無印の国から来た男
砂の大陸サーナサウルにやってきてから、ずっと気になっていることがある。
金色の光だ。
建物の壁。屋台の看板。食器。靴。通りすがりの商人が抱えた木箱。——街のあらゆるものに、金色の紋様みたいなものが浮かんで見える。最初は装飾かと思った。帝国は派手好きだと聞いていたし、文化の違いだろうと。
でも違う。
誰もあの光について話さない。目で追わない。商人は金色に光る木箱をただの木箱として扱うし、子どもは金色に脈打つ石畳の上を何も気にせず走り回っている。
——見えてるの、俺だけか?
気味が悪い。が、気味が悪いだけで腹は減る。俺はケント。アーディナル大陸の東部ドラゴン・アイ州から海を渡ってきたポーター——荷物運びの専門職だ。剣は持てないが、剣を持つ奴の荷物は持てる。盾は構えられないが、荷崩れは絶対に起こさない。それが俺の仕事であり、俺の全部だ。
ちなみにこの国には「名前を言ってはならない女王」がいるらしい。酒場で酔っぱらいが口を滑らせかけたとき、隣の客が全力で口を塞いでいた。
(名前を言っちゃいけない王様って、なんだ。ヴォルデモートか)
まあいい。俺には関係ない。ポーターに必要なのは王族の名前じゃなくて、明日の飯の当てだ。
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冒険者ギルドの掲示板で、一枚だけ妙に浮いている依頼書を見つけた。紙の端がくたびれていて、何度も剥がされては貼り直された形跡がある。
『英知の塔のお掃除、ポーター募集。Fランク以上。戦闘能力不問。体力と荷物運びに自信のある方。報酬:日給+回収品の歩合制』
砂漠のど真ん中——絹道の中間地点にある巨大な塔。こびと族が七千年かけて管理していて、モンスター掃討に加えて遺物のサルベージ、通路の修復、散乱した荷物の分類。戦闘力よりも掃除力が試される。まさにポーター向きだ。
「ただし、こびと族はちょっと……その……元気がいいので」
受付嬢の声が尻すぼみになった。カウンターの下で指先が震えていた。
「……お気をつけて」
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適当な四人組パーティに参加し、砂漠を越えて塔に着いた。
でかい。見上げると首が痛くなる。上に行くほど建材が新しく、白い漆喰が陽光を弾いている。下に行くほど石の色が古びて、砂漠の砂と区別がつかなくなる。七千年分の増築は伊達じゃない。だが砂から上に出ている階層はせいぜい百年——残りの六千九百年分は全部、砂の下だ。
塔の最上階で、ちっこいこびと達が白旗を振っていた。
「たーすーけーてー!」「モンスターでたー!」
前衛の剣士二人がゴーレムもどきを手際よく叩き砕き、俺は散らばった石のかけらを片づけた。これも仕事だ。
安全が確保されると、階段からこびと族がうじゃうじゃと降りてきた。大人でも俺の腰くらいの背丈。丸い。顔も体も手も全部丸い。ビー玉みたいな大きな目がつやつや光っている。
「お客さんー!」「アイテム見せてー!」
さっきまで悲鳴を上げていた連中が、もうモンスターのことなど忘れている。木製のゲートに「せきしょ」とこびと文字で書いてある。荷物を一つずつ舐めて調べる鑑定だ。「んべっ」「んべべっ」と舐め回しては「鉄七割、銅二割、不純物一割。産地は北方」などと言っている。
剣士の一人が聖水の瓶を差し出したら、こびとが一舐めして「水道水に塩」と即答した。剣士が無言で瓶をしまった。
俺の番。バックパックを差し出す。こびとが一匹、中身に顔を突っ込んで——舐めた。
一瞬の沈黙。丸い目が、まん丸になった。
「——無印だ!!!」
空気が変わった。叫びが塔全体に反響し、五匹、十匹、二十匹——数えきれないこびとが殺到してきた。腕を舐められ、靴を舐められ、ベルトのバックルを舐められ、バックパックの中身が片っ端から引きずり出される。
「これほしー!」「関税! 関税!」
幼稚園児の暴徒だ。受付嬢の指の震えの意味がようやくわかった。
——ゴンッ。
杖が地面を叩く音が響き、こびとたちがぴたりと止まる。
「これ! 一割という約束じゃろう! 全部持っていこうとするでない!」
白い髭の、少し背の高いこびと。長老だ。他のこびとより頭一つ分大きいが、それでも俺の胸くらい。こびとたちが「えー」と口を尖らせながら渋々散っていく。コンパスをこっそりポケットに入れようとした一匹を長老が杖でぺしっと叩いた。「出しなさい」。「ちぇー」。
長老が俺の顔をじっと見た。額。胸元。手首。何かを探すように。
「ふむ……無印か。久しぶりに見たわい」
「前にもいたんですか、無印の人間」
「まあな。——そうじゃ、十年前に大統領とかいうお方から珍しいものをもらったのう」
こびとたちが一斉に振り向いた。「あー! あれ珍しかったー!」「中まで全部舐めたー!」
十年前。大統領からのプレゼント。——嫌な予感がした。
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通路を二つ曲がった先の広い空間に、車があった。
四輪駆動車。角ばったフェンダー、頑丈なルーフラック、大統領専用モデルの特注グリルガード。俺の国が誇る最高級モデル——の、はずだった。
ボディが光っている。街の建物についていたのと同じ——金の印が、ついている。
無印の国で作られた機械に、なぜ金印がある。
一歩近づいて、息が止まった。車の周囲に部品がごろごろ転がっていた。タイヤ、シャフト、排気管、エンジンブロックの断片。どれも加工が粗く、接合部が甘い。そして金色の光が——ない。無印。
金印のついた車体と、無印のスクラップ。
「……コピーしたのか」
こびと族の舐める鑑定は成分分析だけじゃなかった。構造を丸ごと記憶して物質を精製し、複製している。金印つきのコピー品を作り上げて、オリジナルは分解したのだ。
こびとたちが「珍しかったー」と無邪気に笑っている。悪気はゼロだ。ゼロだから余計にきつい。
だがスクラップの山にポーターの目を向けると——エンジンブロックが原形を保っていた。手で触れる。ひんやりとした鋳鉄。十年砂漠に放置されて、びくともしていない。クランクシャフトもカムシャフトも、主要な駆動系パーツがオリジナルのまま転がっている。
(……さすがアーディナル製)
位置を頭に刻んだ。ポーターの職業病だ。一度見た配置は忘れない。
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中層に上がると掃除パーティの本番が始まった。こびと族の生活圏を離れると空気が変わる。埃っぽくて、乾いていて、どこか甘ったるい腐敗のにおいが混じる。
前衛がゴーレムや腐った甲虫を片づけ、俺は後方で崩れた石材を運び出す。
パーティの中に一人だけ浮いている奴がいた。東洋風の装束に覆面。腰に墨壺と筆を下げている。戦闘にほとんど参加せず、壁面の碑文の前に立っては手帳に何かを書き写している。
「暫……この文字列は……二千年前の楷書体じゃないか……」
小さな独り言。そしてまた。
「暫。ここの墨印は三世代前の……いや、四世代か」
碑文に夢中になるたびに「暫」と呟く。考え込むとき、発見したとき、次の壁面に移るとき。句読点みたいに「暫」が挟まる。
やがて覆面が俺に声をかけてきた。
「おい、ポーター。この先の瓦礫、運べるか。碑文が埋まっておるのでな」
「運べますよ、シバラクさん」
——空気が凍った。
覆面の奥の目が射抜くように俺を見た。筆の先から墨の雫が一滴、石の床に落ちた。
「……なぜその名を知っている」
「え? いや、あんたさっきからずっと——」
「暫。 こいつ、なぜ拙者の本名を——まさか帝国の間者か」
(今また言ったよな? 覆面の意味ぃぃぃ!!)
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シバラクが動いた。
墨壺に手を突っ込み、壁に向かって一画を描いた。筆が走る速度は尋常じゃなかった。墨色の文字が壁面を走り——
壁が、割れた。
轟音。床が裂け、天井が崩れる。視界が粉塵で真っ白になった。
冒険者たちが上層側に跳ぶ。「崩落だ!」「戻れ!」
俺もそっちに——足元のバックパック。散らばりかけた荷物。俺の道具一式と、クエストの記録と、あのスクラップの配置メモ。
手が、勝手に動いた。荷物を庇って、身を丸めた。
——落ちた。
風。暗闇。落下する体が壁にぶつかり、跳ね、また落ちる。バックパックのフレームが軋む。
暗闘の中、壁面の印が変わっていくのが見えた。金。金。金。——層が下がるごとに光が強くなり、古くなる。そして——金と紫が混じった、見たことのない色。二色が絡み合うように脈打っている。
砂の上に叩きつけられて、しばらく動けなかった。——が、生きている。
上を見上げた。崩落の穴は遥か上、光の点にしか見えない。戻れない。
体の状態を確認する。右肩が痛い。肘を擦りむいた。——が、骨は折れていない。指は十本動く。バックパックを開けた。ロープ、無事。水筒、蓋が歪んだが中身は漏れていない。コンパス、針が狂っている。配置メモ、無事。
(上には戻れない。食料は二日分。水は一日半)
立ち上がった。膝が笑っている。無視した。肩紐を締め、腰ベルトを留め、胸のバックルをカチリと鳴らす。——この音を聞くと、体が仕事モードに切り替わる。
——なのに。
奥に、金色の光。
天井も壁も真っ暗なのに、そこだけ淡く、脈打つように光っている。街で見た光が蝋燭だとすれば、これは炉の火だ。何千年も燃え続けてきた、消えることを忘れた火。
壁面の金紫混合印が道標のように並んで、暗闇の中に通路を浮かび上がらせている。足元の石畳は上層のものよりずっと平らで、目地が正確で、七千年の底に沈んでいるとは思えないほど——綺麗だった。
誰かがここを、整えていた。
通路の先が開けた。広間だった。天井が高い。見上げても闇しかないが、空気の流れで広さがわかる。壁の反響音、足音の残り方、空気の動き。体育館くらいはある。
広間の中央に、玉座があった。石造り。肘掛けに金紫混合印の紋様が刻まれている。光が最も強いのは、そこだ。
玉座の上に、誰かが——
眠っていた。




