第23話:返済の行列
日が昇ったばかりの光が、ミリオン家屋敷の鉄門を白く照らす。
石畳の上には、門扉の格子が描く細長い影が西側へ向かって幾本も伸びている。
街道の先まで、貴族家の紋章を扉に刻んだ馬車が列を成す。
御者が一斉に手綱を引き、車輪の回転を止めると、車軸の軋む音が重なり、辺りに白い土埃が舞った。
馬車の扉が次々と開き、正装に身を包んだ家主たちが降り立つ。
彼らは小脇に分厚い帳簿を抱え、あるいは金貨の詰まった革袋を従者に持たせていた。
門前には記帳を待つ貴族たちの列ができ、衣擦れの音と低い話し声が混じり合う。
彼らは互いに視線を交わすこともなく、ただ正面の屋敷を見据えて静かに順番を待った。
カンプス子爵が馬車の踏み台を降り、従者から革袋を受け取る。
子爵は袋の口を紐で締め直し、門番へと歩み寄った。
「ジュネーヴァ嬢の元に、ご返済に参りました」
ヴィアトル男爵が硬い靴音を鳴らして石畳を踏み、外套の襟を整える。
男爵は銀の縁取りがなされた木箱を両腕で抱えた。
「借りたものは返す。それが家訓だ」
エラリオ・ノブリス子爵が列の最後尾に加わり、正面の屋敷に向かって深く腰を折る。
子爵は手にした書面を胸に当て、低く響く声を出した。
「ご返済の遅れは申し訳なく」
ボリスは黒い鉄製の門扉を大きく開放し、来訪者の名前を次々と手元の帳簿へ記していく。
彼は羽ペンをインク壺に戻すと、屋敷の二階に向かって声を張り上げた。
「お嬢、ご返済の方々、続々お見えでっせ」
ジュネーヴァは執務室の窓際に立ち、指先で厚手のカーテンを指一本分だけ横へ退ける。
彼女は門の外に滞留する車列を静かに見下ろし、一度だけ短く頷いた。
「お通しください」
◇ ◇ ◇
王宮の正門前には、広大な石畳の広場が広がっている。
重い青銅の門は固く閉ざされ、その前を横切る馬車の影さえない。
噴水の縁に腰を下ろした男たちが、手にしたパンを千切りながら門を指差す。
彼らは肩をすくめ、互いの顔を見合わせては鼻で笑った。
庶民の一人が広場を見渡し、空っぽの空間に向かって顎をしゃくる。
「あの王宮には誰も並んどらん」
別の男が足元の石を蹴飛ばし、王宮の尖塔をじっと見上げた。
「徳政令出しても、自分の金庫は空っぽってわけだ」
もう一人が身を乗り出し、街の南側を指して声を潜める。
「ジュネーヴァ嬢の屋敷には行列ができてるってよ」
最初の男は膝を叩き、地面に唾を吐いてから言葉を継いだ。
「金貸しの方が信用されてる、ってこった」
石畳を強く踏み鳴らし、槍を抱えた警備兵が男たちへ歩み寄る。
警備兵は眉間に皺を寄せ、腹の底から声を張り上げた。
「庶民、騒ぐな!」
二番目の男は逃げる素振りも見せず、鼻を鳴らして警備兵を睨み返す。
「事実だろうが」
警備兵は言葉を返せず、握った槍の柄を指で強く締め直した。
彼は男たちから視線を逸らし、誰もいない広場の先を見つめる。
乾いた風が石畳を吹き抜け、枯れ葉が青銅の門扉を叩いて転がっていった。
◇ ◇ ◇
窓辺の黒檀の机には、端を揃えられた書類が何枚も積み重なっている。
午前の陽光が格子状の窓枠の形を床に落とし、敷き詰められた絨毯の毛足を一本ずつ白く浮かび上がらせた。
侍女が扉の傍らで衣擦れの音も立てずに一礼し、王都の状況を声を低く保って報告した。
ミリオン家の門前には貴族の馬車が列を成しているが、王宮前の広場は石畳だけが露出して乾いた風が吹いているという。
兄上にはもう求心力がない。
ダフネは窓の外に広がる王都の灰色の屋根瓦を眺め、右手で卓上の硬い革表紙を指先で小刻みに叩いた。
父上のお言葉が、現実になりつつある。
彼女はゆっくりと重い瞼を閉じ、かつて極秘裏に訪れたヴィアトル男爵邸の応接間の光景を思い返した。
薄暗い部屋の中で、暖炉の火に赤く照らされた三人の貴族たちが瞬きもせずに視線を自分へ向けていた。
ヴィアトル男爵邸での、皆様のお顔が、忘れられない。
ダフネは肺の奥まで深く息を吸い込み、椅子の背から身を離して音もなく立ち上がった。
彼女は机に散らばった数本の羽根ペンを拾い上げ、インク壺の隣へ机の端と平行になるよう並べる。
ダフネは壁面に固定された金縁の姿鏡の前へと進み、上着の細かな皺を掌で平らに伸ばした。
鏡の中に映る自分の瞳を数秒間じっと見つめ、唇を真一文字に押し結ぶ。
ダフネは棚から小さな薬瓶を取り出し、上着の内隠しへと一息に収めた。
彼女はそのまま寝台の横に置かれた手桶へ手を浸し、冷たい水で指先の汚れを拭い去る。
侍女が扉の真鍮の取っ手に指を掛け、廊下の気配を確認してから主の方へ顔を向けた。
「殿下、お父上様が、お呼びでございます」
ダフネは鏡から視線を外し、顎を引いて侍女に対し一度だけ短く頷いた。
「すぐに参ります」
ダフネは廊下へと一歩を踏み出し、規則正しい足音を石造りの床に響かせた。
重い絹のドレスが石の床を擦る音を残し、彼女は視線を正面に固定したまま歩みを速めていく。
◇ ◇ ◇
厚手のカーテンが完全に閉じられた寝室は、日の光を遮り、微かな薬草の匂いが停滞している。
銀の燭台に灯された数本の蝋燭が、壁面にかけられたタペストリーの陰影を不規則に揺らしていた。
ダフネは音を立てずに絨毯を踏み、寝台の傍らへと歩み寄る。
彼女は備え付けられた背もたれのない椅子を引き寄せ、浅く腰を下ろした。
国王テオドリクス三世は、枕に深く沈み込んだ頭を僅かに動かした。
その眼窩は黒ずんで窪み、寝着から覗く鎖骨は皮一枚を隔てて鋭く突き出している。
「ダフネ……来たか」
国王は乾いた唇を震わせ、掠れた声を絞り出した。
ダフネは父の痩せ細った手首に自分の指を添え、脈の乱れを確かめる。
「父上、ご容体は」
国王は視線を泳がせ、天井の梁に刻まれた紋章をぼんやりと見つめた。
「もう、長くはあるまい」
ダフネは小さく息を呑み、添えた指先に力を込める。
「父上、まだ……」
国王は一度だけ短く咳き込み、喉を鳴らして呼吸を整えた。
「ナルキスはどうしている」
ダフネは視線を落とし、寝台の縁に並ぶ刺繍の重なりを見つめた。
「徳政令の件、ご存じでしょうか」
国王は薄い瞼を閉じ、額に深い刻み皺を作った。
「聞いておる。あの愚息……」
ダフネは窓の向こうにある広場を思い描き、静かに顔を上げる。
「父上、王宮の門前は閑散としております。返済はミリオン家屋敷に集まっております」
国王は眉を動かし、微かに鼻を鳴らした。
「そうか……民の信頼も、失ったか」
ダフネは父の胸元まで毛布を引き上げ、その端を丁寧に整えた。
「父上……」
国王は掌を上へ向け、娘の指を掴もうとして空を掻く。
「もし兄が、王太子の地位を失うようなことになれば……」
ダフネは父の手を両手で包み込み、正面からその瞳を強く見据えた。
彼女は上体を僅かに倒し、一語ずつ区切って言葉を置く。
「お任せください、父上」
国王は掴まれた指を微かに震わせ、娘の顔を凝視した。
「ダフネ……」
ダフネは背筋を伸ばし、顎を引いて決然とした表情を浮かべる。
「父上のご遺志を、必ず」
国王は数回大きく肩を揺らし、肺の奥にある空気を吐き出した。
彼は娘の手を強く握り返し、耳元へ顔を寄せさせた。
「あの令嬢を敵に回すな。生かしたまま、利息で返せ」
ダフネは瞬きを一つだけ行い、静かに頷いた。
「肝に銘じます」
国王は力を使い果たして枕へ頭を戻し、再び空を見つめる。
「……あれは、コンスタンティンが」
言葉は途切れて吐息に消え、国王はそれ以上口を開くことはなかった。
彼は最後に一度だけ娘の手の甲を叩き、力を抜いて指を解く。
「お前なら……できる……」
ダフネの目から一粒の涙が零れ、父の冷えた手の甲に落ちた。
彼女は乱れることのない声で、もう一度だけ父の名を呼んだ。




