第九話 ペットにしたい
その夜、店じまいを終えた道人は家の玄関を開けた。すると中から甘辛くてよだれが垂れそうなくらい食欲をそそる匂いが漂ってきた。
(この匂いは……)
胸に期待を膨らませて台所の暖簾をくぐる。
「あ、お兄ちゃん。お疲れさまぁ」
と、歩の労いの言葉。
「あぁ」
一人で自営業をやっている場合、家族くらいにしか言ってもらえない。歩のこの一言で、一日の仕事が終えたと実感する。
「今日はね、すき焼きだよー。牛肉が安かったの。アメリカ産のだけど」
牛肉は安くても構わない。産地もどこだっていい。何でもいい。とにかく肉は質よりも量が一番大事だ、歩!
台所の隣に繋がっている居間へと歩が急須や湯飲みを運び、ホットプレートを使ってぐつぐつ煮込んでいるすき焼きを菜箸でつつく。
「まだ春菊入れたばっかなの。肉はいけるかな? もうちょい待ってて」
煮え具合を確かめると、急須のお茶を汲む。
道人もこたつに入って腰を落ち着かせると、差し出された湯呑に口を付けて、疲れた体を休めてホッと息を漏らす。そして、すき焼きが煮えるまでに生卵を割って解きほぐし、スタンバイ。
ふと、何だか背中が冷えるなと思って、右斜め後ろに部屋の片隅に置いてあるファンヒーターへと首を振り向かせると──狸がいた。
「うおっ!」
ビックリして大仰に体を退かせる。
どこの誰が家の中にヒーターの前で暖をとっている狸がいると思うか。予想不測な事態だ。
「な、なんだ? 狸がいるぞ!」
「あ、今日ね、拾ったの」
歩は何事もなく平静に言った。
「拾ったぁ?」
「うん、昨日ねぇ、学校の帰り道で空き家で見つけたんだけど、今日もいたの。なんか後ろ足に何か棒がぐるぐる巻きにされてて取ろうとしたんだけど、うまくいかなくって。ほら、公園の隣に動物病院があるでしょ? そこに連れてって取ってもらったんだけど、どうも怪我してたみたいでさぁ、それを誰かがいい加減に処置したんだろうって先生が」
道人は内心ギクリとして黙ったまま、もしや……と、狸をよくよく観察する。狸は身を潜めるかのようにしてヒーターの前でジッとしたまま動かず、ヒーターの前が気に入ってるんです。という風を装って目の端でこちらを窺っている。
(こいつ、やっぱり……)
自分がその〝いい加減〟に処置した狸に間違いないはずだった。そんなに短期間に後ろ足を怪我して人間に手当てを受ける狸が出没するとは考えづらい。
「ケガ、なんて?」
「骨にヒビ入ってたみたいだけど、ほぼ完治してるって。ちゃんと処置してもらったよ。その後に放してあげたんだけどね、今日もその空き家にいたのぉ。あ、治療代はいってないよ。狸の治療は初めてだって、先生なんか興奮気味に写真撮ってたぁ」
道人はそれを聞いて、こっそりと安堵する。
「……で、なんで拾ってきたりなんかしたんだ?」
お茶碗によそったご飯を持ってきてテーブルの上に置くと、歩はちょこんと正座して言った。
「飼いたい」
「な……狸は野生動物だ。飼えるワケないだろ?」
「役所に届け出すれば飼えるって獣医さんが! この子、怪我してるから保護扱いだもん。それに、あの空き家にずっと住みついてるっぽいし、狸屋敷になるよ?」
空き家が狸屋敷になれば近隣に迷惑だ。空き家の保有者は何らかの責任と対策を取らされる。が、家の解体費用もなく困って空き家にせざるを得ない状態になっているのだろう。ここ近年ではそうした空き家問題が多い。
空き家が狸屋敷になってしまう問題はさておき、歩が狸を「飼いたい」と、子供のように駄々をこねだした。
「…………」
道人は賛成をしかねる。何かペットが欲しいと、以前からチラッと口にしていたのは知っていたが、まさかの狸。犬や猫とは話がかなり違ってくる。
しばし頭を悩ませたのち、
「……分かった。けど、狸は野生動物だってことを忘れるなよ? 狸がいつでも山へ帰れるように放し飼いが条件だ。前に飼ってた時のネコ用玄関を塞いでたの開けるか、狸でも通れなくないだろ。だから、必要以上に大事にするのはダメだ。いなくなっても絶対に探したりしないこと! 以上の事をちゃんと守れるなら、許す」
「うん、守る!」
と答えると、歩は小さな女の子がプレゼントにもらったペディベアのように、狸を抱っこして無邪気に喜んだ。──狸は下手な抵抗はしない方が賢明とばかりに、大人しくされるがままになっている。
しかし、今日という日は何なんだ? と、道人は軽く心労を感じる気がして深く息を吸って吐き出した。
とりあえず、いただきまーす。と、思考を一旦〝無〟にして、出来上がった目の前のすき焼きを口にもくもくと頬張る。歩が自分と兄の分のおかわりのご飯をよそってきたところで、
「名前、何がいいかなぁ?」
と、楽しそうに目を輝かせる。
「名前? 狸は狸だ。名前なんか付けて、愛着持つなっ」
冷たく言う道人に、歩は不満にふくれっ面をする。
「あぁ、そうそう。店、バイト雇う事にした。早速、明日から入ってもらうから」
「……何それ?」
聞いていないとばかりに、ふくれっ面をしたままの歩がにらむ。
店の手伝いについて、日頃うるさい歩には内緒で事後報告の形を取った道人だ。狸の名付けの反対に機嫌を損ねている今、火に油だったが構わず注いだ。
こうした頑として容赦のない態度を取る時の兄は本気の証拠で、口出しをしても敵わないと知っている歩は、卵の付いた箸をぺろりと舐めながら、「……分かった」と了解した。
一方、忘れた頃に後から仕返しをされる可能性を恐れた道人は、「ほら」と歩の皿に大きな肉を取り分けてやる──こうして、兄妹の和解は成立。
「しっかし、ヒーターが狸専用になっちまってるぞ」
所在無く、狸はヒーターの前で佇んでいた。
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次回、
再び舞台はお店へと戻ります。
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