第4話 透明の狂気 Part9
―グラウ―
「ゼンっっ!!無事かっ!?」
扉をけ破り礼拝堂の中へと侵入。人の気配はないようだが――いや、待て。あれは……まさかっ!?
「ゼ、ン……なのか?」
返事がない。聞こえていない?そんなわけはない。この距離なら確実に彼の耳に俺の声は届いているはずだ。俺はちゃんと……彼の名前を呼んだ。
「ゼンっ!!」
一目散に彼の元に駆け寄り、後ろから抱きしめる。
ハグは、互いの肌のぬくもりを伝え合うことが出来る。でも……彼からぬくもりが返ってはこない。ただ感じたのは、無機質な冷たさだけ――
「なんでだよ……ゼン。どうしてなんだよっッ!!」
その後ろ姿からわかっていた。肌の色がおかしかった。鼠色をしていた。でもそんなことを頭で理解出来るわけない。自分の目がおかしいのだと結論付けた。でもこうして彼に触れたことで、もう思考の逃げ道は封じられてしまった。
目を見開いて、恐怖が張り付いたような表情をしている。生きたまま石にされた。そういうことなのだろうか。
「なぁ、口を開いてくれよっ!いつもみたいに減らず口を叩けよっッ!俺が何を言ったって聞いてはくれないのはわかっているが……怒らせてくれよッッ!先輩面させろよっッッ!!」
瞳の奥に生まれた熱が、一滴の滴となってゼンを濡らした。今はただ、ゼンを抱きしめてやることしか俺には出来ない。ああ、皮肉なものだ。ゼンとゆったりとした時間を過ごすのが、すべて手遅れになってからだなんて――
P&Lに初めに加入した異能力者は俺、その次はソノミで最後にゼンだった。初めてゼンに会ったときは「なんでこんなやつが」というのが正直な感想だった。チャラチャラしていて態度が悪くて……それはずっと変わりはしなかったわけだが、ある時ラウゼが俺を呼び出してゼンの事情を教えてくれた。彼がそういう人物になったのは、異能力者への覚醒のためだった――それは彼が十代前半の頃。ゼンの両親は異能力者に殺害された。そのことが彼を異能力者に目覚めさせた。異能力はあるふとしたきっかけで発現することが多い。ゼンの場合、両親を亡くしたショックが引鉄となった。透明化の異能力を得た彼は、その両親を殺害した異能力者を見つけ出すのにそう苦労はしなかった。ゼンはその仇を一方的に攻撃した。仇の心臓が動かなくなってからも、その怒りの拳を止めることはなかった。人を殺すという経験もまた、人を歪めてしまう。彼の頭の中の殺人は間違っているという倫理観の箍が外れ、むしろそれに恍惚を覚えてしまった。寄る辺をなくした彼が選んだ道は、人を殺せば殺すほど金を稼げる暗殺の道。《透明の狂気》として彼は、その道で有名になった。ラウゼはゼンの裏事情を知ったうえで、その腕を見込んでP&Lへと招いた。彼の異能力があれば、俺やソノミに向かない依頼もこなせるようになる。ラウゼの場合俺やソノミと同じように、親心で拾っただけという可能性もあるが。
話を聞いて、ゼンに同情を覚えたわけじゃない。ただ……まだゼンは元の世界に戻れると思った。俺やソノミは戻れないところまできていた。しかし当時のゼンは俺たちに比べれば数が少ないことは明らかだった。少なければよいという話ではないが、理性が狂っただけならまだ救いようがある。俺たちのように何も感じなくなっている方が、より業が深い。結果として彼を元の世界に送り返してやることは出来なかった。ゼンもまた、俺たちと同じところまできてしまった。ある意味そのことが、俺とゼンとの距離を縮めたのかもしれない。
言うことを聞いてくれないし、勝手な行動はするし……でも、ゼンは初めての同性の後輩。ソノミに対しては異性だったから口出しすることに抵抗があったが、ゼンには忌憚のない意見をぶつけることが出来た。年上だから、先輩だから。いろいろかこつけてはいたけれど、結局はゼンと親しくしていたかった。そういう間柄の人間が欲しかった。例えゼンが、俺のことをどう思っていたとしても――
「おや、アナタはもしかして……」
「ッ!?」
キィーと音をたてながら、告解室の木製の扉が開いた。ゼンの前へと身を乗り出しつつ、その方向へと銃を構える。
「誰だ、あんた?」
ゆっくりと出てきた人物の姿に、俺は不信感を感じずにはいられなかった。包帯の男と呼ぶべきだろう。頭は鼻と耳以外包帯で覆われ、白装束の袖から見える手もまた包帯が巻かれている。
「先にアナタの名をお聞かせください」
「……グラウ・ファルケ」
「グラウ・ファルケですね。ワタシはデウス・ウルトが三望枢機卿の一人、ノウザ・ヘッグ」
三望枢機卿……こいつがポーラの言っていた人物か。確かに異常なオーラだ。あの角刈りが力で畏怖を抱かせていたとするならば、このノウザと言う男は静かな狂気を感じる。白い絵の具にほんの少しの黒をいれたような、ひとたび混ざり合えばすべてを汚してしまいそうなおぞましさを感じさせる。
「グラウ・ファルケ。その少年はアナタの仲間ですか?」
「そうだ。俺の大切な後輩だ」
ゼンをちらと見る。こんなにも近くにいるというのに、まったく生気を感じられない。
この礼拝堂の中には、どうやら俺とゼン、そしてノウザだけらしい。この状況からするに至る結論は――
「あんたが……ゼンを?」
「はい。ワタシがその青年に裁きを下しました。それが何か?」
「クッ!!」
心の奥の何かが、プチンと切れた音がした。それと同時に火がついて、俺の感情を肥やしに業火が上がる。引鉄を引くことに、何の躊躇いもなかった。一発で、その額に風穴を開けてやる――
「ふんっ!」
「なっ!?」
手のひらで銃弾を受け止めた……だと?ありえない。そんな奇跡が起こりうるわけがない。
かの大戦中に対空銃弾を手でつかんだ空軍のパイロットの話を聞いたことはあるが、あれはあくまで戦闘機に乗っていて相対速度が遅かったから出来たこと。普通の人間は銃弾のスピードに追い付けるほど動体視力は良くないし、そこまで反射神経は鋭くない。仮にそれを視認し、反応したとしても弾の回転で手は貫通するはず。包帯程度でその威力を抑え込めるはずもない。なんだ、この男?
「アナタも行儀が悪いですね……いきなり撃つなど、人として終わっています……いいえ、異能力者はそもそも人間ではありませんね。化け物風情に作法を説いても、馬の耳に念仏ですね」
「……化け物、か。銃弾を受け止めたあんたの方が、よっぽど化け物じゃないか?あんた――異能力者だろ?相手を石に変えるとか、そんなところか?」
ノウザが異能力者であるという推定するまでに時間はかからなかった。ゼンを見れば一目瞭然だ。しかし、銃弾を受け止めたことはどう説明がつくのかは謎だが。
「いかにも。ワタシは石化の異能力者です」
それならば一つ重大な疑問が生まれる。
「デウス・ウルトの枢機卿が異能力者だなんて、おかしくないか?あんたらの教義じゃ、異能力者は敵なんだろ?」
「いいえ、何もおかしくはありません。私たちは人間の救世主。神書により認められた選ばれし異能力者ッ!ゆえに愚鈍で罪深い他の異能力者どもとは格が違うのですよッ!!」
まくしたてるよるに話すノウザの気迫に飲み込まれそうになる。だが、何を言っているのか把握しきれない。神書?サルワートル?他の異能力者と違う?だが、こんな連中の話を真に受けても、頭がおかしくなるだけか。
「あんたの発言で理解したことは、デウス・ウルトの中にも異能力者が存在すること。本来それは教義に反するが、詭弁を弄してそれを正当化している。それであっているよな?」
俺の理解を聞いて、ノウザは沈黙した。包帯越しで表情は見えないが、耳が何故か赤く染まっていくのが見えた。
「なっ、何をおっしゃっているのか!!詭弁ですと!?アナタは我らが神を冒涜したッ!!その発言を今すぐ訂正なさいッッ!!さもなくば死後、永劫に灼熱の海を彷徨い続けることになるでしょうッッッ!!!」
癇に障ったというところだろう。信仰を馬鹿にされたから憤りを感じた。その展開はわからなくもないが――
「死んでからのことなんて、生きているうちに考えても仕方ないんでな。俺は今のことだけで手いっぱいなんだ。あの世のことを言われたって興味もないし、そもそもあんたのような人の言うことを素直に聞いてやれるほど、俺は優しくない」
「なっ、なにを言うのですッ!?ワタシも馬鹿しているのですかっッ!!?」
「さっきから俺があんたに蔑みの視線を送っていることにも気づいてないのか?あぁ、それもそうか。包帯していて気が付くわけないよな」
待てよ。それならば何故銃弾に気が付いた?視覚で射撃までの動作に気が付いたのではないとしたら、他の感覚器官?それともそれも異能力の一端?まぁ、いい。なんであれ、やることは一つだ。
「あんたはゼンを石に変えた。その時点であんたの運命は決した――俺があんたの死神となる」
「ふっ、ふははははっっっっ!!」
「何がおかしい?」
「アナタ、自分を仲間が殺された被害者のように思ってはいませんか?違いますよっ!!始めに我が親愛なる子らを殺めたのはその少年だッ!!ワタシはただ報復したに過ぎないのですよッッ!!グラウ・ファルケ。あなたからはその少年よりも激しい殺戮者の臭いがする。ここに至るまでの人生、いったいどれだけの命を奪ってきたのですか?それほどまでに多くの命を奪ったのだから、当然奪われる覚悟も出来ていますよねェッ!?」
「っっ!?」
いつだかのあいつの言葉を思い出した。「撃った銃弾は必ず跳ね返ってくる」。それを喰らったのは俺じゃなくてゼンだった……
大切な人を喪うのはこれで二度目だ。あいつを喪ったとき、二度と繰り返さないと深く誓ったのに。まだ力が足りないと言うのか?これでもダメなのか?教えてくれよ、どうしたら良かったんだよ――ユス!?
「くっ………」
「理解していただけたならば……今すぐ跪きなさい。ワタシ自らその首を落として差し上げます。そして二度とアナタのような者が現れぬように、アナタの生首を教皇聖下に祓い清めてもらいましょう」
うるさいんだよ。壊れたスピーカーのようにしゃべりやがって。もうウンザリだ。
「………好き勝手言いやがって。うざったいほどよくしゃべる口だな」
「口の利き方がなっていませんね」
ああ、まったく。虫の居所が悪い。冷静にって心掛けてきたけれど、やっぱり俺は上辺だけだな。一度感情が爆発すれば、こんな薄い皮膜は簡単に破れてしまう。
「あんたに言われて思い出したよ。俺たちはいつ死んでもおかしくないって、仲間を喪うことだって覚悟しておくべきだって。だが、俺は因果なんてものを信じない。俺は欲張りなんだよ。奪ったから奪われる?――それをはいそうですかと割り切れるほど、俺は人間出来ていないんだよッッ!」
「っ!?ふっ、ふざけているのですかアナタは!??」
「何もふざけてないぜ。あんたを殺せば、今度はデウス・ウルトの恨みを買うかもしれないが、そんなこと今はどうでも良い。この激情、あんたを始末しない限り収まりそうにないんだ。だからさ――俺のために死んでくれないか?」




