本同時に出してみましょうか」
藤崎さんの提案に、ひなたは大きく頷いた。
「両方の掌から、同時にイメージしてみて」
「はい……!」
ひなたは両手を広げ、それぞれの掌の下に意識を集中させる。額に、みるみる汗が浮かんでいく。
「せーの……えいっ!!」
右手側からは、いつも通りの速さで槍が生えてきた。けれど、左手側は――もこもこと土が盛り上がるだけで、槍の形にはならなかった。
「あ、あれ……?」
ひなたが、戸惑ったように呟く。
「無理もないわ。片方だけでも精一杯だったんだもの。二本同時は、また別の壁になる」
藤崎さんが、優しくそうフォローした。
「今日はまず、一本の精度をとことん高めましょう。二本目は、それからでいいわ」
「はい……」
ひなたは、少し悔しそうな顔をしながらも、素直に頷いた。
*
その日の訓練は、そこで一区切りとなった。
更衣室で制服に着替え直し、三人でSAMAを出る。着替えながら、ひなたは何度も「あー、疲れたぁ」と伸びをしていて、その様子に思わず笑ってしまった。
夕暮れの帰り道、私たちは並んで歩いた。
「はぁ……光属性、思ったより難しかった」
「私も、槍の本数、全然増やせなかったし……」
私とひなたは、どちらからともなく、揃ってため息をついた。
「まだまだだなぁ……」
「ほんと、まだまだだよね……」
二人の声が重なって、思わず顔を見合わせて苦笑いする。
「発光するまで、結構時間かかったし」
「私なんて、槍二本目、全然出せなかったよ」
愚痴とも呼べないような、ちょっとした弱音を吐き合いながら歩いていると、少し気持ちが軽くなる気がした。
燈火くんは、そんな私たちを見ながら、少しだけ口元を緩めた。
「二人とも、今日だけで結果を出そうとしすぎだ」
「え?」
「美月は、今日初めて掌を光らせた。柳瀬さんが十年以上かけて習得した属性の入り口に、たった一日で立ったんだ。ひなたは、槍の発現速度を確実に上げてる。どっちも、ちゃんと前に進んでる」
その言葉に、私とひなたは思わず顔を見合わせた。
「燈火くん、たまにはいいこと言うね」
「たまには、は余計だ」
ひなたの茶化しに、燈火くんが珍しく苦い顔をする。私はその様子がおかしくて、思わず声を立てて笑ってしまった。
「でも、ありがとう。ちょっと元気出た」
「私も」
ひなたが、隣で大きく伸びをしながら言った。
「明日からも頑張ろっか」
「うん」
夕焼けに染まる帰り道を、三人並んで歩いていく。オレンジ色の光が、三人分の影を長く伸ばしていた。
「そういえば、藤崎さんが言ってたんだけど」
私は、ふと思い出して口を開いた。
「光属性、いずれ他の属性と組み合わせられるようになるかもしれないんだって」
「え、そうなの?」
「うん。光と風を合わせたら、索敵の魔法になるかもって」
「なにそれ、かっこいい……」
ひなたが、目を輝かせながらそう言った。
「私も、いつか槍を何本も同時に生やせるようになったら、みんなを守れる盾になれるかな」
「なれるよ、絶対」
私が即答すると、ひなたは照れくさそうに笑った。
「美月にそう言われると、なんか本当にできる気がしてくるから不思議」
燈火くんは、そんな二人のやり取りを黙って聞きながら、少し離れた場所を歩いている。時々こちらを見る眼差しには、いつもの静かな信頼が滲んでいるように感じられた。
光属性も、槍の本数も、まだ課題はたくさん残っている。それでも、隣にひなたがいて、燈火くんがいてくれる限り、きっと少しずつでも、前に進んでいける。
そんな確信を胸に抱きながら、私は今日という一日を、静かに振り返るのだった。
お読みくださり有難うございます!!
この作品を気に入ってもらえましたら、下にある☆☆☆☆☆やブックマーク、スタンプで応援いただけると大変励みになります!!
読者の皆様からの応援が次へのモチベーションになります!!




