第二十二話「家族の休日と、突然の襲撃」
日曜日の朝。キッチンからは、コトコトと鍋が鳴る音と、お母さんの鼻歌が聞こえてくる。
「美月、お弁当のおかず、詰めるの手伝ってくれる?」
「うん、いいよ」
私はエプロンを締めて、お母さんの隣に立つ。まな板の上には色鮮やかな卵焼きや、唐揚げ、ブロッコリーが並んでいる。お母さんが朝早くから準備してくれたものだ。
「お父さんったら急に『ピクニックに行こう』なんて言い出すんだもの。でも、たまには家族三人でのんびりするのもいいわよね」
お母さんは楽しそうに笑いながら、卵焼きを切り分けている。私はそれを受け取って、お弁当箱に丁寧に詰めていく。
「美月、最近忙しそうだったから、リフレッシュになるといいわね」
「ありがとう、お母さん」
SAMAでの訓練、学校の勉強、そして燈火くんとの……色々。確かに、最近は慌ただしい日々が続いていた。たまには家族水入らずで過ごすのも悪くない。
お弁当を詰め終えた私は、二階の自分の部屋へ戻る。鏡の前に立って、今日の髪型をどうしようか考える。
普段はポニーテールか下ろしているかのどちらかだけど……。
「そうだ」
私は、先週燈火くんと一緒に行ったショッピングモールで買ったヘアアクセサリーの箱を開ける。中には色とりどりのリボンやシュシュが入っている。
その中から、可愛らしいピンク色のリボンを二つ取り出す。
「今日は……ツインテールにしてみようかな」
鏡を見ながら、髪を二つに分けて結んでいく。リボンを結び終えて、鏡に映る自分の姿を確認する。
「うん、可愛い……かも」
少し照れくさくなって、頬を軽く叩く。服装も、森林公園で歩くことを考えて、動きやすいパンツスタイルを選んだ。白いブラウスに、デニムのパンツ。スニーカーも履き慣れたものを。
「美月、準備できた?」
階段の下から、お父さんの声が聞こえる。
「今行く!」
私は部屋を出て、階段を駆け降りる。
玄関には、既に準備を終えたお父さんとお母さんが立っていた。お父さんは手にバスケットを、お母さんは大きめのトートバッグを持っている。
「お、美月、今日はツインテールか。可愛いじゃないか」
「お父さん、からかわないでよ」
私は少し恥ずかしくなって、頬を膨らませる。お母さんはクスクスと笑いながら、私の頭を優しく撫でる。
「それじゃあ、出発しましょうか」
三人で車に乗り込む。運転席にはお父さん、助手席にはお母さん、後部座席には私。
エンジンがかかり、車はゆっくりと動き出す。穏やかな陽射しが車内に差し込んで、窓の外の景色が流れていく。
しばらく走ったところで、お父さんが話しかけてきた。
「美月、SAMAの訓練は順調か?」
「うん、順調順調」
私は明るく答える。実際、訓練は順調だ。《砂塵の盾》と《天昇旋風》、二つの固有魔法も完成させることができた。
「そう、それは良かった」
お父さんは安心したように頷く。続いて、お母さんが振り返って私を見る。
「燈火くんとは仲良くしてるの?」
「え……」
思わず言葉に詰まる。仲良く……そうだ、仲良くしている。学校では図書委員として、SAMAでは訓練のパートナーとして。それに、先週は一緒にショッピングモールにも行った。
でも……シャワー室で裸を見られたこととか……。
「う、うん。燈火くんとも仲良くやってるよ」
私は極めて明るく、そして少し無理やりな笑顔で答える。
まさか、シャワー室で裸身を見られたなんて、両親に言えるわけがない。その時のことを思い出してしまって、顔がカーッと熱くなる。
「そっか、それならいいんだけど」
お母さんは満足そうに頷いて、前を向く。
私は俯いて、頬を両手で押さえる。
(あぁ、なんで今、あんなこと思い出しちゃったんだろう……)
バックミラー越しに、お父さんが私を見ている。
「楽しそうで何よりだ」
お父さんは優しく笑う。
「う、うん……」
私は曖昧に頷きながら、窓の外を見る。
車は街を抜けて、だんだんと緑が多くなってくる。田んぼや畑が広がり、遠くに山並みが見える。
そして、三十分ほど走ったところで、目的地の森林公園に到着した。
駐車場には既に何台もの車が停まっている。家族連れが多いようで、子供たちの元気な声が聞こえてくる。
「さあ、着いたぞ」
お父さんが車を停める。私たちは車を降りて、バスケットやトートバッグを持って、公園の中へと入っていく。
「美月、バスケット持ってくれる?」
「うん」
お母さんからバスケットを受け取る。少し重いけど、頑張って持つ。
遊歩道を歩いていく。穏やかな日曜日の森林公園は、予想以上に賑わっている。あちこちで家族連れがシートを広げて、お弁当を食べたり、ボール遊びをしたりしている。
「あそこの芝生、空いてるわよ」
お母さんが指さす先には、広々とした芝生があった。木陰もあって、ちょうど良さそうだ。
「じゃあ、あそこにしよう」
お父さんが先に歩いていって、大きなレジャーシートを広げる。私とお母さんもその上に腰を下ろす。
「さあ、お弁当にしましょうか」
お母さんがバスケットを開けて、お弁当箱を取り出す。蓋を開けると、色鮮やかなおかずが並んでいる。
「わぁ、美味しそう」
「美月も手伝ってくれたものね」
お母さんは嬉しそうに笑う。
三人でお弁当を食べながら、お父さんとお母さんは私にいろいろと尋ねてくる。
「学校の勉強は大丈夫か?」
「うん、何とかついていけてるよ。魔法基礎理論はちょっと難しいけど」
「友達はできた?」
「うん、ひなたっていう子と仲良くしてる。明るくて、元気な子なんだ」
「そう、それは良かったわ」
お母さんは安心したように頷く。
「SAMAでの訓練はどう? 厳しくない?」
「厳しいけど、でも柳瀬さんも藤崎さんも、ちゃんと私のことを見てくれてる。それに……」
私は少し言葉を詰まらせる。
「燈火くんが、いつも傍にいてくれるから」
「そうか」
お父さんは優しく笑う。
「美月が元気そうで、私たちも安心だよ」
「ありがとう、お父さん、お母さん」
私は心からそう言う。
両親は私の話を頷きながら聞いてくれる。その表情は嬉しそうで、娘の成長を喜んでいるものだった。
楽しい時間が流れていく。
そんな時、ふと、私の感覚に何かが触れた。
嫌な感覚。
冷たくて、ざらついていて、どこか禍々しい。
この感覚は……。
(魔獣……?)
私は身を強張らせながらも、周囲の気配に集中する。
お父さんが、私の様子に気づいたようだ。目を細めて、周囲を警戒し始める。
「美月……?」
「お父さん、何か……嫌な感じがする」
私の言葉に、お母さんも表情を引き締める。
ガサッ……。
私たちから三十メートルくらい離れた樹木の方から、物音がする。
私はそちらに視線を向ける。集中を高めていく。
次の瞬間──。
「ウガガガガァッ!!」
荒々しく、獰猛な鳴き声が響き渡った。
周囲の人々が、一斉にその方向を見る。
樹木の近くでシートを広げていた親子連れは、恐怖に身を強張らせている。子供は泣きじゃくり始めた。
私は素早く立ち上がる。
「お父さん、SAMAへ連絡お願い。お母さん、避難誘導して」
私の声は、いつもより低く、そして強い。訓練を受けてきた者の声だ。
「分かった」
お父さんはすぐにスマホを取り出し、SAMAへと電話をかけ始める。お母さんも立ち上がって、周囲の人々に声をかける。
「みなさん、樹木から離れてください!」
私は走り出す。泣きじゃくる子供を抱いた母親の元へ。
親子連れの元に辿り着いた私は、できるだけ冷静に声をかける。
「魔獣です。急いで下がってください」
「ま、魔獣……?」
母親は青ざめた顔で私を見る。
「早く!」
私の強い声に、母親は子供を抱きかかえて、私の両親の方へと退避していく。
私は退避していく親子連れに目を向けることなく、魔獣がいる樹木に鋭い視線を向ける。
魔力を高めていく。
私の周囲に、風が起こり始める。バサバサと、ツインテールが浮き上がる。
私は《天昇旋風》を発動するために、魔力を集中させていく。
チャンスは一度。
魔獣が樹木から飛び出てくる瞬間。その瞬間に、上空へと風で持ち上げる。
そのイメージを強めていく。
次の瞬間──。
「がぁぁぁぁっ!!」
叫び声と共に、樹木から飛び出てきた魔獣。
その姿は、禍々しくも眼を紅く光らせた、巨大な猿のような姿だった。
黒々とした体毛は鋭く逆立ち、硬質な針のよう。体躯は筋肉で盛り上がり、その太く頑強な腕で殴られれば、私などひとたまりもなく吹き飛び、肉片へと帰るであろうことが一目で分かる。
でも、私は怯まない。
魔獣が、樹木から私に向かって高く飛び上がった。
今だ!
「うりゃぁぁぁっ!!」
私は両腕を広げ、地面スレスレから空気ごと掬い上げるイメージを強める。
《天昇旋風》発動。
「ぐぁぁぁぁぁっ!!」
激しい気流が魔獣を包み込み、錐揉みさせながら上空へと舞い上げる。
魔獣の巨体が、まるでおもちゃのように空中を舞う。
でも……。
(しまった……!)
私は自分の失態に気づく。
前回、ショッピングモールの駐車場で魔獣と闘った時は、燈火くんが《氷槍投》で止めを刺してくれた。
でも、今回は燈火くんはいない。
上空に巻き上げただけでは、魔獣は倒せない。
冷や汗が、背中を滑り落ちていく。
でも、今、魔獣を討伐できる戦力を持ち合わせているのは、私だけだ。
上空に巻き上げられた魔獣が、錐揉みしながら落下してくる。
ドスンッ!!
激しい衝撃と音と共に、地面に叩きつけられる魔獣。
土煙が上がる。
私は次の一手を考える。もう一度《天昇旋風》を……?
「ぐがぁぁっ!!」
魔獣が、頭を振って立ち上がってくる。
多少のダメージは受けたようだったが、戦意は喪失していない。むしろ、私への怒りを高め、ますます瞳を紅く輝かせて睨みつけてくる。
怒りに任せて、拳を地面にたたきつける魔獣。
ドゴンッ!!
地面がえぐれ、土砂が巻き上がる。
私は咄嗟に《砂塵の盾》を発動しかけるが……すぐに思い直す。
《砂塵の盾》は、自分の周囲に風に土を纏わせて壁を作る防御魔法だ。自分だけを守っても、魔獣の攻撃対象が両親や親子連れに向かうだけ。
それじゃ意味がない。
私は、さっき思い出した燈火くんの水属性魔法《氷槍投》を思い出す。
「そうか……氷……」
私は呟きながら、魔力を高めていく。
魔獣と睨み合う。
私の魔力の高まりに、ゴゥゴゥと風が唸りを上げて吹き始める。
その風は、徐々に魔獣の周囲に収束し始める。
私は《砂塵の盾》の応用で、魔獣を風の檻の中心に閉じ込めていく。
地面の土や草花は、吹き荒ぶ風に飛ばされて、私の顔や身体へとビシビシと打ち付けられていく。
痛い。
でも、構わない。
「風に……水を纏わせる……」
私は、風の檻に水を纏わせていく。
周囲に飛び散る土埃が、徐々に湿り気を帯びていく。魔獣を閉じ込めている風の檻も、水を纏って段々と白く霞んでいく。
風の檻の中では、魔獣が狂ったように雄たけびを上げながら、地面を拳で激しく殴りつけている。
私は魔力の出力を、64パーセントへと高めていく。
「水を……凍りに……」
私のイメージを受けた水が、風の中で少しずつ凍り始める。
ピシピシという音と共に。
魔法を制御している私の額からは、汗が吹き出し、顎を伝って流れ落ちていく。
でも、集中を切らさない。
「氷を……内側に向けて尖らせる……」
風の檻に纏っていた水が凍り、次いで氷が内側へ向かって尖り始める。
「うがががががぁぁぁっ!!」
異常を察知した魔獣が、威嚇の声を荒らげる。
私は呟く。
「風の檻を……収束させる……」
徐々に、魔獣の周囲を囲んでいる風の檻を、中心に向けて狭めていく。
風の檻の内側を、激しい勢いで回り続ける氷の棘。
「ガぁぁぁぁぁぁっ!!!」
激しい魔獣の叫び声に混じって、ジャリジャリジャリジャリ……とグラインダーが何かを擂り潰していくような音。
私は極限まで集中し、風の檻の径を狭めていく。
やがて、ジャリジャリという擂り潰しの音に混じって──。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ……」
魔獣の断末魔の叫び声。
そして、擂り潰すような音が聞こえなくなり、再びゴゥゴゥという風の唸りだけが聞こえ始める。
「やった……?」
私は、目の前で氷を纏って回り続ける風の檻を見つめながら呟く。
私の集中も途切れてきて、魔力が落ちてくる。
徐々に薄らいでいく風の檻。
それと共に、私の魔力も尽き、意識が遠くなっていく。
「あっ……魔力切れ……」
私は膝から崩れ、辛うじて地面に手をついてから、突っ伏して倒れる。
意識が、途切れていく──。
気が付いた時、私の目の前には白い天井があった。
「あれ? 私、ベッドの上で寝てる?」
魔獣と闘っていたはずなのに。
顔を横に向けてみると、そこには椅子に腰かけて本を読んでいる燈火くんの姿が。
「燈火……くん?」
私が呼びかけると、燈火くんは本から目を離して、私を見る。
「目が覚めたか?」
燈火くんは微笑む。
「一人で魔獣と闘うなんて、まったく無茶な」
どこか皮肉気な、それでいて楽し気な表情を浮かべる燈火くん。
「私……勝ったの?」
私は恐る恐る尋ねる。
「あぁ、魔獣はミンチになってた」
燈火くんは、肩をすぼめて見せる。
「みんち……?」
燈火くんの言葉の意味が分からず、私は疑問符を頭の上に飛ばす。
燈火くんは、ふっと笑う。
「明日、柳瀬さんに報告しろよ」
燈火くんは笑いながら言う。
「どうしよう……無茶したこと、叱られちゃう……」
私は毛布を頭から被る。
「大丈夫だ。美月は、ちゃんと魔獣を倒した。それだけで十分だ」
燈火くんの優しい声が、毛布越しに聞こえてくる。
私は少しだけ、毛布から顔を出す。
「でも……」
「でも、次からは一人で無茶するな。俺を呼べ」
燈火くんは、真剣な表情で私を見る。
「……うん」
私は頷く。
燈火くんは再び微笑んで、本に目を戻す。
私は毛布の中で、小さく呟く。
「ありがとう、燈火くん」
その声が聞こえたのかどうか、燈火くんは答えない。
でも、その口元は、少しだけ緩んでいた。
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