第十三話「魔法対策課」
木曜日の昼休み。
私はひなたと一緒に学食へ向かい、カウンターで日替わり定食を注文した。
今日のメニューは、唐揚げ定食。
窓際の席に座り、向かい合って箸を手に取る。
「いただきます」
二人で揃って言ってから、食べ始めた。
「ねえ、美月」
ひなたが唐揚げを一つ口に入れてから言った。
「今朝の数学のテスト、どうだった?」
「うーん、難しかったよね。三角関数のところ」
「だよねー!あそこ、全然分かんなかった」
ひなたが大げさに肩をすくめた。
普通教科の勉強の話から始まって、魔法基礎理論の話、魔法基礎実技の話へと話題が移っていく。
「美月、最近すごく上達してるよね」
ひなたが目を輝かせた。
「両手から風を出せるようになったし」
「ひなたちゃんこそ。土魔法、すごく安定してたよ」
「えへへ、ありがと」
ひなたが嬉しそうに笑った。
そんな話で盛り上がっていると――。
スッ。
無言で、誰かが私たちのテーブルの空いている席に座った。
顔を上げると、燈火くんだった。
黒縁眼鏡をかけて、猫背で、トレーには日替わり定食が乗っている。
「あ、燈火くん!」
ひなたが明るく声をかけた。
「一緒に食べよ」
燈火くんは小さく頷いただけで、無言で食事を始めた。
「ねえねえ、燈火くん」
ひなたが話しかける。
「今日の魔法基礎理論、難しかったよね?魔力の波長の話とか」
「……ああ」
短い返事。
「燈火くんは理解できた?」
「まあ、なんとなく」
そっけない。
でも、ひなたはめげなかった。
「すごいね!私、全然ダメだった。美月、どうだった?」
「私も、難しかったかな……」
会話は続いていくけれど、燈火くんの返事は相変わらず短くてそっけない。
でも、ひなたは嬉しそうだった。
燈火くんが自分を友達として認めてくれている。
そのうち、普通に話してくれるようになるだろう。
そう思っているのが、表情から伝わってきた。
私は――。
可笑しくてたまらなかった。
燈火くんが陰キャを演じているのを知っている。
本当は、どれほど優しくて、強くて、頼もしいか。
でも、今はこうして、完璧に地味な男子生徒を演じている。
思わず、ニヤニヤしてしまった。
その瞬間――。
ギロリ。
燈火くんが、私を睨んだ。
眼鏡の奥の目が、鋭い。
「何か?」と言わんばかりの視線。
私はわざとらしく首をすくめて見せた。
ごめんごめん、という意味を込めて。
燈火くんは小さくため息をついて、また食事に戻った。
ひなたは、そのやり取りに気づいていないようだった。
楽しそうに、自分の土魔法の訓練について話し続けている。
昼休みも終わりに近づいた頃――。
「ひなたー!」
別の同級生が、ひなたを呼んだ。
「あ、ごめん。ちょっと用事あるから、先、行くね」
ひなたが席を立った。
「また後でね、美月、燈火くん」
そう言って、ひなたは教室の方へと戻っていった。
テーブルに、私と燈火くんだけが残された。
周りの生徒たちも、ぞろぞろと教室へ戻り始めている。
燈火くんが、小さな声で言った。
「美月に、監視がついてる」
――え?
声は出なかった。
でも、目が大きく見開かれた。
驚きで、息が止まる。
慌てて、両手で口を塞いだ。
声を出してはいけない。
周りに聞かれてはいけない。
燈火くんは前を向いたまま、淡々と続けた。
「昨日から、学校の周辺に不審な車が停まってる。接触してくるなら、今日の放課後だろう」
私は不安げな顔で、燈火くんを見た。
どうすればいいの?
逃げるの?
燈火くんが、私の方を向いた。
その目は、穏やかで、でも確かな意志があった。
「大丈夫だ。俺がいる」
小さく頷いて見せる。
その仕草だけで、少し安心できた。
午後の授業が始まった。
でも、内容が頭に入ってこない。
放課後。
何が起こるんだろう。
誰が、私を監視しているんだろう。
時計の針が、ゆっくりと進んでいく。
そして――放課後。
最後の授業が終わり、生徒たちが帰り支度を始める。
私は鞄を手に取り、席を立った。
燈火くんも、一緒に席を立つ。
廊下を、並んで歩く。
いつもと同じ。
でも、緊張が走っていた。
心臓が、早く打っている。
昇降口で、上履きからローファーへ履き替える。
手が震える。
深呼吸をして、校舎の外へ出た。
その瞬間――。
燈火くんの右腕が、伸ばされた。
私の前に、壁のように。
歩みを押しとどめる。
「校門の外に、誰かが待っている」
小さな声で、燈火くんが言った。
私は小さく頷いた。
声が出ない。
緊張で、喉が詰まっている。
慎重に、警戒しながら、校門へと向かう。
そして――。
校門の外に、黒塗りの車が停まっていた。
高級車。
そして、その横に二人の男性が立っていた。
黒いスーツ姿。
サングラスをかけている。
その視線が、私たちに向けられた。
鋭い視線。
まるで、獲物を狙う猛禽類のような。
「行くぞ」
燈火くんが、小声で言った。
私は燈火くんの隣に寄り添った。
できるだけ近くに。
そして、男性たちの脇を通り過ぎようとした。
男性たちの前まで来たとき――。
「白鳥美月さんだね」
優し気な声音。
男性の一人が、サングラスを外して微笑んだ。
「ちょっとお時間いいかな?」
私は一瞬、燈火くんへ視線を送った。
燈火くんが、僅かに首を横に振る。
答えるな、という意味。
「すみません」
私は言った。
「時間がありませんので、失礼します」
男性たちの前を通り過ぎようとした、その瞬間――。
もう一人の男性が、私の腕を掴んだ。
「!」
「やめてください」
私は拒絶した。
でも、男性の手は離れない。
男性が、スーツの内側に手を入れた。
内ポケットから、何かを取り出す。
警察手帳。
それを、私に提示した。
「魔法対策課の者です」
今度は、冷たい声音だった。
優しさは、もうそこにない。
「美月に何の用だ?」
燈火くんの声が、低く響いた。
冷たい。
氷のような声。
「我々は警察庁魔法対策課の者だ」
男性が淡々と答えた。
「白鳥美月さんの身柄を保護する義務がある」
保護――?
「保護?」
燈火くんが、嘲るように言った。
「身柄確保の間違いだろ?美月から手を離せ」
低く、冷たい声。
私は燈火くんへ視線を向けた。
黒縁眼鏡の中の目が、細められていた。
鋭く。
研ぎ澄まされた刃のように。
魔獣と戦った時と同じ。
あの、圧倒的な威圧感。
それが、今、燈火くんから放たれていた。
「なんだ、お前」
私の腕を掴んでいる男性が、すごんで見せた。
「公務執行妨害の現行犯で引っ張られたいのか?」
その言葉を聞いた瞬間――。
周囲の気温が、下がった気がした。
ブルッ。
私の体が、震えた。
寒い。
いや、寒さじゃない。
これは――。
男性二人も、気づいたようだった。
燈火くんの纏う気配に、気圧されている。
「お前……まさか……」
私の腕を掴んでいた男性が、思わず手を離した。
その瞬間――。
燈火くんが、私の手を取った。
「行くぞ」
そう言って、走り出した。
私は引っ張られるように、走った。
「待て!」
男性たちの声が、後ろから聞こえた。
でも、追いかけてくる気配はない。
私たちは走った。
商店街を抜け、裏通りへ。
息が切れる。
足が痛い。
でも、止まれない。
しばらく走って――。
燈火くんが立ち止まった。
後ろを振り返り、確認する。
「……もう、来ない」
燈火くんが言った。
私は荒い息を切らせて、両手を膝について前傾姿勢になった。
咳き込む。
息が、苦しい。
「と、燈火くん……」
息を切らせながら、問いかけた。
「あの人たち……なに?」
「魔法対策課の奴らだ」
燈火くんが、苦々しく吐き捨てた。
「あの、魔法対策課?」
私は不思議そうな顔で、燈火くんを見た。
柳瀬さんが言っていた、三つの組織の一つ。
「そうだ。美月を確保しに来た」
燈火くんが答えた。
「わ……私、捕まっちゃうの?」
困惑した。
私、何か悪いことした?
逮捕されるの?
「ぷっ」
燈火くんが、思わず吹き出した。
「何笑ってるの!?」
「ごめん。可愛いこと言うから」
燈火くんが笑いを堪えながら言った。
「逮捕するんじゃない。身柄を確保して、魔法対策課に協力させようとしてるんだ」
少し皮肉気な表情。
「協力……?」
「そう。特異属性の魔法使いを、自分たちの組織に取り込みたいんだよ」
なるほど。
柳瀬さんが言っていた通りだ。
魔法対策課は、私を戦力として使いたい。
「でも……断れないの?」
「警察組織だからな。断りにくい。だから、今日は逃げた」
燈火くんが前を向いた。
「SAMAに行こう。柳瀬さんに相談する」
私たちは、また歩き出した。
息はまだ荒いけれど、少し落ち着いてきた。
やがて――。
あの漆黒の建物が見えてきた。
SAMA。
私たちの、居場所。
扉を開けて中に入ると――。
藤崎さんが、受付カウンターで待っていた。
でも、いつもと様子が違う。
ニヤニヤと、楽しそうに笑っている。
「燈火くん、美月さん」
藤崎さんが言った。
「何やら楽しいことに巻き込まれたみたいね」
その笑顔は、まるで悪戯を見つけた子供のよう。
「藤崎さん……知ってたんですか?」
私が尋ねた。
「ええ、もちろん」
藤崎さんが頷いた。
「魔法対策課が動くって情報は、昨日入ってたわ」
「なら、教えてくれれば……」
「教えたじゃない。燈火くんに」
藤崎さんが燈火くんを見た。
燈火くんが小さく頷いた。
「昨日の夜、連絡があった」
そうだったんだ。
だから、燈火くんは監視のことを知っていた。
「でも、どうして……」
「実地訓練よ」
藤崎さんが微笑んだ。
「美月さんが、どう対応するか。燈火くんが、どう守るか。それを見たかったの」
「試験、だったんですか……」
私は呆然とした。
「合格よ」
藤崎さんが笑った。
「二人とも、よくやったわ」
その言葉に、少しだけ安心した。
でも、同時に疑問も湧いた。
「でも、魔法対策課は……また来るんじゃ……」
「来るわよ、もちろん」
藤崎さんが当然のように言った。
「だから、柳瀬が対応する。今、準備してるところ」
「対応……?」
「美月さんは既にSAMA所属だって、正式に通達するのよ。魔法対策課は手出しできなくなる」
なるほど。
組織対組織の話になるんだ。
「奥へどうぞ。柳瀬が待ってるわ」
藤崎さんが、奥の部屋を指差した。
私たちは廊下を進み、応接室へと向かった。
扉を開けると、柳瀬さんが座っていた。
そして――。
見知らぬ男性も、一緒にいた。
五十代くらいだろうか。
スーツ姿で、厳しい表情をしている。
「いらっしゃい、二人とも」
柳瀬さんが微笑んだ。
「座ってください」
私たちは座った。
「こちらは……」
柳瀬さんが男性を紹介した。
「警察庁魔法対策課の、課長です」
え――。
私は驚いて、男性を見た。
あの、魔法対策課の、トップ?
「はじめまして、白鳥さん」
男性が言った。
「私は神崎と申します」
低く、重い声。
「今日は、お話があって参りました」
柳瀬さんと神崎課長が、向かい合っている。
そして、私と燈火くんは――。
その間に座っている。
これから、何が始まるんだろう。
緊張で、手のひらに汗が滲んだ。




