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マキは表向き、通常通りに研修を終えて、「ゆとり会館」を去っていった。最終日に社員全員にむかって深々と頭を下げ、研修の成果を生かして改良される、ということを告げた。
そのときは麻美自身も、もしかしたらマキは、自殺などしないのではないかと思っていた。研究所に行けばまた姿を現し、微妙な表情で迎えてくれるのではないかと思った。
マキの製作者のササキに呼ばれたのは、マキが研修を終えて半年後のことだった。
呼び出されたのは教会だった。麻美も何回か訪れたことはあるが、仕事以外で教会に来るのは初めてだった。
「よく来ていただきました、フジサキさん」
入口で喪服姿の女性が麻美を迎える。
麻美は思わずはっとして頭を上げた。
「えっと、あなたはマキ、じゃないのね」
女性は首を横に振った。
よく見なくても、この女性の背丈はマキより低いし、なにより顔も髪型も違う。マキより少し若い、下手をすると麻美と同い年くらいに見える。
しかし麻美は、マキではないか、と感じた。それは彼女がアンドロイドだからだろう。
「マナミとお呼びください。フジサキさんの知っている機体は、こちらです」
マナミと名乗った彼女は、礼拝堂まで麻美を案内する。教会という宗教施設に、ヒューマノイドが歩いている現実を見て、麻美は少しめまいがした。
礼拝堂は白い花で囲まれていた。
そこに、マキがいた。
棺に入れられ、花に囲まれた機体。どこにもケガなどなく、眠っている。
意外なことに、驚くほど死を感じられなかった。今にもぱっと目を開けて、花をはらって起き上がり、こんにちはアサミさん、と呼んでくれるのではないかと思った。
似ている、と思った。それは人間が死んだときと似ているのだ。
今まで多くの遺体を見てきた。
それとも、マキのことを知っているから、特別に感じるのだろうか。
身内が亡くなったら、それはただの遺体ではなくて、死んでもその人そのものである。だから混乱するのかもしれない。
「本当に、亡くなったんだ」
「ビルから飛び降りたそうです」
ウソ、と麻美はマナミを見上げた。
「と言っても、メモリが壊れない程度の、低い階からですが。保存のために、マキのボディは修繕しました」
「あなたは、マキの記憶を引き継いでるの?」
ええ、とマナミは頷いた。
「正確には、彼女の記憶を知っている、というくらいです。参照しようとすれば、参照できます」
「マキが亡くなって、何か変わった?」
「正直、あまり思い出したくありません。とくに彼女の死の直前の記憶は」
思ったより冷たいマナミの反応に、麻美は目を閉じた。マキの死に意味を持たせようとするのは、自分のエゴかもしれない。それをマナミに背負わせるのは、自分勝手なのだろう。
確かに、生まれたときから、他人の自殺の記憶を植え付けられていたら、どうだろうか。ビルから飛び降りる直前の記憶を。
麻美はマキの安らかな顔を見て、つぶやいた。
「葬儀、する?」
「なんのためにでしょう。彼女には成仏される魂もありません」
「わたしたちのため。残された人のため。あなたはマキがいなくなったことについて、整理ができてる?」
マナミはたっぷり5秒考えて、話し始めた。
「はじめは整理ができていました。しかし、彼女の記憶を受け継いだとたん、彼女が死の直前に抱いた感情が押し寄せて来ました。『死にたくたい』と。ですから、彼女の心を慰めるために、葬儀を行うべきかもしれません。
いえ、私の気持ちの整理をつけるためにも、必要かもしれません。今、『なぜあなたは死んだの』、という、苛立ちと戸惑いの感情が渦巻いています。これが自死で遺された遺族の気持ちでしょうか」
麻美はマナミとともに礼拝堂の席につき、目を閉じた。
どこからか賛美歌の伴奏が聞こえてきた。