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αの悲劇  作者: 馬場悠光
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終章 大団円

「真介! やったよ。ついにアテナが職場復帰だ」

 

「ああ、さっきここにいらっしゃった彼女のお父様から伺ったよ。本当に良かったな」

 

 アポイントも取らず、扉のノックもせず、事務所に飛び込んできた一詩の無礼を真介は笑って許してくれた。

 

 相須究朗が自身の飼っていたカメにより生命を奪われてから数日後、案の定アテナは郵送にて、桐谷電工に退職願を出してきた。一詩はそれを意に介す事なく握り潰すと、修理し終えたガラケーを病院の彼女の元へ送ったのだった。なぜ直接アテナに手渡さなかったのかというと、当時のアテナは実の父親との面会すら謝絶していた。それほどまでに、相須の行為はアテナの心を深く抉っていた。

 

 その後も一詩は根気強くアテナに励ましの手紙や菓子、果物を送り続けた。最初は一方通行だった手紙も、徐々に返信が来るようになった。季節が冬になる頃には面会にも応じるようになり、年が明けた一月現在、遂にアテナは退院と職場復帰を果たしたのだった。

 

「お父様もお前に深く感謝なさっていたよ。「桐谷さんの精力的な励ましがなければ、娘は立ち直る事は出来なかったでしょう」って」

 

「俺の方こそ、お前に感謝しなくちゃならない。手紙の書き方やプレゼントの内容までレクチャーしてくれて。……お前がいなかったら、今日という日を迎える事は絶対に叶わなかっただろう。本当に、ありがとう」

 

 そう言って一詩は真介に、深々と頭を下げた。

 

「よせよ水臭い。……それより、その手に持っているのは何だ?」

 

 以前、真介から敬語を使われた一詩と同様、真介も一詩のこの振る舞いに多少居心地を悪くしたのか、強引に話題を変えるかのように、彼が持っている小さな紙切れを指した。真介に指摘され、一詩は初めて自分がそれを手に持ったままでいる事に気付いた。少しでも早く、アテナの退院と職場復帰を真介に直接伝えたいがあまり、それを仕舞うのを忘れていたのだ。

 

「退院祝いにアテナのアパートに行ったら、ちょうど彼女が前に勤めていた会社の社長さんと鉢合わせてな。その時に貰った。たぶん、お前も調査の時に貰ったんじゃないか」

 

 一詩は真介にそれを見せた。名刺である。

 


 マキー株式会社 代表取締役社長 牧貴史(まきたかし)


 

「顔は厳つかったが、話してみると穏やかなおじさんだったな。定年退職後にこの会社を立ち上げたらしい」

 

 牧氏の名刺の裏面には、マキー株式会社の業務内容が記されていた。


 

・鍵の作成、複製、出張開錠

・スマホ、タブレット、ゲーム機などの電池交換

・靴、鞄、傘の修理

・表札、印鑑、名刺の作成


 

「今の事業が安定して、もっと人員が増えたら、こうして色々と事業を広げるのもいいかもな。この事務所は、もっと事業を広げたり人を雇ったりはしないのか? 俺の所は、今年の四月に三人入る予定だが」

 

「その予定はないな。俺は一人で小さく、のんびりやらせてもらうとするよ。そうだ」

 

 途端に真介の顔から笑みが消え、真顔になる。

 

「あの時……相須の部屋へ向かう直前、お前は俺にこう依頼したよな。「どうかアテナを、助けてくれ」。あれは「大鷲さんが警察に逮捕されないようにして欲しい」、そういう意味で解釈していいよな?」

 

「ああ、そうだ。それがどうかしたか?」

 

「そうか、それなら俺は、お前からの依頼を成し遂げたという事だな。良かった良かった」

 

 真介の問いの真意を解す事は出来なかったが、彼に笑顔が戻ったので、一詩はそれ以上の詮索はしなかった。

 

「なら、俺はこの辺りで失礼させてもらう。……もし家電が故障したりなんかした時は、遠慮なく連絡してくれ。安く修理してやるから」

 

「そこは無料じゃないのか」

 

「当たり前だろ。お前だってアテナ捜索の料金、俺達からきっちり取ってたじゃないか」

 

「それもそうだな、悪い悪い」

 

 真介としては、気心の知れた友人と軽口を叩き合っているつもりであったのだろうが、一詩はとっさに自分の口から突き出た言葉に空しくなった。――ああ、俺とこいつとの友情は、もう金が絡まないと成立しなくなったのか。もう、損得のない関係には戻れないのか。

 

「……それじゃ、これからも頑張ってくれよ。名探偵」

 

 そう告げると、一詩は逃げるように小森探偵事務所を後にした。ビルから出ると、週末であるにも関わらず、スーツ姿の人々が路上をせわしなく行き交っていた。この国の多くの人々は休むという事を知らない。それが自分の身であれば窮屈である事この上ないが、他人であれば話は変わってくる。この広い東京の街。どこかの花屋は開いているはずだ。明日、さっそくアテナは職場に復帰するとの事だ。彼女に渡すため、明るい色の花束を見繕おう。

 

 何事も、不変なものはない。それは人との関係も同じだ。だが、その変化は必ずしもマイナスとは限らないだろう。

 

 一詩はアテナの喜ぶ顔を想像し、軽快な足取りで雑踏の中へと飛び込んでいった。

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