32、湖のほとりにて
フリーレン家侍女たちの腕は最高だ。シャルルは改めてそれを確信した。
「マ、マティス……様……!?」
「おいおい、そこらのお嬢ちゃんたちを霞ませる勢いで磨いてどうするんだよ。逆に目立ってんぞ」
オリヴィエールは言葉を失い、あのジョンすら素直に褒める。誰も文句の言えない美少女がそこには座っていた。
太陽のごとき金髪はゆるいウェーブを描き、上品に編まれてハーフアップに。瑞々しい唇には愛らしいピンクの口紅が塗られている。少々光を失ってはいるが、揺れる睫毛の合間から見える紫水晶の瞳は宝石そのものだ。
その身を包むドレスはお忍び用の中でも特に地味なもの。しかし肩幅を誤魔化すために掛けられたふわふわのレースが愛らしさを一層際立たせていた。
「でもこれならばお忍びのお嬢様にしか見えないでしょう? 少なくとも誰も殿下だとは思わないはずです」
「そりゃそうだが……というか姫様の侍女たち本当に凄いな……」
「……エメ、ずいぶんと本気を出したね……もしかして怒ってる?」
「いいえ? 別に、突然押しかけてきてお嬢様に迷惑かけたからとか思ってはおりませんよ」
呆れたように侍女たちへ賞賛を贈るジョンの傍らで、シャルルはエメへ耳打ちする。反応を見るだに大いに他意が込められていると思われるが、まあいいものが見られたので良いかとシャルルは彼女を責めなかった。
「マティス様、マティス様ですよね……?」
「…………それ以上言うと燃やすぞ、リヴィ」
「マティス様だ!!」
一方でなにやら面白いことになっている主従を眺め、シャルルは彼らへ近づく。巧妙にマティスフィアの死角へと回り込んで。
「こ・ん・な・に可愛い子とデート出来るなんて男冥利に尽きますね。レディ、エスコートしても?」
「燃えろ」
「ううん、やっぱり声を聞いちゃうと男ですね」
手を取り肩を抱いたシャルルの鳩尾にマティスフィアの肘が入る。容赦のない攻撃にやはりマティスフィアだとシャルルは内心安堵した。
「こんなもの末代までの恥だぞ……」
「できる限り喋らないようにして、歩き方に気をつければ万が一にもバレませんよ。バレなければ恥でもないでしょう? ね?」
「この格好で外に出るのか!?」
「何を今更。そのために変装したんでしょう」
珍しく狼狽えまくっているマティスフィアに思わずシャルルの嗜虐心は湧き上がる。いつもしてやられているから尚更に。
「どこに行きたいですか? とは言っても王都のように娯楽が溢れているわけじゃないですけど。装飾品店とか行きます?」
「………………だ」
「へ?」
からかうつもりだった問いにボソりと彼が返答した。シャルルは目を瞬かせて聞き返す。
「……森がいい」
「森? ええーせっかくだから街に……わかりましたわかりました、睨まないでください」
もう完全に拗ねてしまっているのでここは折れておこう。そうシャルルは考えて、マティスフィアの要求を飲んだ。まあ森に行ってから帰り道で街を通ればいいしな____そう思い直して。
ちなみに一同は馬屋で再度揉めることになる。ドレス姿のマティスフィアを一人で馬に乗せるわけには行かずシャルルの馬に乗せようとしたためだ。騎士が女性を乗せる時の格好で。
最終的にはマティスフィアが折れてシャルルと共にマーレの背に乗ることとなった。
☆
「良い天気ですねぇ、マティスフィア様」
「…………」
「……もう、機嫌直してくださいよ。せっかく一緒に森へ遊びに来ているのに」
そんな死んだ魚みたいな目しないで、と微笑みかけると、じろりと睨まれたあと軽く額を弾かれた。痛い。
「お前が私の立場だったとしてそう簡単に受け入れられるのか?」
「うーんどうでしょ。もう受け入れた方が楽じゃありません?」
「なんだと……」
そもそもシャルルは本来女なので、女装したらと言うのは妙な話である。そちらが正装ゆえに。異性装というのならば現在進行形でしている。
「せっかく手紙越しでなく話せる機会なんですよ。ぶすくれていたらもったいないじゃないですか」
「む……」
「悪ふざけが過ぎましたかね?」
そう言ってウィンクをするとマティスフィアは少し決まりの悪い顔をして目をそらした。そのままこちらに顔を向けないまま頭をシャルルの胸に乗せる。その動作にシャルルはうっかり萌えかけたが、同時に冷や汗をかいた。
(ああああ可愛い、可愛いけど流石に触られたらバレ、バレ……)
シャルルの危惧とは裏腹に、マティスフィアは涼しい顔をしている。なにか気がついた素振りはない。
(バレないだと……え、これ喜んでいいのか落ち込んでいいのか……)
サラシを巻いて固めているとはいえ、虚しいものを感じる。男の胸として違和感がないというのか。辛い。
「……どうした、なぜお前がそんな顔をする」
「いえ……マティスフィア様が構ってくれないから寂しいんですよ……」
「お前は犬か」
「犬でいいので構ってください」
そんな戯言を返すとマティスフィアは呆れ混じりの笑い声をあげた。
こういう時、どうしても警戒心をかなぐり捨てて、脳を介さずに返答してしまうのは問題だろうか。シャルル、というかシャルロッテにとってマティスフィアは一番警戒すべき存在なのだが。今更ながら、仲良くなりすぎている気がする。
「犬と言われると飼い慣らしたくなるな」
「言うと思いましたよ。犬はお好きですか」
「忠犬ならいくらいても問題ないな。もちろん猛犬は躾ればいい話だが」
「末恐ろしいこと言いますね」
ゲームのマティスフィアが犬に囲まれている状況を想像する。うん、可愛い。
「おい、なにか余計なことを考えいるだろう」
「いえ?」
「お前、笑えば誤魔化せると思っている節があるな?」
バレたか。否定せずに視線をそらすと、タイミング良くマーレが鼻を鳴らした。笑われたような気がする。
「笑顔は紳士の嗜みですよ。ほらマティスフィア様も」
「人の良い笑顔は人脈作りに必要不可欠とは言うな」
「いやだからなんでそう物騒なんです。せっかく可愛いんですからもう少し穏便にいきましょうよ」
忘れていた、この人悪役だった。などとシャルルが苦笑している間に、彼の笑顔がふと消える。からかったから怒ったのかと思ったが、そういう訳ではないようだ。彼はなにやら目を泳がせ、ボソリと低い声で呟いた。
「そうやってこの前の女も誑かしたのか」
「はっ?」
動揺が伝わったのか、マーレが脚を止める。慌てて再度前進の合図をしようと顔を上げると、目の前に泉があり目的地に着いていたことに気がついた。マーレは動揺して立ち止まったわけではなく目的地に着いたから脚を止めたのだった。賢い馬である。
「着いたぞ。騎士らしくエスコートしてみろ」
「え、あ、うん。いやちょっと待って。先に下ろすけどさ」
混乱しながらも馬を降り、マーレを撫でながらゆっくりしゃがませる。今は令嬢として大人しくしているマティスフィアだが、普段から馬に乗り慣れている彼は多少揺れても顔色ひとつ変えなかった。
馬から降りたマティスフィアはそのまま泉のほとりへと歩み寄った。しかしなにかを求めている様子ではなく、すぐにこちらを振り返る。
「マティスフィア様?」
「ここだな。この前手紙に記していたのは」
ひらりと、懐から取り出された封筒を見てシャルルは電撃のように理解した。マティスフィアが何を、誰のことを言っているのかを。
(というか、ドレスのどこに仕込んでいたんだろう。あの手紙……)
「ずいぶんと、親しい女がいるらしいな。ローズと言ったか?」
「う、うん。ちょっと待って、なんで浮気発覚現場みたいになってるんです」
女装した男に女との関係を詰られるってどういう状況なのだろう。しかも自分とマティスフィアは男同士……いや、シャルルは男装した女なのだからおかしくはないのか? いやそれでも女との浮気を疑われるのはおかしい。というかそもそも恋仲じゃない。どちらとも。
「お前はそういう性格だからな。友人はもとより多いだろう」
「は、はあ……」
「今日の件で天然タラシだと言うこともよく分かった」
「まさか、マティスフィア様だけですよ」
「そういうところだ!!!」
滅茶苦茶理不尽に怒られている気がするが口は噤む。恐らく反論は許されていないだろう。……というかタラシなんていう言葉をどこで覚えてきたのだろうか、この王子は。
「なんでも、昨今の手紙ブームでそのカイール商会の娘とも文通を始めたらしいな。婚姻も婚約も済んでいないその娘と」
「え、待って。なんでローズのことそんなに知っているんですか」
「リヴィに調べさせた」
「こんなことで権力濫用しないでください! オリヴィエールさんも止めようよ!!」
オリヴィエールが思ったよりストッパーとして機能していないことが分かってしまった。彼、常識的なようでいてシャルロッテに対するエメくらい忠誠心が偏っているようだ。
「そんなことはどうでもいい。話を誤魔化すつもりか?」
「全くどうでも良くはないと思うんですけど……ええと、話が長くなりそうなので座りましょうか」
ほとりにいつものように胡座をかくと、マティスフィアは驚いたように目を泳がせ、座る気配を見せなかった。
そうか、とシャルルは思いたち、マーレに積んだ荷物から安物の布を取り出した。マティスフィアが座りやすい位置にひいて凸凹を整える。そのそばに腰掛けてぽんぽんと叩いて示すと、やっと彼はその場所に腰を下ろした。忘れがちだが、普通の貴族は地べたに直接座ったりなどしない。
「とりあえず、ローズとはそういうのじゃないから。ただの友達。ローズだってそう思っているし」
「何故わかる?」
「そういう風に確認しあっているからだよ。それに、カイール商会の拠点とここは遠い。それじゃ育める愛も育めないよ」
おかしいな、ゲームでこんなに面倒くさい性格だったっけ。シャルルは口元を押さえながらそんなことを考えた。いやでももうこの世界はゲームではないし、そもそもマティスフィアの事も悪役としてしか知らないのだ。こういう一面があってもおかしくない。なにより、
「……おい、なにニヤついている」
「えーだって。嫉妬してくれるなんてマティスフィア様も可愛いところあるなーって」
「嫉妬など!」と顔を真っ赤にする辺りも予想通り過ぎて可愛らしい。普段の格好で拝みたかったところでもあるが、女装はこれでいい。
「大丈夫大丈夫。確かにローズは大切な友人だけど、マティスフィア様はもっと大事ですからね」
「……お前、そこはかとなく子ども扱いしていないか」
「気のせいですよ〜」
つい子ども扱いしてしまうのはこの際仕方がない。前世からの記憶があるがゆえ。
「マティスフィア様、まさかとは思いますけど今回の電撃訪問って、この前の手紙でローズのことを話題に出したからつい頭に血が……とかじゃないですよね?」
「…………」
「え、図星?」
黙りを決め始めたマティスフィアの顔をシャルルは目を輝かせながら覗き込む。煩わしいと言わんばかりに払われても追いすがって。
「ええい止めろ! その目を止めろ! 不敬だぞ!」
「ええー何をいまさら」
顔を真っ赤にしながら否定しても、肯定しているようなものだというのに。貴族として交流した時の鉄仮面はどこへやら。どうやらプライベートでは割と正直な方らしい。
「不敬でもなんでも、僕の気持ちに偽りはありませんよ。僕の一番の友は君です、マティスフィア様」
「……なら、良い」
顔を背けながらどこか安心したように返事をする彼が愛らしくて、思わず頭を撫でたい欲求に駆られる。絶対に機嫌を損ねるのでやらないが。
「そういえば、秘密の場所というのはこの辺りなのか?」
「あーもうちょっと奥に行ったところですよ。今の時期は生い茂り過ぎてあまり綺麗じゃないので、また次の機会にしましょう」
「次……か。そうだな、そうしよう」
「でしたら時間もあまりないわけですし街に行きましょう、街! 賑やかで楽しいですよ」
「街は女装がバレるリスクが高くなるだろう」
「喋らなかったら余裕です! ちゃんとエスコートしますよ、マティスフィ……」
ふと、流石に名前を呼べばバレてしまうだろうということに気がついた。お嬢様と呼んでもいいが、試しに呼んでみるとマティスフィアはとてつもなく嫌そうな顔をした。
「お嬢様と呼ばれて反応できる気がせんぞ」
「あまり遠い偽名でも反応しにくそうですしねぇ……フィー、とかどうでしょう? 愛称っぽいですし、名前も近いです」
「…………まあ、良い、か」
千歩くらい譲った上の了承のようだが、許しは得た。これから共に街へ出るこの美少女は“フィー”である。
「ではフィー様、参りましょうか」
「……お前のその楽しそうな顔を見ると、選択を間違えた気がするな」
そんなご無体な。そう笑いながらシャルルはフィーをマーレに乗せるのだった。




