二十節/3
完全に動かなくなった男を見下ろし、ユフィリアは再びレイフォードの元へ戻る。
男の言葉を信じるならば、後数分もすればこの結界は解ける。
外では、ディルムッドやシルヴェスタ、キャロラインなどが酷い顔をしているだろう。
レイフォードがどうやってこの空間に入ってきたかは不明だが、その後に続こうと四苦八苦していることは想像に容易い。
しかし、なんと説明したところだろう。
レイフォードのことも、あの男のことも。
ユフィリアは全貌を明らかにされたわけではない。
情報のない状態で、どうにか自分にできることをしただけである。
寧ろ、情報だけなら彼らの方が持っているのではないだろうか。
そんなことを考えながら、手持ち無沙汰にレイフォードの頬を突く。
ユフィリアの心を知らず、安らかに眠る彼。
起きたらどうしてやろうか。
先ずは、彼の言葉の返事からしなければいけない。
そして、ユフィリアの気持ちを伝える。
この際、来週まで待たずとも良いかもしれない。
鉄は熱いうちに打てというし。
小さく上下する胸。
惚けるように開いた口。
微かに聞こえる呼吸の音。
彼の体温が、生きている熱が心地良い。
顔に掛かった髪を優しく退ける。
何をされても反応しない無防備さ。
悪戯したくて堪らない。
そんなユフィリアの脳裏に邪念が掛け巡る。
──口付けしちゃおうかな。勿論、口に。
いや、いやいや。
高速で首を振る。
流石に寝込みを襲うのはいかがなものだろうか。
しかし、彼自身も好きと言ってくれたし。
つまり、両想いであるし。
別に口付けぐらいしても良いのではないか。
だって、レイフォードは絶対に恥ずかしがって自分から出来ないし。
多分十年くらい待たされる気がするし。
役得ぐらいあっても良いのではないだろうか。
良い、良いはずだ。
私、頑張ったもん。
ちょっとくらいご褒美もらっても良い──。
「ユフィ、大丈夫か!」
その瞬間、結界が解ける。
真っ暗な夜が明けて、飾電灯が二人を照らした。
駆け寄ってくるディルムッド、シルヴェスタにキャロライン。
そこまで心配していてくれたことは嬉しい。
嬉しいのだが。
「お父様、もう少し遅く来てよお……」
「ええ……?」
ユフィリアの欲望は打ち砕かれた。
おろおろするディルムッド。
落ち込むユフィリア。
先程までの殺伐とした雰囲気はどこへ行ったのか。
皆困惑する中、ユフィリアの腕の中で眠るレイフォードを見続けていたシルヴェスタが口を開く。
「……あの、ユフィリア?
俺の見間違いじゃなければだが……レイは、どうなっているんだ?
いや、本当にこれ……うん……?」
「多分、問題は解決したと思います。
全部創り直しましたので」
シルヴェスタは、自分の〝眼〟が信じられなかった。
どこからどう見ても、レイフォードは正常だったのだ。
馬鹿みたいに多い源素量はそのままに、魂は罅割れもせずそこにある。
二年前の彼と変わらない、新品同然の魂が。
ユフィリアから返って来た答えも意味が分からない。
『全部創り直した』ということは、いったいどういうことなのだ。
追及しようとした矢先、横からディルムッドが口を出す。
「まさか、祝福か?!」
「はい。何となくですが使えまして……」
「……どういうことだ?」
ユフィリアが祝福保持者であった。
それ自体も初耳ではあるが、それ以上にどんな祝福を使えばこんなことが起こるのか。
シルヴェスタには、それが分からなかった。
しかし、まだそれは判明しない。
何故なら、キャロラインの手により、ユフィリアの口が制されたからだ。
「レンティフルーレ卿、アーデルヴァイト卿。
気になるのは分かるが、追及する前にこの場を収める方が先だ。
質問はその後に幾らでもすれば良い」
「……承知いたしました、閣下」
その言葉の裏には、『人目に付かないところで話せ』という意味が込められている。
どうにも、ユフィリアの祝福は難がありそうだ。
衆人環視の場で話すべきではないだろう。
そうして、シルヴェスタは二人を休ませるために会場から退出し、キャロラインとディルムッドは場の収拾をすることになる。
物言わぬ死体となったノストフィッツ。
彼はキャロラインの後輩であり、ルーディウスの友人であったのだ。
「……もっと、よく見ていてやれば良かったな。
すまない、ヒューゴ」
ルーディウスが亡くなってから、彼は少しおかしくなっていた。
笑うことがなくなったり、時折ずっと一点を眺めていたり。
けれど、それは一時的なものであり、今は良くなっていると思っていた。
領主となり妻を娶って、子供が生まれ。
領主としても、父としても、彼は生き続けていたのだから。
今回の騒動は、過去にしがみつく亡霊が起こしただけではないのだろうと、何となく予想が付く。
あの亡霊が起こしたのならば、こんなに単純に事が終わるわけがない。
四百年間、あれは復讐心を燻らせ続けた。
数分間ただ会話しただけでも、彼はこんなに大っぴらなことをする者ではないと分かった。
彼ならば、じっくり内側から腐り落ちていくような計画を立てるはずだ。
そうでないということは、つまり。
これは恐らく、ずっと前からヒューゴ自身が計画していたものなのだ。
とすれば、あの亡霊の本来の計画は、まだ別にあるのかもしれない。
それは後々調査しなければいけないだろう。
不自然に綺麗なヒューゴの遺体を、テーブルクロスで覆い隠す。
遺体は、王都から騎士団の調査部隊が来て検死される。
それまで腐敗が進まないように、精霊術を掛けた。
「閣下、来場者の退場が完了しました。
調査部隊の到着は明日の朝になるそうです」
「……なるほど。
では、事情聴取の後、特権階級を除き記憶処理を施せ」
指示を受けたディルムッドは、他の三つの侯爵家と共に動き出す。
イスカルノート領周辺の貴族から始め、徐々に帰宅させることになるはずだ。
騒動の始まりを見ていた者たちは、少々詳しく聴取することになるだろう。
大きな会場に、一人佇むキャロライン。
汚れ一つない手袋に包まれた掌。
汚れた手を、白で覆い隠している。
それがどうしょうもなく憎たらしくて、ぎゅっと握り締めた。
「……なあ、ルディ。
君が生きていたら、何か変わっていたのだろうか……?」
あり得ない空想、ただの夢物語。
それでも、願わずにはいられなかった。
彼が、今も自分の隣で笑っていることを。




