パペッサ編 エピローグ
■ 聖暦 482年
《グラシア心中事件》
聖女リシュア、護衛兵士ガート・バルドと共に大聖堂前にて毒薬槍使いの薔薇を服用し、心中。
この事件の際、護衛兵士が二人に向けて矢を放ったが、突如雷鳴が轟き矢は空中で静止したとされる。
これは後の創作によって付け加えられたエピソードだろう。公式記録によればこの日は晴天であり、季節的にも急な天気の変化は起こりにくい。
《聖女遺体強奪事件》
死霊術師ヴァルグリム=デス=アビス=グリモワール(本名ポン・チャラ)が多数のゾンビを率いて大聖堂を襲撃。埋葬前の聖女の遺体の強奪を企てた事件。
企ては護衛兵士たちによって阻止され、聖女の遺体は無事に大聖堂地下に納められた。
ヴァルグリム=デス=アビス=グリモワールは苦痛を悪とするパペッサにおいて最も重い刑である終身拘禁処分とされた。
《鉱石喰らいの討伐》
心中の数日前、ガートはローデ鉱山跡にて鉱石喰らいの討伐を果たしていた。
「ガートとリシュアの物語」において、ガートが教会に無理難題を押し付けられて鉱床に巣食っていた竜を退治する話の元となっているのはこの一件である。
実際には鉱石喰らいは竜ではなく長地虫の一種だが非常に危険な存在であることに変わりはなく、単身にて打倒したガートの兵士としての腕がいかに優れていたかの想像がつく。
この後ローデ鉱山跡では黒鉱石の採掘が可能となり、グラシアの街は大いに潤った。
■ 聖暦 483年
《リシュア追悼祭》
諸外国の王侯や教皇代理を招いて大追悼祭が執り行われた。
教皇代理は教皇による正式な決定として、リシュア、ガートの二人の罪を否定。
さらに鉱石喰らい討伐の功績を讃えてガートを勇者と認定し、二人の婚姻を認めるという異例の発表を行った。
またこの追悼祭では "ガートとリシュアの物語" が舞台として初上演され、多くの人の心を打った。
■ 聖暦 487年
《上級授癒師制度 発足》
教会が「聖女とは、聖暦四八二年まで存在した唯一の神聖称号であり、以降同称号は使用しない」ことを正式に決定。
制度としての聖女は消滅。
また同年、グラシアの大聖堂に "ガートとリシュアの像" が立てられる。
■ 聖暦 490年~
このころには "ガートとリシュアの物語" はパペッサの各地に形を変えて浸透していった。
中には「聖女リシュアは七日後に蘇り、ガートと共に天に上った」「実は二人は死んでおらず、今も何処かで幸せに暮らしている」等といった荒唐無稽な話もあったが、大衆には真実よりもそちらの話の方が受けが良く、さらに様々なバリエーションが作られた。
歴史学者 アルベリク・フォルメイン著 「ガートとリシュアの物語にまつわる物語」より抜粋。
――――――
「さあさあ、今日のお話は聖女様。ああ、そうリシュア様だ。御用とお急ぎでない方はちっと止まって聞いてきな。兵士ガートとの愛に殉じた美しくも悲しい物語。だが知ってるかい? この話にゃ続きがある」
市場通りの片隅で、吟遊詩人は口上を張り上げると、自ら奏でるリュートに合わせて歌い始めた。
多くの通行人が足を止めて、その物語に耳を傾ける。
こんな田舎の町では吟遊詩人も珍しい。知っている物語でも、いやよく知っている物語であればこそ、歌に乗せて語られれば興も乗る。
演劇などとは到底縁のない人々にとっては貴重な娯楽だ。
「ガートとリシュアの物語」は二人がまだ少年少女だった時代から始まる。
十六の時に二人は出会い、互いに一目で恋に落ちた。だがリシュアはそれ以前に聖堂で神から啓示を受けていた。
当時の厳しい掟に従い、二人は互いの気持を内に隠すしかなく…………。
事実と異なるのは当然のことで、このあたりは殆どが原作に相当する舞台脚本及びそこから派生した多くの「ガートとリシュアの物語」それぞれの作者の想像で描かれている。
結果として皆が皆、自分が一番美しいと思う出会いを二人に与えるため、どれも非常にドラマチックな仕上がりとなっている。
もしも二人が育ったヴァーモンの村人がこの歌を聞いたなら呆れるか腹を抱えて笑い出すかのどちらかだろう。
だが小さな山村であるヴァーモンに聖堂などあるはずもなく、忍ぶ恋どころか二人が幼い頃から恋仲であることは村の者なら五歳の子供でも知っていた。
ただそれはそれとして、事実というものは往々にして物語よりもドラマチックなものであるのだが。
詩人の歌は二人が成長し、リシュアが天啓に従って旅立つ部分に差し掛かった。
ここからが面白い所。観客は次の展開を心待ちにする。
しかし、じゃんっ、という響きと共に物語は打ち切られてしまう。
詩人は被っていた帽子を外して大げさな動作で頭を下げると、帽子をそのまま地面に置いた。
「ああっと、残念、今日のお話はここまでだ。続きが聞きたいってやつはまた明日来てくれや」
町の人々はブツブツと文句を言いながらも吟遊詩人が地面に置いた帽子の中に硬貨を投げ入れていく。
「こいつはどうも、どうもどうも」
たちまちいっぱいになっていく帽子の中、そのほとんどは銅貨だが、中には銀貨も混じっていた。詩人のニヤニヤ笑いも深くなる。
「いやいやこの町は気持ちがいいねえ。ついつい口が緩んじまう」
じゃらん、とリュートの弦をもう一払い。そして突然声のトーンを落とした。
「気前のいい紳士淑女の皆々様に大サービスだ。なあ知ってるかい? 最近グラシアじゃこんな噂が出回ってる」
旅の吟遊詩人が持ってきた、大都市グラシアの噂話。退屈な田舎町の住民であればこれを聞き逃す手はない。
人々はしんと静まり、帰りかけた者達も足を止めて耳をそばだてる。
「大聖堂の地下に今もお眠り遊ばすはずのリシュアさまのご遺体なんだが…………」
最後の方は殆ど囁くような音量。それがさらに興味をそそる。
聖女リシュアは死んだ。竜殺しのガートと共に天に上った。それが真実。
いくら様々な物語が作られても、死人が生き返ることはない。
なのに、お眠り遊ばすはずとはどういうことだ?
「こいつはただの与太話じゃあねえ。事件のあの日、聖女様のご遺体の護衛を努めてた兵士が罪の意識に耐え切れずに告白したってんだから驚きだ。いいかいよく聞きな。聖堂に納められた棺、実はその中身は…………」
ごくりと唾を飲み込む音。それは自分か、隣の男か。
だがその期待はまたも、実に見事に裏切られる。
「お~っといけねえ、話はここまでだ。こっから先は流石にシラフじゃあ話せねえ」
詩人は重くなった帽子を持ち上げると、すんででご馳走を取り上げられた人々の恨みがましい視線を涼しい顔で受け流す。
「俺っちは酔いどれ梟亭って宿屋に泊ってる。この町にいるのは次の休息日までだ。俺っちは酒が大好きだがそう何杯もは飲めねえ。ああそう、時間は誰にとっても有限だ。一杯驕りたいってやつは早い者勝ちだぜ?」
棺の中身はどうなっているのか。何故そんなことになったのか。
去っていく詩人の背中に、人々の想像は膨らむ。
もしも自分の想像通りだとして、死霊使いさえ手出しできない大聖堂の墓所から聖女の「遺体」を持ち去ることができるものなど――。
――「竜殺しのガート」。
嘘か真かそんなことはどうでもいい。この続きを聞き逃すわけにはいかない。
自分一人だけがこの噂話から取り残されて、あとから同じ田舎町のやつらから訳知り顔で教えられるなど、我慢ならない。
「あの吟遊詩人のヤロウ、何が気前のいい紳士淑女の皆々様に大サービス、だ。足元見やがって!」
「田舎だからって馬鹿にしてやがんだぜ畜生、ほらお前も出せよ」
「だから俺はさっき銀貨入れただろうが」
「うるせえ、そいつはお前が勝手にいれたんだろ。せっかちはモテねえぞ」
残された者達は詐欺まがいのやり口に歯噛みしつつも、今宵の酒代の相談を始めるしかない。
大人たちがそんな風にぶつぶつと頭を突合せる中、そこから小柄な人影が駆け出していった。
歳は十をこえた辺りだろうか。
金髪に青い瞳。幼いながらも将来とんでもない美人になるだろうことが明らかな少女は、一軒のパン屋に裏口から駆け込むと、中に向って大声を張り上げた。
「お婆ちゃん、お婆ちゃん!」
「まあまあ、どうしたの、そんな大声を上げて」
少女の大声に応えて老婦人が顔を出す。
「私、すごいお話聞いちゃった! やっぱり聖女様は生きてるんだよ!」
少女の言葉に、祖母は困った様に眉根を寄せた。
「まあまあ。急にどうしたの?」
聖女リシュアは生きている。それが本当はおとぎ話に過ぎないことは、誰でも知っている。
困惑する祖母に、少女は祖母にたった今聞いてきたことを興奮気味に語った。
「だからね、やっぱり聖女様は生きてると思うの! きっと今もガート様と幸せに暮らしてるんだわ!」
そう締めくくられる、少女自身が作り出した壮大なミスト。
だが往々にして、事実とはミストなどよりよほど奇なものだ。
「そうね。もしかしたら、そんなこともあるかもしれないわね」
突然の孫娘の訪問に、なにごとかと奥の部屋からこちらを伺う夫にちらりと目を向けて、少女そっくりの金髪、碧眼の老女はクスリと笑った。




