第2話 伝話の魔法陣
『お問い合わせはお伝話で! ↓↓↓↓』
手書きの丸文字で書かれたチラシの末尾、いくつもの矢印の示す先には恐ろしく緻密な魔法陣が赤いインクで描かれていた。
さらにその傍らには不気味な魔物の絵。ウーズのような不定形生物が別の魔物へと姿を変えようとしているところだろうか。
以前ヒイロの腕を根元から食いちぎったワニ型の魔物、"シャアク"にも似ている気がする。
不気味な絵に胡散臭い文面。だが内容はその二つを無視できるほど衝撃的だった。
『異世界帰還サービスもございます』
聖剣教の老人たちは魔王を倒せば元の世界に帰れると言っていたが、ヒイロは内心ではそれを疑っている。
いずれ元の世界に帰るヒイロに貴族たちがすり寄ってくるのはおかしいし、耳の早い彼らがそのことを知らないというのはさらに考えにくい。
魔王を倒しても帰れないのではないかという不安は常にあったが、他に方法がなければ信じるしかない。
しかしA4の普通紙に日本語で書かれているこのチラシには元の世界との確固たる繋がりがある。
加えてチラシの末尾の魔法陣。
『お問い合わせはお伝話で!』
文言通りならこの魔法陣には遠距離間での会話を可能にする【伝話】が込められているということになる。
だがヒイロが知る限り伝話の使用には四頭立ての有角鳥で引く、専用の鳥車に収められた巨大な魔法具が必要だ。
それが本当にこんな紙切れ一枚に収まっているとすれば、このチラシを作った者はとんでもない技術を持っていることになる。
疑う気持ちよりも期待の方が勝ったヒイロは、おそるおそる魔法陣に指を触れた。
途端、紙面から光が溢れ出し、空中に文字を描き出す。
文字は空中にいくつもの魔法式を描いたあとひときわ強い光を放って消えた。
トゥルルルル…… トゥルルルル……
紙片から魔導音が流れ出し、続いてきいんという独特の甲高い音。
まごうことなき伝話の発動音に、ヒイロの鼓動は期待と緊張で早鐘のように高鳴る。
『はい、こちら勇者専門退職代行”ゆーやめ”でございます』
間もなく魔法陣から発せられたのは女性の声。意外にも若く、自分と同じくらいの年頃に思われた。
「あっ、あの、チラシを見てお伝話したんですが」
繋がってしまった後になって何も言葉を用意していなかったことに気がついた。
紙一枚で【伝話】が発動したことへの驚きと期待も合わさってしどろもどろになってしまうが、相手には若干事務的ながらも特に気にした様子はない。
『お伝話ありがとうございます。今お話しいただいているのはヒイロ様ご本人でお間違いございませんか?』
名前を呼ばれたことに一瞬驚く。
しかし王宮内のヒイロの私室に手紙を残していくような相手だ。ヒイロのことなど調べ上げているに決まっている。
「はい。ヒイロです。あの、勇者辞めれるって本当ですか? 元の世界に帰れるっていうのは?」
『もちろんです。当社は勇者様の退職のお手伝いをさせていただいております。ヒイロ様のケースですと勇者契約の解除および元世界の帰還が問題なく行えます』
「その元の世界って言うのは、別の、ええと。元の、僕がいたところに帰れるってことですか?」
もしも会話に齟齬が発生していたらと想像し、繰り返しの確認をしてしまうが、かつて自分がいた場所をなんと表現すべきか分からない。地球でも宇宙でも正しくない。
そもそも元の世界に名前などない。世界は世界だ。
『御疑いはごもっともかと存じます。しかしヒイロ様のご想像通りのご提案です。あなたが元居た世界、私どもはウェオロルドと呼んでおりますが、そのウェオロルドのニホンにお帰り頂ける、ということです。渡瀬 緋彩様』
渡瀬 緋彩。
ぞくん、と身体が震える。
そうだ、僕は勇者ヒイロなんかじゃない。ただの日本の高校生、渡瀬 緋彩だ。
エクスキュリアという世界で渡瀬 緋彩という名を使ったことはない。
どういう経緯かは知らないが、伝話の相手がその名を知っているというのはヒイロがいた「世界」と彼女の言う「ウェオロルド」が同じものであることの確たる証明だった。
本当に、帰れる?
どくん、どくんと鼓動が耳に響く。口の中がカラカラに乾く。
『ヒイロ様。今お時間はございますか? 早速ではございますがよろしければ、契約についてお話させていただきたく思います』
「だ、大丈夫です。是非お願いします」
ヒイロは元の世界で母親が職場からの電話にそうするように、魔法陣の描かれたA4普通紙に頭を下げた。
『ありがとうございます。ではお手数ですがお手元のチラシを裏返しにして、ドアに貼り付けていただけますでしょうか』
「このチラシですか?」
『はい。強く押し付けていただければくっつきますので。その後扉から離れて少々お待ちください』
言われた通りに裏返しにして押し付けると、紙片は自分から吸い付くようにしてぺたりとドアに貼り付いた。同時に真っ白だったチラシの裏面一杯に【伝話】よりもさらに緻密な魔法陣が現れる。
更にそこから次々と術式が展開され、紙面を飛び出して空中に複雑な模様を形成していく。
飛び回る術式のいくつかにはヒイロも見覚えがあった。
膨大な魔力触媒の消費と引き換えに一つの扉を一時別の扉へと繋げる大魔法。
しばらくして扉全体がぼうっと鈍い光を放つと、宙に描かれていた図形と文字は全て魔法陣の中に戻っていった。
「【繋空扉】の作成が完了しました。ヒイロ様、どうぞお入りください」
声は裏返しに貼り付けた紙からではなく、貼り付けたドアのその向こうから聞こえた。
大きな期待とほんの少しの恐れ。
ドアノブをひねり、扉を押した瞬間――
空気が裏返るような感覚とともに、世界は白く反転した。




