29、氷雪の星
「またか! またなのか!!」
我が主がこんなに荒れるとは、本当に珍しいな____大量の手紙を捌きながらオリヴィエールはそんな現実逃避を思い浮かべた。
「何通送って来る気だ、ベアトリス嬢は!」
「ブームが去るまで続くと思うぞ」
「……もういい。これ以外は全て捨ててしまえ」
とある令嬢を中心に怒涛の勢いで広まったブームは貴族だけでなく、国の情報伝達システムにすら影響を及ぼした。思いもよらぬ形で大きく進んだ国の文明にマティスフィアは喜びこそしたが、その余波でこれ程苦しめられるとは思っていなかったらしい。
殺到する令嬢・子息からの手紙。皆、第二王子派の家の者で、お近づきになりたいという意図が如実に現れていた。特に酷いのが前々からマティスフィアとの婚約を狙っていたベアトリス侯爵令嬢だ。ほぼ毎日のように送られてくる恋文は最早封も切られずにマティスフィアに捨てられている。
「一通読んで返信してやれば侯爵家への面目は立つだろう」
「流石に無視はできないからなぁ。だがせめて封だけでも切ってやったらどうだ? 手紙が可哀想だろ」
「じゃあお前が勝手に切ってやれ。頭がお花畑な文章を読むのはもう御免だ」
そんなにか、と呆れて嘆息をつく。
一方でマティスフィアはペーパーナイフを取りながらドスッと音を立てて椅子に座った。
「私とて始めはまともに読んでいた。だが実も興味もない話ばかりされ続けてみろ。嫌気がさすなどと言うレベルではないぞ」
だから少し試してみることにした。そう言いながら唯一手に取っていた最新の手紙を開く。中身の文章にさらさらと目を通しはっと鼻で笑った姿を見て、ダメだったのだなとオリヴィエールは察した。
「なんと書いて試したんだ?」
「なんのことは無い。『今宵も星空は美しい。氷雪に映る星はどうだろうか?』と」
読み上げられた一節に何かが引っかかったオリヴィエールは眉をひそめ考え込んだ後、壁の本棚から一冊取り出した。ぱらぱらとページを捲る音が響く。
「これか……」
オリヴィエールが手に取ったのは数ある聖典のひとつ。この国に伝わる神々の活躍や逸話が著されているものである。
オルディア神話において、主に登場するのはそれぞれ魔法の属性を司る五柱だ。
光のリュイエは、世界を構築したのち氷のシャンデラとの長きに渡る闘いを乗り越えて、今の平和を生んだと伝えられている。
こういった“創世神話”の他にも神話は数多く残されており、それらは端的に“外伝”などとまとめられ親しまれていた。
親しまれる理由は外伝神話の幅広い種類にある。リュイエとノアリーヌ、フライエとシャンデラの恋愛譚から血を血で洗うような戦記、ちょっとくすりと笑わせるような滑稽話まで取り揃えているのだ。
そのせいか、「神は信じてないけど神話は大好き」という人が割と珍しくない、少し不思議な宗教である。
「確かに神話は魔法を使う貴族には必須の教養だがな? 外伝の、しかも炎神と氷神の恋愛譚って結構マイナーだぞ」
最も有名な外伝は主神である光のリュイエとその妻ノアリーヌの恋愛譚だ。敵対神の姉、ノアリーヌに一目惚れした主神と未来視を持つ女神の恋は、聖典だけでなく壁画などにもされている。
弟神であり生命を司る炎のフライエとリュイエに敵対した氷のシャンデラ、このふたりの話も少なくはないはずだが比べるとどうしても劣ってしまう。その上二柱の立場上、戦記の特色を色濃く持つ部分が多いので女性には避けられやすい。
「令嬢相手なのを考慮してわざわざ恋愛譚を選んだのだ、回答してもらえなければ困る」
それに、と幼き暴君は言葉を続ける。
「フライエとシャンデラを選んだのも故意だ。私は炎、ベアトリス嬢は氷の属性を持っているからな。私を慕っているのなら連想も容易いだろう?」
「あーまあ確かに慕う相手の属性くらい頭に入れておけよって話だけどな……」
こういってはなんだがベアトリス嬢はなかなかに頭が残念なご令嬢だ。本よりも花、知識よりもドレス。自分磨きに夢中なのは結構だが、王子と釣り合うために必要な素養くらいは身につけてから迫って来て欲しい。
「なにも、即席で回答しろと言っている訳ではない。手紙を読んで少し引っかかれば調べるなり確認するなりすれば良い。それすらしない、できない者を伴侶に迎える気はないぞ」
「言っていることはわかるけどな、お前それ相当に理想が高いぞ」
「叔父上にも同じようなことを言われたな。……でもリヴィもシャルルも回答出来たのだから、これくらいの理想ならいつか見つかるのではないか」
「いやーそんなに気長に構えられると困……おいちょっと待て、割と聞き捨てならない情報が流れたんだが」
出したのか、今の問題を。同い歳で、しかも貴族ですらないただの騎士に。
「問題あるか?」
「いや、ない……ん? あるか? 判断に困る!」
出したこと自体に問題はない。だが、“回答できた”ということに違和感があるのだ。
「本当に回答してきたのか? マティス的にも完璧に?」
「まあ、満足はしたな」
彼は引出しから箱を取り出して、丁寧にしまわれていた手紙を1枚取り出した。粗い安価な紙を大事そうに封筒から取り出す姿は、ちぐはぐな印象をオリヴィエールに与えた。
机に置かれた手紙をざっと斜め読みする。様々な事柄が取り留めもなく書かれている文章だ。その最後に目的の一節はあった。
「…………。これ、ベアトリス嬢はなんと返してきたんだ?」
「『春ですので私の領でももう雪は溶けてしまいました。ですが殿下と共に見る夜空は綺麗でしょうね』……だったか」
「意味がわからずとりあえずアピールしてきた、って感じの文章だな」
「もうとっくに春なのだから雪が溶けたことくらい私にもわかっておるわ」
むしろ、わかっているからこそわざと『氷雪の夜空』を持ち出したのだ。読んだ者が違和感を覚えるように。
まあわからなかったらそう返すしかないよな。そう思いながらオリヴィエールはシャルルの手紙にまた目を落とした。
____シャルルの返答。
『氷雪の星しか眺めたことのない自分には判断しかねます。どうぞご自分でご覧になって、僕に教えてくださいな』
「完璧というかそのまま引用しているな、これは」
問題の一節はリュイエとの闘争に敗れ、封印されたシャンデラにフレイアが送った言葉から引用されている。
密かにシャンデラへ心を寄せていたフレイアは、闘争の後、閉じ込められた彼女の元へ通い続ける。かつて自分と敵対し剣さえ交えた相手の求愛をシャンデラは冷たくあしらい続けるが、いつしか諦めの悪いフレイアに心を溶かされるのだ。
そんな2人が初めて心を通わせる場面。使者が伝えたフレイアの言葉に、遂にシャンデラが返答する。
『氷雪の星しか眺めたことのない私には、その美しさなどわかるわけがないわ。ご自分で見て判断なさいな。……そして私にも、教えてちょうだい』
「しかしまー……最初の頃の警戒心が嘘のようになってるな」
敬語を使ってはいるが全体的に言葉が砕けている。年頃の男らしく度々乱暴な言葉が見え隠れしているが、不快になるほどではない。
「今回の件に関しても『男に送るにはおかしな所抜粋しますね。マティスフィア様って男色趣味でもあらせられるんですか?』と送って来ているしな」
「待て待て待てそれは不敬じゃないのか?! 良いのかお前は?!」
「この程度のやり取りに目くじらを立てていたら他の手紙や私の手紙も読ませられんな」
「何を書いているんだお前ら……」
はぁ……と深くため息をつくオリヴィエールを見てケラケラと笑うマティスフィア。楽しそうでなによりだとオリヴィエールは主を睨んだ。
何はともあれ、同年代の友を得てマティスフィアの精神はだいぶ安定した。現に今もあれほど荒ぶっていた感情が完全に癒されている。
マティスフィアは元々異常なまでに賢く、手段と言葉を選ばない性格だったが三年前からその傾向がより強くなっていた。そんな幼い主をオリヴィエールは酷く案じていた。もちろん彼がどのような道に進もうと、自分はついていくだろう。だが主が身を削り苦しみ、そして滅ぼすところを見たくはない。
マティスフィアがシャルルに興味を示した時、躍起になったのはそのためだ。あれだけ強く聡く、頭を抱えた自分を察してそっとしておく優しさをも持つ彼が、マティスフィアと肩を並べて歩いてくれたなら。そう思って王宮騎士にも再三勧誘した。
乗ってくれたなら無理矢理にでも側近にしたのだが。彼がフリーレン侯爵にあるという“大恩”とは一体……。
「……こんなこと言いたかないんだがな、マティス。おかしいと思わないか?」
「……なにがだ?」
「シャルルだよ。彼は、聡すぎる」
本は高級品だ。一介の騎士が簡単に所有できるものではない。では彼はどうして返答が出来たのか。そもそも一度は読んでいないと違和感にすら気が付かないだろう。
「元貴族とはいえ、縁を切られたのは二年前の十一歳の頃なんだろう? 縁を切るような子どもにそんな高等教育を施すと思うか?」
「フリーレン家で保護されているからと漠然と考えていたが……確かに妙だな。あいつは騎士だぞ。二年間机にかじりついていた訳がない」
今度尋ねてみるか、いやでも……となにやら悩み出した主を見据えつつオリヴィエールは考える。前回招待するに当たってシャルルの身の回りは調査していた。だがわかったのは所属の騎士団と年齢、元貴族であるということだけ。元はどの家の者だったのか、どういった経緯で保護されたのか、大恩とはなんなのか。それらは全く出てこなかった。
「……オリヴィエール、少々面倒だと思うが」
「再調査だろ? 任せておけ。マティスが手紙で探りを入れたらバレそうだしな」
バレるようなヘマなどせんわ、と不満げな顔をしていたが、彼もそれ以上反論しない。オリヴィエールも本気でバレるなどとは思っていない。だが、マティスフィアがせっかく心を開いた相手なのだ。また心を閉ざして探りを入れる必要はない。それは従者である自分がやればいい事だ。
さあ、忙しくなる。脳内の予定帳に調査を書き込みながら、オリヴィエールは別の書類を手に取った。




