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第二話 本当にあった狸話

 この店、『(みち)』の前は鳴瀬(なるせ)家の庭でもある。元々は離れであったのを改築して建てられており、一見するとごく普通の民家にしか見えない。

 一応、道を挟んで車が五台ほど停められる専用駐車場スペースがあるにはあるのだが、それにもかかわらず店先の庭に車を図々しく停めるのは、ご近所の常連客ぐらいのもだった。


 今日はいつもと違った荒々しい停車の様子に、「なんだ?」と道人(みちと)は上目を向く。

 バタンッと、乱暴に軽トラのドアが閉められる音がするや否や、ガランッと勢いよく玄関の引き戸を開けて店内に入って来た男性は開口一番に、


「あー驚いたわぁー」


 軽トラのエンジン音で、その人物が誰かはすぐに分かっていた道人。案の定、作業服姿をした近くの建設会社に勤める西村という中年男性だった。


「どしたんや、西(にっ)しゃん」


 うどんを食べ終えてくつろいで茶をすすっていた岩次郎が、朝っぱらから騒がしく落ち着きのない西村に声をかける。


「狸や! 狸が車にぶつこうて(ぶつかって)きたんや!」


「「狸?」」


 岩次郎と白川がテンポをずらして聞き返す。うどんを座敷席へと運んでいた道人も首を振り向かせる。


「おぉ。そこの道、車で走んじょったら(走ってたら)右からダァーッて走ってきて、オレ急いでブレーキ踏んだんやけど、そのまま走り抜けりゃええもんを引っ返すもんやきん、ぶつこうて(ぶつかって)……おおかた、轢くとこやったわぁ、ほんまによぉ」


 道路を車で運転中に、反対車線から道を渡ろうと飛び出して来たタヌキに西村はビックリして急ブレーキを踏んだが、これまた驚いたタヌキは途中で道を引き返そうとしたがために、逃げるタイミングが悪く車と衝突してしまったのだと言う。


「タヌキは? 無事だったの?」


 車と衝突したという事は、無傷では済まないはずだ。道人はタヌキの無事を心配した。


「それが、車から降りて見たときにはもうおらんかって。おらんかったゆーことは動けて逃げたんやろ。しっかし、ちょっとぶつこうた(ぶつかった)だけやのに、ものすんごい衝撃やったわぁ、ドォーッンゆうてな、もービックリしたわぁ。あ、釜玉(かまたま)の小、つか(ちょうだい)


 タヌキが気になりつつ、「あいよ」と返事をして厨房へと道人は戻り、耳だけをそば立てる。


「それ、ほんまに狸やったんか? 猫とちがうんか?」


 岩次郎はぶつかった相手の正体を疑った。


「分からん、一瞬やったきん。でも黒っぽて腹やしっぽが丸っぽかったきに狸やろ。猫やったらあなに(あんなに)しっぽ太ないはずや」


「キツネやないんかぁ?」


 それに対して、白川が別の仮説を唱えた。


「いやぁ、キツネはもっとこう顔がシュッとしとろがな(してるやろ)


 タヌキとの事故にやや興奮気味で話に夢中なため、カウンターから呼んでも全く気づかない西村の元へと、熱々のうどんに新鮮な生卵を絡めた釜玉うどんを道人が面倒臭く持ち運ぶ。

 そして、「ハイ、おまちどーさん」と西村が口にくわえている煙草をヒョイと奪い取った。「うちは禁煙です。吸うなら外の席でお願いします」


 この店には外にベンチが一つある。岩次郎から〝外の席〟と教わったのだが、道人の記憶では、座っていたのはもっぱら休憩中に煙草を吸いながらボーッとしている父親の姿だった。

 道人は煙草は吸わないが、やはり何となく座ってボーッとしてみる時がある。座ってみて気づいたが、そこからは讃岐山脈が眺められた。


「道くん、ええやん。外、さぶい(寒い)のに。おっちゃん風邪引くがな。堪えてつか(下さい)


 風邪を引くのを言い訳に西村はどうにか許しを乞うも、厳格な店主はそれを「ダメッ」と、却下する。


「今から寒空の下で働こうって人が何言ってんだよ。ダメだダメ、イカンイカンッ!」


 そんな二人のやり取りを、隣で岩次郎がカカカッと入れ歯を鳴らしながら愉快に笑う。

 西村は目を離した隙に煙草を吸おうとする、マナー違反の客として道人はマークしている。もっとも、本人は癖でつい無意識に煙草に手がいってしまうだけなのだが。


 四人が一所(ひとところ)に集まったところで、岩次郎は声をひそめて意味神妙に言った。


「狸。あれはの、人を化かしよる」


 道人と西村はキョトンと目を見合わせ、


「うん、知ってる」


 西村は、オレは知らんぞ。とばかりに目を反らして釜玉うどんをすする。


「何を知っとる? タマ子さんから聞いたんか?」


「あー、その話な。なんだ、ガンさんも聞いてんのか。ばぁちゃんの狸話なら、耳にタコができるくらい何度も聞かされたよ」


 タマ子とは、道人の祖母の名だ。


「この話なら、シロさんの方が詳しかろ? なぁ?」


 岩次郎が横に座る白川の方へと向いて話を振ると……どうやら眠りかけていたらしい白川が、パチッとつぶらな瞳を開いた。


「いいよ、俺は聞き飽きた」


 フイッと顔を背けて道人がカウンターへ寄り掛かろうとすると、ちょうど勘定の客がやって来たためレジへと移った。この店の会計は食事の後となっている。

 しかし白川は天井を仰ぎながら、振られた話をゆっくりと語り始めた。斜め向かいに座っている西村が、何だ? と、うどん鉢から目だけ覗かせて白川の方を向く。


「あれは……わしがまだ若かりし頃の話。ある家のどら息子が、おとっつぁんの言いつけで油揚げを買いに走りに行った時の出来事じゃった。油揚げを買いに行ったはずのどら息子は、血相を変えて飛んで帰って来たかと思えば、ずぶ濡れ姿で『出たぁー!』と騒んぎょる。どうしたのかと聞けば、『狸に化かされよった』と言うんじゃ。当然、皆は信じんかった。じゃが、翌朝になり外を出てみれば、どら息子が化かされて落っこちたと言う池に、狸の亡骸と一緒に油揚げが浮いとったんじゃ。どら息子の言うた事は嘘ではなかったと、皆の疑いは消えよった。その後、どら息子は見事な出世をしよったという話じゃあ……」


「どら息子はともかく、何で狸が池に落っこちて死んどったんな? 油揚げは何か関係あるんな?」


 初めて話を聞いた西村は、疑問を口に出す。それに対し、岩次郎が説明を付け足した。


「油揚げは狸の好物や。どら息子が買いに行って持っとった油揚げを狙うて、化かして奪い取ろうとしたんじゃ。ところがそれが失敗して、自分が落っこちて溺れてしもうたっちゅーわけじゃ」


なんな()、それ? ほんだら狸はどら息子を化かして池に落として死なすつもりやったんな? はーっ、おそろしなぁ。狸が油揚げが好きなやて、知らなんだわ」


「死なすつもりがあったかどうかは分かんないだろ? どら息子は池に落っこちてるけど無事だったワケだし。狸が誤って自ら落ちただけだろ?」


 レジを済ませて、注文の入った品をカウンターから客に受け渡していた道人が、話に横から割って入る。


「そりゃあ、分からんわのぅ。その場を誰かが見とったわけじゃないきにの。ちなみにじゃ、その池っちゅーんが、あそこのお寺さんのすぐ横の池じゃ」


 岩次郎が西村を脅かすようにニヤリと不気味な顔を作り言う。


「え、それホンマにあった話なんな?」


 実際にある池だと具体的に聞かされると、少しばかり信憑性が増すというものだ。


「まだまだあるぞ」と岩次郎が調子に乗り面白がって話を続けようとしたが、「オレ、そろそろ仕事行かなイカン。ほんだら、また今度続き聞かせてつか(ちょうだい)な」と西村は言い残し、レジに二百八十円をきっちり丁度に置くと店の外へと出て行く。

 その背中へと、道人が「まいどありー」と声をかける。店先から軽トラのエンジン音が慌ただしく鳴り、すぐに遠ざかっていった。


 うるさい客が一人減り、道人は溜息を一つ肩を下ろしたのだった。


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