第0話 その鷹は灰色をしていた 後編
マキアルはようやく地下通路を通り抜け、車を隠した地下駐車場にたどり着いた。
「ここまではこれまい…」
マキアルは安堵の息を吐いた。ここに来る方法は二つ。あの通路を通り抜けるか、もしくは地上から隠し出口を見つけて先回りするか。あの侵入者の青年は確実に通路を通り抜けてくる。だが…もう通路は原型を留めていない。途中の爆弾を起動し、道は完全に閉ざしてきた。オプスには悪いが…自分が生き残るためには仕方がないことだ。
一息ついては背広のポケットから車のカギを取り出した。そして車に鍵を差し込もうと――
「そこまでだ」
その声に、マキアルは全身が凍り付いたように感じた。決して聞きなれた声じゃない。その声は――あの侵入者の青年のものであった。
「いったいどうやって!?」
「事前に知っていたんだよ。この駐車場。なんで地上にもガレージがあるのに地下にもあるのか。あんたらがめったにここを利用していなかったことも知っていた」
青年は隠し通路など通らず、地上の出口を見つけ出してここまできたのだろう。
「こっち向いてくれないか?素直に言うこと聞いた方がいいぜ。じゃなきゃ……わかるな?」
従わなければ撃つ。青年の発言がそういう意図であることは推測がついた。
まさか自分が、と思えてきた。「動くな」。それに類似するセリフはこれまで幾度となく吐いてきた。そういう職業だから、そういう性だから。でも決して望んでなかったわけでもなかった。
一種の優越感がそのセリフにはあった。人間なんて銃を突き付けられたらお終いだ。たった一つの動作、引き金を引かれればそこで死ぬ。誰だってそのことを知っているから、せめて相手の慈悲を請うことでなんとか生き延びようとする。ああ、人のなんと弱いことか。獅子のような男が、銃を突きつけられれば子猫のように。自分を見下していた男が、今や靴を磨いている。愉悦だった。人を跪かせることが。でも一度だって――彼らを生かしたことはなかった。とても単純な理由である。裏切るから。力による支配は真に心さえも支配することは出来ない。どうせいつかは再び敵として相まみえることになる。それならば危険の芽は早いうちに摘み取っておいたほうが身のためだ。
そうやって生きてきた自分がまさか逆の立場になる日が来るとは思いもよらなかった。自分の歳の半分もいかないこの若造は今、自分の生殺与奪の権利を握っている。きっと青年もこれまでの自分と同じように愉悦を、一種のエクスタシーを感じているはずだ。しかしそれと同時に一つの結果が想像できた。
結局自分は殺される。
振り返って、青年の言うことに従ったところで、いいように利用されて、それから少しすればきっと自分のどこかに風穴があく。
いっそそれならば。
部屋から抜け出すときに親父のリボルバーを胸ポケットにしまってきた。もう既に弾は込めてある。振り返り際、即座に六発。数多くの部下が、異能力者であるオプスが敵わなかった相手だ。勝機は薄い。しかし負けなければいいだけのこと。どこかしら、彼を撃ち抜くことが出来れば行動が鈍るはず。青年が痛みで這いつくばっている間に車に乗り込む。そしてここを脱出する。
考えは纏まった。いざ――
「死ねぇぇぇぇっっっ!!!!!」
は振り返ると同じく右手で胸元に隠し持った銃を引き抜いた。そして青年めがけて銃を構え、放つ――
「……悪いな」
しかしそのリボルバーから銃弾が放たれることはなかった。マキアルはようやく気が付いた。構えたと思ったときには、既にリボルバーを落としていたことを。青年の先手の攻撃が自らの右手を狙い撃ち、その痛みで自分は一条の光をみすみす手放してしまったことを。
「ぐうっ!!」
耐え難い痛みが現実のものとなり襲い掛かる。まるで自分の手が自分のものでないかのように言うことを聞いてはくれない。痛い、痛い、痛い。何故自分がこんな目に。
「言うことを聞いといた方がよかったな。せめて目だけで銃の位置を確認すればあからさまにはならなかったものを。首まで使っていたからバレバレだ」
見抜かれていたということか。自分の策は。九死に一生を得る策が、実行に移す前に筒抜けだった。なんたる不覚か。
「いったいオレをどうするつもりだ」
苦し紛れには話を切り出した。こうなればやけにならざるを得ない。もう逃げることは出来ない。それならばこの青年の良心に、いや人間としての本質に漬け込むしかない。
「殺す」
なんともシンプルな答えだった。その声からも明らかだったが、見上げた青年の目には何ら感情がこもっていなかった。まるで機械のようだと感じた。殺人マシーン。そう言っても過言じゃないような、慈悲はない。自分と一緒だ。だが違うのは顔がほころんでいるわけではない。愉悦さえも感じていない。まるで一種の作業のように、自分の額に銃を突き付けてきいた。
これまでの人生で多くの人間を見てきた。その大半は表の社会からは一線を置く、裏の社会の者たち。まるで悪魔のような顔をした男もいた。傷だらけの猛者もいた。でも目の前のこの青年はその誰とも違う冷酷なオーラを身にまとっている。まるで冷たい氷でできたナイフのような。
「なっ、なぁ。いったいどこの組織に雇われた?暗殺者というには大胆過ぎる。イタリアの殺し屋の組織なら百は知っているし有名どころは抑えていたが、お前のようなやつがいるとはな」
「クライアントの情報をあんたに教える義理はないが。あんたを殺すように願ってきたのは一人じゃないぜ」
「一人じゃない?共同でオレを殺そうとしている組織があるってことか?」
「あんたは一つ大きな勘違いをしている」
青年はそこで一度息を吐いた。
「組織なんかじゃない。あんただって、嫌われている自覚くらいあるだろ――ここの住民たちに」
「んなっ!?」
それはマキアルにとって予想外であった。まさかこの海岸の住民たちが…これまでさんざんよくしてやったというのに。多くの資金も寄付してやったというのに!
「あんたが来たのは五年前。それからここの市はリゾート地としての賑わいを見せるようになった。だが光あれば影ありだ。同時に殺人事件が急増した。当たり前だよな。あんたらも夜な夜な騒ぐし、あんたらを狙った黒づくめの連中だって蠢きだす。政府に報告がいかないようにとあんたは金をばらまいていたようだが……人間そう簡単に納得がいかない――」
マキアルは割り込んだ。
「俺がばらまいた金で、お前を雇った。そういうことか」
青年は首を縦に振った。
なんたる皮肉か。自分たちが国と敵対しないようにと、この市の住民たちにつぎ込んでいたはずなのに、まわりまわって自分を殺すために使われるなど。
いつか自分も敗者になるかもしれない。そんなことは一度も考えたことはなかった。始めのころからすべてがうまくいっていたわけではない。しかし今はもう、失敗などありえなかった。なのにまさか、こんなところで――
「くっ……」
手のひらからの出血が止まらない。コンクリートが次第に赤く染まって、自らの黒い革靴も赤のグラデーション。はやく篭絡しなければなるない。
「いくら積まれた」
青年に問いかけた。
「さぁ、な?俺はその全額は知らない。直接俺に支払われているわけじゃない。手取りの金額しかわからない」
「じゃあ手取りいくらだ?」
「………」
青年は閉口した。そして目をつむり何かを考えた。マキアルにとってその動作は不可解であった。だが肯定的にとらえるしかない。畳みかけるなら今しかない。
「いくらでも出す!数百万じゃたりないだろ?数千万も物足りないか?ならば数億……兄弟に頼めばもっと――」
「くだらない」
ようやく青年は沈黙をやぶり、一蹴。そして開かれた碧の瞳にはようやく感情の色が見て取れた。マキアルはその碧の瞳の奥に静かな怒りを読み取った。
「あんたらはいつだってそうだ。金ですべてを解決しようとする。それは毎回俺を苛立たせる。なぁ、教えてくれよ。あんたの命にそんな価値はあるのか?」
「っ!?」
「あるわけないんだよ、そんな価値。俺も、あんたらと同じく清く正しい表の世界の人間じゃない。人の血を流して金を得る悪人だ。俺はまっとうな生き方が出来ない。この道でしか生きられない。そんな人間に価値があると思うか?はあっ……」
ため息をもらし首を横に振った。青年の言葉は、マキアルに向けられているものだけじゃなかった。そう、自分にも言い聞かせていた。
「無駄話をしすぎたな。それじゃあ――」
「まっ、待てッ!オレの話を――」
バンッ。甲高い銃声が駐車場に木霊した。銃弾はマキアルの額の中心を貫いた。
青年はマキアルが完全に死亡しているのを確認すると、二丁の拳銃を腰のホルダーにしまった。それからボディバックから通信端末を取り出し、何者かと連絡をとった。
そして青年――グラウ・ファルケはまるで何事もなかったようなそぶりで、その場を去っていった。
※
それからバイロウの屋敷には警察機関の捜査の手が入ることとなった。銃弾で頭を撃ち抜かれ絶命したマキアル、シャンデリアの落下の衝撃で圧迫死したオプス、その他多くの構成員は銃弾により急所を貫かれたことが死因であったと鑑定された。しかし容疑者捜しは難航の一途を辿っていた。マキアルは多くの敵と味方がいる人物であった。そして事件をより複雑にした事実は、犯行がたった一人で行ったということだ。単独犯でここまで一方的な殺戮を行ったことから、警察はこの一件を異能力者による犯行であると断定した。
事件の調査の一環として街の住民への聞き込み調査も行われた。警察の質問に多くの住民は語った。マキアルは殺されて当然であった、と。